JAPAN GEOGRAPHIC

福岡県太宰府市 宝満山

Houmanzan Kamadojinja,Dazaifu city,Fukuoka

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Nov.22,2023 瀧山幸伸 source movie

                                                               


Nov.17,2016 田中康平

福岡県 太宰府市 竈門神社

Kamadojinja

福岡県太宰府市内山883

大宰府の東北の鬼門を守る鬼門除けとして設けられたといわれ創建以来千三百五十年の歴史があるとされる(竈門神社HPによる)。

主祭神は玉依姫命。

神社境内には楓が多く、福岡県の紅葉の名所の一つとなっている

                     

                                                                     


June 2015 「宝満山 金の水」 末永邦夫 source movie

今年、facebookで宝満山で「金の水」の現象を見たとの報告が出ていました。

それで、約8年ほど前に撮影してたのを思い出し、約2分ほどに編集してみました。

現象の記録としてご報告します。

【撮影日】 2007(H19)年5月21日 13時頃(約30分位)

【撮影地】福岡県 筑紫野 宝満山

Mt.Houmanzan - Water gold, Chikusino city , Fukuoka

太宰府市と筑紫野市にまたがる宝満山。

山頂から本道寺へ下ると約8合目に「金の水」という水場があります。

その名前の由来は年に1度、岩窟の岩の隙間から太陽光線が差し込み、水が流れる岩場に光が当たり、金色に輝く瞬間が有ることからつけられたそうです。

2007(H19)年5月、たまたまその現象に出会う事ができました。その時の記録です。

水場「金の水」の全景

 

水場の岩窟の岩場に当たる太陽光線

 

ハート型に金色に輝く「金の水」の現象

 


Sep.2013 末永邦夫

「宝満山 カエルも峰入り」(約10分)

Houmanzan kaeru mo mineiri

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【撮影日】2013(H25)年2月〜7月

【撮影地】福岡県 筑紫野市・太宰府市 宝満山

City Chikusino-City Dazaifu Houmanzan, Fukuoka

いままでに、何度も登っていた宝満山(標高約830m)の山頂にカエルが居るのを今年初めて気がつきました。

それで、今まで撮影してきたヒキガエルと宝満山山伏の記録を一つにまとめてみました。

01-表紙 「宝満山 カエルも峰入り」宝満山は大宰府政庁の鬼門(東北)

 に位置する標高約830mの霊山です。 

 

02-ヒキガエル 2月産卵のために、ヒキガエルが山から下ってくる。

この時、林道の側溝にカエルが落ち込むので、救出作業中です。 

 

03-本谷池 2合目付近に有る本谷池にカエルが集まってくる。

 

04-ヒキガエル 大きなメスの上がオス。

 

05-ヒキガエル 池の中のヒキガエル。

 

06-満月 満月の夜に産卵する。

 

07-卵塊 樹の枝にグルグル巻き付いた卵塊。

産卵が終わるとヒキガエルはまた山へ戻って行きます。

 

08-山伏の峰入り 5月第二週目の日曜日に山伏の峰入り業がおこなわれる。

峰入り業には、一般の登山者も参加できる。

 

09-山伏の峰入り 山道を行く峰入りの一行。

 

10-山伏の峰入り 峰入りの一行は本谷池の横を通る。

 

11-オタマジャクシ その頃池ではオタマジャクシが発生しています。

 

12-オタマジャクシ 発生したオタマジャクシが帯状になって池を回遊する。

 

13-峰入りの山伏 7合目の難所を登る山伏。

 

14-心蓮上人の祠 仏頂山山頂にある、宝満山を開山した心蓮上人の祠を参拝する。

 

15-岩場を登る山伏 宝満山山頂へ向かう。

 

16-宝満山山頂 上宮で無事の峰入りが終了した事を感謝する。

 

17-本谷池 5月下旬の本谷池。

 

18-子カエル オタマジャクシが大きさ約5mm位の子カエルへ。

 

19-子カエル 山へ帰って行く子カエル。

 

20-天拝山からの眺め 手前が筑紫野市、四王寺山側が太宰府市です。

宝満山は右半分が筑紫野市、左半分が太宰府市になります。

 

21-かまど神社 7月2日かまど神社へお参りして宝満山へ登る。

 

