JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Feb. 2019

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 危険な動物 瀧山幸伸

危険なデスティネーション(目的地)シリーズ、「危険な滝行」、「危険な修験地」に続いて、今回は「危険な動物」の話題。

危険な動物と言えば、通常はヒグマとか毒蛇、スズメバチなどだろうか。
確かに羆(ヒグマ)は命の危険がある。北海道苫前町三毛別での「三毛別人食い羆事件」は歴史的に例を見ない壮絶残忍なもので、吉村昭の入念な調査による歴史小説や映画にもなっている。私がこの事件を知ったのは宮本昭らが編集した「日本残酷物語」でだが、現地には襲撃事件の現場に復元された小屋があり、家の背後には民家に襲いかかろうとするヒグマの像があったりと、やたらリアル感がある。近くの郷土資料館では大型の羆のはく製はもちろん、件の映画が見られるので、興味ある方は訪問に値する。

自分はヒグマと対面したことが無いので真の怖さはわからないが、ツキノワグマでさえ春先の小熊を連れた母熊と対面したときは怖かった。また、島牧村の賀老の滝(滝百選)や江差村のヒノキアスナロ自然林(天然記念物)で新しいヒグマの糞を発見して、現地をおそるおそる歩いていた時にゴソゴソザワザワ音が聞こえ、大いに怯えたこともあった。
 
毒蛇はやはりマムシが怖いが、幸いなことにまだ咬まれていない。城跡、寺院跡、古墳などの史跡は彼らの天国だから極力彼らの活動期は近づくのを控えるようにしているが、咬まれるのは時間の問題だろう。

意外と怖いのはイノシシだ。巨大なイノシシに出くわすと、彼らの敏捷な動きや土を掘り返す鼻息など、荒っぽい動作に動揺してしまう。 静かにしていれば退散してくれるから被害は無いのだが。
ところが先般、イノシシのワナで怖い思いをした。地元の人に現地への道順を尋ねたら、おもむろに鉄製の跳ねワナを見せてくれ、「山中のいたるところにワナが仕掛けられているから行くな、タヌキなら一発で足がもげるよ。」と言われたのだ。それでも和歌山県で唯一残っている天然記念物を現地調査しないわけにはいかないので、自己責任で現地に入ったのだが、、、
詳しくは和歌山県由良町の門前の大岩(天然記念物)調査にその顛末を記しておいた。



■ 重森三玲さんが批判的な和歌山の名園 野崎順次

私の庭園めぐりの先達は、重森三玲著「日本庭園歴覧辞典」昭和49年である。この本はいわゆる豪華本で重たい。10年位前に東京出張時に高円寺の大石書店で見つけた。この店は中央線最古の古本屋さんとのことで、行くたびにいい本にめぐり合う。


今回は和歌山である。たまたま三玲さんが批判的な庭園が二つ、和歌山市駅から海南駅までのバス路線にある。和歌山城西之丸庭園と琴ノ浦温山荘園である。

和歌山城西之丸庭園について、三玲さん曰く、
「幸いに西之丸庭園は、荒廃しながらも山畔の石組をよく保存していることや、さらにまた池畔東部の山畔下の護岸石組もよく保存されていて、桃山期の豪快なものが鑑賞できることは何よりである。ただ最近に至って本庭の修理が行われたが、この修理は全く改悪に近く、せっかくの桃山期の庭園が、大半その価値を損じたことは何より惜しいことである。」
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」和歌山城旧西之丸庭園より)

桃山時代の豪快さが残る護岸と枯滝の石組

  

改悪されたと思われる部分

 

ではだれが改悪に近い修理をしたのか、というと、現地の説明板にこうある。
「和歌山城西の丸(紅葉渓庭園)は江戸時代初期に作製された全国の城郭庭園中屈指の名園でありました。しかし、長年の歳月で荒廃著しく、これが修復した斯界の権威森蘊博士が蘊蓄を傾けてのご指導により昭和四十五年度より三ヶ年をかけ見事に復元整備されました。」

改悪の張本人は森蘊(もりおさむ、明治38年 - 昭和63年)らしい。この人も庭園史研究や作庭において、昭和の大権威で、重森三玲(明治29年 - 昭和50年)とほぼ同じ時代を生きた。

