MONTHLY WEB MAGAZINE May 2012

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What's New Apr.2012

What's New May 2012

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トピックス

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■■■■■ 蝙蝠(こうもり)の滝 訪問顛末記 瀧山幸伸

大分の豊後大野には美しい滝が多くある。蝙蝠の滝は、天然の要塞と言われる岡城から目と鼻の先だが、あえて訪問をおすすめしない。他の観光滝と同じだろうと甘く見ていたが、とんでもない。

国の「史跡名勝天然記念物」となっている滝や渓谷のうち、観光名所となっていない地への訪問は危険な誘惑に満ちている。

自分の場合、静止画はもちろん動画の撮影が大きな目的なのだが、映画のオープニングのようにヘリで滝の上空から撮影する予算があるはずも無く、ピアノ線、釣り用リール、手網竿などの飛び道具を手作りで準備している。

良いアングルを得るために、滝口に立って流れ落ちる水を撮影するなど、絶体絶命ギリギリの場所までせり出すこととなる。

それなりの装備は当然で、靴に限ってみても滑りにくいものを履くのだが、滝周辺のヌルヌルに耐えられる完璧なものは無く、滑る、足を踏み外すなどで転落するリスクが高い。安全ロープを使えば良いのだが、ついついその手間を省いてしまう。

現場では精神が高揚しているので無謀なことをするのだが、後日振り返ると身が縮む思いだ。

今回の顛末はそれ以前の「お粗末」について。

日本の滝百選に入り、東洋のナイアガラと呼ばれる原尻の滝は既に二回訪問しており、団体バスも立ち寄る賑やかな観光名所だ。国道から近く、のんびりとした農村風景に立地する滝で、誰でも気軽に滝口の先端まで行き滝壺を見下ろすことができる。吸いこまれるようで怖いが、滑らないので安心感がある。

雪舟が訪れ「鎮田瀑図」を描いたことでも知られる沈堕の滝は2005年に訪問しているが、2007年に国の登録記念物(名勝)となった。近代化遺産となっている発電所の遺構もあり、これまたアクセスは非常に良い。幹線道路から鑑賞しても十分に美しい滝だ。

蝙蝠の滝も同じ年に国の登録記念物となったので、近くに行けばすぐ場所がわかるだろうと気楽に走っていたのだが、カーナビに滝が表示されずいきなり困惑した。なんと地図帖にも出ていない。しかたなく携帯電話の小さい画面で検索をする。

通常は文化庁の文化財データベースを使うのだが、サーバが応答しない。文化庁のサーバが遅くて固まるのは毎度のことだから、深追いせずwikipediaのページへ。

それにはこう書いてある。

「蝙蝠の滝(こうもりのたき)は、大分県豊後大野市朝地町にある滝。2007年7月26日に、国の登録記念物として登録されている。

大野川の中流で、支流の稲葉川及び奥嶽川との合流点の下流にあり、高さ約10m、幅約120mの馬蹄形をした柱状節理の絶壁を2筋の滝が流れ落ちる。

上から見るとコウモリが羽を広げた姿に見えることからこの名が付いたといわれる。滝の上流の河床には甌穴群が発達している。

地元でも知名度はあまり高くなかったが、2007年の国の登録記念物への登録を機に注目を集めている。」

その稲葉川や奥嶽川がカーナビの地図にない。大野川沿いにも滝らしきマークは無い。滝の標高差が少ないので、等高線を追いかけても滝の場所が推定できないのだ。

やむなく、滝付近に到達できそうな細道を探して、地元の人に尋ねることにした。

国道から細道に入るとすぐにミニゴルフ場があり、10人ほどいらしたので滝の場所を聞いてみると、地元の方なのに誰も知らないのだ。「原尻の滝」の間違いでは?と。

こうなっては本物の地元住民に聞くしかない。少し戻り、国道からの分かれ道にある民家のおかあさんに伺うと、「この道で合ってるけど、難しいよ」と、なんとなく曇った顔をなさる。

