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Monthly Web Magazine   July.2024


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■蟇股あちこち 51 中山辰夫

日光東照宮

日光東照宮は、徳川家光が祖父家康を神格化すべく、簡素であった東照宮の全面的な建て替えを1634年に計画。
莫大な予算と延数百万人の人員を費やして、僅か一年五か月という短期間の工期で大造営を完成しました。
日光東照宮の建築設計・施工責任者は大棟梁・甲良宗広、絵画部門は狩野探幽が担当しました。
社殿彫刻は約5000体にも及ぶとされ、メインの陽明門には約500体以上の彫刻群が集中しています。
撮影した彫刻を、数回に分けて並べます。

日光東照宮―1 (五重塔~表門~神厩舎~三神庫~御水屋~輪蔵~鼓楼~鐘楼~本地堂)

日光東照宮の建築群は、標高640mの高地にあり、深山を切り拓き、鬱蒼と茂る杉並木の中に営まれています。
社殿の彫刻は鮮やかな朱、黒の漆、きらめく金箔、目立つ胡粉、極彩色、躍動的な彫刻にあふれています。
彫刻の題材は、動物や鳥類、植物などの彫刻の他に、人物彫刻も見られます。表参道の石の大鳥居から、奥社まで続いています。

1616年に没した徳川家康の遺骸は久能山に葬られ、翌年、遺命により日光山の奥社に安置されました。
日光東照宮は元和に創建され、寛永に大造営が行われ、以後、十数回に及ぶ修理を経ています。現在の社殿はほぼ寛永造営の姿を伝えています。
元和の造営は、幕府の大工頭中井大和守正清があたりました。正清は奈良法隆寺の出身で、家康の愛顧を受けた大工棟梁でした。
その後、1634年から1636年までの間に、大工工事だけで延78万人を動員して造替されて、現在の姿に完成しました。
寛永の造営には、幕府作事方の大棟梁甲良豊後守宗弘が建築の総指揮にあたりました。甲良氏は建仁寺流でした。
このほか画工、金工、漆工などの名工も網羅され、当時の美術工芸の最高技術が結集されました。
    

蟇股とその他彫刻が混合しています。


■五重塔 国重文 再建:1818年 四辺三間 五重 銅瓦葺 彫刻:後藤正秀
  
高さ:34.5mの豪華な、江戸時代を代表する塔です。極彩色と金箔で彩られています。
一層から四層までが和様の「平行垂木」、五層は唐様の「隅扇垂木」です。
細部
      

蟇股は四面の各間に配されています。十二支が彫刻され華やかです。 特別公開以外は正面しか見えません。
             

■表門 国重文 建立:1636 桁行三間 梁間三間 八脚門 切妻造 平入 銅板葺
正面と背面
     
東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されており仁王門とも呼ばれます。朱塗りで大きな彫刻を付けています。
表門には、獏をはじめ、唐獅子、象、牡丹など66の彫刻が配されています。これから展開する造形を表現していると思わせる建物です。

□表門側面と妻部の彫刻
  

□彫刻様々
      

□正面の蟇股
       

□身舎の蟇股
         

■神厩舎 国重文 建立1636  桁行三間、梁間五間、一重、切妻造、妻入、銅瓦葺 神馬の厩舎 素木造りです。
     

長押欄間にある有名な三猿の彫刻は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三態で処世要諦を暗示したとされます。です。
     

 

日光東照宮の社殿は階段状に整備した境内地に建っています。
五重塔を過ぎ、石段を上がり、表門をくぐると一段目の平地が広がり、三神庫、神厩舎、銅鳥居、輪蔵がならんでいます。

これから先の、上神庫・中神庫・下神庫は総称して三神庫といわれます。三間四方の同じ大きさの建物です。
   
向かって右側より下神庫・中神庫・上神庫の順に並んでいます。春秋渡御祭の道具、祭器具を収蔵するためのものです。

■下神庫 国重文 建立:1615~60 桁行七間 梁間四間 切妻造 銅瓦葺 彩色、漆塗(朱・弁柄・黒)
   
