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京都府宮津市 市街

Downtown,Miyazu city,Kyoto

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June 10 and 17, 2023 野崎順次 source movie(June 10) source movie(June 17)

京都府宮津市
宮津市街レトロ建築めぐり
(Old-fashioned Buildings, Miyazu City, Kyoto Pref)


アプローチ、京都丹後鉄道宮福線で福知山から宮津へ

                         

現地説明板

   

駅前風景

    

鶴賀 2057−2 一色稲荷社
宮津駅前から大通を西へ進んだところにある一色稲荷(いっしきいなり)。江戸初期に細川忠興により謀殺された丹後守護、一色五郎(実名は不明)の墓であると伝えられているそうです。一色氏の当主で細川藤孝の娘むこの亊と思われ、その復讐戦に挑んだ一色義清が果たせずに自刃した地でもあるようです。一色氏の鎮魂のために建てられた神社です。木造平屋建て。
(レトロな建物を訪ねてウェブサイト)

        

島崎 2039 料亭ふみや
葦が茂る大手川の川沿いに浮かぶように立つ、風情ある建物が目印。大正14年に建てられた元茶屋の佇まいに惚れ込み、オーナー稲葉洋一さんが昭和63年に改装し料亭に蘇らせた。京都の先斗町や西陣で修行した稲葉さんが、地元丹後の最高の食材を使った京料理を提供したいと始めた店だ。
(海の京都ウェブサイト)

             

島崎 2036 日本聖公会宮津聖アンデレ教会
大正時代に建てられたらしい。現在は閉鎖されている、
カトリック宮津教会と比べると、いかにも地味で素朴な印象があります。黒い下見板張りに鋭角の切妻屋根や縦長窓、真っ白に縁どられた玄関などが印象的です。隣にある牧師館も同じ時期に建てられたものでしょう。木造2階建て。
(レトロな建物を訪ねてウェブサイト)

                     

大手川をめぐって

      

外側 2508 太鼓門(宮津小学校の正門)
宮津市内に唯一残る旧宮津城の建物として貴重です。弘化二年( 一八四五) の「宮津鶴賀城郭之図」をみると、宮津城の西南部に時を知らせる「時鐘」(太鼓櫓) が描かれ、近接して二つの門がみられます。この絵図には「太鼓門」という名前は登場せず、厳密に現存する太鼓門と対比することは困難ですが、宮津小学校の北西角に建つ地蔵堂には、「太鼓門地蔵尊」の銘文をもつ鰐口がみられ、「時鐘」の近くにあった門が「太鼓門」として引き継がれたと考えることができます。
(宮津市公式ウェブサイト)

         

宮本500 旧大村邸長屋門
大村邸はもと藩医小谷仙庵の住んだところである。仙庵の次男謙次郎は明治十三年ころ帰郷開業、「立憲政党」に加盟した。明治二十年ころ峰山へ移り、そのあとへ、旧藩士大村政智が入居した。政智は維新後東京へ行って法学を学び、判検事弁護士の資格をとり、明治十三年帰郷した。天橋義塾維持講五本の株主となり、「立憲政党」にも加盟し、民権の伸張に寄せる志も一方ならぬものがあった。小谷謙次郎旧宅を求めて入居以来百年間、大村家の手によって維持されてきた邸宅であったが、惜しくも昭和六十一年二月、事故のため焼失し、僅かに長屋門一棟が災を免かれて残った。
(天橋作事組ウェブサイト)

         

柳縄手350-6 沢辺正修旧跡

  

京街道231 佐藤医院
京街道沿にあるアーチ型の窓が印象的な佐藤医院。こちらの医院は大正15年(1926)に病院設立者の佐藤理兵衛氏によって、それまで勤めていた東京の順天堂病院をイメージして建築したと伝えられています。
街道沿いに面した主屋は中央ポーチが備えられ、トスカナ式オーダーの柱上部はバルコニーになっています。ポーチやアーチ型窓の多彩な装飾は、宮津の洋風建築の中でも随一の美しさ! 主屋の右裏奥に長い病室棟があり、こちらの棟は宮津中学校寄宿舎の古材を利用して建てられたそうです。敷地内には小さな祠が建てられていますが、洋風建築と日本の祠の組み合わせが絶妙にマッチしています。
(宮津市公式ウェブサイト)

                          

宮本438 宮本会館
洋風の外装をもつこの宮本会館は、宮本地区の集会所として、利用されている。昭和2年(1927年)丹後大震災を機にカトリック宮津教会を施工した大井正司の後継者である大井忠則が設計施工し、昭和4年7月に建ったもので、当時の面影がよく残っている。外壁は鎧下見を張り、屋根は切妻、妻面を櫛形にくぼめる珍しい手法を見せる。
(宮津観光ピント会ウェブサイト)

