JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine July 2017

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 三毛別 史上最悪のヒグマ事件 瀧山幸伸

最近、クマの事件で世間が騒がしい。

クマは怖い。ヒグマはさらに怖い。三毛別羆(ヒグマ)事件を知ったのは、宮本常一や山本周五郎らが監修した『日本残酷物語』だった。

「残酷物語」とは大仰な題目だが、宮本常一が民俗学者の立場で参加しているので、脚色や誇張は少ない。

貴重な史料であるとともに、日本人の意識下の深層に隠れているドロドロした価値観を知る上でも大変役に立つ資料だ。

地理学の立場で、収録されている現地に赴いて自分の足と目で調査することは、辛い体験ではあるが新しい発見も多い。

今回ようやくこの事件の現地を訪問することができた。事件の記録は吉村昭の『羆嵐』が有名だ。

それを元にしたドラマ(降旗康男監督、三国連太郎ほか)や映画(千葉真一監督、菅原文太ほか)などもかなり衝撃的だ。

現地には地元有志による再現セットがある。いかにも羆が出そうな土地だが、資料は少ない。

苫前町の郷土資料館には、この事件に関する詳しい資料があり、町内で仕留められた大羆のはく製を見たり、例のドラマを見たりして、この事件の恐怖を知ることができる。

ここでしっかり勉強できたので、羆への警戒心がさらに高まったのは良かった。

島牧村の賀老の滝では、道路でヒグマの糞を発見した。現地には数名タケノコ採りに入っている人がいたので安全を確認して滝まで進んだが、遊歩道のすぐ近くで笹薮がザワザワ揺れたのには度肝を抜かれた。大声で威嚇したらタケノコ採りのおじいさんの声が返ってきたのでほっとした。

江差のヒノキアスナロ原始林も、再訪したのだが道路に雑草が生い茂ってなかなか奥に進めない。さらに悪いことにホヤホヤの糞を発見したのでやむなく引き返した。


■ 今年もダメです・・・回復は困難!—琵琶湖烏丸半島の『ハスの群生』 中山辰夫

滋賀県草津市にあった国内有数のハスの群生地(約13ha)—(烏丸半島付近)−が昨年突然に消滅しました。今年もダメの気配です。

昨年と今年の景観

   

この群生地は35年ほど前に発生。例年6月頃から緑の葉が湖面を覆い、7〜8月には花盛りとなり、県内外から数万人が訪れる観光資源となっていました。

突然に発生した異常事態に、県がその実態と再生の可能性について調査を行った結果の発表がありました。

それによると湖底の状況が

 1.1998年に比べ生育を阻害するメタンガスが5〜8倍多い

 2.生育に必要な泥が大幅に消失

 3.枯れたハスの有機物が多量に堆積している

と発表、これらが原因で地下茎が枯死したと推測し、「泥が大幅になくなるなど湖底の環境変化が複合的に関連し合ったことが原因で、人間が元の生育環境を回復することは不可能」とありました。

ハスは同じ地下茎から増殖し、環境の変化への適応力が弱いため、群生地が一気に全滅しても不思議でないとされており、見事だったハス群生の景観を懐かしく思い出すのは画像に頼るしかありません。

 

今年はハスに代わって、特定外来水生植物の「オオバナミズキンバイ」が目立ちました。駆除の手が打たれていますが、繁殖力が旺盛で、その広がりが心配です。

    

琵琶湖はブラックバスに代表される外来魚やミシシッピ−亀の影響で淡水魚の生態異変が起こり、漁獲量の減少は勿論、固有種の存続も危機に瀕しています。

次々と現れる外来生物への対策は大変難しい課題となっています。

 

自然環境破壊の例は他にも多くあります。瀧山さんの報告にある北海道・釧路湿原も外来種のザリガニの増殖で、水生植物が姿を消しつつあると聞きます。

シグナルザリガニ(ウイキペデイアより引用)

最近報道を賑わす強毒アリ『ヒアリ』もその初期対応が重要です。自然を守るという息の長いたたかいは「初期の段階でその芽をいかに摘むか」から始まります。

破壊されたものは元に戻りません。心したいものです。

ハスの群生地と隣り合わせにある草津市立水生植物公園「みずの森」で、ハスの復活に向けて、「ハス100鉢プロジェクト」がスタートしました。(4月23日実施)