ふたりの経歴や研究・調査方法はほぼ正反対である。ものすごく省略して比べると、三玲さんは日本美術学校から東洋大に進み、その間、日本画・いけばな・茶道を学び、感性と芸術性を磨いた。その後、独学で日本庭園を学び、多くの庭園を実地測量し、作庭年代鑑別の基礎学を確立した。一方、森蘊は東京帝大において造園学、建築史を学び、大学院卒業後は官僚として活躍した。庭園史研究には文献調査に地形測量、発掘調査という実証的手法をとった。今日では庭園史研究や歴史的庭園の整備に発掘調査が不可欠だそうだ。三玲さんには発掘調査をする資金源がなかったのではないだろうか。

いずれにしても、桃山時代の豪快な石組のまわりに軟弱な丸石とか刈込を使われて、三玲さんがカチンと来たようだ。

次の琴の浦温山荘園は個人が作った最大の庭園といわれ、庭園は国名勝、建物は国重文に指定されている。パンフレットには、

「当園は、明治21年に日本で初めて動力伝動用革ベルトを製作し、その後、世界有数のベルトメーカーとなった新田帯革製造所(現 ニッタ株式会社)の創業者、新田長次郎翁により、この地に大正初期から造園されました。
(中略)
こころやすらぐ景観美
庭園内は松林が美しく繁り、時おり魚の跳ねる音が静けさを一層際立たせます。伝統的な和風建築の主屋、茶室などをゆったりと鑑賞したり、座敷に座って庭の全景を眺めながら心安らぐひと時を過ごすことができます。作庭は、武者小路千家の家元名代であった木津宗泉の指導で完成し(主屋の設計は、木子七郎)、開園当時は、皇族の方々や官界他著名人が多数来園されました。紀州路随一の大庭園(18,000坪)です。」

     

ところが三玲さんはボロクソにこき下ろしている。

「伝えるところによると、新田翁は、その大正期に年々十万円の金を使い、十五ヶ年に百五十万円の工費をかけられた由である。今日の金にすれば十五億ということになる。しかし本来庭園の芸術的価値は金によって生まれるものではない。いくら新田翁が忠実な人柄であっても、それが直ちに芸術性とはならないから、本庭のような大園地ができても、芸術的にみれば、必ずしも傑出したものとはいい難い。
今本園を一覧すると、全庭約三万坪という大地庭で、回遊式であり、舟遊式であり、全庭に茶亭などもあって、江戸初期に諸大名間に流行した綜合園式であり、これは明治末年から大正期にかけて成金連中の好んで作ったものと共通している。
(中略)
大正期の庭園は、時代が時代だけに、いずれも職人的な庭師の作庭であったから、この時代の庭園は、大小にかかわらず類型的なものであり、自然主義的なものであった。人間不在な作品が傑出する訳がないが、それでもこれほどの大庭園になると庶民にはよい遊園地である。」
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」温山荘庭園より)





■ 有形文化財の区分について  大野木康夫

近年、趣味で文化財(建造物)のリストを編集していますが、その中で時々、「建造物として文化財指定されているものの範囲はどうなっているのか?」と思うことがあります。
この機会に、「ゆるく」確認してみようと思います。

1 有形文化財と民俗文化財

文化財(建造物)は「有形文化財」の一部です。有形文化財とは、「建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む。)並びに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料」(文化財保護法第2条)とされています。
一方、建造物であっても、「我が国民の生活の推移の理解のため欠くことのできないもの」とされれば「民俗文化財」となります。

同じような民家であっても評価が異なれば指定区分が異なります。

有形文化財 坪川家住宅(重要文化財,福井県坂井市)



民俗文化財 旧尾田家住宅(石川県白山市、指定名称:白峰の出作り民家(山の小屋)と生活用具)



もっとも、旧尾田家住宅は江戸後期から末期に建築された民家なので、歴史的価値がないとも思えません。
最初に評価した専門家の考え方に左右されているような気もするので、厳密に区分されているような気はあまりしていません。

2 建造物とは?