22-子カエル 8合目で子カエルを目撃。登山中の女性もびっくり。

子カエルは池から約1ヶ月くらいでここまで来た事になります。

 

23-山頂(上宮) やっと、山頂の上宮が見えてきました。

 

24-山頂到着 山頂に到着すると子カエルが.いました。

 

25-子カエル 山頂にいた子カエル。山伏さんも難儀して登る山頂に

どのようにして、なんで、登って来ているのか不思議です。

 


Nov.2010 末永邦夫

杖術(じょうじゅつ)発祥の地 宝満山

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撮影日 2010年9月11日

撮影地 福岡県太宰府市かまど神社

【説明】

 かまど神社神殿の横に小さな社があります。

 これが夢想権之助神社です。

 神道夢想流杖術は今から400年前、夢想権之助によって創始されました。

 剣豪宮本武蔵と立会い二刀流に敗れた権之助は全国を武者修行します。

 諸国遍歴後、筑前の国宝満山のふもとで修行し、山中の岩屋(普池の窟ふちのくつ)に祈願参篭し、「丸木をもって水月を知れ」との御神託を受け、ついに杖術を創始します。

 杖術は黒田藩武士の必須武術となり、藩外不出の御留武術でしたが、明治維新後解禁され、全国に広がりました。

 警視庁や福岡県警でも採用され現在に至っています。

 昭和42年流祖夢想権之助を祭る神社が創建されました。

 2年に一度、この社の前に全国から杖術を志す人々が集まり流祖祭が行われています。

【写真】

写真01-かまど神社本殿

 宝満山のふもとにかまど神社があります。

 

写真02-夢想権之助神社

 かまど神社の左手に小さな社があります。

 これが夢想権之助神社です。

 

写真03-夢想権之助神社記念碑

 2年に一度、全国から杖術家が集まり、参拝の後、奉納稽古が行われます。 

 

写真04-流祖祭の記念撮影

 全国からあつまった杖術家の記念撮影です

 

写真05-宝満山

 夢想権之助は宝満山の九合目にある岩屋「普池の窟(ふちのくつ)」に参篭し、杖術を創始します。

 

写真06-普池の窟(ふちのくつ)

 ふもとから登りだして約1時間半で普池の窟に到着します

 

写真07-普池の窟解説版

 <普池の窟>

 宝満山は大宝年間から修験者の修法場として栄えた

 宝満山七窟の一つであるここ普池の窟は奇岩巨岩にして暗やみの窟内は玉依姫(たまよりひめ)石像と石仏が約十体鎮座され広さ約十五畳にして石清水が四季をつうじて流れている

 史記によると神道夢想流杖術の 開祖夢想権之助が「不滅の杖」の極意を授かったゆかりの窟である

 夢想権之助は慶長年間の人なり鹿島香取の剣法を会得したる剣豪にして常に神武の根本義不傷不殺の精神を抱懐しその真髄を極むべく参籠祈願し「丸木をもって水月を知れ」との御神託を得槍薙刀太刀等の日本武道を綜合集大成し天下無双の杖術を創始した

 後に黒田藩の指南役となり数多の師範家を育て藩外不出の御留の武術として伝承され現今国内外にその虹彩を放ち限りない発展を続けている

 宝満宮 かまど神社

 神道夢想流杖道振興会

 

 

写真08-普池の窟の内部

 普池の窟の内部に祭られた石仏

 

写真09-玉依姫(たまよりひめ)石像

 現在でも窟にお参りされる方達がいます

 (山の図書館・重籐氏 提供)

 

写真10-奉納稽古風景

 流祖祭の儀式の後、神前で奉納稽古が行われる

 杖の長さは三尺二寸の太刀より一尺長くして四尺二寸一分(約128cm)、

直径八分(3cm)の樫の丸木である

 

写真11-奉納稽古風景

 杖術を錬磨すれば、杖がまるで自己の手足の如く操作でき、相手の動作に応じて、剣となり、槍となり、あるいは薙刀にもなる

 

写真12-二刀流との稽古風景

 まず二刀流の小太刀を叩き落とした後敵を討ちます

 権之助は二度目の武蔵との立会いに勝ったといわれています

 

写真13-次代の武術家

 杖術家の親についてきた子供たちが、練習を見てまねをしています

 お母さんが「危ないからやめて!」と止めていました

 カエルの子はカエルですね

 


June 2010 末永邦夫

オタマジャクシの行進

撮影日 2010年5月17日撮影

撮影地 福岡県太宰府市宝満山ふもとの池

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宝満山のふもとの池でオタマジャクシがオーロラの様な模様を描いているとの連絡を受けて撮影してきました。

一匹一匹はバラバラなのに、何か全体を統率するものがあるかの様な行動です。

水族館でよく見かけるイワシの群泳を思いだしました。

なぜ、こんな行動をするのでしょうか?