やれやれ良かった。女性に道案内を求めて何度も痛い目に合っているので、「ああそうか、車を運転しないから道順ををうまく説明できなんだな」と。ここまではいつもの勘が働いていたのだが。

とりあえずその細い道を進むことにした。やがて農家のお爺さんに出合ったので場所を伺うと、「行けないよ」「歩くよ」「上からは見えるけど」「河原に降りてもねえ、、」「どっちがいいかなあ」と、道順どころか、謎かけか禅問答のような、もごもご煮え切らないというか、憐みを浮かべた表情をなさる。

まあ、道は間違っていないようだし、このまま行けば表示ぐらいあるだろうし、滝の音も聞こえるだろうし、と、いつもの楽観主義で車を進めたのだが。

その道は恐ろしく細く、標識も皆無だった。道の右側には轍のすぐ隣まで千尋の谷が迫っている。強引に進むに従い、隣に乗っているつれあいが悲鳴を上げだす。

そのうち下りになり、もうすぐ滝かなと喜んでいると、なんと切り返しが二度も三度も必要なスイッチバックのような道ではないか。これは「道」じゃないよ。お爺さんが「河原に降りてもねえ、、」と言っていたのはこのことか。

ようやく河原に到着したが、発電所の取水堰と甌穴群が見えるのみで、滝の気配が感じられない。

ここまで来て滝が見つけられないのでは、地理学を探求する者として沽券に関わる。

上流は金網で遮られて進めないので、おそらく滝は下流にあるのだろうが、お爺さんが言っていた「行けないよ」というのはこのことか。国道から歩けということだったのかな。

やむなく引き返し、高台に戻った所でもう一つの細道を先に進んだが、50メートルで車道はおろか人の通れる道も無くなった。やれやれ。

100メートルほど引き返した所に、絶壁に沿って申し訳程度の金網が設置してあるではないか。そこから谷を覗き込むと、生い茂る木々の隙間、眼下幽かに念願の滝の一部が見えた。

これでは全く撮影に適さないが、金網を張っているということは、ここが唯一の展望個所かもしれないな、と、お爺さんの言葉に納得してしまった。

今回は安全ロープも持ち合わせず、全くのお手上げだ。

それでも諦めきれない。「上からは見えるけど」という言葉を信じ、滝の位置と地形とから、三次元の位置関係を推定して、滝が俯瞰できそうな場所を求めてあちこちうろついた。

探せないとなればますます気合が入る。まさかこれじゃないよな?と思える泥道をてくてく200メートルほど歩いた先に、ついに滝を見渡せる地点が現れた。

もちろん説明板も何も無いが、はるか眼下の滝の全景は確かにコウモリが羽を広げた姿であった。

今回は時間も装備も無かったので滝壺訪問は断念し、次回までに事前調査を徹底することで、後ろ髪をひかれながら初回調査を終えた。

wikipediaの「登録を機に注目を集めている」は、誰の注目を集めているのだろうか。


■■■■■ 4月、5月の撮影から 大野木康夫

今年の桜は、低温の影響で開花が遅れ、また週末に天候不順になることも重なって、気持ちよく撮影できたことが少なかったと思います。

そんな4月と5月初めに撮影したものを振り返ってみました。

京都御所、表千家、裏千家、やすらい花(玄武、川上、上野)