「建造物」という言葉は、文化財保護法に使われていますが、厳密な定義がありません。
「建築物」は建築基準法で定義されていますが、「土地に定着する工作物」という前提があるので、「建造物」も「土地に定着する工作物」と考えればだいたい当てはまっています。
よくわかる例としては船舶があります。

明治丸(重要文化財(建造物)、東京都江東区):引き上げられて土地に定着している工作物(船舶)



日本丸(重要文化財(歴史資料)、横浜市):水上に浮かんでおり土地に定着していない工作物(船舶)



わかりにくい例もあります。

1 木造小塔

厨子、須弥壇や宮殿は建築物たる仏堂や本殿に固定されているため、建造物とすることに異論はありません。
しかし、木造小塔は収納庫や仏堂に安置されているので「土地に定着している」とは言えないのではないでしょうか。
建造物とした理由は、ひょっとしたら、「厳密には建造物には当たらないが、考古資料や工芸品といった種別で指定するよりも、歴史的・芸術的な価値の方が高いから、建造物とみなして指定する」というようなものなのかもしれません。

須弥壇 長蔵寺舎利塔及び須弥壇(重要文化財、岐阜県美濃市)



宮殿 観福寺本堂内宮殿(重要文化財、愛知県東海市)



木造小塔 海龍王寺五重小塔(国宝、奈良市)



2 石造物

石鳥居、石室(石龕)、石塔は建造物とされています。

石鳥居 八坂神社石鳥居(重要文化財、京都市)


石室 文永寺石室(重要文化財、長野県飯田市)


石塔 石清水八幡宮五輪塔(重要文化財、京都府)


石幢は国指定文化財でも判断が分かれています。
写真はありませんが、多宝千仏石幢(重要文化財、九州国立博物館)などは建造物指定、六面石幢(国宝、立川市普済寺)は考古資料としての指定となっています。
石幢はもともと、仏堂の装飾品である幢(多角形の傘から辺ごとに旗を垂らしたもの)を模した石造品なので、構造としては建造物なのでしょうが、「考古資料」として認識されたことで別の指定枠があてはめられたということなのでしょう。
個人的には、六面石幢(南北朝期)の考古資料としての価値がよくわからないので、建造物でいいのでは?と思ってしまいますが。

国においては石仏は彫刻、石燈籠は工芸品、碑は古文書、書跡・典籍又は考古資料として指定されていますが、北海道では碑(津波碑)が建造物として、岡山県では石仏、石燈籠や題目碑が建造物として指定されています。これも、土地に定着しているという構造上に特色を備え、評価が歴史的又は芸術的に価値が高いと評価されたら建造物として、その他の価値に着目されたらその価値で評価できる種別で指定されたということだと思います。

石仏 石造地藏菩薩坐像(重要文化財、和歌山県海南市地蔵峰寺)


石燈籠(重要文化財、奈良県葛城市當麻寺)


要は、文化財指定の目的は、「保存を図る」ということであり、対象物の価値に応じて指定が行われているということなので、所有者との調整は必要であると思いますが、どのような名目であれ、まずは指定することが必要であると考えれば、国や各都道府県等の指定の方向はおおむね間違っていない(少なくとも国民又は地域住民に説明ができるレベルである)ということなのでしょう。


■ アルミニュームアート 「朱甲舞」 清水九兵衛(きよみずきゅうべ)作  中山辰夫

22年前の1997(平成9)年に平安遷都1200年記念事業としてリニューアルされたJR京都駅。
古都京都の玄関口として海外からの旅行者で活況を呈しています。
鉄骨やアルミパネル、ガラスで覆われた近代建築の構造は外人客にも関心がもたれているようです。
 

