奈良県奈良市 圓照寺
(Enshoji Temple, Nara City, Nara)
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November 30, 2024 野崎順次 source movie
奈良県奈良市山町
臨済宗妙心寺派
普門山 圓照寺
後水尾天皇の第一皇女、文智内親王(梅宮さま)が開山の門跡寺院。法華寺、中宮寺と並んで大和三門跡寺院の一つで、現在は臨済宗妙心寺派の寺院、本尊は如意輪観音である。
花の好きな後水尾天皇の影響を受けてか、開山の梅宮さまも、奈良の豊かな自然の中、野にある花を摘んでは生けておられたという。また、母、明鏡院の菩提を弔う為、添花会を催したとも伝えられる。
このような事から、「花は野にあるように」を流儀とする山村御流が興り、代々の住職が、山村御流の家元となられるのだ。
(ブログ 禅ウェブサイト)
非公開で拝観できないが、山門あたりの紅葉がよいというので、この季節に来てみた。
奈良交通圓照寺バス停のすぐ横から長い参道が始まる。
沼あたり
万葉歌碑
「あしひきの山行きしかば山人のわれに得しめし山つとぞ此れ」 元正天皇 巻二十 四二九三
「あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰れ」 舎人親王 巻二十 四二九四
この二首については、奈良市HP「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり」の解説が分かりやすいので引用させていただく。
「『山村に幸行ます時』とある山村は現在の奈良市山町。山人は、山村の守護
神を祭る山の神人。山村を仙境とみて仙人をさす言葉でもあります。『人里離れた山へ参りましたら山人が私に土産をくれました。これなのです
よ』と歌いかけます。聖なるもの、霊力を天皇に奉ったとすると、土産は呪力のある杖やかづらではないでしょうか。その歌にこたえて親王は『わざわざ山へ行かれたあなたはやはり山の仙人なのですね。そのお心ははかりかねますが、
お土産をくれた山人とはいったい誰のことでしょうね。あなたご自身が山人で はないのですか』。仙境に通じる『山』を二首の歌にそれぞれ三度繰り返して
います。少しとぼけながらお互いに親密な血縁として、また君臣として歌で楽しく興じているのです。」
(tom101010.hatenablog.com)
黒木門
山門
山門から伽藍のごく一部を見る。正面の唐破風の玄関は書院、その右手の茅葺き屋根が本堂(円通殿)であろう。
左手の華道会館あたり。小さなお堂は故山本静山尼をお祀りする静山堂。
参道を戻る。黒木門を過ぎてから右手の「崇道天皇陵、八島地蔵尊」の石碑に惹かれて、山道を行く。
八島地蔵(向山地蔵)石仏
周辺の石造物群
参道に戻る。午後4時を過ぎて陽が落ちてきた。
バス停付近の景色
Aug.7,2011 撮影/文 野崎順次
奈良県奈良市山町
臨済宗妙心寺派
普門山 圓照寺
非公開だが、山門から覗くだけでも美しい尼寺である。ただし、2010年11月15−19日の限定期間に平城遷都1330年記念事業の一環として庭園が特別公開された。
山村御殿とも呼ばれ、中宮寺・法華寺と並ぶ大和三門跡寺院の一つとされる。
寛永十八年(1641)に、後水尾天皇の第1皇女・文智女王(大通文智)が京都の修学院の地に草庵を結んだのが始め、明暦二年(1656)に、大和国添上郡八嶋の地に移り「八嶋御所」と称した。
寛文九年(1669)に、現在地に移転した。華道の「山村御流」の家元でもある。
本尊は木造如意輪観音像
伽藍は、
本堂(円通殿)、奈良県指定文化財、茅葺き
書院、寝殿造、唐破風の玄関あり
宸殿、京都御所紫宸殿の古材で建てたとされる
奧御殿
葉帰庵
圓照寺は、三島由紀夫の最終作「豊饒の海」の第1巻「春の雪」と第4巻「天人五衰」に出てくる「月修寺」のモデルである。
「春の雪」のヒロイン綾倉聡子は松枝清顕との悲恋の末、月修寺に入って剃髪し尼となる。清顕の死後、彼の友人である本多繁邦は、清顕の生まれ変わりを探し求め、飯沼勲(「奔馬」)、ジン・ジャン(「暁の寺」)、安永透(「天人五衰」)を見つけ出す。老残の身となった本多は、やがて月修寺を訪れ、門跡聡子との面会を求める。三島由紀夫の最終作「豊饒の海」の最後の舞台に選ばれたのは、夏の日を浴びて寂寞としている円照寺であった。
JR帯解駅から水田の中を東へ歩く。
参道に入る。右手は水田で家族総出の刈入れ作業をしていた。稲ではないような...
さらに進むと「天人五衰」に出てくる沼がある。その先の歌碑は「あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人は誰れ」。
黒門、山門を通って圓照寺に着いた。
山門から伽藍のごく一部を見る。正面の唐破風の玄関は書院、その右手の茅葺き屋根が本堂(円通殿)であろう。
黒門まで戻る。
黒門の横から細い階段状の山道を上ると大師堂と西国三十三所霊場がある。
小山を抜けると大川池(竜王池)で大型のオタマジャクシがウジャウジャといた。池の中の小島は大川池塚古墳である。道筋には五つ塚古墳群がある。
さらに谷奥へ進むと宮内庁管理の圓照寺宮墓が山中にひっそりとたたずむ。
歴代円照寺の門跡の皇女墓である。後水尾天皇皇女・文智女王墓、後伏見天皇十九世皇孫女・文秀女王墓、霊元天皇皇曾孫女・文乗女王墓、霊元天皇皇女・文喜女王墓、霊元天皇皇孫女・文亨女王墓、霊元天皇皇女・永応女王墓、後水尾天皇皇女・文察女王墓、後西天皇皇女・瑞光女王塔、中御門天皇皇女・永皎女王塔、などなど。
奈良の寺社HP
奈良の名所・遺跡HP
ウィキペディア「円照寺」
三島由紀夫研究会「憂国忌」HP
陵墓 陵印 掲示板HP
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