JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine  June 2025


■■■■■ Topics by Reporters

■ 福井県立恐竜博物館と化石産出地問題 瀧山幸伸

福井県立恐竜博物館は恐竜好きの子供はもちろん、大人にも大変人気だ。子供向けに人気の秘密はリアルに動く恐竜など、動きと音で直感的に楽しめることだろうか。知的好奇心が旺盛な大人には、科学博物館(海外では自然史博物館と呼ばれることが多い)として非常に充実している点だろう。だが、恐竜展示のフロアの賑わいに比べ、上階で年代順に丁寧に展示解説された資料を読んでいる人の姿はほとんど見かけず、実にもったいないと思う。

なぜもったいないと思いかというと、ここが国立科学博物館とともに全国各地の科学博物館のリファレンスとなっているからだ。全国各地の科学博物館は地域独特の化石展示は充実しているが、スタッフ不足からか質問しても的確な答えが得られない場合が多い。国立科学博物館は研究者はもちろんボランティアスタッフに至るまで実に智識が豊富な人材が揃っているが、福井県立恐竜博物館を巡回している解説スタッフは実に素晴らしい。

たとえば、北海道足寄の動物化石博物館で気になっていたアショロアやデスモスチルスなど束柱類の年代的分類的位置づけを明確に解説いただいた。要するに自分の勉強不足だったわけだが、恐竜博物館の進化分類展示を詳しく見れば、解説と展示をもとにほぼ完璧に自習できるのだ。

北海道足寄町 動物化石博物館

Museum of Paleontology,Ashoro Town,Hokkaido

 

たとえば天然記念物に指定されているエゾミカサリュウが恐竜ではないこともわかる。

北海道三笠市 三笠市立博物館

City Museum,Mikasa City,Hokkaido

むかわ竜がかなりすごいというのもわかる。

北海道むかわ町 むかわ竜化石

Mukawaryu,Mukawa town,Hokkaido

一方、懸念されるのは子供たちが自ら化石に親しむ実地体験だ。福井県立恐竜博物館は発掘地の現地ツアーや掘ってきた石から化石を掘り出す体験学習ができる点が特に評価されるが、このような体験機会は非常に少なく、天然記念物の盗掘問題や事故対応問題などもあり、化石産出地はなるべく周知されないように人が来ないようにしている。盗掘問題は監視カメラなどで解決可能だし事故対応は安全な場所を指定して自己責任(保険の付保など)で対応すれば良いように思えるのだが、やはり予算の問題が大きいのだろう。高知県安田町のような「勝手に化石を掘ってください」というような場所は稀で、ほとんどの化石産出地では大人の化石マニアだけが現地に入っているわけだが、もう少し子供向けの体験学習機会と予算が増えることを切望している。

高知県安田町 各地 

Yasuda Town,Kochi

 

■ 琵琶湖疏水  大野木康夫


5月16日の文化審議会で、琵琶湖疏水施設16所4基4棟を重要文化財に、そのうち4所1基を国宝に指定するよう答申がありました。いきなり国宝指定になるのは国所有施設2件(正倉院、旧東宮御所)に続き3件目、2県以上にまたがって指定されるのははじめてのケースになると思います。
個人的には、短期間ですが京都市上下水道局に勤務したことがあり、また、住んでいる京都市山科区に所在する施設5所3基1棟(うち2所が国宝)が含まれているということで、少し舞い上がって5月18日から少しずつ撮影をしました(蹴上浄水場は公開期間外なので撮影できませんでした。)。
今の季節は木の葉や雑草が生い茂って撮影しにくかったので、落葉する冬の間(第一疏水の水がなくなるので違った風景になる)にも撮影したいと思います。

【大津市:3所、うち1所が国宝】
大津閘門及び堰門(重文答申)

   

大津運河(重文答申)

 

第一隧道(国宝答申)

      

【京都市山科区:5所3基1棟(うち2所が国宝)】
安朱川水路橋(重文答申)

  

第一〇号橋(重文答申)

 

第二隧道(国宝答申)

   

第一一号橋(重文答申)

 

第三隧道(国宝答申)

   

旧御所水道大日山水源池喞筒所(重文答申)

  

新旧両水連絡洗堰(重文答申)

 

日岡隧道(重文答申)

 

合流隧道(重文答申)

 

【京都市東山区:1所】
蹴上浄水場第一高区配水池(重文答申)