やすらい花はそれぞれの特徴がよく出ていました。

淀川背割堤

好天で、大盛況でした。

勝持寺、正法寺、善峯寺

あいにくの雨、正法寺では土砂降りになり、花がくすんでしまいました。

平安神宮、半木の道、京都府立植物園

好天ですが人出も多く、撮影環境としてはもう少しでした。

晴明神社

この日は西陣の早朝風景を撮影し、駐車場を利用した晴明神社もついでに撮影しました。

雨宝院、西陣、西陣織会館

前日の続きで西陣地区を回りました。

のとじま臨海水族園、妙成寺、気多神社、喜多家住宅、尾山神社

家族旅行で石川に行きました。

金沢城、兼六園、旧金沢陸軍兵器支廠、旧第四高等中学校本館、尾崎神社、成巽閣、金沢21世紀美術館、ひがし茶屋町、金箔体験

早朝は一人で撮影に行き、朝食後に家族で観光地を回りました。

十三まいり、梅宮大社神苑、恐竜博、賀茂競馬

子どもが数え13歳になったので、法輪寺に十三まいりに行きました。ついでに色々回りました。

蹴上浄水場

昼休みに公開中の蹴上浄水場に行きました。

大田の沢のカキツバタ

早朝でも撮影の人でいっぱいでした。


■■■■■今年のさくら 川村由幸

今年観にでかけたさくらの画像(一部動画)をスライドショーにしてみました。

今年は全体的にさくらの開花が遅く、福島のさくらはG.W初日にやっと見頃となりました。

昨年の東日本大震災と原発事故からとても立ち直ったとは言えない福島ですが、

さくらはいつもと同じように美しく咲き誇っておりました。

福島県三春町 滝桜

Takizakura,Miharu town,Fukushima

福島県三春町 福聚寺 

Fukujuji,Miharu town,Fukushima

福島県三春町 お城坂枝垂れ桜(浪岡邸の枝垂れ桜)

Oshirozaka,Miharu town,Fukushima

福島県郡山市 観音寺の桜

Kannonji sakura,Koriyama city,Fukushima

福島県郡山市 伊勢桜 

Isezakura,Koriyama city,Fukushima

福島県郡山市 五斗蒔田桜

Gotomakida,Koriyama city,Fukushima

福島県郡山市 竜ヶ岳公園

Ryugatake park,Koriyama city,Fukushima

福島県郡山市 不動桜

Fudozakura,Koriyama city,Fukushima

福島県郡山市 地蔵桜

Benishidare Jizozakura,Koriyama city,Fukushima

 


■■■■■ 壬生・八木邸と京都鶴屋・鶴寿庵の鶏卵素麺 中山辰夫

(京都市中京区四条坊城通四条南入西側)

「ガンガンデンデン」鉦の音が聞こえてくるとそこは“壬生”。新撰組とゆかりの深い所です。

新撰組屯所であった八木邸と京都鶴屋・鶴寿庵とは隣り合っており、八木家が営んでいます。旧前田家、壬生寺も近くです。

八木邸の見学はできますが、カメラ撮影は不可でした。(とりわけ写したい内容もなかったですが・・)

