Monthly Web Magazine August 2021
『和を以って貴しとなす』 聖徳太子1400年遠忌記念の「聖徳太子と法隆寺」特別展が9月5日迄東京国立博物館で開催されています。
これにあやかるわけで無いですが、蟇股の原点ともいえます法隆寺と東大寺をまとめました。今月は法隆寺、来月は東大寺です。
コロナで撮影の機会を失った苦肉の内容です。 蟇股を探しながら境内を巡回しました。
法隆寺
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
法隆寺は、もと斑鳩寺(いかるが)といい、推古朝に聖徳太子によって創立された寺です。現在の建物は670年の火災後の再建によるものとされています。
金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする塔院伽藍からなります。古代の伽藍がそのまま残る例は他になく、極めて貴重な遺構です。
重要文化財に指定された建物は55棟を越え、内19棟が国宝です。世界一古い木造建築の金堂から、平安、鎌倉、室町、桃山、江戸の建物が存在します。
隣の法起寺を含めてユネスコの世界遺産に登録されています。
参道を進むと最初に出会うのが南大門です。 南大門から西院伽藍までの間を巡ります。
1438年 南大門 国宝 再建:1438 三間一戸八脚門 入母屋造 桧皮葺 軒の反り上がりと双斗・花肘木の組物が室町中期の建築様式
西院伽藍の正面に建ち、法隆寺の寺域に入る正門の役目をしています。
細部
軒深く大きく差し出した美しい外観を示し、構造装飾に優れた意匠が施され室町初期の優秀な建築遺構です。斗栱間の頭貫と通肘木との間に双斗を有する花肘木を置いた手法は建物全体を華やかな気分にさせます。双斗花肘木は、兵庫浄土寺境内の八幡神社拝殿やお尾道浄土寺本堂、・阿弥陀堂でも見られます。
妻飾りの大瓶束の両肩から虹梁の背に下ろした彫刻は笈形で、これに蟇股の両肩を応用いているのは意匠としてめずらしいです。
西園院唐門(国重文・一間平唐門)、客殿(国重文 桃山時代 桁行11.9m 梁間12.8m 一重 北面入母屋造、南面切妻造 杉皮葺)が連なります。
江戸時代前期 西園院上土門(あげつちもん) 国重文 建立:1615~66年 一間上土門 桧皮葺
西園院の通用門となっているが、もとは唐門とともに西園院南隣の地蔵院にあったが、1939年に現在の地に移された。
正面に切石積の基壇を設け、唐屋敷上に円柱を立て、男梁・女梁を柱頭に落とし込んでいる。
現在の屋根は勾配の緩い檜皮葺とし、両橋に蟇股状の大きい絵振板を置いている。
上土門は古くは水平の板屋根の上に土を置き、妻に蟇股状の土留めの絵振板(えぶりいた)を置いたもの。上土門は絵巻物などに多く描かれ、
武家の邸宅や寺院などの正門に用いられたが、遺構は少ないです。
西大門~東大門に至る参道の左右に並ぶ塔頭の見る蟇股
手水舎
室町前期 大湯屋表門 国重文 建立:室町前期 四脚門 切妻造 本瓦葺
大湯屋は国重文 建立:1605桁行六間、梁間四間、妻入、正面一間通り庇付、一重、切妻造、本瓦葺です
1697 西大門 再建:1697年 切妻造 四脚門
これより西院伽藍を巡ります
法隆寺を訪れて一番に見る飛鳥建築 それが中門です。
飛鳥時代 中門 国宝 建立:奈良時代 桁行四間 二戸二重門 梁間三間 入母屋造 本瓦葺
奥行きが三間と大きい、正面が四間で奇数でない点が特徴。回廊内部で開かれた様々な仏教儀式の際に、参詣者の関が内側に設けられたとされます。
奈良時代になると大寺では南大門を二重門にしました。細部の様式は金堂や五重塔と同じとされます。(肘木や斗の雲形の繰りがよく似ています)
細部
門として側面三間は珍しいです。この門の側面は安定さに富んだ優秀な門とされます。