   

【京都市左京区:6所1基2棟、うち1所1基が国宝】
本願寺水道水源池(重文答申)

 

インクライン(国宝答申)

   

蹴上発電所旧本館(重文答申)

  

水車・発電機(附指定)

  

蹴上放水所(重文答申)

 

南禅寺水路閣(国宝答申)

   

第五隧道(重文答申)

 

第六隧道(重文答申)

 

夷川閘門(重文答申)

  

夷川発電所本館(重文答申)

 

【京都市伏見区:1所1棟】
七瀬川放水所(重文答申)

  

伏見発電所本館(重文答申)

 



■ 「言葉のあぶく」その9   野崎順次

30年くらい前から、おもしろかった話や、ふと思いついたことをメモしています。

 コンビニで働くベトナム娘の名前が「アイン」だった。志村けんのギャグでからかわれないかと心配である。ベトナムで「アイン」は知性を意味し、ポピュラーな名前だそうだ。

 あるメジャーな民法テレビの女子アナが長時間を「ながじかん」と読んでいた。一瞬のことで耳を疑ったが間違いない。しかし、その後、ネットで話題になってなかった。

 池袋の妙に洒落たうどん屋で「ご飯ないの?」と聞くと「ない!」という。しかし、「白飯ならある。」という。出てきたのは、まさにご飯だったが、不味かった。

 夕方、阪急電車の席で、おじいさんが小さな紙パックからストローで何かを飲みながら、時々、手元の白いレジ袋から柿ピーをかじっている。その紙パックは清酒らしい。そして、柿ピーを食べたら、ストローを抜いて、斜めカットのほうで歯をせせってから、ストローを戻し、少し飲み、また、柿ピーを食べて………。そのパターンを楽しそうに何回も繰り返すのである。

 中年の熟練表具屋さんがビル地下2階の店に頑丈な自転車を持ち込んで、ウーバーイーツを始めた。なかなかよい副業だそうだ。体力があるんですねと聞く。むかし、長距離の陸上をやってたそうだ。

 学生のころだから1960年半ば、友人3人と北海道へ貧乏旅行に出かけた。夜行列車で早朝に札幌に着き、北海道大学の便所に行った。私とT君は数個並んだ和式便房の両端にしゃがみこんだ。それまで汚い便所を使うことが多かったが、ここは新築できれいだった。「きれいな便所やなあ」と私がT君に呼びかけると、二人の間に既に他人が入っていて、その人が「本当にきれいなあ」と答えたので驚いた。

 大阪市の職員が飛び込み自殺をしたが、助かった。なぜなら、彼は飛び込みの選手だったから。YouTubeのトーク番組で聞いた話で詳細は不明だけど、単純で面白い。

 JR紀州路快速の床に小型部分入れ歯を落としてしまった。すぐには見つからなかったが、近くの車いすのおばあさんが落ちている場所を教えてくれた。そうすると、その介護のおばさんが素手で拾いそうになったので、あわてて自分で拾った。

 雨の日の会社の帰り、アキレス腱炎の後遺症で杖をついてエレベーターに乗ると、顔見知りの車いすの青年がいた。すると、半袖半パンのおじさんが乗ってきた。雨の中、走って帰るのですかと聞くと、そうだという。距離は14kmだという。すごいねと、車いすの青年と杖をついた私は顔を見合わせた。

 東大寺南大門でカーリングかと思った。おばさん二人が並んで速いテンポで床にブラシをかけている。鹿の糞を掃除しているのだった。



■ 蟇股あちこち 62 中山辰夫

諏訪大社のある下諏訪の社寺と名古屋の建中寺・徳川家霊廟です。

4月15日ごろに訪れた下諏訪は桜が満開で、温泉寺・慈雲寺・来迎寺・熊野神社も彩られてました。
名古屋の建中寺・徳川家霊廟は5月に国重要文化財の指定を受けました。


■ 福岡市の麁原元寇古戦場跡を訪れる   田中康平

このところ住んでいる近くにある文化財を知らねばという思いに駆り立てられている。この地にいて当然見ておくべきものを見ていないのではないかという不安のようなものがどこかにある。

今回の祖原(麁原)の元寇古戦場もそんな心地で調べていて行き当たったところだ。自宅から直線で5kmもないところにそんなところがあるという、何かの遺物があるとはとても思えないがとにかく出かけてみた。