なお、このカエルはニホンヒキガエルです。

写真01-オタマジャクシ

 拡大して見ると黒い点はオタマジャクシでした。

 

写真02-オタマジャクシが描く模様

 池の湖面に黒い帯が様々な模様を描いています。

 

写真03-岸辺のカエルとオタマジャクシの混在

 二週間後池に行くと、岸辺にはカエルになったものと、後ろ足が出たオタマジャクシとオタマジャクシの三様が混在していました。

 

写真04-上陸するカエル

 カエルの大きさは5mm位。小さな身体で一生懸命山道を登って行きました。

 

 


May 2010 末永邦夫

ムササビ

動画(約3分)

Movie

musasabi圧縮版

musasabiDVD品質版

撮影日 2010年5月16日撮影

撮影地 福岡県太宰府市かまど神社裏山

かまど神社の裏山で、自然観察の専門家のご指導を得てムササビの観察ができました。

しかし、真っ暗な中で、照明は懐中電灯だけなので画面が暗くて分かりずらいと思います。

なお、ムササビは日本固有の種で、哺乳類の一種です。

木のほらから顔を出すムササビ

 


Apr.2010 末永邦夫

ヤマガラの採餌(約2分)

撮影日 2010年4月5日撮影

撮影地 福岡県太宰府市かまど神社裏山

かまど神社の裏山で、木を突っつく小鳥がいるというので撮影に行ってきました。

写真01-宝満山

 宝満山のふもとはサクラが満開です。

 周りからコンコンと木を叩く音がします。

 

写真02-木立

 周りを見渡すとシャクナゲと木立

 

写真03-木の上のヤマガラ

 樹上を見るとヤマガラがいました

 

写真04-下枝のヤマガラ

 見てると地上へ降り、アジサイの枝に止まりました

 

写真05-地上の木の実

 地上にはたくさんの木の実が落ちています

 

写真06-木の実の大きさ

 木の実を一円玉と並べてみました。

 木の実はエゴの実でした

 

写真07-実を食べるヤマガラ

 エゴの実をクチバシに挟むと、樹上に上がります。

 そこで、さかんに殻を突っついて中身を取り出していました。 

 

【動画】

ヤマガラDVD品質版

ヤマガラ圧縮版 

 

ソウシチョウ(約2分)

撮影日 2010年3月14日撮影

撮影地 福岡県太宰府市かまど神社裏山

かまど神社の裏山の藪のなかで、スズメ位の小鳥が数羽飛び交っていました。

何の鳥かなと注目してたら、前方の木の枝に止まりました。

今までに見た事がない、クチバシがピンクの美しい小鳥でした。帰宅して調べたら、なんと特定外来種のソウシチョウでした。

姿・鳴き声がきれいなので中国から輸入されたものが、自然に戻り繁殖している様です。

写真01-藪のなか

 藪のなかで遭遇したソウシチョウ

 

写真02-籠の鳥

 飼ってる方は姿・鳴き声を楽しまれています

 

【動画】 Movie

ソウシチョウDVD品質版 

ソウシチョウ圧縮版 

 


Dec.2009 末永邦夫

六所宝塔) 安西塔落慶法要

【ビデオ 圧縮版】Low quality video

【ビデオ DVD版】DVD品質 video

2009年11月16日(月)、 宝満山の六所宝塔跡に記念の石塔と石碑が建立され、天台宗による落慶法要が執り行われました。

写真01 遺跡が整備され、入り口に説明版が設けられた。

 

写真02 叡山本山の方々が遺跡に到着。

 

写真03 遺跡から北を望む

 