今回は見学の他に、別の目的がありました。それは鶴屋の「鶏卵素麺」を味わうことでした。

南蛮渡来から300年続く和菓子の味、全国で3軒しか作ってない“味”が楽しみです。

過日、恵那の岩村町で味わった、ポルトガル渡来時のままの製法によるカステラの食感がまだ残っている間に・・・。

八木邸

京都市指定有形文化財

さほど広く感じなかった。天井も低かった。芹沢鴨が暗殺された部屋や鴨居に残った刀傷がポイントでした。

京都鶴屋 鶴寿庵

八木家16代当主が和菓子を営んでいます。

町家風を取り入れたお店の構え。

店内の茶室

意匠も凝らしてあるように見受けました。

店内

新撰組にからませた名前の和菓子「屯所餅」などが多い。

現社長の八木勢一郎氏は八木家16代目です。幼い時は芹沢鴨が暗殺された部屋に蚊帳を吊って寝ていたと聞きます。

京都鶴屋は大阪鶴屋八幡の唯一の別家で、勢一郎氏の父親が大阪鶴屋で修業して始めた店。勢一郎氏は二代目です。

大阪鶴屋八幡は、元禄15年(1702)創業で、江戸時代の上方で高名であった老舗菓子店・虎屋伊織が前身の超老舗。

「鶏卵素麺」は京都鶴屋の一代目が大阪鶴屋での修行時代に、特別に伝授を受けたようです。

「鶏卵素麺」別名「エンゼル・ヘアー」

カステラ、コンペイト、ボウロなど16世紀頃ポルトガル人がもたらした菓子は南蛮菓子と呼ばれました。

「鶏卵素麺」もその一つとされています。

金色に輝く天子の髪の毛に似た、繊細で優しい感じから「エンゼル・ヘアー」とも言われたようです。

延宝年間(1673〜1681)、長崎に上陸した宣教師から福岡の「松屋菓子舗」にまず伝わり、堺から大阪の「鶴屋八幡」

に伝わったようです。

現在は、松屋菓子舗と大阪鶴屋、そして京都鶴屋の3軒でしか作られていません。

材料は卵と砂糖と水だけ。270個の卵(約20kg)から40本の鶏卵素麺ができます。卵は卵黄しか使用しません。

ジョウゴに似た道具を廻して、垂らし、掬い上げると9mの金色に輝く糸綛(かせ)が完成します。それは、染め上げ

られたばかりの絹糸のように輝いているようです。

食感は、さほど甘くもなく、黄味の風味が口に広がり優しい感じがしました。当時は超高級品だったと思われます。

松屋菓子舗 福岡と鶴屋大阪(いずれもHPより)

岐阜県恵那市岩村町の「松浦軒本店」は、ポルトガル伝来の製法によるカステラを今も製造・販売されています。

「卵黄素麺」とも似た食感で、べたつきもなく、サラーとして口あたりもよく美味しかった。評判もいいようです。

町家探索と称して似た町家ばかり見て廻っておりまが、時折起こる意外性の出会いを楽しんでおります。


■■■■■ 男ノ子焼の里 末永邦夫

 八女市立花町の 登り窯 男ノ子焼きの里は、約400年前、柳川藩主)立花宗茂が朝鮮半島から連れ帰った陶工によって始められたという。以後80年間、柳川藩の御用窯として栄えたが、熊本県の小岱山の麓に移したため、途絶えた。

 その男ノ子焼きの再興を目的に建てられた施設が「男ノ子焼きの里」である。


■■■■■ 雨の粟島 田中康平

村上の南にある岩船の港から高速船で1時間ほどのところに粟島という小さな島がある。

数年前から5月の連休には決まったようにここを訪れている。めあては、この時期日本海を北上する渡り鳥の中継地として出会える珍しい鳥だ。

そうでなくとも気楽な民宿でとれたての魚づくしの毎日が送れる、そこも大きな魅力だし、何より、ぶらぶら鳥を見るより他やることがないというのが素晴らしい。

鳥見の客のほかは釣り人がこの島の大事なお客のようだ。この島の歴史も面白い。

縄文の遺跡が島内に幾つか発見されており古くから人が住み着いていたが、海の民には重要な島なのだろう。

9世紀頃九州の松浦氏が島の半分を占領しその後渡ってきた越前の本保氏と島を分け合い現在に至っている。

民宿の主も本保の姓だ。島の神社付近には鎌倉時代に作られた石の碑がいくつもあって古くから日本海の要となっていた島の雰囲気が伝わってくる。

今年は雨の粟島となった。1週間前からかなりの低気圧がこの時期粟島上空を徘徊することは凡そ予測が付いていたが前々から予約で押さえた宿だけに簡単にキャンセルするわけにもいかない。

嫌な予想は大概当たる。予想通り低気圧はやってきて行きの船は問題なかったものの、帰りは海が荒れて欠航や遅延が飛び交う有様となった。自然と調和して生きるほか無い島だ。

雨でも鳥は少しは出てくるが大概の鳥は草や木の茂みで雨宿りをして目に触れることは少ない。雨が小止みになればぱらぱらと出始める。

今年はそれにしても渡って来ている鳥の数が少なかった。北の寒気がなかなか抜けず、鳥たちはここまでたどり着いていないのだろうか。

アオバズクもいないさびしい粟島だった。キマユホオジロが珍しい鳥として現れたが、ツバメが殆どおらず、オオルリも随分少ない。ヒヨドリの群も見られず、アオジとカワラヒワが目立つ位で、鳥の密度そのものが随分と低い。

こんなこともあるのだ。この頃は起こったことは全て受け入れることにしている。残念がってもしょうがない。目の前に繰り広げられる時の流れそのものが実は面白い貴重なもののように思えている。

