福井県若狭町 熊川宿
Kumagawa shuku,Wakasa town,Kumagawa
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Mar.27,2022 瀧山幸伸 source movie
A camera
南から北へ、北から南へ、晴れたのでもう一度南から北へ
B camera
旧逸見勘兵衛家
January 8,2022 大野木康夫
source movie
国道303号線
熊川宿西口から東へ
荻野家住宅
さらに西へ
帰路
August 17, 2019 野崎順次 source movie
福井県三方上中郡若狭町熊川
熊川宿
熊川の宿は、若狭から京都を結ぶ重要な宿場で、特に天正17年以来発展を続けました。奉行所・番所・お蔵屋敷の跡が残り、情緒あふれる街道沿いには、昔ながらの用水路が流れています。豊臣時代から藩政末期におよぶ古文書・御用日記なども保存されています。熊川宿は、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、往年の繁栄を偲ぶ町並みが保存されています。
平成27年に熊川宿を含む鯖街道が「〜御食国若狭と鯖街道〜」として日本遺産に認定されました。
(ふくいドットコムより)
パンフレットと現地説明板
西の下ノ町(しもんちょ)から歩き始める。
まがり、これから東は中ノ町(なかんちょ)
国重文 荻野家住宅
中ノ町(なかんちょ)をすすむ。御蔵屋敷跡(町史跡)、得法寺、御蔵道、白石神社など
前川、400年の歴史のある清らかな用水路
旧問屋、菱屋
さらに中ノ町(なかんちょ)を進む。
宿場館(若狭鯖街道資料館)あたり
旧逸見家住宅
中条橋まで
ここから上ノ町(かみんちょ)
大岩(子守り岩)
上ノ町(かみんちょ)では前川の位置が左右に変わる。
権現さん
熊川番所
坂を上がって、若狭熊川宿道の駅へ
2012.1.3撮影
小雪の舞う中、熊川宿を訪れました。まだ松の内なので、道の駅も営業していませんでしたので、歩きながら町並みを撮影しました。
道の駅から北西に歩いていきます。
少し雪が積もっていました。
河内川を越えると、熊川用水(前川)沿いに古い造りの民家が建ち並んでいます。
人も車もあまり通りません。
民家の屋根に少し雪が積もっていました。
前川や河内川の水音が目立つほど静かでした。
若狭国は、志摩国、淡路国とともに御食国(みけつくに)と呼ばれていた。『延喜式』によると、若狭国は10日毎に「雑魚」、節日ごとに「雑鮮味物」、年に一度「生鮭、ワカメ、モズク、ワサビ」を御贄として納めることが定められており、多くの海の幸に恵まれている。都と若狭を結ぶ若狭街道は、別名鯖街道とも呼ばれている。小浜から都への道中は十八里と、それほど遠くない。若狭領主浅野長政は、天正17年(1589)熊川を交通軍事の拠点として宿場町とし、四十戸ほどの村が二百戸ほどに増えた。
この街並は平成8年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、各種整備が行われたため、今では観光地として賑わっている。街並は約1.1Km、平入と妻入が混在し、一部茅葺の家屋も残る。下ノ町(しもんちょう)と中ノ町(なかんちょう)の間には鈎曲りが現存する。
中ノ町には町奉行所、蔵奉行所、問屋や社寺があり、下ノ町と上ノ町(かみんちょう)は、茶店、背負、巡礼宿などが多くあった。下ノ町には、西山稲荷神社や孝子与七の碑がある。上ノ町には関所(口留番所)が設けられ、権現神社がある。番所は復元公開されている。
この街並の一番の魅力は、背後の山からの清水を利用した用水路だ。街は山裾に立地し、若狭湾に向かって緩い傾斜がある。水路を流れる水音は軽快で清冽。さらに道路のアスファルト舗装を廃し、昔の土道風に整備されており、景観的にも好印象をもたらす。
欲を言えば、水路が道の中央に復元されればなお良いのだが。例えば島原の武家屋敷街のように、伝統的な中央水路は均整のとれた街並景観をもたらす。
その場合自動車通行が問題となるが、このように素晴らしい街並は徹底的に自動車排除を目指すべきだろう。そのためにも、住民の生活を守るためのバックヤードアクセスの整備なども含めた保存計画が必要だし、ここ熊川はさらなる整備にふさわしく、その可能性もある。
既存の照明器具も街並にそぐわないので、昼夜ともに景観を演出できる灯台型灯篭を整備すべきであろう。このような戦略的対策を講じ、日本に数少ない「水と街並と自然食材」の「癒しの宿場町」として宿泊需要を喚起することが望まれる。 東の妻籠にひけを取らない素晴らしい「宿場町」ができあがると思われる。
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