写真04 北側には博多湾が遠望され、志賀島と玄界島が見える。

 

写真05 記念石塔の落慶法要が行われる。

 法要は、天台宗宗務所の役員の方々、比叡山本山の方々、地元教区の方々により執り行われました。

 

写真06 落慶法要までの経過が報告される。

 

写真07 式典終了後、出席者の記念撮影。

 

写真08 完成した記念の石塔。石塔内には天台宗の方たちにより写経された法華経が納経されている。

 

写真09 六所宝塔跡の説明版前半

 

写真10 六所宝塔跡の説明版後半

 

六所宝塔跡(安西【あんざい】筑前宝塔院跡)

この遺跡は、伝教大師最澄(七六六〜八二二)が比叡山を 開いた折、仏法の興隆と日本国の平安を祈る拠点として全国に建立を企画した六所宝塔(近江国比叡山東塔・山城国比叡山西塔・上野国浄法寺・下野国大慈寺・豊前国宇佐弥勒寺・筑前国竈門山寺【ちくぜんのくにそうもんさんじ】の一つで、 承平三年(九三三)にはすでに沙弥証覚【しゃみしょうかく】 によって創建していたとされている。

国家守護の要としての日本全国六ヶ所の宝塔のうち、ここ は西の都、太宰府鎮護の為のものであるところから「安西塔」ともよばれた。

宝塔建立以前、最澄は遣唐使として博多出航の前年(八〇三) 十月、宝満山竈門山寺に篭もって渡海入唐の無事を祈って薬師如来四体を造り、法華経など大乗経典を講じた。

また、慈覚大師円仁(七九四〜八六四)も承和十四年(八四七)大唐 国より帰着の折、大山寺(だいせんじ 竈門山寺の後の名称)に立ち寄り、竈門大神の為に金剛般若経一千巻を転じた。

その後、法華経一千部八千巻を納める最澄企画の安西の宝塔が完成し、平安時代後期には天台宗比叡山の末寺となった。最盛期には、有智山(内山)、南谷、北谷三所の僧舎は三百七十坊に及び、神仏習合による入峰(にゅうぶ)修行の修験の山として栄えた。

この遺跡の発掘調査は、平成二十年度に太宰府市教育委員会によって行われ、裾部の一辺が約二十メートルにおよぶ基壇を持つ三間(七・八メートル)四方の礎石建物が発見され「本谷礎石群」と呼ばれた。

基壇周辺より平安期の瓦や小金銅仏なども出土し、年代や文献ともよく一致することから、安西筑前宝塔院に比定された。

この度、天台宗開宗一千二百年を記念して、この聖地を購入整備し、最澄創建の主旨に基づき、国家安寧と世界の平和を祈る聖跡として、内部に法華経を納める石造の宝塔を建立した。

土地所有管理 天台宗

 

写真11 六所宝塔分布図

 

写真12 比叡山東塔の写真。この塔と同様の宝塔がここに建立されていたものと考えられます。

 


Nov.2009 末永邦夫

今回は宝満山と私のかかわりを14分ほどにまとめた作品をアップします。

内容は今までにアップした「宝満山の六所宝塔跡」の報告と重複していますが、その後の出来事を追加しました。

なお、この作品は今年の福岡市民芸術祭参加行事「福岡映像コンテスト」に応募し入賞したものであり、宝満山を愛する方々のご支援のおかげだと感謝しています。

なお、入賞作品は福岡市総合図書館で永久保存されるそうです。

【作品名】 宝満山と私 (時間14分)

【内 容】 

宝満山(830m)は、私が現役時代、健康管理をかねた鍛錬のための山でした。

退職後、宝満山研究会という宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える市民の会に入り、宝満山の勉強をはじめました。

遺跡探訪を通して、「六所宝塔跡」といわれる遺跡を知りました。

この遺跡が雑木林に覆われていた時から、太宰府市の発掘作業、天台宗が聖地として買収する過程を記録させてもらいました。

これを14分に編集したものです。

【ビデオ 圧縮版】No.1 No.2 No.3

【ビデオ DVD版】No.1 No.2 No.3

【写真の説明】

写真No.10

始まりタイトル「宝満山と私 〜鍛錬の山から霊山探訪へ〜」 

 

