MONTHLY WEB MAGAZINE Aug. 2013

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■■■■■ 「柳生街道での怖い体験」 野崎順次 

柳生街道を圓成寺から奈良まで歩いた。初めて歩く道である。いつものとおり単独行である。メインルートは東海自然歩道だから心配ないが、芳山二面石仏と地獄谷石窟仏への道が未知数である。中型のリュックサックにカメラ2台、交換レンズ少々、三脚など詰め込んだので、結構重たいが、久しぶりのフル装備で何やら誇らしい。

奈良市東方の山については、心穏やかならぬ思い出がある。33年くらい前に小学生の息子とその友達を連れて、若草山の裏に入り、小さな谷の奥(鶯の滝の手前)で、首を吊った仏様を見つけたことがあった。後ろ姿が見えたので、近づいていくと、息子の友達が「ハエがたかっているからやめよ。」といってくれた。そういえば、両足の裏が見えていた。近くの旅館から警察に通報し、検死官の人たちを案内した。真夏の死後6日だった。その帰り、子供たちを連れて興福寺南円堂にお参りして、「亡くなった人は何にも怖くない。ご冥福をお祈りしてもう忘れなさい。」と言い聞かせた。しかしながら、わたくし自身は、とても忘れられない。その後、山歩きをしていて、誰かの後姿を見るとドキリとしてしまう。

その後、この辺りに近寄らなかったのは、このこともあったから。

日曜日である。JR奈良駅から円成寺に行くバスの便は午前中に2回しかない。午前9時34分発に乗る。7から8人の高齢者ハイキンググループと一緒だった。はしゃぐ声がうるさい。近鉄奈良駅前でさらに高齢者グループが乗ってきて超満員になって、さらにうるさい。

午前10時15分頃、ほとんどの人と一緒に忍辱山で降りた。彼らはまず圓成寺に行くらしい。私は直ぐに東海自然歩道に入り、奈良方面に向かった。木立の中の山道を快調に歩いた。途中、雨でV字型に掘れて歩きにくい登り道があったぐらいでたいしたことない。

午前11時30分頃、上誓多林の集落に着いた。石灯篭と地蔵石仏の写真を撮ってから、午前11時50分に八王子神社横に入り芳山へ向かう。近くの峠の茶屋のご主人が書いた略図がインターネットにあったのでそれだけが頼りである。

竹林から杉の植林地帯に移り、途中まではしっかりした道だが、やがて踏み跡程度になり、分岐を間違えないように注意を要する。略図にない分岐が少なくとも2か所あった。正しいルートだと白や赤のテープがあるので、確認できる。最後はきつい登りで立ち止まって休んだこともあったが、午後12時10分に二面石仏にたどり着いた。

この日一番驚いたのは芳山の帰りだった。誰もいないのに、30メートルほど離れた杉の木が突然メキメキと倒れ始めた。こちらに向かってこないし、途中でほかの杉の木に引っかかったので危険はなかったが、明らかに根本が朽ち果てて自然に倒れたのだった。山の中で倒木にはよく出くわすが、倒れる瞬間に立ち会うのは珍しい。

峠の茶屋でわらび餅を食べて、石切峠から地獄谷への道に入ったのが、13時10分だった。細い山道を進むと両側が崖の尾根道となり、始めは少しづつ下り、続いてジグザグに下ると崖に沿いう鎖場が出てきた。緊張しているのでアドレナリンの分泌も充分らしく、怖いとも思わず自動的に足を動かしている感じだった。雨の日は特に危険らしい。

少し登って、水平の道に入った。ただ、ルートが正しいのかどうか何の表示もないので、間違った枝道に入り込んだのではないかという不安は続いていた。何となく谷底に石窟があり、そこから反対側のドライブウェイに出るにはかなり登り直さなければならないとも思っていた。僅か20分くらいのことなのに、「先のことがわからない、迷ったと判明したら、上に戻るしかないが、しんどいやろな、戻れるかな」と弱気になった。すると、突然、中高年夫婦らしきハイキング人とすれ違った。地獄谷石窟はと聞くと、「あと100m位」とのこと。ホッとした。こちらからは、「これから石切峠までは結構きついですよ」とアドバイスした。

結局、石窟に着いたのが13時45分だったから、石切峠から半時間である。

地獄谷石窟仏から奈良奥山ドライブウェイまでの数百mは水平のしっかりした道なので、石切峠側に比べると散歩道みたいなものである。

国土地理院の二万五千分の一の地図でルートを顧みると、芳山がここらで一番高い山であり、石仏は頂上の直ぐ北にある。また、石切峠から地獄谷のコースはこのあたりでは珍しい岩場を下り、その後は水平に進んでいるのがわかる。また、地図の上部には、昔、「仏様」を見つけた鶯の滝がある。

最後の滝坂の道は石畳とはいえ、比較的平坦な自然石を並べただけだから、歩きにくいし、周囲は春日山原生林で山深く不気味である。

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