     

ボランテイア102人が参加し、泥と肥料をこねて鉢にいれ、100鉢−約60種類−のハス(レンコン)の植え付けを完了しました。

植え付け風景

     

生育状態

 

親子で頑張って植え付けしたハスは成長が順調で、もうすぐ大輪の花を咲かせます。何時の日にか群生地が戻ることを願って琵琶湖を見守りたいと思います。


■ 2017年北部九州豪雨被害 田中康平

駆け足で台風3号が熊本を襲ったと思ったら今度は朝倉へ集中豪雨だ、梅雨末期の豪雨というには度が過ぎている。

何が起きたのだろうか、落ち着いてレーダー雨画像を動画にするところから始めた。気象庁のページからのダウンロードはエクセルマクロで指定日時範囲を指定フォルダにダウンロードさせる、勿論手動で1枚1枚ダウンロードしてもいい。これを動画gif作成のフリーソフト Giam にまとめて落としてgif動画にし、さらにAVIでも保存する。AVI版をWindows live moviemaker で読み込んでwmvファイルに圧縮して出力すれば手頃なサイズの動画が出来上がりとなる。

動画

動画を見直すと、たったこれだけの降水がと、極めて狭い範囲の持続的な強い雨が非常に大きな被害を生んでいることに驚く。人間社会のもろさが如実に表れているように感じる。

原理的には積乱雲の生成崩壊サイクルで崩壊過程で生じる風上にのびる冷気プルームと湿暖な大気の流れがぶつかって次の積乱雲が生じる。タイミングが合えばあたかも同じ場所で次々に積乱雲が次々に生まれるように見え、地理的に同じ場所で夕立の様な強いにわか雨が降り続くことになる。大気の流れの速さと積乱雲のサイクルが丁度合ってそうなるのだが現実的に大きな被害をもたらすことになる。大気の下層から中層までの不安定が強く風の方向と強さが高度方向に概ね揃うことも条件なのだろう。動画にして眺めていると色々なことが頭に浮かぶ。

このところ朝倉やうきは市のあたりには何度か出かけている。日田、東峰村、朝倉、原鶴温泉、耶馬渓 とその被災前の風景が脳裏に浮かぶ。朝倉の西のはずれは自分の出生の地でもある。所縁が深い。

朝倉の道の駅は大きく被害を受けディスプレイ用の3連水車がかなり損傷したようだ。本物の3連水車のほうも形は保っているが濁流で痛めつけられた姿が報道されている。3連水車どころではないというのが被災者の感覚だろうが、自分の記憶にある景観がどうなったのだろうかというほうに頭が回る。勝手なものだ。

しかしこんな豪雨被害は条件さえ整えば日本のどこでも起こりうる。長いタイムスパンをとればどこでも必ず起こるといってもいいのかもしれない。何気ない風景でも丹念に記録に残しておく、これが思いのほかに重要なことにまた気づかされる。

そんな視点からも映像を撮り続けるべきなのかなと思い、そしてすべての景観を映像に残し続けるという行為を継続しなければとの思いを致させる。写真のコアはやはり記録なのだろう。

写真はかって訪問し今回の豪雨で被害を受けたとされる所:1.,2.東峰村竹地区(2014.11撮影)、3.東峰村小石原地区(2014.11撮影)、4.,5.日田彦山線彦山駅周辺(2015.5撮影)、6.朝倉市山田地区道の駅3連水車(2017.4撮影)、7.日田市の筑後川(2014.11撮影)、8.,9,10.朝倉市杷木地区原鶴温泉付近の筑後川(2017.1撮影)、11.中津市山国町草本(奥耶馬渓)(2014.11撮影) 現状はどうなってしまったのだろうか。

          