のきの棰は角棰、深い軒は一軒、一側並びの棰で悠々と支えられています。この単純な棰で軒先に美しい反りを成しています。
飛鳥時代 金堂 国宝 建立:飛鳥時代 桁行五間 梁間四間 二重 下層裳階付 入母屋造 本瓦葺 裳階板葺 妻扠首組
飛鳥時代の唯一の金堂遺構です。木造建築では世界最古です。二重基壇の上に建つ二重の仏殿です。
初中に板葺の裳階が付く。強い胴張りの太い柱、皿斗付の大斗、雲形肘木、雲斗など、独特の建築様式を持ちます。軸は平行、角垂木一間の唐の様式です。
人字型蟇股
一般に割束・人字形の束・原始蟇股と呼ばれる八の字型に開いた支持材があって、これは下方が三角形に透いており、最も古い型を残しています。
上層高欄腰組中備に用いてあります。現在のものは昭和修理時に復原されました。 地覆・平桁間には卍崩しの組子を飾っています。
上重東南隅 上重四陬の竜の彫刻の吐いた支柱は1698年頃の修理の際につけくわれました。
金堂は、廻廊で囲まれた内庭に五重塔と東西相並んで南面して建つっています。
飛鳥・白鳳時代の伽藍は塔と金堂が近接して建ち、廻廊が周囲を巡って両者とも四周から眺められる配置を取るのが大きな特色でした。
711 五重塔 国宝 建立:711年 三間五重塔婆 本瓦葺 初重裳階付 裳階は板葺
わが国に現存する最古の塔。高さは112・4尺、金堂のほぼ2倍。当は上に行くほど塔身が細くなる率(逓減率)が大きく、五重は初重の半分です。
主屋・裳階とも軒部・垂木などはすべてベンガラ塗り、化粧裏板・裳階軒裏は胡粉塗り、垂木・尾垂木・隅木・高欄などの木口には透彫り金銅金具を打ちです。っ
初重内部の天井格間には一間一花の蓮華文が描かれています。人字型蟇股は金堂の高欄と同じです。相輪には九つの宝輪が付き、高さ約9.7mです。
細部
飛鳥 法隆寺廻廊 国宝 建立:飛鳥 東回廊:桁行折曲がり延長四二間 梁間一間 本瓦葺 西回廊:桁行折曲がり延長四十間 梁間一間 本瓦葺
中門の両脇から金堂・五重塔を巡る回廊は経蔵・鐘楼に取付き、さらに講堂両脇に達する。聖域をつくりだす舞台装置ともいわれます。
わが国では最古で、鎌倉時代以前の回廊として唯一の遺構です。柱間一間の簡単な回廊で、柱の上に梁を載せ、その上に扠首を置き、棟木を支えています。
叉首(さす)
叉首台(梁)の上に叉首竿を合掌(三角形)に組、斗・肘木を置いて母屋桁を受けます。中央に叉首束を立てて 豕(いのこ)叉首としています。
食堂でも見られます。豕叉首の妻飾りは、入母屋造の仏堂、門、流造本殿に後世まで用いられました。この扠首が板蟇股に進化します。
990 大講堂 国宝 再建: 990 桁行九間 梁間四間 一重 入母屋造 本瓦葺
講堂は金堂、五重塔の北方に、かなり離れて立っています。講堂が北に離れていることについては諸説があります。建立時期も明らかでないようです。
古代の寺院においては、講堂は衆僧が集会して勉学の場としましたが、法隆寺では食堂の機能も持ち合わせていました。
細部
かなり大きな建築物であるのに、平三斗という簡単な組物を用い、装飾的な細部がなく単純明快な形であるのは、天平時代より和風化したとされます。
中備は間斗束 意匠は質素です。この講堂に倣って、内部に太い部材を使い、厚い、頑丈な屋根の講堂が広く流布するようになったとされます。
1318 上御堂(かみのみどう) 国重文 建立:1318 桁行七間 梁間四間 一重 入母屋造 本瓦葺
講堂の裏の一段高い所に建つ。創立は10世紀頃 本格的な仏堂で、土間である点や組入天井など古式です。創建時の姿を踏襲しているとされます。
747年以前 経蔵 国宝 建立:747年以前 桁行三間 梁間二間 楼造 切妻造 本瓦葺
多量の経典を奉安していたとされます。1227年に修理。1278~88年に聖霊院に部材が転用されている。慶長年間に大修理が施されました。