踊り場となっている四階の「室町小路広場」に、「朱甲舞」と名付けられ高さ約6mの朱色のモニュメントが据付けてあります。
    
朱色を基調に、鎧で装った舞人をイメージしていると解説にありました。

類似の作品は今までに出合ったことがありましたが詳しくは知りませんでした。
京都センタービル タイトル:「CONNECTION」
  

京都文化博物館 タイトル:「朱装」
  

京都勧業会館  タイトル:「朱鳥舞」


京都美術館(改装中)タイトル:「朱態」・島根県立美術館 タイトル:「語り合い」
 

これらは清水九兵衛氏(1922-2006)の作品です。
同氏は伝統的な京焼の名家として知られる清水六兵衛(七代)を襲名しましたが、彫刻へ指向を向け、日本における抽象彫刻の第一人者となり数々の作品を発表、世界的にも高い評価を得ました。 
野外展示の大型モニュメントを得意とする同氏は、耐食性・加工性を追い求めアルミニウムに着目、作品群の大部分にアルミ素材を使用しています。
また、平安京の社寺を彩った「朱色」を好んで用い、瓦からイメージされる湾曲した薄板風をさまざまな形に展開し、インパクトの度合いを高めたとされています。
他には、静岡県立美術館、武蔵丘陵森林公園、宇部公園緑地、その他で見られます。




■ 池の中にある鳥居 蒲池眞佐子

国道2号線沿いにある池に前から気になっていた鳥居がある。
山口県防府市大字台道長沢池だ。
この池の反対岸に打ちっぱなしのゴルフ練習場があり、池に向かってガンガン
ボールが打ちこまれており、鳥居目指して打ってるのか?とも思っていた。
山口市観光情報サイトによると、「慶安4年(1651年)頃、代官東条九郎右衛門の在役中に築かれたものです。天保年間には鋳銭司村、名田島村、台道村の田畑に堤水を供給し、たとえ他村が干ばつにみまわれても、長沢堤を利用する村々は干ばつを免れました。」
とある。
池の中に鳥居がポツリ。周りのネットは打ちっぱなし用の防御ネットらしい。
  

池のほとりから細い参道が伸び、小さな祠が祀られている。
      

中には恵比寿様と大黒様だろうか。


散歩コースの看板によると、この祠は弁天社。
池を守るために建てられたのだろう。池を作って水没したわけでもなさそうだ。
由緒書きのない小さな神社を調査してみるのもおもしろい。





旧東京音楽学校奏楽堂改修完了しました。 川村由幸

平成25年4月から改修のため閉館していた上野の旧東京音楽学校奏楽堂が昨年11月から再オープンしました。
改修工事のおかげで外観・内部ともにリフレッシュ、改めて美しい建造物であることを確認しました。
  
以前は屋根瓦に漆喰は施されていなかったと思います。悪くありません、建物に重厚感が増した気がします。
  
奏楽堂は重要文化財ですが、現在も演奏会に使用されています。重文の建造物内で聞くクラッシック音楽というもの、経験する価値がありそうです。
内部は壁や天井などすべて再塗装されていますが、大きな変化はありませんでした。ホールの椅子が新しくなっていたのが変化と言えば変化でしょうか。訪問時、ちょうど舞台にあるピアノの調律が行われていて、いささかシャッターが切りづらかったです。
  
周囲をぐるりと撮影したかったのですが、裏側は東京都美術館の敷地でいささか入りづらく、真後ろからの画像はなし。
こうして文化財が保存のために手を加えられるのは、なぜかこころが安らぎます。人のこころの余裕と豊かさを感じるためでしょうか。過去の貴重な遺産を将来に伝えてゆく、JGの理念にも通じるもののような気がします。




■ 大平寺跡を歩く  田中康平

福岡市の自宅近くの遺跡を時々巡っている。今回は福岡市南区にある大平寺跡および大平寺古墳群を訪れてみた。一応福岡市は文化財として紹介しているが史跡に指定しているわけでもなくてあまり知られていない。

 

始めに大平寺古墳群から回る。大平寺と名前が付くが直接の関係があるわけではなく地名からつけられているように思える。
住宅街のそばにあって駐車は難しいかと少し離れた運動公園にクルマを停めて歩いて訪れる。北西側が傾斜して溜池(源蔵池)に向かっている雑木林の中に古墳が幾つか見える。ここらあたりでは小高い地点となっている。現地の説明書きでは6世紀末―7世紀初めの頃の古墳とされている。
   
