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京都府京都市中京区 高瀬川・先斗町周辺

Takasegawa/Pontocho,Nakagyoku, Kyoto city,Kyoto

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July 17, 2023 野崎順次  source movie

先斗町(ぽんとちょう)は京都市中京区に位置し、鴨川と木屋町通の間にある花街及び歓楽街。「町」と付くが地名としての先斗町はない。先斗町通については「先斗町通四条上る柏屋町」等、公文書(四条通地区地区計画:京都市都市計画局)にも使用されている。
また、京都五花街の一つである京都先斗町は京都市随一の繁華街である四条河原町の東端に位置し、鴨川寄りに面したお茶屋・料亭・レストラン・バー等は納涼床を設ける店舗も多数存在している。
特定の行政上の地名ではないが、先斗町まちづくり協議会が組織されており、その活動区域は、京都市中京区石屋町の一部、橋下町、若松町、梅之木町、松本町、柏屋町、材木町、下樵木町、鍋屋町の区域となっている。北端は三条通りの一本南の通り(三条通一筋下ル)、南端は四条通、東端は鴨川、西端は木屋町通で、そのうち材木町・下樵木町・鍋屋町の木屋町通りに面した部分を除く地域とされている。
(ウィキペディア「先斗町」)

鴨川越しに先斗町歌舞練場を見る。その裏手に先斗町の通りがある。三条大橋を渡り、手前から左に回り込むと、先斗町の北の起点である

     

歌舞練場から先斗町公園まで、

                           

先斗町公園あたり

         

四条通まで

                                                                 

帰途、阪急京都河原町駅方面

      


April 6,2022 大野木康夫  source movie

一之舟入付近の夕景
                                            
01-0044


.4,2020 柴田由紀江

高瀬川 一の船入り付近

Takasegawa Ichinohuneiri

旧第二無鄰菴(がんこ二条苑)

Kyu Daini Murinan(Ganko Nijoen)

                                                                                                                      


Mar.23,2020 瀧山幸伸 source movie

四条通り付近

               

 

   


Sep.3,2016 瀧山幸伸 source movie

高瀬川 一の船入り付近

Takasegawa Ichinohuneiri

旧第二無鄰菴(がんこ二条苑)

Kyu Daini Murinan(Ganko Nijoen)

    

友人のアメリカ人夫婦が依頼した舞妓、祇園東の富津愈さん。英語が達者なので人気が高いという。

Maiko performance

            

            

                              


Aug.22.2014 中山辰夫

史跡高瀬川一の船入り周辺の改修工事が本年3月末で終わりました。その周辺です。

       

高瀬川二条苑

角倉了以〜山形有朋〜川田小市郎(日銀総裁)〜阿部市太郎(阿部一族・実業家)〜大岩邸(がんこ寿司) 

          

納涼川床

     

邸内意匠

                        


April 5,2013 大野木康夫 source movie

高瀬川(木屋町通)

繁華街の桜並木

早朝の御池通から四条通

                                                       

昼間の二条通から御池通

                                                       


Jan.2013 中山辰夫

高瀬川の出発点である[一の舟入]

   

廣誠院

Kouseiin, Nakagyoku, Kyoto city,Kyoto

京都市中京区河原町通り二条下ル東入ル一之船入町538番地ノ1

建造物:京都市指定文化財 庭園:京都市指定名勝

廣誠院は、高瀬川の起点として知られる「史跡・高瀬川一之船入(いちのふないり)」のすぐ南にあって、前を通る人も気がつかないようにひっそりと佇む臨済宗の寺院である。一見寺院に見えない感じでもある。

この地はもと長州藩邸があった所で、一之船入を挟んで旧角倉了以本邸(現在日本銀行京都支店)があり、山県有朋京都別邸であった

第二無鄰庵(現在がんこ寿司二条苑)とは木屋町通りを挟んで斜め向かいに位置している。

明治時代中期(明治25年〜29年)頃に伊集院兼常によって建てられた廣誠院の書院、茶室、広間等の建物は、明治期の優れた数寄屋造の貴重な邸宅として京都市指定有形文化財に指定されている。普段は非公開、特別公開日に限り公開される。(建物内部は撮影禁止、庭園のみ可)