■ 災害と国土地理院  川村由幸

今年も九州で豪雨被害が発生しました。多くの方が亡くなられました。ご冥福をお祈りするばかりです。

昨年は東北岩手で台風による豪雨、一昨年は茨城でこれも台風での鬼怒川の決壊と、雨による大災害は毎年のように繰り返されています。

そんな思いからネットで「大災害」を検索していてヒットしたのが国土地理院のヘ−ジです。

国土地理院のページ:http://www.gsi.go.jp/bousai.html

すでに今回の九州の豪雨情報も掲載されています。

http://www.gsi.go.jp/BOUSAI/H29hukuoka_ooita-heavyrain.html

ドローンによる動画でDLできる動画とYouTubeへのリンクがあり、とても参照しやすくなっています。

画像は小さいですが、YouTubeのリンクで簡単に動画を見ることが出来ます。

生々しい被害状況が伝わってきて、いささか辛い気持にもなりますが、実情が視覚で確実に理解できます。

私は国土地理院がこんな情報を提供していることを今まで知りませんでした。

さらにあちこち見て回ると熊本地震の情報でこんなものがありました。阿蘇大橋付近の画像です。

http://maps.gsi.go.jp/cmp/?rl=airphoto&ll=20160414kumamoto_0416dol4&ovl=experimental_anno&lat=32.788664&lng=130.690656&z=16&rattr=%E7%B0%A1%E6%98%93%E7%A9%BA%E4%B8%AD%E5%86%99%E7%9C%9F&lattr=%E8%A5%BF%E5%8E%9F%E5%9C%B0%E5%8C%BA%EF%BC%884/16%E6%92%AE%E5%BD%B1%EF%BC%89#16/32.8834/130.9798

地震被害のBefore-Afterです。画像上でマウスを左右にドラグするとそれが表示されます。さらに3D画像もあります。

http://maps.gsi.go.jp/3d/gallery/20160414kumamoto/asooohashi/index_webgl_map.html

上下左右にドラッグすることであらゆる角度から地震被害の状況が確認できると思います。

さすが国土地理院のページだと感心しています。

もちろん、東日本大震災の情報も掲載されていますが、あまりに膨大な資料でどんな情報が掲載されているのかも現状理解できていません。時間をかけて見ていきたいと考えている所です。

皆さんはこのサイトをご承知でしたでしょうか?


■ トワイライトエクスプレス瑞風 蒲池眞佐子

 6月17日から、JR西日本の豪華列車「トワイライトエクスプレス瑞風」が走っている。

予約でいっぱいらしい。金額もさることながら、「選ばれた人が乗っている」という感じだ。

山口県では「瑞風に向かって手を振ろう!」などと呼びかけ、来県を歓迎している。

通勤電車なら手を振ってくれる人も振り返す人もいない。

それが、手を振ってくれる人、手を振り返す人がたくさんいる電車はきっと一つの風景になるからだろう。そしてみんな笑顔だ。

 私は撮り鉄ではないが、ちょっと手を振って写真を撮ろうと徳山駅に行ってみた。徳山駅では4分間停車する。

近くの幼稚園児たちも歓迎しようとホームに並んでいた。

入ってきた瑞風はピカピカだった。窓ガラスもピカピカすぎて鏡のようで中の様子がよくわからない。それでも中から手を振ってくれる人の姿は確認できる。あっと言う間の4分間だった。

 見送った後、幼稚園児たちもぞろぞろと改札を出ていく、ところが、改札を出たところで、一列に並んでくるりと駅員たちの方向に向き、「ありがとうございました!」と大きな声で礼を言ったのだ。

こちらまでうれしくなる景色だった。この姿を写真に撮りたかった。

瑞風も過ぎ去り、カメラもしまっていたのですぐには出せず、残念だった。

         


■ 私と金山寺  野崎順次

岡山駅から北北東約10kmの山間部に金山寺(きんざんじ、かなやまじ)という天台宗のお寺がある。奈良時代創建、平安時代末期には栄西が天台密教葉上流の流派を開いた。その後、栄西は臨済宗の開祖となる。戦国時代、全山焼き討ちの法難があったが、宇喜多家により再建され、国重文の本堂など諸堂と文化財が残る名刹である。また、600年以上続く伝統行事の会陽(えよう)が名高い。毎年2月の第1土曜日に境内で裸姿の男たちが宝木を求め、激しい争奪戦を繰り広げる。