市街地の中にあり、標高33mくらいの丘になっていて丘全体が祖原公園となっている。麁原元寇古戦場跡という名称で福岡市の文化財情報に紹介されている。麁原(そはら)という名前で古くから呼ばれていたが、近年あたりの地名に祖原の字が使われるようになったということのようだ。

1回目の来襲である文永の役で文永11年/1274年10月に博多の浜に上陸した元の軍が陣を張ったところとされる。調べると「蒙古来襲絵詞」に「けうと(兇徒=蒙古軍)ハすそはらにちんとりて(麁原に陣取りて)」の言葉が確かにあり、また、博多に展開した蒙古軍に日本側が厳しく応戦して蒙古軍はこの祖原の丘の陣に逃げ帰ったという表現もある。文永の役は1日で終わり夜のうちに蒙古軍は船に戻り翌朝には博多湾から姿を消したとされる。思いのほか厳しい抵抗に遭遇して引き上げたということかもしれない。丘の上に碑が立っていてそこからあたりを見渡せる。確かに浜に近く緩い丘で陣を張るにはいい場所だと思える。眺めていると流れてきた時間に思いをはせてしまう。
今年は文永の役から751年目にあたる。750周年は過ぎたがもう少し元寇を調べてみようか、そんな気にもなっている。


添付は順に、1:祖原山周辺地図、文永の役ではすぐ北の浜に上陸したとみられる、その後の弘安の役に備えた防塁跡が北側に幾つも残っている 2:祖原山頂部、3:説明版、4;山頂から浜方面の展望、現在はビルで海岸線は見えない、5;標識,6:山頂部を下から見上げる、7:「蒙古来襲絵詞」に描かれた麁原に陣取る蒙古軍

       


■5D MarkⅡ 川村由幸

SONYのα7を手に入れてから、全く使用しなくなってしまったCanon 5D MarkⅡ。
ふと気になってバッテリーを充電して、柏市の登録文化財 染谷家住宅に出かけてみました。
   
まず感じるのはその重量。ミラーレスのα7と比べるとそれはそれは重いのです。
でも、ファテンダーから見える景色はレンズとミラーを経由はしていますが、撮影する景色そのものです。
そしてシャッターを押せば、ミラーが上がってシャッターの切れる心地よい音。写真を撮影しているということを強く実感できます。そして画質も今でも十分に通用するレベルのように思えます。
さらに驚きは、α7を購入したのが2009年2月ですから、丸々6年間全く使用していないにも係わらずバッテリーを充電し、日付を設定しなおしただけで全く問題なく使用できたということです。
さすがに日本のCanonです。
   
現在は5DもMarkⅣです。2世代前の機種でもあり、ISO感度も今ほど高くありません。それでも建物内部の暗所の撮影に不自由があるわけではなく、本体の重量が逆に手振れを防いでくれているようにも感じます。
そして現像も、少し前に買い切りのLight roomのディスクが出てきて、今のPCにインストールしましたのでレンズ補正も出来、処理も早く出来るのです。
私にとって5D MarkⅡは重いだけが欠点で他は良いことづくめです。
実は動画用にR50Vを購入してしまいました。α7や5D MarkⅡで動画を撮影しなくでも良くなりました。
5D MarkⅡは4K動画は撮影できませんが、R50Vがあれば5D MarkⅡを現役に復帰させられます。
そんな訳で2台持ちにはなりますがこれからも5D MarkⅡを使っていきたいと考えているこの頃です。


■「美由紀」 柚原君子


今から40年前
夫と死別して小学生3年生と1年生の2人の子どもと深川で暮らし始めた頃の話である。

 ★

「ゴミ捨て場にシャムネコが捨てられていたけれど、もらわないか?」と父から電話があった。
我が家は4月に夫が亡くなっていて、その後一ヶ月ほどは人の出入りでごった返していたが、会社も閉じることになって寂しい家になっていた。トラックとワゴン車も夫の仕事仲間だった人が買い取ってくれてありがたかったが、子供たちを連れて東京湾に釣りに行く楽しみもなくなってしまった。
車の助手席が好きだった息子は、ワゴン車が引き取られて路地の角に消えて行ったとき、「もうどこにも遊びに行けなくなってしまったね」と言った。少しの間に環境が激変して、子どもたちから笑顔が消えていた。
猫をもらうことにした。