二階は一階と殆ど同じ規模で、切妻造のヤナを載せます。小屋の架橋は二重虹梁蟇股、細部は天平式です。
板蟇股
板蟇股は上層の二重虹梁蟇股式の架橋部に使われている。反転曲線の繰形が施されており、唐招提寺講堂の板蟇股に類似した形に造られています。
組物や虹梁などの形もすっきりしており、奈良時代もかなり早い時期の建設とされます。
1005 鐘楼 国宝 再建:平安時代 桁行三間 梁間二間 楼造 切妻造 本瓦葺 最初のものが焼けて、平安中期に再建された
金堂の東北方に、経蔵と相対して建つ平安時代の楼造の唯一つの遺構である。平安時代の建物で銅張りを持つのは珍しいとされる。大講堂と同時期に再建。
建物は規模、構造形式とも経蔵お同じで、再建に関しては旧規を踏襲したとされます。
板蟇股
上層の組物は平三斗、架橋は二重虹梁蟇股式で経蔵と同じであるが、部材の形はまったく平安時代風で、経蔵の天平時代のものとは異なっている。
経蔵に比べ斗や蟇股のせいが高く、虹梁や肘木は曲線が鈍い。
経蔵板蟇股と鐘楼板蟇股…微妙に違います。
経蔵と鐘楼は古代の寺院ではセットで左右に配置されていた。
奈良時代の経蔵と平安時代の鐘楼には虹梁や蟇股、組物にそれぞれの時代様式の違いがあります。
1284 聖霊院 国宝 改築:1284年に全面的に立て直し 桁行六間 梁間五間 切妻造 妻入 本瓦葺 正面一間通り庇付き 向拝一間 檜皮葺
聖徳太子の影像を安置する住宅風建築の堂。東室の南端部に建つ。建物細部の技法は全て伝統的な和様で、鎌倉後期の純和様建築の典型といわれます。
形姿の優美さと細部技報の優秀さにおいて、鎌倉後期を代表する名建築の一つとされると共に、古材の保存状態の抜群さから資料的価値も高いとされます。
寝殿像の対屋を思わせる外観、中の宮殿は建築的に造られており、その優美さが有名です。
向拝の蟇股
向拝中央に見られます。慶長年間にすっかり作り替えられました。蟇股には12184年の墨書が残ります。
聖霊院内部―厨子 唐破風の「唐」は、新しいものという意味で、日本で生まれ、発展した形式です。
内部は表から外陣、内陣、後陣に分かれています。外人と内陣の境は透かし格子。内陣の奥は聖徳太子像と侍者造4体が納められ、3件幅の厨子があります。
中の間の唐破風は優美な虹梁と繊細華麗な蟇股で知られます。唐破風として現存最古の例であるばかりでなく、最優の作とされます。
蟇股
蟇股は片蓋で厨子脇間の軒桁と同高に入れた中央間の虹梁上に用いられて、唐破風をとめる棟木を受けています。
輪郭は足元を軽快に広げた優美な形で内側に3カ所茨を付け、足元には円弧を連続させた形の繰形を付けており、 輪郭内には繊細ながら左右対称の瀟洒な透かし彫りがほどこされています。
奈良時代 東室 国宝 建立:7世紀 桁行十二間 梁間四間 一重 切妻造 本瓦葺 妻室と並び建っています。
聖霊院の背後に建つ細長い建物に接して建つ細長い建物。僧房の一つ。二間が一坊で、柱間一つは入口、もう一間は連子窓もしくは壁でその繰り返しです。
現東室は後世数次に及ぶ大修理でかなりの変形を受けながらも、その規模や構造の大要は奈良時代のものとされます。
創建当初の柱や梁・桁・垂木などがそのまま現建物にも使われています。
平安後期 妻室 国重文 建立:平安後期 桁行二七間 梁間二間 一重 切妻造 本瓦葺
聖霊院・東室のすぐ東側に沿って建つ細長い建物。東室とセットの建物で小子房に当たります。僧侶の従者の寝所、納屋。小子房が現存するのは法隆寺だけ。
馬屋と蟇股 聖徳太子ゆかりの厩 聖徳太子の愛馬・黒駒と綱を引く舎人
平安前期 鋼封蔵 国宝 建立:平安前期 桁行九間 梁間三間 一重 高床寄棟造 本瓦葺 中央が吹き放しの双倉 横長
東室の東側に建つ高床の倉庫 通常は封印されて開かれなかった。その封印を破り倉を開くには僧鋼所の立ち合いを要したことから蔵の名が付きました。
