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Monthly Web Magazine   June 2023


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■蟇股あちこち 38 中山辰夫


今月は三重県です。
2017年に国宝指定となった専修寺の「御影堂」、高倉神社(1574 国重文)、大村神社(1587 国重文)、金剛証寺(1609 国重文) いずれも由緒のある寺社で、蟇股・他の彫刻も見応えがあります。

1666 専修寺

三重県津市一身田町

一身田専修寺は室町時代中期に東海北陸地方で積極的な布教活動を行う拠点として置かれました。
通称は本山専修寺、一身田専修寺(いしんでんせんじゅうじ)です。創建は室町後期の1469~87年とされます。
その堂宇は1580年に炎上し、その後再建された伽藍も1645年の大火で焼失しました。
現在の御影堂は1658年に、津藩主の藤森高次の寄進で再建されたものです。 (2008年まで行われた修理報告書を資料としました)。
      
現在の伽藍は、東を正面とし、南寄りの軸線上に総門、楼門、如来堂が建ち、軸線からかなり離れた北方に御影堂が南を向いて建っています。
県内最大規模の境内伽藍は、山門等の11棟が国重文に指定され、中核をなす如来堂と御影堂は三重県内初の国宝に指定されています。
 

蟇股を軸に巡ります

■唐門 国重文 建立:1844 一間一戸 四脚門 切妻造 正面背面軒唐波風付 檜皮葺 棟梁は近江国の高木作衛門光規・光一の2代目

正面側と背面
      

軒下の各所に多くの彫刻が配されています。金網で見難いです。造鼻・懸魚(兎毛通)・笈形付大瓶束・梁には菊と五七の桐の紋・菊唐草・戯れる唐獅子
      

妻壁の二重虹梁の部分 竜と唐獅子 及び 力神 (正面背面左右4体あります)
    

築地塀の蟇股と門扉(立体的な精巧な彫刻)
   

■手水舎 (唐門側) 入母屋造 本瓦葺
  
柱は几帳面取りの角柱。木鼻は挙鼻と象鼻、中備に蟇股、

■山門 国重文 再建:1704 五間三戸 楼門 二重 入母屋造 下層背面向拝三間 本瓦葺 蟇股はなし
     
山門と唐門が並立しており、正門が二つあるのは珍しい。門に向拝が付くこと、それも背面に付くのは異例中の異例。

細部
      
下層も屋根付き、柱は円柱、欄間付、中備は平三斗、軒裏は二軒繁垂木、側面は横板壁、左右に袖塀扁額は「高田山」、
向拝の柱は円柱、組物は母屋下層と同様の挿肘木、突き出た屋根には縋破風

手水舎(山門側)入母屋造 本瓦葺 軒裏は二軒繁垂木、格天井、木鼻は獏と唐獅子
     

 


1666 御影堂 山門をくぐると正面に見えます。 

専修寺最大の建物で、現存する木造建築物としては全国で5番目の大きさ 純和風

■御影堂 国宝 再建:1666 桁行九間 梁間九間 入母屋造 向拝三間 東面向拝一間 入母屋(妻入) 本瓦葺 


     
現在の建物は1645(正保2)年の大火後、津藩の援助で1666(寛文6)年に再建されたものです。
棟梁は江戸坂本三左衛門 脇棟梁には当地の宮大工・森万右衛門も含まれていたようです。

内部正面(手前より奥へ大間・中陣・内陣の中央部)と 内陣正側部
  
親鸞の座像や歴代住持の肖像が安置されているので御影堂と呼ばれます。
堂内中央の「見真」の額は、明治天皇から贈られた称号で、僧侶への称号としては最高の号です。 内部は739畳の畳敷きの空間
金欄巻の大きな柱や多彩な天井画、全面に見られる豪華な装飾で、荘厳な雰囲気を醸し出しています。

正面の三間向拝
  

周辺の彫刻
     

蟇股
    

広縁部の蟇股
          

外陣境(外側)の蟇股 配置図 
    
前部で19個配されていますが、天幕で写せません。工事報告書から転載します。
       

堂内-内陣
極彩色の梁や格天井で飾られ、桃山風の豪華な造りになっています。
         

内陣・中陣境の蟇股
         

内陣蟇股
  

中陣境欄間
    

鞘の間欄間
      

 

 