写真No.11

宝満山は太宰府天満宮の東北に位置する830mの山で、九州で一番登山者が多い山と言われています。

 

写真No.12

太宰府天満宮。

 

写真No.13

在職中の私にとって、宝満山はすぐに行ける健康管理のための山でした。この日もかまど神社にお参りして山頂を目指します。

 

写真No.14

かまど神社からの登山道は表参道と言い、石の階段が山頂まで続く、厳しい山です。

 

写真No.15

山頂までは約2時間ほどかかります。山頂には上宮(じょうぐう)のお社があります。

 

写真No.16

山頂からは、博多湾・福岡タワー・ヤフードームなどが展望できます。

 

写真No.17

退職後、宝満山の歴史と保全を考える市民の会「宝満山研究会」に参加し、 宝満山の勉強をはじめました。

 

写真No.18

2007年4月21日、雑木林に覆われた六所宝塔跡を探訪。

 

写真No.19

ここで、森弘子先生(本「宝満山歴史探訪」の著者)が、818年最澄が考案した六所宝塔について解説されました。

 

写真No.20

六所宝塔は全国六箇所に設置されたが、現在では、建物はおろか建設された場所さえ不明になっています。

 

写真No.21

太宰府市の発掘作業が行われる事になり、2007年12月1日、事前に会員で下草刈りを行う。

 

写真No.22

このとき、遺跡発見者の小西さんが、遺跡の保存をどうするかと悩みを語る。

 

写真No.23

遺跡の雑木を整理すると、今まで見えなかった山頂が見えてきた。

 

写真No.24

2008年3月22日、六所宝塔跡の発掘が終わり、現地説明会が行われた。

 

写真No.25

説明会には約100名の市民が見学にこられました。

 

写真No.26

発掘を行った時、緑青をふく3mmほどの物体が確認された。

 

写真No.27

これを堀上てみると、約12cmほどの小金銅仏が発掘された。

 

写真No.28

この説明会に、最澄の九州における足跡を調査されている、天台宗)祇園寺の山下住職が佐世保からかけつけてこられました。 

 

写真No.29

太宰府市の発掘作業により、ほぼ六所宝塔跡と推定された事を受け、天台宗がこの遺跡を聖地として買収され、2009年4月15日全国から高僧がお参りにこられました。

 

写真No,30

これで、遺跡保存問題は解決。これからは、天台宗と地元ボランティアが共同して、保存活動をする事になりました。

 

写真No,31

2009年4月25日、宝満山研究会の例会で遺跡の整備を行いました。

 

写真No,32

この後コシアブラをテンプラにして、春の味覚を楽しみました。

 

写真No,33 

これからも宝満山の自然と歴史が楽しめそうです。

終わりのタイトル。

 

写真No,34

今年の11月16日(月)15時、宝満山の六所宝塔跡に朱色の袈裟を纏った天台宗比叡山本山の方々や地元天台宗教区の方々が参集され、安西塔落慶法要がとり行われ、 石造宝塔と記念碑の除幕式と法華経が唱和されました。

 

写真No,35

石塔が設置された遺跡はまったく様子が一変し、厳かな雰囲気が漂う遺跡となりました。

 


Mar.2008 末永邦夫 「宝満山で六所宝塔(ろくしょほうとう)跡を発掘」

撮影データ

 撮影日 2008(H20)年3月22日

 撮影者 末永邦夫

 撮影場所 宝満山

概要 

最澄は804年遣唐使として唐に渡り、天台宗を修めて帰国。

 817年法華経の功徳でわが国の平和を守るため、全国六箇所に宝塔を建てる事を計画(六所宝塔願文)。これを六所宝塔と言います。

 北 下野国(栃木県)

 東 上野国(群馬県)

 南 豊前国(大分県)

 西 筑前国かまど山(福岡県太宰府市)

