■蟇股あちこち 46 中山辰夫
今月も宮城県です。有名な国宝の大崎八幡宮、国宝の瑞巌寺、重文の陸奥国分寺薬師堂です。撮影禁止の箇所が多いので、保存修理報告書などの文献からの転用が多いです。
1607 大崎八幡宮
宮城県仙台市青葉区八幡町
大崎八幡宮は平安時代初期に征夷大将軍の坂上田村麻呂が宇佐八幡宮の御霊を勧請し開創したとされます。
現在の社殿は伊達政宗によって造営され、1612年頃完成しました。明治まで伊達家の庇護を受けました。現在の建物は当時のもので、国宝です。
この建築は豊国廟の建築を模したと伝えられ、隨所に見事な彫刻、彩色をほどこした権現造社殿で、仙台地方に移入された桃山建築の優秀な遺構です。
正宗は社殿の造営にあたり、京都や紀州から当代一流の工匠たちを招聘して従事させ、当時中央で流行した様式の導入を図ると共に、藩内外に伊達正宗の権力の誇示を意図しました。
この工匠たちは大崎八幡宮のみならず、仙台城本丸大広間や松島瑞巌寺の造営にも関わりました。桃山風文化の遺構が多く現存している由縁です。
案内に沿って参道から境内を巡ります。
■表参道の、一から三之鳥居をくぐり、「神馬舎」、お休み処を過ぎて境内に入ります.鳥居の扁額の「八」の字は鳩になっています。
■手水舎
■長床(ながどこ) 国重文 建立:1661 桁行九間 梁間三間 入り母屋造 正面・背面川に唐破風 杮葺 割拝殿
□正面側
内部は彩色された絵馬を飾っています。落着いた様相を呈しています。
□背面側
■参考 国重文指定の「長床」は、福島県喜多郡の「熊野神社長床」と2か所のみです。
寄棟造、茅葺、桁行九間、梁間四間。建立年代は不明ですが、形式・技法から平安時代末期から鎌倉時代初期には拝殿として建立されたとされます。その後、慶長16年(1611年)に大地震で倒壊し、同19年(1614年)に旧材を用いて再建されました。
■これより社殿に入ります。国宝の拝殿、石殿、本殿を一括して社殿と称します。
□社殿外観
手前が拝殿、奥が本殿の「権現造」です。仙台唯一の国宝建築物。仙台に移入された建築の華美で優秀な桃山建築の遺構です。
社殿は権現造で、五間に三間の本殿と七間に三間の拝殿との間に石の間が連結しています。
総漆塗、極彩色、飾金具付の桃山時代を代表する現存最古の遺構として貴重な建造物です。
□社殿内部の一部 拝殿・将軍の間・法王の間、拝殿中より本殿、本殿・石の間・拝殿、拝殿正面装飾
□社殿平面図
□参考 権現造の他社平面図
■拝殿 国宝 建立:1607 正面桁行七間、背面桁行五間、梁間三間 一重 入母屋造 正面千鳥破風付 正面五間軒唐破風向拝付 杮葺
□屋根・千鳥破風
箱棟胴板間に紋・菊紋飾りを取り付ける。千鳥の鶴彫刻正面―西側・東側、背面西側・東側、千鳥妻支輪板、千鳥琵琶板飾り
組物間に琵琶板を嵌め、雲彫刻四個を飾る。妻板に鶴彫刻一対を飾る
いよいよ蟇股の登場です。社殿には多くの蟇股が配されています。社殿の外部、内部には多くの蟇股が使われています。特に内部は見ることができません。
■社殿の蟇股配置図
社殿外部と内部の蟇股配置
外部の蟇股は本殿背面を除く社殿外部三方と向拝にあります。内部は拝殿「中の間」の壁付けと「将軍の間」、「法親王の間」のそれぞれ後室を除く四面、石の間内部に面する本殿正面に取り付けてあります。
蟇股にはいずれも内部に彫刻が施されています。本蟇股は向拝の蟇股のみで、他はすべて片蓋形式です。