こんなことを何時まで続けられるだろうか、時折そうも思う。

連休が明けると日差しは日々強さを増しきた。もう夏の勢いがそこまで迫っているようだ。

 


■■■■■ 桂米朝さんのこと 野崎順次

50年くらい前に、我が町に桂米朝さん(大正14年生まれ)が越してきた。

私は1946年(昭和21年)生まれだから、21歳年下であるが、米朝さんが来る前からここに住んでいる。

米朝さんの家にはソメイヨシノの大木があり、この間まで満開を誇っていた。本名は中川清である。

家の前の道路から少し入ると落ち着いた住宅街である。

お弟子さんが赤ちゃんを乳母車に乗せて歩きながら、「まあ、こっち入り」とかネタ繰りをしていたのによく出会ったが、おそらく若かりし「枝雀」や「ざこば」だったのであろう。赤ちゃんは「小米朝→米團次」である。

私が20代半ばの頃だったろうか、三宮で飲んだ後、終電の長い座席で寝込んでしまった。

駅に着いたとたんに目が覚めて慌てて飛び起きると、前の座席で同様に寝ていたおっさんも飛び起きた。見ると米朝さんだった。

私の家の近くに「竹やぶ」という和食堂があり、一時、お弟子さんをよく連れて来たようである。

今でも、米朝さんの俳句の額が飾られている。

「打水の打ったるまヽに凍りけり」写実的だがひねりがないと言ったら怒られるかな。

1996年に人間国宝に、2009年には演芸界初の文化勲章受章者となった。

数年前、米朝さんは腰椎を骨折した。80歳だった。3ヶ月後には高座に復帰したが、リハリビは続けているようである。

最近、私の母(91)が大腿骨骨折をして何とか順調に回復したが、米朝さんと同じ所でリハビリをする可能性が高い。

なお、我が町には、コメディアン・俳優の大村昆、実業家(元政治家)糸山英太郎、参議院議員鴻池祥肇も住んでいた。

特に鴻池さんは私の小・中・高の先輩にあたり、小さい頃に遊んでもらった記憶がある。

小柄だが剣道の強いお兄ちゃんという印象が残っているが、いろいろ他にも強いようである。


■■■■■ 「ラッキーストライク」 柚原君子 

江東区江東橋の交差点角で見つけた看板。

酒屋さん兼タバコ屋さんだった様子。ついでに公衆電話もあった?(KDDIの看板と取り外した後らしき痕跡)

KDDIをのぞくほかの看板は全てタバコのCMのようです。

今日はその中で「LOCKY STRIKE」と書かれた看板についてです。

「LOCKY STRIKE」は今から141年前の1871年にブリティッシュ・アメリカン・タバコ社が生産販売したアメリカを代表するタバコの銘柄。名前の由来はゴールドラッシュ時に金鉱を掘り当てた者が言った言葉から来ている。古いパッケージは振り上げられた拳を描いた、まさにラッキーストライク!そのままの絵柄だったそう。

現在は白地に赤い模様になっているが最初は緑色の地。白に変更されたのは緑色のインクが第二次世界大戦で軍の需要が増したのでその節約のためという名目であったので「ラッキーストライクの緑は戦場に行った」と戦意高揚に遣われたこともあったそうである。また肺がんを引き起こす可能性が高いタバコということで「天国に一番近いタバコ」という俗称もあったそうですが、銘柄別のデータがあるわけではないので俗称のみだったようです。

父も夫も息子も娘婿もタバコを吸っていました。父は胃がんで死亡。夫もタバコに関係なく死亡。そのほかの方は息災ですがタバコはやめました。息子は禁煙の煙管様のようなもので吸ってはくと煙のようなものが出ます。それで1ヶ月ほどで完了。娘婿は会社の方針で営業所全体でとりくみ禁煙成功者には金一封が会社から出たそうで、その折に禁煙。私は街行く中でタバコの煙が漂ってくると、ふと父が吸っていた「みどり」というタバコを思い出し、父恋しさがふーと煙の様に立ち上ります。


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編集 瀧山幸伸

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