 ★

タクシーの運転手さんが我が家に段ボール箱を運んでくれた。そっと開けると、真っ白な毛糸玉のような子猫がいた。両手ですくい上げると、ふわふわとした温かいものが柔らかく手の中に納まった。ブルーの瞳の上品な猫。子供たちが「かわいい!」と叫んだ。
耳先と鼻先と尻尾が薄い黒色になっているシャムネコで血統書が付いていないのが不思議なくらいだった。こんな良い猫を何故捨てたのかと不審に思ったが、3ヶ月ほど飼っているうちに、産毛が抜けて成猫の短毛に変わったときに納得がいった。
背中一面に薄茶色が出てきたのだ。手足の先と目の周囲にくっきりとトラのような縞模様、おまけにあごの下にはよだれ掛けをしたような一本のライン。由緒正しいシャムネコから雑種に変化して行く経緯を全てお見せします、というような色合いで、総体的にみればシャムネコもどきとしか言いようがなく、捨てられた理由がはっきりと納得できた。

 ★

シャムネコは猫の中でも唯一人懐っこくって、犬に近いような感じで人と接する、と猫の本には書いてあったが、美由紀と名づけたこの猫は、呼んでもすぐには寄ってこずに、部屋の隅に前足を正しくそろえて優雅に澄まして座っていた。寄って来ないからと連れにいくと、近づく距離だけ少し離れたところに逃げて、じっとこちらを見ている。仕方ないから呼び続ける。いい加減呼び続けて、こちらがあきらめかけた頃にやっと静々と出てきて、そしてまとわりつく。いったんまとわり付くと、八の字型に私の足の間をくるくると回ったり、勢いつけて肩に飛び乗ってきたりする。飛び乗った肩で襟巻きのように首に巻きついて、私の台所仕事を見学している。嬉しい時のゴロゴロ音を激しく出すので、私の耳元がうるさかった。



春のお定まりの恋の季節になって、美由紀は台所の窓から裏の塀に飛び移って外歩きをするようになった。シャムネコもどきの『いけ猫・美由紀』のところには雄猫どもが群がるようにやってきて、裏のお寺の屋根にも塀の上にも、何匹もの雄猫が「僕はいかが?」、とスタンバッていたが、初婚の美由紀が選んだのは、角の印刷屋さんの『あか』と呼ばれている、ブチャむくれのおっさん猫だった。あんなおっさん猫を選ばなくてもと思ったが、仲良く二匹でデート中のところを私たちによく目撃させてくれた。
 
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子猫は4匹生まれた。美由紀の小さな時にそっくりな色合いだったから、シャムネコで売り出すなら短期勝負だった。私は家の前に『シャムネコ上げます』の張り紙を出した。こんないい猫をもらっていいんですか? とすぐに3匹はもらわれて行ったが、父親似の1匹は売れ残ってしまった。仕方がないから「梵天丸白の介」と命名して家で飼うことにした。

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地球誕生から38億年。その間、時代によっていろいろな生物が地球で暮らす主役になっていったことは、中学校の生物の時間に習った。ある時期は単細胞生命体が、ある時期はシダ類が、恐竜が、我が物顔で地球の主役になっていた。地球上の生き物の中ではそれほど主流ではなかった人間が、特殊ないくつかの偶然を手にしたことによって、いつの間にか主役の位置をとり、獲得した全ての英知を積み上げて人類の歴史を作ってきた。が、あまりにも自然に逆らい、摂理に逆らい、自然の法則を無視したことによって、自分たちの子孫に、自信を持ってこの地球を渡せるかどうかが危ぶまれる時代を迎えてしまっている。資源の食いつぶし、オゾン層の破壊、二酸化炭素放出による温暖化で永久凍土までもが溶け始めている。
そればかりではない。環境ホルモンと呼ばれる、内分泌撹乱化学物質が人間の体内に入り込んで精子数の減少や子宮内膜症を引き起こしている。このことは、種の存続の危険信号が出始めていると見ていいのではないか。
環境条件が主役の生を維持できなくなったとき、生物たちはどうなっていったのだろうか。地球の生物の歴史を振り返ると何やら恐ろしい。

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猫はわがままだけど分をわきまえている(ように見える)。人間ほど傍若無人な振る舞いはしない。地球上に住む大体の生物は生きることに真摯である。人は見習わなければならない。


■  酒井英樹



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