       

宮本428 和貴宮神社
和貴宮神社の表門の両脇には、六六本の玉垣がみられます。「天保十五年甲辰年四月吉日」(一八四四)とあることから、天保一二年(一八四一)の表門の再建に際して、玉垣が建てられたと考えられます。
この玉垣には、五一名の寄進者の名前が刻まれ、その居住地は越中、能登、越前、近江、京都、大坂、播磨、備前、讃岐など、日本各地に及びます。なかでも「銭屋五兵衛」は、加賀国金石(石川県金沢市)を中心に活躍した北前船主として有名で、宮津と北前船の関連が注目されています。
(宮津市公式ウェブサイト)

水越岩という巨石群がある。磐座かと思ったが、大昔にはここらが海岸線だったことを示すだけのようだ。

                        

万町通り

    

万町604-1 国登文 今林家住宅主屋 明治/1892/1912-1925増築
木造2階建、瓦葺、建築面積261㎡
市中心部にある。木造2階建,切妻造,平入で,通り側に半間幅の下屋庇を設ける。正面には平格子・出格子を構え,玄関戸口に引上式大戸を残す。棟の東方には越屋根を設け,軒高を低くした2階西方には袖卯建を付ける。旧宮津城下を代表する町家建築のひとつ。
(文化遺産オンライン)

             

それから

          

白柏1233 袋屋醤油店
創業約300年の老舗の醤油店。古代、朝廷に献上された絹織物にちなんで名付けられた「あしぎぬ」という濃口醤油が名物。白壁に格子を配した古い建物が店の歴史を物語っている。
(橋立あるっくウェブサイト)

             

魚屋866 国登文 茶六本館 大正/1912-1925/1935増築
木造3階建、瓦葺、建築面積259㎡
通りに西面して建つ木造3階建の旅館建築で、建築面積259㎡、屋根は桟瓦葺である。切妻造平入の当初部分と、入母屋造妻入の昭和増築部からなる特徴的な立面で、1階に出格子を付け、上階窓の高欄では室境に脇障子風の仕切りを設けるなど瀟洒な意匠である。
(文化遺産オンライン)

          

魚屋 見返りの柳

  

新浜わくわく通りあたり

                           

新浜1991-1 キセンバ港館
木造2階建の洋館風建築は、丹海バス宮津案内所(旧橋北汽船)の建物。大正時代に建設されたもので、昭和61年までは丹後海陸交通の本社として使われていました。
現在は改装され、お団子屋さんやフォトスタジオなどが入居されており、訪れた人を楽しませています。白く塗られた下見板張りの外壁に、等間隔に並ぶ窓枠の緑色の組み合わせが爽やかでモダンな印象。正面から見た建物の形は台形で、入り口のある面が、まるで建物の角をスパンと切り落としたような特徴的な形をしています。
(宮津市公式ウェブサイト)

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魚屋937 国登文 清輝樓 明治/1901/1868-1911・1912-1924増築・1926-1988改修
木造2階一部3階建、瓦葺、建築面積683㎡
当初は宮津湾に面した位置に建ち、木造3階建、入母屋造桟瓦葺で、海側は開放的なつくりとする。東面の中央部を玄関とし、海側の北・西側に客室を配し、南側3階に百五畳敷の大広間をもつ広間棟を建てる。天橋立観光を支えてきた旅館である。
(文化遺産オンライン)

           

それから

  

魚屋907-1 中村眼科医院
魚屋地区の路地を歩いていると出現するレトロ建築は「中村眼科医院」。建物はかなり大型の2階建てであり、モルタル塗りのどっしりとした外観は見応えがあります。門から中を覗くと、看板はなんと右読み!玄関周りのドアや庇の色が水色で、ハイカラな佇まいと昭和を感じる看板の組み合わせが何ともノスタルジックな建物です。
(宮津市公式ウェブサイト)

        

宮津駅に戻ったら午後2時50分くらい。大衆海の幸料理「とんだ屋」で海の幸を食べようと思ったが、電車の時間まで40分しかないので、カツ丼を食べた。たったの590円でなかなか美味しかった。この店は安くてうまい大評判の店で、昼時には行列ができるそうだ。

         


Apr.5, 2022 瀧山幸伸  source movie

奈具海岸

       


May. 2006 瀧山幸伸 source movie

旧三上家

Mikamike

 

袋屋

   

カトリック教会

                                    

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