 中塔 山城国下比叡山西塔

 総塔 近江国比叡山東塔院 

 現在、これら六所宝塔は存在せず、その建設位置さえ不明になっています。

 宝塔「安西筑前宝塔院在筑前国」は最澄没後、933年に沙弥証覚(シャミショウカク)により、かまど山(宝満山)に建てられたと記録が残っています。

 この宝塔の跡と思われるものが、1981年(昭和56年)に太宰府天満宮文化研究所)小西氏により発見されました。

 六所宝塔中、唯一所在が明確になっています。

 今年(2008年)、太宰府市教育委員会文化財課により調査発掘が行われ、3月22日に現地説明会が行われました。

 説明会では、三間四方の建造物跡と小金銅仏が発見され、宝塔跡の確証が高くなったとの報告がありました。

 現地説明会には約100名の方々が訪れ、熱心に説明を聞かれていました。

 また、発掘された小金銅仏(約12cm)に大きな関心が寄せられていました。

 なお、この遺跡の発見はマスコミにも取り上げられ大きな波紋となっており、保存方法が注目されています。

コメント

 私は宝満山研究会の一員として、遺跡がヤブに覆われていた時から、下草刈、発掘作業の経過を映像で記録させて頂きました。

 今回、この内容をダイジェスト版(約7分)で報告するものです。

 なお、この報告を作成するにあたり、宝満山研究会事務局の方々に大変お世話になりました。ここにお礼申し上げます。

動画 宝満山で六所宝塔跡を発掘(約7分) 

中級画質 mpeg2 410MB

低画質 wmv 60MB

 今年(2008年)3月22日現地説明会が行われました。

 参加者はかまど神社鳥居前に集合し、それより、発掘現場まで約30分程林道を歩く。

 発掘現場は尾根先端の広い平坦地になっており、東側には宝満山の山頂が望める。

 発掘現場を対面の九州国立博物館側から見ると、かまど神社のすぐ後ろに紅白の送電塔(ここから小金銅仏が発掘されている)、その右後ろに、一の鳥居(二合目)前に建つ黒い送電塔が見える。

 遺跡はその間の尾根筋にあります。

 昨年(2007年)4月宝満山研究会で小西氏の案内でやぶの中の宝塔跡を探訪。

 ここで、森弘子先生(宝満山歴史散歩の著者)から、六所宝塔について解説を聞く。

 その後落ち葉の積もった表土をはぐと大きな礎石が出てきた。 

 12月、宝満山研究会の例会で遺跡の下草刈を有志で行う。

 すると、いままでやぶで全く見通しが無かったところが、急に眼前に山頂が現れる。

 本年2月から発掘作業が行われ、遺跡から三間四方の建物跡が出土するとともに、宝満山では3体目の小金銅仏が発掘された。

 これらの発掘成果からほぼ六所宝塔の可能性が高くなった。

 この日一番注目されたのは、小金銅仏でした。 

   

一の鳥居は二合目になります

 

遺跡発見者の小西氏の案内でやぶの中の宝塔跡を探訪

 

森弘子先生(宝満山歴史散歩 著者)が六所宝塔について解説

 

足元の表土をはぐと、大きな礎石が現れる

  

やぶで覆われた遺跡の下草刈を行う

 

すると、やぶで展望が効かなかった場所に、急に山頂が現れた

 

  

山クワでガンガン表土を堀起こしていた

 

作業をしていた人が力をゆるめた時、3mm位の緑色物を発見 

 

一通り作業終了後、竹串で発掘したら小金銅仏が現れた

 

発掘された建物の規模と小金銅仏や瓦の種類から、ほぼ宝塔跡と確証

 

現地説明会で小金銅仏を拝観する人々

 

説明会も終わり四王寺山へ夕日が落ちる

 

Map六所宝塔全図 

六所宝塔の所在位置概要

 北 下野国(栃木県)

 東 上野国(群馬県)

 南 豊前国(大分県)

 (南の豊前国宝塔は火事で焼けたため福岡の箱崎神社へ建てられた)

 西 筑前国かまど山(福岡県太宰府市)

 中塔 山城国下比叡山西塔

 総塔 近江国比叡山東塔院

 (比叡山東塔絵図を元に現在再建されている) 

 


宝満山の遺跡探訪(約7分)

Ruins of Houmanzan

2007(H19)年10月20日

撮影者 末永邦夫 Kunio Suenaga

source movie(mpeg 391MB)

source movie ( wmv 58MB)

太宰府の北東に聳える宝満山(ほうまんざん 標高830m)は奈良時代から国境祭祀をおこなう山として知られていますが、近年の災害や人為によって山の価値が失われつつあります。