周囲の環境

木屋町交差点、京都ホテルオークラ、日本銀行京都支店、島津製作所記念館、第二次無鄰菴(がんこ寿司二条庵)、一の船入りが付近にある。

     

 

高瀬川に掛かる押小路橋を渡ると、左側が廣誠院、その向いの右側には木屋町の全盛時を偲ばせるような赤い土壁の料理店が並ぶ。

     

元々この辺りは幕末まで長州藩邸があった所で、維新後、藩邸跡には京都府の勧業場が設けられたが、1881(明治14)年に民間に払い下げられ広大な跡地には当時の有力な政財界人が鴨川から水を引きこんだ庭池を持つ別荘を構え、南禅寺に先駆ける別荘地となったが、琵琶湖疎水の開通後は、疎水の水を取り入れた広大な別荘庭園群が南禅寺付近に移った。このため、木屋町の界隈の別荘群は失われ、当時の面影は、廣誠院と、角倉了以邸宅跡に建つ「がんこ寿司」内の「二条苑高瀬川源流庭苑」に名残りをとどめるのみとなった。

廣誠院の外観・外周 白い土塀と高瀬川に沿った樹木で中は見えない。

       

建屋から庭園を散策する。

表門を入ると、まず、1932(昭和7)年に建設された仏堂が左手、庫裏が右奥にあるが、これらは非公開。仏堂の南側には次の間、書院が続き次の間の東には茶室が設けられている。茶室の東には八畳敷の部屋がある。建屋は外観しか写せない。

シンプルな表門を入ると玄関である。

         

書院 縁側周辺の景色

     

書院は、十三畳半で普通の畳より狭い台目(だいめ)畳三畳敷の床と床脇棚が設けてある。

庭に面して軒の3mもある深い庇。小丸太を使った天井板は杉皮。小丸太は真っ直ぐで綺麗。桁を支える捨柱は川の流れの中の石に据えられていて南禅寺界隈の別荘建築の先駆けになった様子がうかがえる。

前庭の景色

   

庭園から見た書院

     

書院を楽しんだ後は、玄関に戻って靴を履き、外から茶室・広間を見学するが、途中で見かけた景色。

     

茶室と広間

茶室は三畳中板入りで、高瀬川から水を引き込む庭園の流れの上に建っている。また、茶室としても用いられる八畳敷の広間は、正面に床と押入れが設けられ、床は袖壁で東端を隠し、西端の側壁は斜めに取り付けて間口を狭める構成になっている。

     

この書院・次の間と庭園との間には高低差があり、高瀬川から取水した流れのある庭園を眼下に眺められる。

庭園

伊集院兼常は、建築は勿論、庭園にも造詣の深い人物であり、後に七代目小川治兵衛(植治)は、庭造りの技術を兼常から多くを学んだと語っている。

庭園は書院や茶室、広間に南面していて、池の水は横を流れる高瀬川から取水され、再び川へ戻すという構成になっている。

   

広間北側にある取水口から取り込まれた水は、茶室の真下をくぐって流れとなり、南北に細長い池にそそがれる。池の中央には細長い花崗岩の石橋が掛かる。

   

敷地の東側全体は高瀬川に面しているのが、僅かな木々で遮られているだけなのに、高瀬川向こうの雑踏を感じさせない静かな空間になっている。

木々越しに見える日本銀行と京都ホテルオークラ。静寂にその存在が感じられない。

  

池の周囲は幅の細い園路で回遊することが出来、周辺には様々な、由緒のある石燈篭や石幢が配置されている。

         

特に、広間の軒先には、天正年間(1573〜92)に三条か五条大橋の橋脚の元にした手水鉢が添えられていて、この手水鉢は、七代目小川治兵衛(植治)が平安神宮の庭園で、飛び石に用いたのと同じ手法。