私が初めて金山寺に行ったのは2011年12月30日である。金山(かなやま)の集落までのバスはなく、岡山駅からタクシーで15分である。境内には寺男さんを除いて人影はなかった。重要文化財の本堂の戸が開いていたので勝手に内部に入り、県重文の阿弥陀如来坐像など内陣外陣を撮影した。

本堂から少し上がると墓地、さらに山道を上がった最高地点に三重塔がある。三重塔を撮影してから携帯でタクシー会社に連絡し、迎えを頼んだ。その直後に携帯を落としたらしい。上半身の服装はダウンジャケット・薄手のセーター・ウールのシャツで、携帯はウールのシャツの胸ポケットに入れていた。ちなみに私はいつも胸ポケットに携帯を入れておく。首にぶら下げるストラップなどはつけないで、これまで落としたことが無い。ところがこの時、セーターとシャツの間に滑らせて胸ポケットに入れたつもりが、そのまま、山道に落ちたようだ。

タクシーで駅に着き、新幹線に乗り込んでから、携帯のないのに気付いた。その時点ではタクシーの座席に忘れた可能性が高いと思っていた。家に帰ってから、タクシー会社に電話したが、そのような忘れ物はないと云う。そこでダメモトでお寺のご住職に電話して、どうも三重塔あたりの山道で落としたらしいのでついでの時にでも見ておいて下さいとお願いした。お寺の方は携帯の番号を聞かれた。呼び出し音を頼みに探して下さるようである。だが、マナーモードに設定していたので、大きな音はしない。翌朝(大晦日)に三重塔にお供えをするので、見ておきましょうと云って下さった。幸いその夜は雪や雨が降らなかった。降っていたら携帯はアウトである。

翌朝(大晦日)、会社で片づけ仕事をしていると、自宅から電話があり、お寺の方が携帯を見つけて下さったと云う。即座に菓子折を持って新幹線、タクシーを乗り継いでお寺に行った。お年寄りのご住職さんから「ひもで首から下げないと駄目ですよ。」と云う意味の岡山弁で注意された。携帯を調べると、約1時間半にわたり十数回、他の携帯からの呼び出しがあった。そんなに長く丁寧に山道の草むらの中から聞こえるマナーモード音に耳をすましていただいた訳である。おそらくはご住職の指示であの寺男さんが探してくださったのだろう。

その1年後、2012年12月24日に本堂で火災が発生して、焼失した。敷地内で独り住まいのご住職が留守中に発生したもので、当時の報道では本堂で常時使用するろうそくのためではないかといわれたが、未だに原因は特定できていない。

私はこの不幸な出来事に非常に驚くと同時にあの時に本堂の内外を撮影しておいてよかったと思った。携帯を見つけていただいた恩義からも、素人写真ではあるが、データとプリントをご住職に届けなければと思った。ただ、直後に届けるのはどうかと逡巡した。

それから、4年6ヶ月の時が流れてしまった。

今年(2017年)の6月3日に金山寺を再訪した。山門(仁王門)は相変わらず丸太の足場で囲まれていて、以前に修繕工事だと思ったのが、一時的な補強であることが分かった。護摩堂は修繕工事が完了していた。焼けた本堂の跡には小さな木造の仮本堂が建てられ、その周りに礎石が露出していた。割れた礎石もあって、火事の影響かと思われた。

左手の庫裏の方へ行った。修理が追い付かないのだろうか、屋根と壁のところどころにトタン板を張り付けた非常に大きな建物があった。庫裏、灌室、客殿、書院などが一つになった複合建築である。若いご住職が出てこられたので、携帯紛失の経緯を説明した。ところが、驚いたことにあの親切なご住職はもう3年前に亡くなられたとのこと、火事の翌年にでも来ればよかったと深く後悔した。

若いご住職は本寺の貴重な文化財を世にもっと広めたいとお考えのようで、灌室(密教の灌頂を行うための専用施設)や客殿(江戸中期、池田藩政時代に七月中に藩主が避暑のために滞在した施設)の撮影を快く許可してくださった。

