Monthly Web Magazine May 2016

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■■■■■  おばちゃんカメラマンが行く 「今相撲が面白い」 事務局

日本人力士の活躍が今一つだった昨今、不動の三横綱をちょいちょい負かす日本人力士も出て、優勝争いから目が離せなくなっています。

稀勢の里、琴奨菊、高安、注目力士が並びますが、頑張ってほしいのが「勢」。 我が家の近くのマンションを改装していつの間にか(2012年)移転してきた伊勢ノ海部屋。

覗き見ると、一階がほとんど土俵で数人の力士が稽古をしています。

狭くて物干し場を確保できないのか、廻し干しは、いつもこんな状態で、色の加減や塩気がまるで立派な利尻昆布を干しているかのようです。

あの辺が前袋で端の方が立褌(タテミツ)かと想像してしまうのは私だけでしょ うか?

この部屋でぴか一は「勢」。容姿端麗、カラオケ大好き、後半取り組みに恵まれずいつも撃沈してしまいます。稽古を邪魔するお姉さま方を振り切って、頑張って〜〜

伊勢ノ海部屋 (東京都文京区千石)

 

我を取り戻しまじめに考えると、

相撲の起源は諸説あり朝鮮半島から伝わってきたという説もあるようですが、神事的な要素を含みながらも、天覧試合であり、人間同士の戦いであったと考える と『古事記』の神代よりは『日本書紀』に起源を見ることができるのではないかと考えます。詳細はウィキペディア等ネットで検索できますが。

『日本書紀』には、神ではなく、人間としての力士同士の戦いで最古のものとして、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある「野見宿禰(のみのすくね)」と「當麻蹶速(とうまのけはや)」 の「角力(正しくは手へんに角、「すまいとらしむ・スマヰ」または「すまい・スマヰ」と訓す)」での戦いです。

相撲発祥の地

垂仁天皇の御前で前述の両力士が力比べをしたのが、穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうず)(奈良県桜井市)の境内にあるカタヤケシの社が、日本で最初に相撲がとられた場所とされ、勝負に勝った宿禰が祀られて います。

   

勝負に負けた當麻蹶速の蹶速塚は、当麻寺の近くにあります。

この戦いは素手で相手を絶命させるまで戦う、何でもありの格闘技だったようです。

古墳の出土品に力士の埴輪が多数出てきていることを考えると力士は力強い守り人だったのでしょう。

大日山35号墳(和歌山県和歌山市)

 

飛鳥時代『日本書紀』の天武天皇11年(682年)7月3日 (旧暦)にも「大隅隼人与阿 多隼人相撲於朝庭 大隅隼人勝之」とあり、7世紀には、7月に相撲が行われていたことがうかがわれます。

ここのところが大事で、それまで着衣で戦っていた相撲が、武器を隠し持たず素手でフェアに戦うという意味で裸に褌のみが登場したという説があります。これが廻しの始まりかもしれません。

古要神社の相撲傀儡子(くぐつ) 大分県中津市

操り人形の原点と言われる相撲人形30体が重要有形民俗文化財に指定されています。

  

この格闘技は、脈々と続き、奈良時代には、突く殴る蹴るの三手の禁じ手・四十八手・作法礼法等が神亀3年(726年)に制定されます。(吉田司家・志賀清林を参 照)これが日本の国技相撲の決まり手のルーツと思われます。

信長のころには土俵ができ、弓取りの儀式などの記録もあります。

江戸時代になって神事的な要素と娯楽的な要素が加わり、現代のようにきらびやかな化粧まわしをつけるようになりました。

ついこのあいだまで、黒白しかなかった廻しにカラフルな色がつき、化粧まわしに横文字が入ったりと進化する相撲、マゲも結わなくても許される時代が来るのかもしれません。

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