形は解りにくいが円墳だ。一番大きいと思われる古墳は横穴式石室が開口しており内部が見れるようになっていて中に仏像が置いてある。この6号墳以外は形が崩れているようで古墳の石材が城の建築などに用いられたのではないかと推定されている。この古墳だけがきちんと残ったのは信仰の対象として維持されていたからだろう。同じ南区にある穴観音と興宗寺との関係に似ているようだ。こちらの大平寺は廃寺となって名前だけが残ったが。

この雑木林の下の源蔵池付近から製鉄の遺物が発掘されており、辺りは製鉄の拠点だったとも推察されている。池は農業用ではなく製鉄用だったのかもしれない。

そのまま北東へ坂を下りていくと大平寺跡に至る。
太平寺とは廃寺となった古寺で、江戸時代の儒学者・貝原益軒の筑前風土記に、那珂郡屋形原に居たる千葉探題の帰依の寺なりし故むかしは大寺なりしとかや とあるという(福岡市のHPより)。
現在は室町時代の板碑と石仏が祀られている。南側の緩斜面からは6世紀後半から9世紀前半に及ぶ掘立柱建造物群の遺構が発掘されたと市の資料にあり、古くから寺院があったのかもしれない。
   
貝原益軒の言う千葉探題とは、室町時代に置かれていた九州探題の変わり果てた姿ではないかと推測される。九州探題は渋川氏がその任に当たっていたが丁度応仁の乱のころ九州でも豪族の争いが激しくなって肥前では九州今川氏と渋川氏の連合が千葉氏に敗れており以降実質的に千葉氏が九州探題としてふるまったとも考えられる。この地よりやや北の南区花畑小学校には昔この地にあった九州探題のその館を黒田2代藩主の黒田忠之が隠居屋敷として使ったと記した(近年の)石碑が建てられており、大平寺と探題の関係が本当らしく思われる。この他にもこの時代、大友氏と山内氏、島津氏との争いもこの辺りで繰りひろげられており15ー6世紀ころの博多ー大宰府周辺は各豪族のせめぎあいが続いたと感じられる。

このところこんな歴史探索をぽろぽろとやっているがどうやら福岡平野は江戸時代前の中世が面白い、そんな気がしている。南北朝から戦国に至る今となっては解りずらい時代は日本のどこでも混乱に満ちた空気が流れていたのだろう。今の平和が有難い。

 
■ 看板考 No.73 「オロナイン軟膏ナンコウキクノ」   柚原君子

 
所在地:滋賀県近江八幡市正神町35(JG通信員野崎氏より写真を戴く)

猫にひっかかれた傷を祖母に見せると「オロナイン塗っときな!」。湯沸かし器すら普及していない台所仕事の母の手はアカギレがいっぱいで、鏡台の横に置いてあったのがオロナイン。昭和生まれの多くの人の記憶にある風景です。

オロナイン軟膏誕生関係語彙を、年次順に羅列していくと下記のようになります。

『大塚製薬にがり原料・三井物産・オロナイトケミカル社殺菌消毒剤・メンソレータム大衆薬ヒットの時代・徳島大学開発(産学協同開発)・原料メーカーの社名命名・発売は1953年テレビ放送開始同期・生CM・大村崑・ミスナースコンテスト・宣伝カー全国行脚・社長自ら全国病院行脚・サンプリング全国幼稚園に提供・キャッチフレーズ(「君の名はオロナイン」・「聞いてみてみ、つけてみてみ」「ここでもお役に立ってます」「日本の手は知っています」)・ホーロー看板時代始まる・浪花千栄子・松山容子・香山美子・名取裕子・ちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃん・5000円から27000円・ナンコウキクノ!』

ホウロウ看板にある「オロナイン軟膏H」(Dの時代もあった)の発売元である大塚製薬は、今から66年前の1921(大正10)年に徳島県鳴門で塩業から出る苦汁(にがり)を使った製薬原料を作る大塚製薬工場として創立されています。創立者の息子さんは11人目の社員として入社後、2代目として家業を引き継ぐことになります。
朝鮮特需の頃、オロナイトケミカル社が殺菌消毒剤を開発したのでこれで何か出来ないか、と三井物産から持ちかけられます。当時はメンソレータムなどの大衆薬がヒットしている時代でしたので2代目は「軟膏」に目を付けます。そして徳島大学の三人の教授に今でいう産学協同開発を依頼。誕生したのは、原料メーカー社の名前を取った「オロナイン軟膏」。1953(昭和28)年の創立30年後のことです。