紀州や京都から一流の彫刻士を招聘したことから、蟇股の足もとの曲線は奈良近辺と京都近辺で多く見られるタイプに分かれています。
向拝の蟇股四面と拝殿内部「将軍の間」の南面の蟇股二面、及び「法親王の間」の南面一面、さらに妻飾り四面が京都系蟇股です。内部の蟇股は見ることができません
□向拝唐破風 拝殿柱筋、向拝柱筋
□向拝装飾
□向拝水引拝虹梁木鼻、向拝柱龍彫刻
□向拝中備蟇股 正面、見返し 京都系
□向拝手挟 と 組物
■拝殿外部の蟇股
□正面の蟇股
□西側の蟇股
□拝殿外部頭貫木鼻
□組物
■本殿外部
□拝殿・本殿妻飾と蟇股
妻飾りの中備は拝殿・本殿共に蟇股に巻斗、絵様肘木組の形式です。
拝殿・本殿の蟇股は同形同寸法で,片蓋形式です。ケヤキ材。五七桐彫刻は別木です。
蟇股枠の形状は向拝の蟇股の形状に近く、脚元の形状も奈良系の曲線です。
□本殿側面
■石の間 国宝 両下造 柿葺 間口二間 奥行五間
■本殿 国宝 桁行五間・梁間三間
正面五間向拝付 外壁は真壁造り 黒漆塗 四方浜床 高欄付 左右若障子付
参考
大工棟梁は、梅村日向家次や梅村三十郎頼次等が手掛け,内部の屏風絵は狩野派の佐久間左京が描いたとされ、精緻で多彩な彫刻は左甚五郎が手がけたとされます。
社殿の特色の一つは装飾にあります。軸部に黒漆または丹朱を塗り、組物、内法長押、丸桁等の部材に は文様彩色を施しています。
蟇股や木鼻、手挟、唐破風のなかなどに彫刻をつけ、破風、高欄、長押などに飾金 具を取り付けています。
また本殿、拝殿の壁面、石の間天井に絵を描く。こうして社殿に内外はきわめて 色彩に富み、同時代の北野天満宮よりもはるかに桃山時代の気分が濃厚とされます。
■本殿外部
□拝殿・本殿妻飾と蟇股
写真0001~0003
妻飾りの中備は拝殿・本殿共に蟇股に巻斗、絵様肘木組の形式です。
拝殿・本殿の蟇股は同形同寸法で,片蓋形式です。ケヤキ材。五七桐彫刻は別木です。
蟇股枠の形状は向拝の蟇股の形状に近く、脚元の形状も奈良系の曲線です。
□本殿側面
写真0004
□外部の蟇股
■石の間
□側面
□外部蟇股
■社殿内部の蟇股 撮影できません 報告書からの転記です。
拝殿内部将軍の間 京都系
□拝殿内部法新王の間
□本殿内部正面
□石の間内部
■中備え各種
■社務所近くの社
1609 瑞巌寺
宮城県宮城郡松島町松島字町内91
瑞巌寺は正式名称を「松島菁龍山瑞厳円福寺」という、臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院です。
828年慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺が前身とされています。
13世紀中頃、鎌倉幕府北条時頼が、臨済宗建長寺派への改宗を行い、寺名も延副寺と改めました。
戦国時代を経て衰退し、16世紀末に臨済宗妙心寺派に属します。
1604年、伊達政宗が延副寺造営に着手、5年の歳月をかけて1609年に落成しました。使われた良材は紀州熊野から集められました。
国宝の本堂、庫裏、御成り玄関、廊下、および重要文化財の御成門、中門、太鼓塀など桃山時代の代表的建造物が並びます。
■総門 宮城県指定文 薬医門 切妻造 本瓦葺 妻に梅鉢懸魚付 県下最古の豪快な薬医門です。
「桑海禅林」の額が掲げてあります。杉木立が参道の両側に並んでいます。