二つの倉を左右に並べて一つの屋根で覆った形で、中央の吹き放しの部分を左右の倉への出入口と舌形式です。正倉院の倉は中央が吹き放しではないです。
食堂(国宝 奈良時代)の南側に細殿(国重文 鎌倉時代)が軒を接して建っています。
細い建築鹿造れなかった奈良時代に、奥行きを大きく取るために使われた手法とされます。
奈良時代 食堂 国宝 建立:奈良時代 桁行七間 梁間四間 切妻造 本瓦葺
妻は二重虹梁を用い、内部では虹梁の上に扠首を組んで屋根を載せています。
母屋柱上は大斗・肘木で、前後に大虹梁を渡し、叉首と斗・肘木で棟木を支え、化粧屋根裏としています。
鎌倉時代 細殿 国重文 建立:鎌倉時代 桁行七間 梁間二間 切妻造 本瓦葺
内部は大虹梁上に板蟇股を置き、斗・肘木で棟木を支え、化粧屋根裏としています。
大宝蔵院 建立:1998 百済観音堂を中心とする伽藍飛鳥時代から近世に至るまでの宝物が安置されています。
百済観音堂を中心に東西の宝蔵からなる大宝蔵院には法隆寺に伝来する数々の名宝が安置されています。
中でも飛鳥時代の建築様式を伝える宮殿形の玉虫厨子は、周囲の金具の下に玉虫の翅があるのでこの名があります。
1231 三経院と西室 国宝 再建:1231 桁行一九間 梁間正面五間 背面四間 切妻造 妻入 本瓦葺 正面一間通り庇付 向拝一間 桧皮葺
回廊の西側にやや離れて建つ南北一九間に及ぶ長大な建物。南方の七間分を三経院とし、北方の十二間分を西院とする。中世僧侶の三経修学の場
蟇股は向拝の中備につく。三経院の南端に向拝と吹き放しの広庇があって、そこが正面です。正面は全て蔀を用い、東西の側面は蔀と板扉をとりまぜています。
西室 現在は広い一室で、一間ごとに角柱が建っています。
1250 西円堂 国宝 再建:1250 八角円堂 一重 本瓦葺 同時期の八角円堂に興福寺の北円堂(1210年)がありますが、比べると質素な印象です。
小高い丘上に建つ八角円堂です。奈良時代の創建とされる西円堂は1046年頃に破損し再建されました。
現在の堂の凝灰石の礎石、二重の須弥壇は創建時のものとされます。
組物は三斗、中備は間斗束で手先を出さないので軒の出が少ない。四面に窓を吊るしますが、連子窓は正面左右だけに開け、他は土壁です。
1372 地蔵堂 国重文 建立:1372 桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 本瓦葺 すべて面取りの材を用いています。
西円堂の東方、西室の北に南面して建つ小堂 棟木に墨書銘があり、建立時期が確認できます。
この堂は、形の整った洗練されたもので、蟇股内の透かし彫り彫刻や、平面的な彫りになる木鼻など、南北朝中期の特色をよく表しています。
向拝の蟇股
向拝の蟇股内の彫刻は前後両面から見られるように作られてあり、様式から応永頃のものとされます。
東院伽藍
法隆寺東院は738年頃、僧行信によって創立されました。当時の東院は中心建物の夢殿と、講堂に当たる伝法堂は瓦葺でしたが、門や廻廊は檜皮葺でした。
夢殿、伝法堂は当時のまま残っていますが、他は鎌倉時代初期の造営によるものです。
夢殿を礼堂、舎利殿絵殿とそれを結ぶ廻廊で取囲み、さらにその周りを大垣が巡り、院を形成しています。
主な建物として
夢殿(国宝 739)・舎利殿、絵殿(国重文 1219)・礼堂(国重文 1231)・鐘楼(国宝 鎌倉前期)がありますが、これらには蟇股は使われていません。
蟇股が用いられている建物を並べます。
奈良時代 伝法殿 国宝 建立:奈良時代 桁行七間 梁間四間 一重 切妻造 本瓦葺
東院の講堂で、舎利殿絵殿の後方に建っています。聖武天皇の夫人、橘夫人が奉納した住宅を、講堂に改造したものです。