1701 如来堂 1990年修理工事完了

■如来堂 国宝 再建:1748 間口25.66m 奥行26.62m 一重 裳階付 入母屋造 向背三間 本瓦葺 棟梁:近江八幡の高木但馬
    
仏堂として規格外のサイズで、禅宗様の建築として国内最大です。堂内では金箔が貼られた建具や宮殿(国重文)も見られます。

□細部
軒唐破風
    
鳳凰が彫られた笈形がつく大瓶束、兎毛通と軒隠しに菊の彫刻、破風板には菊の紋をあしらった飾り金具がついています。

□尾垂木には竜の頭の彫刻
  
裳階の上には禅宗風の意匠がみられます。組物は尾垂木四手先。尾垂木は竜の頭の彫刻。柱上や柱間にも配置。扇垂木は禅宗風の典型的な意匠です。

□向拝周辺
  
柱は几帳面取りの角柱 
蟇股
    
正面には唐獅子、左右は仙人らしい人仏像

□木鼻と手挟
   

□広縁の蟇股
          

外陣境の蟇股は天幕が張り巡らされて撮影できません

■堂内
堂内には多くの蟇股が配されています。堂内撮影
      

蟇股配置の様子
      

蟇股 撮影が少なかったです
      

側面と妻飾
  
派風内部は二重虹梁、中央に鶴の彫刻。左甚五郎の作ともいわれますが・・・。

 

通天橋は如来堂と御影堂を結ぶ廊下です。

■通天橋 国重文 建立:1800 桁行九間 梁間一間 唐破風 本瓦葺
       
妻飾りは笈形付の虹梁大瓶束。虹梁の若葉は唐草と波の意匠です。破風板から下がる兎毛通は雲に鶴の彫刻です。

如来堂の西側、小さな石橋を渡って堀の間を抜けたところが、真宗の開祖親鸞聖人の御廟です。
御廟は平成22年(2010)から平成24年(2012)にかけて、修復工事が行われた

南から唐門、拝堂、石橋と続きその奥に親鸞聖人の墓とそれをとり囲むように専修寺歴代住職のお墓があります。

■透塀 国重文
   
腰回りにスイセン、ハス、タンポポ等の草花の彫刻がみられます

■御廟唐門 国重文 建立:1861 檜皮葺
     
長押しや柱の間や扉などには隅々まで彫刻が埋め尽くしてあります。

妻飾り
     
妻破風板拝みに鳳凰彫刻

蟇股 正面側と背面側
         

その他
   

■拝堂 

国重文 建立:1858 桁行五間 梁間三間 入母屋造 正面背面千鳥破風付 正面軒唐破風付 本瓦葺 屋根4面に千鳥破風 
   
中央の一間は他も柱間より広いです。中央の三間は桟唐戸、両端の角一間は漆喰壁です

妻破風板挟み 鳳凰の彫刻
   

正面
     
笈形付大瓶束、左右の笈形は、波に菊花の彫刻です。立体的で流麗な造形です。

蟇股と格狭間彫刻 各狭間には花鳥の彫刻が見られます。梅に鶯や笹に雁のつがいなどです
            

■茶所 国重文 建立:1760 入母屋造 向拝一間 向唐破風 本瓦葺
           
茶所は大規模寺院に設けられる堂で、その使用目的は現在とほぼ同様とされます。左右両端の水引虹梁は渦巻の意匠です。中備は竜の彫刻です
笈形付大瓶束、兎毛通、梁の菱形の文様が並びます。木鼻は正面が唐獅子です。

■鐘楼 国重文 再建:1711 桁行一間 梁間一間 一重 入母屋造 本瓦葺 板蟇股 主柱は円柱で、控柱も含め計8本立っています。
      
銅鐘は(慶安5年鋳造・1652)

■大玄関 国重文 再建:1785 入母屋造(妻入)正面軒唐破風付 本瓦葺 
     

 


1574 高倉神社 本殿

三重県伊賀市西高倉1046

高倉神社は、北に高旗山を背負う大谷山の裾野にあり、南には上野盆地が拡がります。
神社の創生は不詳ですが、古事記や日本書紀に記す東征に由来する逸話をもつ古社です。
現在の社殿はいずれも1574年に仁木長政が再建したもので三社が並びます。
三社は、中央殿(本殿)及び左殿(八幡社)を流造、右殿(春日社)を春日造とし、蟇股内の彫刻、手挟、頭貫の木鼻等に桃山時代の特色を有しています。
    