宝満山研究会は宝満の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える市民の会です。

2007年10月20日、事務局の小西さんの案内で宝満山の遺跡めぐりをしました。

参加者は約30名。

何時も登っている山。ほとんどの登山ルートは歩いていると自負している私ですが、今回の遺跡めぐりに参加して、知らない場所がこんなに有ったのかと驚くと共に、宝満山の歴史の深さに認識を新にしました。

 

かまど神社鳥居前に集合。事務局)小西さんが今日のコースを説明。

【かまど神社〜愛嶽(おたけ)神社〜大南窟(だいなんくつ)〜枡形(ますがた)城址〜かまど神社】 

 

左が愛嶽山(おたけさん)、中間が鳥越峠、右が宝満山、中腹に大南窟

  

10時に出発。かまど神社うらのおたけ道を登る。

  

約1時間で愛嶽神社(愛嶽山頂)に到着。

境内には神社の建物はなく、ブロックの小屋があるだけです。

中を覗くと、鏡と仏像がありました。

境内の大木の洞の中には仏様が彫られていました。

これらはまだ造られて新しい作品(ここ20〜30年位)と思われます。

 

神社境内にあるブロックの小屋

      

次に鳥越峠経由で大南窟へ向かいます。

山道から雑木林の急登に入り、ハアハア言いながら、やっと大南窟の直下に到達。

そこは狭いながらも広場になっており、表土をはがすと土師器の破片が出てきます。

紀元10世紀位のものだそうです。

また、大きな岩峰には棚があり、昔の祭祀跡があります。

  

直下の広場は祭祀の場の跡だった

  

やっと大南窟に到着。洞窟に入るとコウモリがぶら下っていました。

大南窟は切り立つ岩峰の組あわせで構築されており、岩の頂上にも祭祀の跡があります。

祭祀は紀元10世紀頃から、江戸時代の山伏まで連綿と続いて行われていたそうです。 

ここは一人で居ると怖くなる様な雰囲気の場所でした。

「宝満山歴史散歩」(森弘子著)によると、宝満山の山中には修行の場として、五井七窟(ごいななくつ 五つの井戸と七つの窟)があり、その一つがこの大南窟だそうです。

大南窟に到着 大南窟の洞窟に入るとコウモリがぶら下っている

   

大南窟を見学した後、次に愛嶽山の枡形城跡へ戻ります。城跡は雑木林の中にありました。

この雑木林のなかで、城郭研究家S氏から解説がありました。

戦国時代、宝満山の山頂に城があり、それを守る端城として、山の尾根に造られたのがこの枡形城だそうです。宝満山城、岩屋城の城主高橋紹運は、岩屋城で島津軍と戦い玉砕しています。 

枡形城址での説明

 

15時 一日楽しいヤブ漕ぎをして、かまど神社へ全員無事に帰着しました。

 


「宝満山山伏の峰入」

Houmanzan yamabushi mineiri

2007(H19)年5月13日

撮影者 末永邦夫

May 2007

宝満山(ほうまんざん)は太宰府天満宮の東北にそびえる830mの霊山です。

毎年5月の第二日曜日に、宝満山山伏の峰入が行われます。

この峰入には一般の人々も自由に参加する事ができます。

今回は山伏、一般参加者を含め約70名が参加した峰入業を報告します。 

日ごろ接することがない山伏の人たちと、一日行動する貴重な体験をしました。 

また、当日は初夏の晴天に恵まれるなか、老若男女の多くの人々が参加されました。

そして、日焼けした顔で満足げに下山される様子が印象に残りました。 

source movie かまど神社から宝満山キャンプ場まで(約8分、55MB)

9時にかまど神社を出発し、2合目一の鳥居で入峰問答などの入山作法を行います。

頂上まで石の階段が続く表参道を初夏の日差しを浴びながら山頂を目指します。

特に7合目前の百段ガンギと言われる石の階段はさんざん石段を歩いてきた身には応えます。

8合目近くの中宮跡の祠で供養を行ってから、11時40分、宝満山山頂直下のキャンプ場に到着、昼食となります。

ここで、「宝満山歴史散歩」の著者森先生から、峰入の行事について解説がありました。

source movie キャンプ場から仏頂山そして宝満山山頂まで(約4分、27MB)