その後、山陽新聞digital の会陽(有名な裸祭り)の記事などを調べて金山寺のご住職について調べた。私の携帯を探すよう指示されたのは、松原宏澄ご住職(当時75歳くらい)で、2014年2月本堂焼失後初めて、会陽の再開を実現されたが、同年4月27日に亡くなられた。同年8月に毘沙門堂(京都山科)より岸本賢信さん(当時30歳くらい)が副住職として着任された。私が今年にお会いした若い方で、その時には「副」の字が取れて住職に就任されていた。名刺を交換したが、古い名刺の「副」の字を二本線で消しただけだったのに好感を覚えた。毘沙門堂は紅葉などであまりにも有名な京都山科の名刹である。昨年11月に耳の帯状疱疹を発症し何とか半月で治ったが、後遺症のふらつきを感じながら撮影活動を再開したのが、紅葉の盛りを過ぎた毘沙門堂だった。そこから、岸本ご住職が来られたということに何か特別なものを感じた。

これから本堂の再建、灌室客殿の改修と大変な道のりだ。でも、文化財はまだまだ豊富にあるし、公共交通機関はないがJR岡山駅から車でわずか15分である。のんびりとした山里である。傍観視する己が口惜しいが、近い将来の再興を祈りたい。

また、行きます!


■ 遠隔撮影は難しい… 大野木康夫

私が卒業した高校の研修旅行(修学旅行)は昔からずっと北海道に行くことになっていますが、同じ高校に通う高校2年生の息子も6月中旬に研修旅行に行きました。

行く前に、カメラを貸してほしいと言ってきたので、かさばらないFUJI-XF1(RAW撮影ができるコンデジ)を渡したついでに、札幌の1日自由研修の予定を聞いたら、豊平館(重要文化財)に行くと言ったので、「それなら豊平館の隣の日本庭園にある八窓庵という茶室(重要文化財)の写真を撮ってきてほしい。「忘筌」という額の方から撮影してね。」と頼みました。

私の頃は、京都を朝10時代の特急「白鳥」に乗って青森到着が夜中、そのまま青函連絡船で函館に行って、早朝の特急「おおぞら」で道東に向かうことになっていたのですが、丁度私たちの年、新潟県での集中豪雨により「白鳥」がおよそ10時間、坂町駅で立ち往生し、日程に大幅な狂いが生じたため、翌年から飛行機で行くことになりました。

当然、息子たちも飛行機です。

私たちの年は、行程の遅れから網走からの班別研修(知床、野付、サロマ湖)が中止されてしまいましたが、息子は好天に恵まれ、知床の班別研修を楽しんだようです。

    

文化財建造物では、博物館網走監獄に行ったようで、二見ケ岡農場の庁舎が博物館内に移築されていることを気付かせてくれました。

重文建造物リストを訂正する必要があります。

     

ここからは私の年とほぼ同じ道東ゴールデンコース(美幌峠、摩周湖、砂湯など)ですが、摩周湖はこの時期だいたい晴れていて真っ青な眺めになるのは御愛嬌かと思います。

  

さて、1日移動日の後が札幌の1日自由行動ですが、私の年には旅行中の素行上の問題で、外出禁止のうえ反省文を書かされていた生徒もいたのですが、息子たちはそのようなこともなく、全員が外出できたようです。

しかし、この日だけが雨になってしまい、レンタサイクルで札幌市内を回る息子の班は予定を短縮せざるを得なかったようです。

(北大農学部、時計台などを割愛したようです。)

北海道庁旧本庁舎(重要文化財)

豊平館(重要文化財)

さて、撮影を依頼した八窓庵(旧舎那院忘筌)ですが、雨が激しい中、律儀に訪問してくれました。

息子曰く、「「忘筌」の額がわからなかったので、正面と裏とを撮っておいた。」ということでしたが、画像を確認すると、わずかに端に写っていますが正面から撮影したものはなかったので、またの機会に再訪問することになるかと思います。

 

私のときは、最終日は小樽10時発のフェリーで船中1泊、翌日夕方に敦賀港に到着し、バスで京都に帰りましたが、今は当然飛行機で帰ります。

今回、私の企みはあまりうまくいきませんでしたが、私たちが今そうであるように、年を取ってから同窓会などで、6日間を一緒に過ごした友達との楽しい(本人は旅行中の出来事を楽しそうに話してくれたので楽しかったと思います。)思い出で盛り上がることができればいいと思います。