■手水舎
    

■拝殿
    

 高倉神社 本殿 

国重文 再建:1574 一間社流造 屋根檜皮葺 棟瓦積 東面建 向拝木鼻(南)枇杷・(北)蓮・波
     
和様出三斗組 身舎側面と向拝の両外面は連三斗組で向拝に手狭付。中備は身舎正面中央彫刻蟇股(鶴)、側面中央蓑束、向拝彫刻蟇股(龍)

□細部
        

向拝の周辺

□蟇股は龍です 
   

□身舎の蟇股 正面中央に鶴の蟇股があります。
   

• 八幡神社 本殿 国重文 再建:1574 一間社流造 屋根檜皮葺 棟瓦積 東面建 
    
和様出三斗組 身舎側面と向拝の両外面は連三斗組で向拝に手狭付。中備は身舎正面中央彫刻蟇股(鳩)、両側面は間斗束、向拝彫刻蟇股(獏)

□細部
    

□向拝の蟇股は獏です
   

□身舎の蟇股は鳩です
  

• 春日社 本殿 国重文 再建:1574 一間社隅木入春日造 屋根桧皮葺 棟瓦積 東面建 向拝柱:金襴巻
    
和様出三斗組 身舎側面と向拝の両外面は連三斗組で向拝に手狭付。

□細部
        

向拝の蟇股は虎です 
   

身舎の蟇股は鹿です
  


1587 大村神社 宝殿

三重県伊賀市阿保1555

大村神社は、延喜式神明帖にみえる伊賀郡十一社に名を連ねる古社です。
大村神社宝殿は元大村神社の本殿で、1587年建立の形式を伝えると共に、絵様や彫刻、色彩なども建築当初の姿をほぼ完全に残しているとされ、
桃山時代の神社本殿を知る上で貴重とされています。

■宝殿 国重文 建立:1587 一間社 向拝一間 入母屋造 妻入桧皮葺
   
木組は簡素ながら形状はよく整い、蟇股は向拝に竜、正面に牡丹・唐獅子、他は紅葉に鹿が彫られ優雅な彩色がほどこされています。
木柱は円柱で、四方に勾欄付廻椽をめぐらし、向拝は大面取り方柱で落床を作っています。

華麗な桃山建築をよく伝えているとされます彫刻、他を工事報告書から転記します。

向拝の周辺

□正面蟇股 表面「牡丹と唐獅子」と裏面「雲」 
     

□向拝の木鼻「獏」 と 手挟 「波」 虹梁の表面「鳳凰」 と 裏面「波」
      

□身舎周辺
  

□蟇股 正面・西面・東面に配されています。
       

(注)工事報告書の「40 鹿・紅葉」と「43 梅・鶯」は逆で、報告書の誤記です

□琵琶板 正面と西面と 東面と背面 背面蓑束 と 長押
      

□正面左扉裏 虎 右扉裏 虎
  

■大村神社

本殿 現在の本殿は1890年の造営 春日造 檜皮葺 と 拝殿
  

境内には「要石」や奇鐘「虫喰鐘」があります(1656年鋳造)



1609 金剛證寺 本堂

三重県伊勢市朝熊町

金剛證寺は伊勢志摩の警鐘を遠望できる朝熊岳の山頂近くにあって、創立は古く六世紀中葉に遡ります。
九世紀には空海が真言道場を開いたとされる古刹です。
伊勢神宮の鬼門鎮護の寺院と称されて庶民の信仰を集めてきました。本殿は摩仁殿とも呼ばれます。

■東向きの本堂を中心に、開山堂・明星堂・法務両・求聞持堂・地蔵堂・鐘楼・仁王門・宝物館・接待所・鎮守雨宝堂・本坊庫裏・書院等が建っています。
 

■本堂 国重文 建立:1609 桁行七間 梁間六間 一重 寄棟造 向拝三間 檜皮葺 厨子一基
  
正面五間は桟唐戸を開き、三方に縁が廻ります。内部は内外陣に分け、間仕切は中敷居構えの格子戸と菱欄間とする和様を主体とする仏堂です
北面・南面・堂内廊下
   

□向拝周辺
蟇股 三個配してあります 北側(うさぎと波) ・ 中央 (ぞうと波) ・ 南側(うまと波) それぞれ表面と見返し面です
          

□木鼻と手挟
     

□本堂の蟇股
蟇股は正面側通り中央間に一カ所。正面は唐獅子と牡丹、見返しは蓮に流水を現わしています。
    
見返しの蓮と水は、輪郭の肩も幅広く、巻斗斗繰下角より渦と若葉が出ています。蓮の花、蕾、堅くの種子が彫られています。


□内々陣と厨子正面
  


 

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