MONTHLY WEB MAGAZINE Oct..2010
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New contents in Sep. 2010
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今月のトピックス
Topics of this month
■■■ 「犬の宮・猫の宮」 瀧山幸伸
山形の高畠町は、先史時代からの洞穴住居跡が多く残る歴史のある地だ。
高安(こうやす)という奥羽山脈山裾の集落に犬の宮・猫の宮を発見した。
ペットの写真が社殿に貼られているので、最近流行の客寄せ神社もどきと思いきや、それなりの由緒いわれがある。
犬の宮は、「高安犬」にゆかりがある。
高安はマタギの村で、狩猟用の高安犬は秋田犬や土佐犬とは違い、この小さな集落でしか飼われていなかったために、昭和初期に絶滅した。
この犬種のルーツは甲斐犬と言われている。
マタギの村はかつて全国各地にあった。
秋田の阿仁や百宅のマタギ習俗と、柳田邦夫が調査した宮崎の椎葉の狩猟習俗とが酷似している。
最近特に山間辺境部の集落の崩壊が目立つ。
狩猟や焼畑など、山の民の文化が日本列島各地で共通する、同じ習俗がアジア各地に残る、ということも、後継者への伝承がなくなってしまったら忘れ去られてしまう。
「 もののけ姫」などのフィクションの世界でしか語り継がれなくなってしまうのだろうか。
■■■「那須の大沢の獅子舞」 田中康平
那須の大沢に伝わる獅子舞を9月の上旬にたまたま見る機会があり、その映像です。
場所は那須・大沢、大山祇神社。
3匹の獅子による獅子舞は関東各地に見られるようですが那須にも伝わっていて、ここでは大阪夏の陣の落ち武者が伝えた、といわれているようです。
非常にローカルな行事ですが古くからの文化が確かに引き継がれてその遠い過去へのつながりを感じます。
■■■ 「谷保天のご祭礼」酒井道夫
9/25,26は国立にある谷保天のご祭礼だった。
谷保天は亀戸天神、湯島天神と並んで関東三大天満宮の一つとされている。
ただ、その創建は、903年(延喜3)に菅原道真が亡くなった際その三男である道武がこの地に落延びてきて匿われたのが発端であると言われるから、他の二つと較べれば圧倒的に古く、江戸幕府の成立に先立つこと1,000年を遡る歴史を有していることになる(ホンマカイナ)。
だから、三大天満宮などという数え方をするのなら、太宰府天満宮、北野天満宮の次に数えるべきは谷保天だということも何かで読んだことがある。
まあそんなことをあれこれと言い募れば「おめぇは野暮天だ」と言われるが、「野暮天」の語源にも「谷保天」がかかわっているのだそうだ。
私が高校生の頃、南武線谷保駅は、間違いなく「やぼ」と駅名表示されていた。
それが何時の頃からか「やほ」に書き換えられてしまっていて驚いたことがある。
誰か無学な謹厳居士がクレームを持ち込んだのを、当時の国鉄が対応を面倒くさがって「テンテン」を省いてしまったものらしい。
以来、「谷保天」も「ヤホテン」と呼ばれたりして、誠に野暮な事態を招来してしまった。
社の背後に、創建以来枯れたことがないと立札に記されている泉が湧き、ゆったりと鯉が泳いでいる。
突然涼しくなった久しぶりの秋晴れの日に桜川市真壁の街並を撮影にでかけました。
桜川市は真壁町・岩瀬町・大和村が合併して平成17年10月に誕生しました。
この地域は桜川市以外にも筑西市・つくば市・常総市・坂東市・つくばみらい市と合併により誕生した新しい自治体ばかりです。
真壁は今年6月に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
ガイドマップには48件の登録文化財が紹介されています。そのうちの20件を紹介します。
真壁には、このように雰囲気の良い古い建造物が多く残されています。
中のいくつかは、修繕の手が入らず激しい劣化で、近い将来その姿を消してしまうのではと危惧される建物もありました。
逆にきちんと手入れはされているのですが、全く新しく作り直したのではと思われる様な建造物もありました。
形あるものを時間を超えて残すことの難しさを改めて考えさせられました。
今回、全ての登録文化財を撮影したわけではありません。残りも近いうちに訪ねたいと考えています。
特異な企画の展示を行なう博物館が各地にあります。中でも、私立が数も多く、内容に特長があるようです。
いつか廻ろうと情報を集めております。その内の一つ、京都の『風俗博物館』が11月から1年半休館になると知り、覗いてきました。
京都、堀川大通りを挟んで西本願寺の反対側にある”井筒法衣店“5階が会場です。
エレベーターのドアーが開いた目の前には、源氏物語にある王朝貴族の世界が広がっていました。
日本の服飾史や風俗史研究の第一人者として知られる、井筒雅風氏が昭和49年に開設、文献などをもとに、古代の衣装を復元、作成。
その発表の場として同館が開かれたようです。
季節や身分で、装束の色合せや濃淡に違いがあることを知りました。その淡い、鮮やかな色合いが、西陣の“技“で具現化されていました。
会場に入った瞬間に感じたかぐわしい”お香“、館内にいる間に同化しました。少し王朝文化の華やかさに触れた思いがしました。
■■■ 「有名人に出会った、1987年〜1992年」 野崎順次
これはフィルムカメラ時代の写真を安価なスキャナーでデジタル化したもので、画質はあまりよくないが、なかなか意外性に富んでいる…….!
1987年5月30日、 自転車で西宮第2球場の横を通ったら阪急ブレーブス2軍コーチの山口高志がいた。私は阪急ファンだった。阪急のユニフォームがなつかしい。山口高志はプロ野球で活躍したのは僅か4年だけだったが、160km近い剛速球を投げ、今でも最も速い球を投げた日本人投手と云われる。当時はスピードガンがなかった。
1988年6月16日、新横浜駅で移動中の巨人軍。王さんが若い。原など高給取りの選手はルイヴィトンのバッグを持ち、ローレックスの時計をしていた。写真にはないが、阪急から来た男前の蓑田もいた。
1989年10月8日、仕事でロンドンに来て、たまたま同行していた家内とビッグベンあたりを散歩していたら、映画のロケをしていて、ロジャー・ムーアとマイケル・ケインがいた。後で調べたら、「ダブル・チェイス — 俺たちは007じゃない」という駄作?だった。
1991年11月7日、日比谷公園でコロッケがいた。テレビのロケ中。カメラを向けると「ちあきなおみ」の顔をしてくれた。この時から、コロッケに好感を感じている。
1992年9月15日、武庫川マラソンでゴールに近い桂雀々。このころ上岡竜太郎の影響で雀々も走っていた。
1992年10月8日、尼崎市武庫之荘駅辺りで島崎俊郎。天然痘のようなメーキャップで、何かのレポートだろうか。本番前のコメディアンのペーソスが感じられる。
Japan Geographic Web Magazine
編集 瀧山幸伸
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