■ 「松ぼっくりがあったとさ♪」  柚原君子

小石川植物園でのこと。散策をしていたら、あら、木の上に卵がいっぱい!どんな鳥が産み付けたのかしら。

と、近づいてみたら松ぼっくり?のようです。

樹の名称はヒマラヤスギなので「杉ボックリ?」とは思っても、そんな響きは聞いたことがありません。画像をズームしてみるととっても美しい実です。植物園の受付の方は、「杉の木の実ですが、松ぼっくりというのですよ。杉は松科ですからね」と教えてくださいました。

 ヒマラヤ杉の木に松ぼっくり!それにしてもきれいな実。松でも杉でもいいけれど、今まで何気なく使っていた「ぼっくり」っていったいどんな意味?と日本語への興味が湧いて調べてみました。

 あららら!ビックリです。(私だけかも知れないけれど)知ってしまったら余り大声では言いたくない語彙でした。

ぼっくりは殿方のふぐり、つまり「陰嚢」のことなのだそうです。正岡子規も『涼しさや ほたりほたりと 松ふぐり』と句を詠んでいますし、晩秋を表す季語でもあるようです。

 松ふぐり→松ほぐり→松ぼくり→松ぼっくりという転用の順序であったそうですが、ヒマラヤスギに堂々とふぐりと命名した物をのせて、日本語っていいなぁ、と思いました。

 ちなみに最近笑えた日本語はボツイチです。漢字で表すと没1となります。離婚した経験を×1といいますので、それの変化のようで、没1はすなわち死別経験一度ということ。長寿社会になってお年寄りでも再婚される方がこれからますます多くなりますね。ボツイチもそのうち辞書に載るようになる様になって、シニア再婚の身上書に「没欄」という枠ができるかも知れません。いやはや、日本語っておもしろい。


■ おばちゃんカメラマンが行く @礼文島  事務局

6月に礼文島の桃岩から知床のトレッキングコースに再度チャレンジした。

2013年に訪れた時は逆の知床から桃岩までのコースだった。登り始めは天気も良く、礼文ウスユキソウなどにも巡り合え調子よかったのだが、桃岩に着く頃には霧で何も見えず、目前の桃岩の存在を確認しただけで残念な思いをしたので、今回はリベンジだ。

桃岩からのコースは最初から高山植物の見どころが多く逆コースよりおすすめかもしれない。ハクサンチドリやレブンコザクラソウやフウロなどいろいろ楽しめなかなか前へ進まない。

ガイドをつけてトレッキングしているグループの前後に回り耳ダンボにして説明をちゃっかり聞かせてもらい勉強になった。

今回はいつになく好天で、桃岩も海岸も、プチ「なんじゃこれ」の猫岩もしっかり見ることができた。

桃岩と猫岩

 

北の方のスコトン岬にレブンアツモリソウの群生地があるが、もうほとんど終わり枯れかけていると耳にしていたので、今回は期待していなかったのだが、桃岩展望台から少し行ったところで山ガールっぽいおばさんに「レブンアツモリソウが咲いていますよ。」と声をかけられる。どれどれとストックの先を探すとなんと咲いているではないか。蛇を見た時とはベクトル方向は違うが鳥肌が立つほど感動した。まん丸いたたずまいがなんとも頬玉の大きな赤ちゃんのようだ。

レブンアツモリソウ

山ガールおばちゃんもこの感動を誰かに伝えたかったのだろう。私もせっかく登った坂を下って、抜きつ抜かれつ後ろから来たおじいちゃんにわざわざ教えに走った。

このおじいちゃん、昨日アツモリソウの群生地に行ったが見れなかったそうで、手をおにぎりのように丸め、「この丸みが可愛いね。」とやはり感動していた。ガイドさんによると桃岩周辺で見かけたのは初めてだそうでかなりラッキーだったようだ。

草の合間に咲いていて探すのがやっとだが、高山植物園で見たレブンアツモリソウより大玉でがっちりしていて存在感があった。

今回何年分もの運を使い果たしたような気がするが、こういうところに来るとどんな人も心洗われ一瞬良い人になるんだと自然の恵みを体感した一日だった。


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Editor Yukinobu Takiyama

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