奈良時代の貴族住宅の傑作とされます。天平時代の建築技法で創建当時の形に復元されています。
板蟇股
板蟇股は妻側、二重虹梁蟇股の架橋部に用いられています。母屋部分が二重虹梁蟇股、庇部分は虹梁蟇股です。
1237 東院廻廊 国重文 建立:1237年 桁行延長四三間 梁間一間 切妻造 本瓦葺 南は礼堂に、北は舎利殿絵殿に接続しています。
修築、改築が繰り返されてきましたが、現在の廻廊は1236年再建のものとされます。保存状態が悪く、昭和の修理で大部分の部材が取替えられたようです。
板蟇股
柱上に三斗を置き、虹梁を架け、丈のある板蟇股と三斗出棟木を支えるという、ごく簡単な構造で、隅では隅行に同様の架橋を架けています。
西院廻廊が叉首組であるのに比べ、ここでは板蟇股となっており時代の相違を示します。
奈良時代 東大門 国宝 建立:奈良時代 三間一戸八脚門 切妻造 本瓦葺
西院の東側の築地塀に開かれた門 西院から東院への道筋に当たる位置に建っています。屋根が三つに見える三棟造といわれます。
三間の柱間の中央に扉を開き、両脇の柱間の前後に4本ずつ計8本の控柱を立てる形式の門で、柱の本数から8脚門と呼ばれます。
建立年代が奈良時代に遡る数少ない門の一つとして貴重とされます。
板蟇股が二重虹梁蟇股式
金堂上層高欄(奈良前期)に用いられています割束から進化しております
三棟造
二間の梁間の格柱間の中央にある桁が棟に見えるように棰を架けたため、門に入って上を見上げると、屋根が前後に二つ並んでいるかのように見えることから
「三棟造」とも呼ばれます。
扉がある中央通りの柱と前後の控柱の間に虹梁を架け、虹梁中央に板蟇股を置き、板蟇股の上にある三斗で棟に見せかけた桁を受け「三棟造」の架橋を造ります。奈良時代の建物に良く見られます。
1459 東院南門 国重文 建立:1459年 三間一戸八脚門 切妻造 本瓦葺 この門は「不明門」と云われ、現在はとざされたままである。
東院伽藍の南大門にあたる。現在の建物は様式上、室町時代と認められる。
板蟇股
組物は三斗組、正背面中央間に間斗束を用い、架橋は二重虹梁蟇股で、二間繁垂木を架し、内部は化粧屋根裏です。
鎌倉前期 東院四脚門 国重文 建立:鎌倉前期 一間一斗四脚門 切妻造 本瓦葺
東院の西面に開かれる四脚門。この門はごく普通の形式で、その細部や構造は古風である。
虹梁の上に板蟇股を載せ大斗肘木で棟木を受ける。現在、彩色は殆ど剥落しているが、当初は丹土・黄土・胡粉の彩色画あった。
宗源寺は法隆寺の子院(しいん)」で、西院から東大門―東院に通じる参道の南側にある四脚門です。
宗源寺四脚門 国重文 建立:1237年 四脚門 切妻造 本瓦葺
鎌倉前期の建立で、参道に面して開かれ、参道景観を形成する要素になっています。
今後再訪することも無い法隆寺、種々の思いを抱きながら一巡しました。至福の時でした。
時代別国宝指定建造物および重要文化財指定建造物
西院伽藍
飛鳥時代 国宝 金堂・五重塔・中門・廻廊
奈良時代 国宝 桂蔵・東室・食堂 東大門
平安時代 国宝 大講堂・鐘堂 綱封蔵
鎌倉時代 国宝 聖霊院・西円堂・西室及び三経院
重文 細殿・上御堂・西園院本堂
室町時代 国宝 南大門
重文
薬師坊庫裏・地蔵堂・大湯屋表門・宝珠院本堂・中院本堂・
桃山時代 重文 大湯屋・西園院客殿 西院大垣
江戸時代 重文 西園院上土門・西園院唐門・西院西南隅子院築垣・
東院伽藍
奈良時代 国宝 夢殿・伝法堂
平安時代 重文 妻室・旧富貴寺羅漢堂
鎌倉時代 国宝 鐘楼
重文 絵殿・舎利殿・札堂・東院四脚門・宗源寺四脚門
室町時代
重文 廻廊・南門(不明門)・北室院本堂・北室院表門・福園院本堂
江戸時代 重文 北室院っ太子殿・律学院本堂・東院大垣
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