切妻造 戸口三つあるも内部は一室です。

□蟇股と周辺
      

■中神庫 国重文 建立:1615~60 桁行九間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝七間、銅瓦葺
   
唯一入母屋造 一番大きい 正面の戸口が三カ所あり内部は三室に分かれています。

□蟇股
        

 
正面に「鶴」「亀」「鳳凰」の彫刻が施されており、扉の上には「青色と白色の牡丹」が描かれています。

■上神庫  国重文 建立:1636 桁行三間、梁間三間、背面一間通庇付、一重、入母屋造、向拝一間、銅瓦葺
   
最も重要視され、向背付 内部は三室 

大きな妻を参道に向け、妻飾りには色彩鮮やかな白と黒の大きな象の彫刻を付けています。
    
狩野探幽が想像で下絵を描いたとされ、想像の象と呼ばれ著名です。

バラの彫刻
   

■御水屋 国重文 建立:1636 桁行一間、梁間一間、一重、唐破風造、妻入、銅瓦葺 手水舎 桃山時代の豪壮な彩色の遺風
      
白い花崗石の柱上に大きな向唐破風の屋根をのせています。正面台輪上には立波の透彫り、虹梁の上には波に飛竜と想像の動物の彫刻です。 
覆屋は3mの両妻唐破風造り、12本の花崗岩の柱で支えています。妻飾りは彩色仕上げです。

飛竜と鯉 虹梁下の鯉の彫刻は、三猿、眠り猫と並び称せられます。
  

■輪蔵 国重文 建立:1636 桁行正面一間、背面三間、梁間三間、一重もこし付、宝形造、銅瓦葺 経蔵とも呼ばれます
  
堂内の中央に八角型回転式の大書架があり、天海版の一切経が納めてあります。正面の像は輪蔵の創始者傳大士父子の木像
正面には中央に蝋色塗りの両開桟唐戸、左右に火頭窓
□一層目蟇股
         

□二層目蟇股
      

 

いよいよ境内に入ります。
 

銅鳥居を抜けて石段を上ると鐘楼、燈籠、本地堂(薬師堂)が並ぶ二段目の平地です。
陽明門に向って左側から進めます。

■蓮灯篭の蟇股 国重文 奉納:1640 オランダ国より寄贈されたものです。 他にもあります。
      

□陽明門に向って左側に鼓楼 右側に鐘楼が建っています。どちらも屋根が入母屋造、下部は袴腰形、階上には朱塗りの高欄をつけた廻縁があります。
この二つはほぼ同じ形ですが、飾りや、彫刻に違いがあります。鼓楼の彫刻は78体、鐘楼は38体です。
    

■鼓楼 国重文 建立:1635 桁行三間 梁間三間 入母屋造 袴腰 銅板葺 彫刻数38体 太鼓楼の保管
        

□軒回り
 
火灯窓は巴で、尾棰は竜頭だけです

□軒下の組物間の羽目は亀と波です。文様は唐草
    

■鐘楼 国重文 再建1636  桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、銅瓦葺 鐘楼1口
    

軒回り
 
鐘楼階上の火灯窓の装飾は輪宝、軒の四隅の尾棰に竜、飛竜、竜馬が配列されています。

□軒下の組物の間の彫刻は鶴と波の彫刻と文様
  

□文様
  

■本地堂(薬師堂) 国重文 建立:1636 桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間
   
御本尊の薬師如来をおまつりする東照宮境内最大の伽藍です。
内陣(国重文)には、本尊の薬師如来、その左右に日光・月光菩薩及び十二神将などの諸仏を併祀しています。
純粋な仏教様式です。天井の龍は鳴滝で有名です。現在のものは堅山南風画伯の画で、1968年完成しました。

□蟇股は向拝と身舎に配されています
  

□向拝の蟇股 三体並びます
    

□身舎の蟇股
             

 


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