手水鉢と飛び石(平安神宮)

  

その他、池上の約半分はイロハモミジで覆われていて、秋にはたいへん絵になる庭と思われる。また広間の脇にはイチョウとナギが植えられていてアクセントにもなっている。

  

庭園の片隅には、木屋町通利から見える石碑が建っている。

 

全体として、庭園と建物が見事に融和していて、近代的な数寄屋造り風の趣が感じられ、建物と水流が融和する近代黎明期に造られた庭園として貴重なものとされる。

高瀬川源流庭苑 がんこ二条苑(山県有朋別邸跡)

Takasegawa Genryu teien

京都市中京区木屋町通二条下がる東生州町484−6

遠景

    

高瀬源流庭苑は「第二無鄰菴」(だいにむりんあん)で、「江戸初期の豪商、角倉了以の屋敷があったところである。

現在残っている数奇屋の建物と庭園は、山縣有朋の第二無鄰菴時代のもので、ほぼ当初のまま残っている。

庭園は元々あった角倉了以邸の庭園を改修したものだが、改修して現在のような姿にしたのが名作庭家、七代・小川冶兵衛である。

小川冶衛兵は、平安神宮神苑を初めとして京都に多くの庭園を造ったが、なかでも山縣有朋からの評価は高く、岡崎の無鄰菴も作庭している。

小川冶衛兵の作庭は、池泉廻遊式庭園で水の流れを非常に大事にとらえている。

凡そ400年前に造られた当庭園は、山県有朋の別邸となり、第三代日本銀行総裁・川田小一郎の別邸、阿部市太郎の所有を経て、現在は大岩邸として伝わり、がんこ二条苑高瀬川源流庭園となっている。

庭園が「高瀬川源流庭苑」と呼ばれるのは、鴨川から引き込んだ水がこの庭園内を流れ、敷地の外に出たあと「高瀬川」になることによる。

二条大橋近辺

    

鴨川は賀茂大橋の北で高野川と合流する。賀茂大橋の下流の西岸で、みそそぎ川の水源となり、その後みそそぎ川は暗渠のまま流れ、丸太町橋の南で顔を見せた後、二条大橋の南で今度は高瀬川の水源になる。みそそぎ川は鴨川と並行して五条大橋まで流れ、再び鴨川に水を戻す。

 

鴨川

     

高瀬川は、今から約400年前の慶長19年(1614)に角倉了以・素庵親子が造った全長約10.5㎞の運河である。

この運河は京都・伏見間の物資運送用となり、明治に至る約300年の間京都の動脈の役目を果たした。

木屋町二条の交差点に来ると、目立った建物が多い。

この付近には、島津製作所創業記念館、日本銀行京都支店、京都ホテルオークラの大きな建物が並ぶ。この地域は、角倉了以の住居跡、長州藩藩邸跡である。

    

その一角に、巨石を積上げた見事な石垣が堂々と構えている。ここが、現在の「がんこ二条苑」で「元第二無鄰菴」である。

石垣

         

土蔵を改造した部屋で食事した。

      

庭園

流入口周辺 みそそぎ川からは大変な勢いで水が庭園に流れ込み広がる

        

散策ルートも変化に富む

     

イヤ〜ビックリ岩!岩!岩! しかも巨岩がゴロゴロ。今集めるとしたら大変。恐らく無理でしょう。

     

庭園の水は、最後には高瀬川へ流れてゆく。

     

全く喧騒の無い世界があった。

 


Dec.2011 野崎順次

先斗町 source movie


Jan.2007 瀧山幸伸 source movie

Oct. 2006 瀧山幸伸 source movie

木戸孝允邸

Kido Takayoshi residence

   

鴨川

Kamogawa

            

   

高瀬川沿い

Takasegawa

     

         

    

   

    

高瀬川一の舟入付近

Takasegawa

 

         

山県有朋別邸跡

                               


祇園祭 鉾たての頃

July 10 2006 瀧山幸伸 source movie

ぽんと町

Pontocho

      

   

   

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