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Monthly Web Magazine Nov. 2017

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■ 百舌鳥古墳群撮影エピソード  野崎順次

今年の8月24日に百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産の推薦候補となることが決定されて大きく前進した。今のうちにできるだけ写真と動画を撮っておこうと、最近は土日ごとに堺に出かけている。その折に体験したことなどを書いておく。

10月22日(日)台風21号が近づいている。関西発着の飛行機は欠航になっている。翌日(月)の午前9時40分神戸空港発鹿児島行きの便で出張に出かける予定であるが、その便は飛びそうである。台風は夜遅く近畿に近づいて、真夜中過ぎに去っていくようだ。朝から雨である。以前に撮り残した二つの帆立貝形墳(孫太夫山竜佐山)が堺市博物館の真ん前なので、傘をさしてでも撮影して、後は博物館の室内展示でもと思った。

一眼レフカメラはEOS5D Mk3のボディにシグマ広角ズーム12−24(F4.5-5.6 II DGHSM)だけ。広角ズームは近くから古墳の全景を撮るのによい。それと、予備と記録用を兼ねて、小型カメラ(PowerShot SX610 HS)を持って行った。動画撮影するので軽三脚も欠かせない。

JR阪和線百舌鳥駅で降りると、雨が続いている。傘をさして、数分で孫太夫山古墳に着いた。一眼レフを取り出すとレンズが曇っている。電車内が気温22℃くらい、外気温は15℃程度か。湿度は恐らく100%近いからレンズ表面に結露したようだ。レンズの温度が外気温まで下がれば、結露がなくなるだろうと、雨の中で待った。ところが、レンズ外面の曇りは取れたが、レンズの内面が曇ったまま(内部結露)である。これが実に頑固な曇りで屋外で1時間以上しても取れなかった。

 

結局、博物館に入って、20分くらいで曇りが消えたが、展示を撮影するには広角過ぎる。そこで、小型カメラに切り替えた。さらに20分ほど撮影していると、今度は小型カメラが曇り始めた。霧の中で撮影しているみたいである。仕方がないので、撮影を中止して帰宅することにした。

 

10月29日(日)また、台風がやってきた。日本列島の南の海上を北東に進んでいる。近畿では、朝から雨で、最も影響のあるのは昼ぐらいで、15時頃から雨が上がりそうだと見た。また、堺に出かけた。あの二つの帆立貝形墳を撮り終えたいと、むきになっている。使用カメラは一眼レフで、レンズはキャノン24-105(EF24-105mm F4L IS II USM)とシグマ12-24の2本である。経験上、キャノン24-105の方が内部結露が出にくいと思われる。台風が来ている割には、阪急梅田あたりの人出はあまり変わらない。

南海難波駅では関空に行く本線が止まっていたらしいが、ちょうど動き出したばかりで、急行で堺駅まで行けた。雨が激しくなってきたので、屋外の撮影どころではない。そこで利晶の杜(千利休と与謝野晶子の文化観光施設)で雨宿りがてら展示の撮影をすることにした。

堺駅から宿院まで堺まち旅ループバスに乗る。このパスは土日祝日だけ南海堺駅から堺東駅まで、1時間に1〜2本主要観光地を回る。台風のためか乗客は私一人だった。12時半ころ、宿院バス停横の利晶の杜に着いた。そこでの撮影でレンズ曇りの問題はなかった。

風は収まったが雨は続いている。3時過ぎにループバスで宿院から博物館前まで行く。またもや乗客は私一人だった。博物館は仁徳天皇陵拝所の前にあり、ボランティアガイドさんの一番多い場所だ。今日は観光客がほとんどいないので、ひまを持て余したガイドさんが、「どこから来られた」、「いいカメラですね」と話しかけてくる。有り難いが、こちらは日が暮れるまでに撮影を終えることが最優先である。と、うまいことに、というか、予定通りというか、雨が止んだ。レンズの曇りもなく、順調に二つの古墳を撮影できた。レンズの結露がなかったのは、前回(22日)よりも気温が高めで、湿度が低めだったのだろう。帰りのルーバスから日没寸前の日差しさえ見えた。さて、どこかで一杯飲もう。

11月3日祝日で三連休の初日、台風の恐れはなく、曇り時々晴れと久しぶりの好条件である。また、また、堺に出かけた。この日はJR百舌鳥駅から仁徳天皇陵古墳を4分の3周して三国ヶ丘駅まで行く。仁徳天皇陵は全長486mもあり、しかも二重の濠の外側を歩くのだからたいした写真にならない。前方部正面の拝所辺りにはたくさんの観光客とボランティアガイドさんがいた。行楽日和の休日なのでガイドさんは説明に大忙しで、幸い私にかまう暇がない。

仁徳天皇陵の北西に永山古墳がある。墳丘長104mの前方後円墳である。南を走る幹線道路を渡り、南西から北東に回ったら、おばちゃん(おばあさん)が二人いた。写真の左側の人がいろいろ教えてくれた。いわく、「昔、私はこの古墳の西側の濠で釣り堀屋をしててん。」、「私ら二人、仁徳さんのお墓のおまもり隊やねん。」、「時々、大学の先生がこの古墳に入って調べたはるは。」とか、とか。

私いわく、「仁徳さんの御陵は遺物から見たら、仁徳さんの年代に合わんねんなあ。」

おばちゃんいわく、「兄ちゃんよう知っとんなあ。そや、300年くらい違うそうや。」

「この古墳はわにさんの墓やいう人もおるで。王に仁徳さんの仁と書く。」

300年は違うはなあと思いつつ、最後の質問へ、

私「仁徳さんがよう見えるとこないかなあ。」 

おばちゃん「三国の駅の売店の上に行ったらええねん。ぶあーと見えるは。」

 

そこで、三国ヶ丘駅の屋上に来た。三国ヶ丘はJRと南海高野線の同名の駅がある。そこで三脚を立てて仁徳天皇陵方面を撮影していると、リュックを背負ったおばあさんが話しかけてきた。74歳、8ヶ月前に愛する夫を亡くした未亡人である。いつも二人で出かけていた。ところが、6年前に脳梗塞の発作が出て、小康を得たが、3年前に寝たきりになったそうだ。その旦那さんの思い出をたどるように「写ルンです」で花の写真を撮っているという。

いつも持ち歩いている旦那と花の写真を見せてくれた。どうも苦手のシチュエーションで、ウソでも優しい言葉をかけるべきなんだろうが。「90%の人間は年を取るほど、不幸になります。」とか言ってしまう。早く独りになって一杯飲みに行きたい。

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