山口県山口市 龍蔵寺
Ryuzoji,Yamaguchi City,Yamaguchi
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Nov.26,2023 瀧山幸伸
庭園
December 29, 2019 野崎順次 source movie
山口県山口市吉敷1750番地
真言宗御室派
瀧塔山 龍蔵寺
龍蔵寺は山口市内では最古刹であり、縁起や歴史、他所から移されてきた客仏など、多くのものの由来が確定できず伝説的である。境内に流れる「鼓の滝」は古くから名勝として知られ、雪舟作と言われる池泉回遊式庭園や春の牡丹、秋の紅葉など、景勝地として整備されている。また、ペットの永代供養も行っている。
1778年(安永7年)に龍蔵寺から長州藩に提出された由緒書によれば、文武天皇2年(698年)に豊後国の英彦山で修行していた役小角が、北方に見た瑞雲と光明から吉敷の滝を発見し、奥の院の岩窟を「龍の蔵」と名付け、熊野権現を勧請して護摩供を修したとされる。下って天平13年(741年)、行基がこの地で千手観音像を彫り、七堂伽藍を建てて「龍蔵寺」と名付けたと言われる。
江戸時代には、現在の本堂や観音堂の他に薬師堂や開山堂などがあったが、廃仏毀釈や廃藩置県など明治初期の混乱により多くのものが破却され寺は荒廃した。その後、明治29年に住職に就任した宮原泰歓の尽力により信仰の場として復活した
(ウィキペディア「龍蔵寺(山口市)」より)
パンフレットと現地説明板
石段を上り、楼門へ
竜蔵寺庭園 室町時代(改修現代) 池泉回遊式
雪舟はこの竜蔵寺にも池庭を作ったと伝称されるものがあった。しかし不幸にして、この池庭は何十年来荒廃を重ねて竹藪となり、近年池庭らしいものは不明であった。
ところが昭和三十一年になって、現住宮脇美妙尼がその再興を計画され、著者に作庭方を依頼された。そのような関係で、著者は当寺を訪ね、竹藪を切り開いて池庭の存在することを知り、直ちに復原修理に掛かった。ただその当時すでに庭石の流失したものもあって、これを補修しながら作庭し、同年六月に完成した。したがって、復原修理の指導は一切著者が行い、施工は河野伊三郎、野口信一その他であった。
本庭は本寺本堂の北より少し離れた別地にあって、山畔を利用し、下部に細長い池泉を設け、二、三の出島を作り、山畔と護岸には多くの石組が残っていた。雪州の作庭とは判定しがたいが、室町式の古庭であった。いずれにしても、小池庭ながら一覧の要がある。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」竜蔵寺庭園より)
観音堂
中国四大聖地仏堂(名刺堂)
国天然記念物 龍蔵寺の大イチョウ
その他観音堂回り
宝物庫
国重文 木造大日如来坐像(胎蔵大日) 平安時代(藤原中期)
市文 木造不動明王立像 鎌倉時代
市文 木造毘沙門天立像 鎌倉時代
国重文 鎗金四天王図扉絵 2枚 - 宋~元時代
その他収蔵品
大不動明王あたり
鼓の滝
滝行
護摩堂展示品
本坊寺事務所、御本尊、牡丹の花
十二支本尊、チシャの木の橋など
帰途、JR湯田温泉から新山口
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