Monthly Web Magazine Aug. 2015

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■■■■■ レクイエム 酒井英樹

先日某工事の完成検査で滋賀県長浜市余呉の山中に行く機会があった。完成検査とはいえ工事内容は今まであった施設の撤去工事であり、本来計画されていた構造物の完成検査ではなかった。

当初の計画ではこの場所に今から5年前の平成22年(2010)までに堤高145mという国内屈指のロックフィルダムを完成させる予定であった。京阪神の水需要を賄うため計画され昭和55年(1980)に事業を開始した利水と治水の両方の機能を持った総合ダムの高時川ダム(丹生ダム)の建設事業があった。

しかし、最近になって下流域の水需要の減少による水余剰問題が発生し、経済的な都合で計画は大幅に変更され、総合ダムから治水ダム(洪水を抑えるために特化したダム)として建設されることになった。しかし、ダムを作るよりより安価な遊水池等他の事業でダムの治水機能を十分補えるとされ、昨年ダム計画自体を中止することとなった。しかも事業が開始され四半世紀以上経過し、後はダム本体とダム関連の工事(地盤改良、輸送用の道路や県道の付け替え)を始めるだけの段階での中止であった。

ダム建設における哀愁と言えば、ダム湖に沈む村々となる。かつて住んでいた故郷が水の底に沈んで消え去ったという話は全国各地でしばしば聞くことがある。

高時川ダムの水没地にもいくつかの集落が点在し、各々林業(製炭)を生業としていた。今回その一つである、鷲見という集落・・いや集落跡地を訪れた。ダム事業で建設段階を迎えると言うことは集落の移転が完了しており、鷲見も平成7年(1995)に廃村となっており、現在では住民はゼロで住居も全く見当たらない。

現地に立った時、言葉を失った。

鷲見は滋賀県の湖北地方に位置し山間にある集落で、冬は多いときで6メートルを超す積雪がある豪雪地帯でもある。そのためかつては『伊香造余呉型住居』と呼ばれる湖北地方独特の住居が並んでいた。

 

<写真1> 『伊香造余呉型住居』の典型例として重要文化財に指定された田中家住宅(長浜市西浅井町にて、平成27年撮影)。屋根は本来茅葺きだが、現在は鉄板に覆われている。

<写真2>かつての鷲見集落。川沿いに茅葺きのままの『伊香造余呉型住居』が並ぶ。【「日本の集落第2巻」より】

<写真3>現在の鷲見集落跡。<写真2>と同じ場所。建築物は全て撤去されており、草木に覆われている。

鷲見の集落は往時(昭和30年代)には21戸、人口100人が住み、ダム計画が進んだ平成3年(1991)でも16戸、人口37人が暮らしていた。<写真2>がカラーということでも分かるように建物は近年まで残っており、昭和52年(1977)公開の松竹映画『八つ墓村』のロケ地となり冒頭で散見できる。

だが、現在ではかつての姿を容易に想像できない。草むした石垣跡やかつて利用されてたであろう小さな橋の鉄骨が残っているのみだ。

<写真4>集落跡地の石垣

<写真5><写真6>往時には幾つもかけられた生活用の小橋(写真2にも見受けられる)の残骸 

<写真5>平成22年頃撮影

<写真6>平成27年撮影

 

途中通過した他の水没予定地の集落跡も同じであった。何も残っていない。現地に立って私が感じたのは虚しさであった。何かが込み上げ、なぜだか目頭が熱くなった。

ダムによって水没するため消えた村ならいざ知らず、ダム事業に翻弄され消えた村。消える必要の無かった村。

「自分は何をしてきたのだろうか??」

よかれと思って事業を進めた側の立ち位置のある私にとって、現在の状況はとても正視することができず、ひどく胸に込み上げるものを感じると同時に痛む思いであった。

そして、なぜ20年前に訪ねなかったのか・・何も残せなかったことへの苛立ちと・・後悔している自分が哀れにも立っていた。

 気分を変え、帰路休憩に余呉町菅並集落に立ち寄った。

<写真7>〜<写真13> 『伊香造余呉型住居』が立ち並ぶ菅並集落

菅並集落は高時川ダムの建設予定地の下流にあったためダムによる水没予定地を免れた。そのため、『伊香造余呉型住居』が多く点在していた。

残念ながら、<写真1>の重文の田中家住宅と同様に茅葺きの屋根を鉄板で覆われており趣を減少させてはいるが、積雪時には絵になるだろうなと思える風景であった。「1棟くらい茅葺きの屋根があるだろう・・」と時間があったので集落をくまなく探したが、集落の北端にあった旧社務所でさえ鉄板に覆われており、見つけることが出来なかったが、最南端に1棟だけ茅葺きの屋根が見える家を発見した。偶然にも覆われていた鉄板をはがしていたところに出会えた。

だが残念なことに、取り壊しの最中であった。

<写真14>〜<写真17>取り壊し中でかつての茅葺きの屋根を露出していた住宅

案内してくれた近所の人に聞いてみたところ、「子供たちが都会に出て・・、そして住む人がいなくなって・・、取り壊して処分している」とのこと。

未だに多く残っている菅並の集落でさえ、よくよく見ると更地が目に付く。最盛期には集落で80棟以上の『伊香造余呉型住居』が存在したそうだが、現在では30数棟になっており、そのうち現住住宅は20棟ほどで、しかも、住人のほとんどが60歳以上だそうだ。

<写真18>かつて住居があったが取り壊され更地化した土地

重伝建造物地域にも指定されていないため、行政等に保護されることなく無住の住宅もいずれは壊される運命だそうだ。

「ダムが完成すればこのあたりももっと良くなるはず・・・」

と案内してくれた人は言うが、期待に顔をほころばせる彼女にダム事業が中止になったことを私はとっても口に出せなかった・・。

そして、ここでも「なぜ20年前に訪れなかったのだろうか?」と大いに後悔。

「積雪時期にもう一度訪ねてくださいね・・雪景色は一見の価値がありますから・・。でも、それもあまり時間が無いし・・もうその時にはこの家はないけど・・」と寂しそうにしていた案内してくれた人の言葉にうなずき、今後もこのままで残っておいてくれることを願って菅並を後にした。

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