MONTHLY WEB MAGAZINE June 2012
5月の新聞で「空のお祭り3部作」と表現された、「金環日食」、「佐渡のトキのひなの巣立ち」そして「東京スカイツリーの開幕」それぞれ意味深い出来事でした。
その中の新生「東京スカイツリー」。新しい時代のシンボルとして歓迎され、人気沸騰中である。
過去においては各地に建てられたタワーはその時代や地域の発展の牽引車の役目を果たしてきた。この機会にたどってみる。
6月1日からビヤガーデンがオープンした「京都タワー」。京都駅烏丸出口の真正面にそびえる京都のシンボル。
当初は物議を醸したが今はどこからも見え、身近な存在となっている。
昭和39年(1964)に建設された高さ131mのタワーは、地下3F、地上9Fの「京都タワービル」の屋上が土台となっている。
スラリーとした円筒状の塔体に骨組みは一切なく、特殊鋼板をつなぎ合わせた「モノコック構造」を採用しており、航空機と同じ仕組みで台風などの外力に強い構造。
海のない京都市の街を照らす灯台をイメージにして建てられたという。ビルの重さは約800トンある。
京都駅ビルに映る京都タワー
地上100mの展望台からは、京の街並が見渡す限りに広がり、天気がよければ大阪のビル群も眺望できる。
必見は「日本夜景遺産」に選定されているライトアップ。旅人を導く燈台のような姿が、古都の静かな夜を演出する。
「タワー観光の歴史」
先駆けは、浅草・浅草寺の五重塔といわれる。明治19年(1886)、損壊した五重塔の修復費用の捻出を目的に有料で見物人を上らせたことに始まる。
これは、建物の高さを厳しく制限した江戸時代には考えられなかったことで、高所から街を眺めるという行為は、支配者の特権であった。
この浅草寺五重塔がきっかけとなり、眺望を売りにした高塔が続々登場した。そのブームを極めたのが明治23年(1890)、浅草に誕生した「凌雲閣」。名称は「雲を凌ぐほど高い」による。
高さ約52m、10F迄がレンガ造り11・12Fは木造で、日本初のエレベーター付きだった。
展望台には望遠鏡が設置され、眼下に東京市街や隅田川、はるかに富士山を見渡す眺望に人々は大興奮。
正月三が日は延べ2万人をも超える入場者があったとされる。
その階数から”十二階“の通称で親しまれた凌雲閣は、大正12年(1923)の関東大震災で崩壊し幕を閉じた。
エッフェル塔(平成3年(1991)写す)
時は過ぎ、高度成長期という新たな時代に登場したのが「東京タワー」。昭和33年(1958)、テレビ放送の電波塔として完成。
フランスの「エッフェル塔」を凌ぐ、自立式鉄塔として世界一の高さ333m。戦後の復興を遂げ豊かさを手に入れつつあった日本人の誇りであった。
昭和33年完成当時の東京タワー。
当初は高さ150mの大展望台だけであったが、昭和42年(1967)に高さ250mの特別展望台が公開された。
平成10年(1998)には、日本の人口に相当する来塔者数1億3000万人を達成。時代のシンボルとなってきた。
往古より、高所は神へ近づく手段であり、権力の象徴であった。今は誰もが日常的に上れて、その風景と時代が眺められる場所となった。
新しい時代のシンボルとして歓迎されている634mの「東京スカイツリー」。どのような時代の幕開きの役目を果たすのか、見守りたい。
資料≪wikipedia、絵葉書「(東京名所)浅草公園十二階」台東区立中央図書館蔵、鹿島 HP、他≫
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