■アプローチ
右側の山崖には、かって修行僧たちが座禅いた洞窟も並んでいます。洞内には無数の石仏が安置されています。
■御成門 国重文 建立: 薬医門 入り母屋造 本瓦葺 平入り 東面建ち 妻は前包上漆喰塗り、鮨付き懸魚を飾ります。
御成玄関のほぼ正面に位置します。天皇、皇族、藩主専用の門です。
入母屋造、本瓦葺の薬医門で、門扉の上部には七宝輪違いの装飾が施されています。附属する太鼓塀2棟とともに国重文です。
妻は前包上漆喰塗り、鮨付き懸魚を飾ります。
■御成玄関 国宝 入母屋造 本瓦葺 和様極彩色の本堂に対し、素木唐様の玄関をつけるのが当寺建築の特徴です。屋根が複雑華麗です。
本堂の南西端に接続する、天皇、皇族、藩主専用の玄関で、折れ曲がったその形状から「乙字型玄関」とも称されます。
入母屋造、本瓦葺の禅宗様建築で、内部の床は、縁に対して目地が45度になるように石を敷く、四半敷きという工法が採用されています。
七宝輪違いを装飾した火頭窓や欄間など木部は素木造を主としますが、要所の彫刻には金箔を押してあるのが特徴です。
□妻部
□正面細部
□正面中央 内法上彫刻 中央の虎には顔が彫られています。象木鼻装飾の唐様建築です。上段:外側 下段:内側
正面南の間内法上 左:外側、右 内側、正面北の間内法上 左:外側 右:内側
□正面虹梁上彫刻(張果老)と(李鉄拐)
□正面(東面)蟇股、背面(西面)蟇股
□正面虹梁上蟇股と背面虹梁上蟇股
□本堂・御成玄関取り合い南側 内法上彫刻 上段:外側、下段:内側
■中門 国重文 四脚門 切妻造 こけら葺 本堂の正面に位置します。御成門と同様に太鼓塀が付属します。
瑞巌寺の建築物は本瓦葺が主流ですが、中門は唯一杮葺となっています。
扁額「瑞嵓円福禅寺」は瑞巌寺100世洞水東初禅師の揮毫です。
本堂内は撮影禁止です
■本堂 国宝 建立:1609 創建:伊達正宗 桁行十三間 梁間右側面九間 左側面八間 一重 入母屋造 本瓦葺 玄関付属 十部屋
本堂は、禅宗寺院の方丈建築に見られる典型的な六間取りの平面に次の間が取りついた大規模な建築物です。
各部屋は、使用目的にふさわしいテーマに沿って描かれた絵画や彫刻で装飾されています。
パンフレットや資料で一部転載します
□室中(しっちゅう) 孔雀の間 絵師:狩野左京 天井:二重折上小組各天井
法要が営まれる、本堂の中心となる部屋。障壁画は「松孔雀図」 四季の変化を描くことで時空を超越した場所であることを表現しているとされます。
□廊下
東・南・西の三方に広縁・落縁を巡らせてあり、南西端に御成玄関が接続します。部屋入り口の家には、透かし彫りの彫刻が多くはめこまれています。
□彫刻欄間
□欄間彫刻
瑞巌寺本堂を彩る欄間彫刻は「天下無双の匠人」と称された鶴刑部左衛門国次が紀州根来から招かれて作事を担当しました。
紅葉に鹿、菊に金鶏、牡丹に金鶏、鶴の巣篭り、桐に鳳凰、など瑞祥を表わす意匠が巧みに彫刻彩色されています。
□室中正面の唐戸
牡丹や菊に金鶏を透かし彫りで表し、極彩色に彩っています。
■庫裏 国宝 禅宗寺院で主として台所の役割を担う建物です.大きさは正面13.8m 奥行23.6m 建立:1609年頃 梁と束、虹梁大瓶束
庫裏は寺務所や台所などの機能をもつ施設です。禅宗寺院の通例と同じく、この庫裏は切妻造・妻入で煙出のある大屋根を架けた形式。
