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奈良県奈良市 圓照寺

(Enshoji Temple, Nara City, Nara)

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Aug.2011 撮影/文 野崎順次

奈良県奈良市山町

臨済宗妙心寺派

普門山 圓照寺

撮影日: 2011年8月7日

非公開だが、山門から覗くだけでも美しい尼寺である。ただし、2010年11月15−19日の限定期間に平城遷都1330年記念事業の一環として庭園が特別公開された。

山村御殿とも呼ばれ、中宮寺法華寺と並ぶ大和三門跡寺院の一つとされる。

寛永十八年(1641)に、後水尾天皇の第1皇女・文智女王(大通文智)が京都の修学院の地に草庵を結んだのが始め、明暦二年(1656)に、大和国添上郡八嶋の地に移り「八嶋御所」と称した。

寛文九年(1669)に、現在地に移転した。華道の「山村御流」の家元でもある。

本尊は木造如意輪観音像

伽藍は、

本堂(円通殿)、奈良県指定文化財、茅葺き

書院、寝殿造、唐破風の玄関あり

宸殿、京都御所紫宸殿の古材で建てたとされる

奧御殿

葉帰庵

圓照寺は、三島由紀夫の最終作「豊饒の海」の第1巻「春の雪」と第4巻「天人五衰」に出てくる「月修寺」のモデルである。

「春の雪」のヒロイン綾倉聡子は松枝清顕との悲恋の末、月修寺に入って剃髪し尼となる。清顕の死後、彼の友人である本多繁邦は、清顕の生まれ変わりを探し求め、飯沼勲(「奔馬」)、ジン・ジャン(「暁の寺」)、安永透(「天人五衰」)を見つけ出す。老残の身となった本多は、やがて月修寺を訪れ、門跡聡子との面会を求める。三島由紀夫の最終作「豊饒の海」の最後の舞台に選ばれたのは、夏の日を浴びて寂寞としている円照寺であった。

JR帯解駅から水田の中を東へ歩く。

参道に入る。右手は水田で家族総出の刈入れ作業をしていた。稲ではないような...

さらに進むと「天人五衰」に出てくる沼がある。その先の歌碑は「あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人は誰れ」。

黒門、山門を通って圓照寺に着いた。

山門から伽藍のごく一部を見る。正面の唐破風の玄関は書院、その右手の茅葺き屋根が本堂(円通殿)であろう。

黒門まで戻る。

黒門の横から細い階段状の山道を上ると大師堂と西国三十三所霊場がある。

小山を抜けると大川池(竜王池)で大型のオタマジャクシがウジャウジャといた。池の中の小島は大川池塚古墳である。道筋には五つ塚古墳群がある。

さらに谷奥へ進むと宮内庁管理の圓照寺宮墓が山中にひっそりとたたずむ。

歴代円照寺の門跡の皇女墓である。後水尾天皇皇女・文智女王墓、後伏見天皇十九世皇孫女・文秀女王墓、霊元天皇皇曾孫女・文乗女王墓、霊元天皇皇女・文喜女王墓、霊元天皇皇孫女・文亨女王墓、霊元天皇皇女・永応女王墓、後水尾天皇皇女・文察女王墓、後西天皇皇女・瑞光女王塔、中御門天皇皇女・永皎女王塔、などなど。

奈良の寺社HP

奈良の名所・遺跡HP

ウィキペディア「円照寺」

三島由紀夫研究会「憂国忌」HP

陵墓 陵印 掲示板HP

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