オロナイン軟膏は出来ましたが、大手の製薬会社でなかったことから周知度は低く軌道に乗るまでの努力は大変だったそうです。宣伝カーを使った全国行脚や2代目自らの全国の病院巡り、また病院関連に周知のために、ミスナースコンテストなども開催。お母さんと子どもたちにも浸透させるために全国の幼稚園に売り上げを上回る費用をかけてサンプリング配布(注:現在は薬事法によりこの方法を取ることは禁止されています)など知名度を上げる涙ぐましい努力がされています。

オロナイン軟膏の発売はテレビ放送が開始された時期と一緒ですが、今のようにCMが簡単に流せる時代では無かったそうで、放送中での生CMが基本。藤田まことの「てなもんや三度笠」放映中の「あたり前田のクラッカー」同様に、大村崑の「頓馬天狗」放映中に「姓はオロナイン、名は軟膏!」などと流されています。番組スポンサーは当時は一社が当たり前でしたので、商品と役者とがより密接な関係で記憶に残ることになります。

その他のキャッチフレーズとしては「君の名はオロナイン」「聞いてみてみ、つけてみてみ」「ここでもお役に立ってます」「日本の手は知っています」などがあり、ホウロウ看板にも売れっ子女優の浪花千栄子・松山容子・香山美子・名取裕子などを登場させています。現代に至ってはちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃんなどが「オロオロナイナイ オロナイン♪」のCMソングをうたっています。

当該のホーロー看板ですが現在のヤフーオークションでは5000円から27000円の値段が付いています。ちなみに表題「オロナイン軟膏ナンコウキクノ」の「ナンコウキクノ」は軟膏効くの!という意味ですが、なんとこれまたすごい偶然で浪花千栄子の本名が南口キクノだそうです。看板に起用された後に関係者が知ったそうですが、このすてきな偶然に関係者は小躍りされたそうです。(参考文献:大塚製薬公式HP他)


■ おばちゃんカメラマンが行く @薬王寺観音堂 和歌山県有田川町 JG事務局

いち早い春を探しに紀伊半島へ行ったが、花の便りはまだ早く、そのかわりちょっと罰当たりな話を耳にした。
和歌山県では仏像の盗難被害が多発しているらしい。
どこへ行ってもちらほら仏像盗難の話は聞くが、昨年10月には県立博物館で、「和歌山の文化財を守る」という企画展が開催されるほど頻発している。
県内で平成22年〜23年の間に60か所の寺から計172体、昨年以降も和歌山市、紀の川市、岩出市の10か所から計60体以上の仏像などが盗まれている。
多くの仏像の盗難は転売目的で、運良く戻って来ても一部が壊れたり、紛失したりで、元の状態に戻すのは難しいようだ。
今回有田川町の薬王寺観音堂に,お参りしたが、ちょうど初午の日で、町の人が酒、餅、みかんなどのお供えをして集っていた。運よく中をお参りすることが出来た。町の方は上がっていいよとか、中の仏像の説明などしてくださって、気さくな雰囲気だったが、お寺の方はそうはいかないらしい。
ここもご多分に漏れず仏像盗難を警戒してピリピリしている。
盗難対策で中の撮影は禁止ということだ。
仏像の管理と一般公開の難しさを実感した。
後日、和歌山の高校生が、盗難防止のために3Dプリンターを使って仏像のコピーを作り、本物の代わりに公開しているというニュースを見た。コピーと本物を並べてもどちらが本物か見分けがつかないものもあるそうだ。
将来的に私たちが拝んでいた仏像が3Dコピーだったというケースが増えていくことだろう。
人々が3Dコピーに向かって頭を下げて手を合わせ、博物館で腕を組んで本物の仏像を鑑賞している様を想像すると、なんとも滑稽だ。


今月のにゃんこ
三重県志摩市 上之郷 伊雑宮近所
うっかりはらんでしまったことをご主人様にとがめられながらも懸命に生きる「お小夜」(筆者命名)





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Editor Yukinobu Takiyama
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