キャンプ場から仏頂山へ出発、13時30分、仏頂山山頂(869m)到着。

開山心蓮上人の祠で供養を行い、参加者に参加証が交付されました。

それより、宝満山山頂に引き返し、最後の難関鎖場を越えて、13時50分、宝満山山頂(830m)の上宮に到着。

無事事故もなく峰入ができた事を感謝し、上宮に祈りを奉げ、現地解散となる。 

   

宝満山修験会の青いのぼりを先頭に進む

 

やがて道は登山道となる

 

登山道を行く一行

 

一の鳥居(2合目)で入山作法の儀式が行われる

 

入峰問答の様子

 

山道を行く参加者

 

山道を行く家族

 

難所の百段がんぎ

 

   

宝満山より英彦山を望む

  

山頂にある開山心蓮上人の祠で供養を行う

 

仏頂山山頂で参加証が交付される

 

宝満山山頂への最後の難関、鎖場を登る

 

  

宝満山山頂からは太宰府市、福岡市が一望できる

 

そして、博多湾、福岡タワー、ヤフードームが一望できる

 


「宝満山山伏火渡り行」

撮影、編集 末永邦夫

2006(H18)年5月28日

May 2006 video 1Mbps 

撮影者コメント

【概要】 

宝満山山伏の火渡り行の記録です。

正式には宝満山採灯大護摩供(さいとうおおごまく)。

宝満山は、英彦山系山伏の修験道場でしたが、明治維新後政府の弾圧に合い、いったん途絶えました。 

しかし、約25年前から、毎年5月の第二日曜日に「峰入り」と、最終日曜日に「護摩供」とが復活しました。 

私は長年宝満山へ登っていますが、今まで一度もこの行事を見た事がありませんでした。 

このたび、見るチャンスを得、撮影したものです。 

なお、画面に独断と偏見でコメントを入れてます。

【山岳信仰について】 

宝満山の表参道はかまど神社から山頂まで、ほぼ連続して石段になっている。 

標高約830mだが、この石段歩きが大変厳しい。厳しいけれど多くの登山者に愛されている山です。 

登るだけでも大変な石段を誰が、何時ごろ、何のため、どの様にして構築したのか、不思議に思っていました。 

いろいろ調べると、英彦山系山伏が修行の一環として、構築したらしい。 

昔の人々の精神力や構築力はなみなみならぬものが有ると感じさせられる。 

その力の一端を今回、火渡り行で垣間見る事ができました。

天拝山(てんぱいざん)からの眺め。

昔、菅原道真がこの山の山頂で自分の無実を天に祈ったところから天拝山(標高約260m)と名づけられたそうです。山頂からは正面に宝満山(ほうまんざん)、そのふもとには太宰府天満宮とかまど神社、手前の街は筑紫野市、左側に福岡市が一望できます。

 

太宰府天満宮

全国天満宮の総本山。天満宮の横に九州国立博物館も開設され、連日多くの観光客でにぎわっています。

 

かまど神社

宝満山のふもと、太宰府の鬼門の地に祭られた神社です。天満宮と異なり参拝客は少ないですが、平日でも宝満山登山者が多く訪れます。ここの境内で火渡り行が行われます。

 

火渡り行集合写真

火渡り行に先立ち、稚児行列があります。小さな子供たちが着飾って参加します。こわもての山伏さん達との組み合わせがほほえましい。

 

火渡り行始まり

行は各種の手順を踏んで行われます。当日はあいにくの天気で、どんよりとした空模様から小雨がぱらつく天候になりました。このため、なかなか壇が燃えあがらず、山伏達もずぶぬれになりながらの般若信教の声明が続きました。

 

護摩たき

信者の祈願を記した添護摩木を法剣で加持し、燃え上がる壇に投入します。

 

火渡り前の祈り

護摩壇を崩し、燃え上がる杉や桧の丸太の間に、護摩木の炭火を敷き詰める。この三方に奉行の山伏が座り、祈りをささげ、火渡りを行う。真っ赤な炭火の上を歩いて渡るのは、人間技とは思えない。

 

信者の火渡り

山伏の方々が渡り終えると、信者の方達が裸足で火渡りを行う。場内放送で、繰り返し、裸足で渡る様にと注意がされる。

 

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