正面妻に桃山風の唐草装飾をつけ,内部の梁組も豪快です。
正面上部の複雑に組み上げられた梁と束や、豪壮な唐草彫刻が白壁に美しくしつらえられています。
■松島方丈記
文王の間廊下の欄間彫刻上に掲げられる扁額で、政宗公の師・虎哉宗乙禅師が瑞巌寺再建の縁起を撰文・揮毫したものです。
松島の景観、円福寺の盛衰、政宗公による復興の経緯と意図を記しており、瑞巌寺の造営が、領内が安泰で、領民が平穏であること念じての作善行であったことを明示しています。
1607陸奥国分寺 薬師堂
宮城県仙台市若林区木ノ下3-8-1
■陸奥国分寺薬師堂 国重文 再興:1607 桁行五間 梁間五間 入母屋造 一間の向拝 本瓦葺 勾欄付きの廻縁 擬宝珠
古代以来の伝統ある陸奥国分寺の一角に、伊達政宗が泉州(大阪府)の工匠駿河守宗次等を招いて建立されました。
慶長12年(1607)に竣工しました。大崎八幡宮社殿とともに、仙台市における桃山建築の双璧です。
□向拝と周辺
外観は彩色を施さない素木造、建物内部の装飾もこの時代のものとしては抑え目で、同じ時期に政宗が建てた他の寺社建築とは一線を画し、むしろ地味といってよい端正な造りとされます。
妻飾りには素木造の簡潔・雄勁な構成美がみられます。
内部は内陣と外陣とを峻別して、奥の須弥壇上に宮殿形の厨子が安置されています。
内部の厨子は入母屋造、こけら葺で、壁画や扉は彫刻、金箔、飾金具で極彩色に装飾され、豪華絢爛な伊達な文化を表現しています。
内陣の柱には金箔を貼り、彫刻、飾金具、欄間も鮮やかに塗り、絢爛、複雑、多彩をきわめ、外観の簡素さと著しい対照となっています。
薬師堂仁王門 県指定文化財 建立:1607 単層、三間一戸、八脚門、本柱・支柱ともに円柱、入母屋造、茅葺
木鼻類の彫刻は古式で、慶長時代の雄健な意匠が窺えます。
長い間、旧態を保持し続けた素朴な門ですが、屋根はたびたびの修理により、やや原形を失っています。
陸奥国分寺
宮城県仙台市若林区木下
陸奥国分寺は、741年聖武天皇の勅願により全国に建立された中で、わが国最北に位置する国分寺で開基は行基です。
創建当初は境内に大小18の堂宇が造営され 周囲には三千に及ぶ僧坊が軒を連ねたとされ 円仁が国分寺に入ると天台宗に改められました。
その後地震や落雷による火災戦災で衰微しました
1601年に伊達正宗が仙台城を築城すると 城下町の町割りが行なわれ その一環として古社古寺の再興が図られ陸奥国分寺もその対象になりました
1605年から再建が開始され 1607年に薬師堂 1629年に鐘楼 1745年に準 観音堂が造営され再び隆昌しました
境内には薬師堂と仁王門の他に白山神社(県指定文化財) 准胝観音堂が鎮座しています。
鐘楼 市指定有形文化財 建立;室町後期 桁行三間、梁間二間 入母屋造 銅板葺 下層は袴状に板を張った袴腰付きであり、上層に高欄付の縁を持つ
令和元年からの解体修理で、伊達政宗による大規模修理で引き継がれ太建物と判明。中世からの歴史を伝える貴重な木造建築です。
准胝観音堂
現在の准胝観音堂は、伊達吉村夫人の貞子が建立した小堂を、諸願成就の御礼として貞子が准胝観音像を寄付したことを受けて、延享2年(1745年)に息子の伊達宗村が再建したもの。
参考
国分寺復元模型
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