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Monthly Web Magazine   Feb.2026


■■■■■ Topics by Reporters

■■蟇股あちこち 70  中山辰夫


京都宇治市に所在の萬福寺と京田辺市に所在の酬恩庵一休寺です。何れも蟇股は少ないですが、趣のある寺院です。
     
萬福寺は中国の寺院を訪れた思いのする禅寺です。明朝風の堂宇が整然と並んでいます。その多くが国重文指定を受けています。
その内の大雄宝殿、法堂、天王殿は2024年に国宝の指定を受けました。
一休寺はとんちで高名な一休宗純が再興し、晩年を過ごしたところです。四季いつ訪れても癒されるスポットです。
本堂・方丈・庫裏は国重文。方丈庭園も名勝指定を受けています。


萬福寺

京都府宇治市五ケ庄三番割34
 
萬福寺は黄檗宗の総本山で、山号は黄檗山です。寛文元年(1661年)の開創。開祖は日本に黄檗宗伝えた隠元隆琦禅師。
幕府より中和門院(後水尾天皇の生母)の別業のあった現地を与えられ、伽藍を創設。元禄年間(1668~1704)に伽藍が完備しました。
伽藍の構成や諸堂の形式・手法は中国明代の建築様式の影響を受けた擬様式的建築となっており、他の禅寺とは趣を異にしています。

明朝様式を取り入れた伽藍は、西から東へ直線状に総門、山門、天王殿、大雄寶殿、法堂が並び、左右対称に諸堂が配されています。
創建当時初の姿を今日に伝える寺院で、代表的な禅宗伽藍建築群として、主要建物二十三棟、回廊などが国の重要文化財に指定されています。
隠元禅師と共に伝来した中国の先進文化は、多岐にわたり、「黄檗文化」と呼ばれます。インゲン豆、スイカ、レンコン、タケノコ、煎茶などもあります。
黄檗宗の大本山で、末寺は全国に約500寺あるとされます。

■境内
     

■放生池
  

■総門 国重文 創建:寛文1年(1661年) 再建:元禄6(1693) 桁行三間、梁間二間、一重、三間一戸 切妻造段違、本瓦葺
    
中央屋根部を高くし、左右を一段低くした中国門の「牌楼式」
扁額「第一義」 屋根大棟のある魔除けの水神・聖獣のマカラ(ワニ)中央上部裏面に円相 屋根降棟に火神の鬼瓦 

□背面の部材 日本の寺院に見られる蓑束や蟇股に似た部材
      

□屋根の棟 屋根大棟にある魔除けの水神・聖獣のマカラ(ワニ) 中央上部裏面に円相 屋根降棟に火神の鬼瓦 
      

■塔頭天眞院 府指定 建立:元禄7年(1694) 萬福寺の塔頭 三間一戸 漢門
     
1694年了翁禅師が開創し住坊としたお寺で、現在は黄檗宗の普茶料理(精進料理)を提供する「銀杏庵」を営んでいます。

■文華殿 窟門
    
三門をくぐって右手にある宝物館。宗祖三百回忌を機に1972年(昭和47年)に建てられたもの

■三門 国重文 建立: 延宝6年(1678年) "三間三戸、二重、楼門、入母屋造、本瓦葺、左右山廊付 各桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺"
     
重層の楼門造りで、左右に裳階、山廊、おおむね中央に火焰付宝珠
三門は三解解脱を表し、ここより脱俗の聖域に入ることを示す。扁額は「黄檗山」「萬福寺」「栴檀林」 両側に開いた通り口は「窟門」

□細部
      
柱は全て円柱 柱上の組物は二手先 上層の軒裏は扇垂木の二軒繁垂木 下層は平行垂木

■聯燈堂 建立:寛政元年(1789年)創建、1972年(昭和47年)再建 桁行三間 梁間四間 入母屋 桟瓦葺
   
扁額は「聯燈堂」

■伽藍堂と鐘楼
 

■伽藍堂 国重文 建立:寛文9年(1669年) 単層入母屋造、本瓦葺
  
祖師堂と相対する形で同時期に建立されました。伽藍を守護する伽藍神を祀るお堂

■鐘楼 国重文 建立:寛文8年(1668年) 桁行一間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺 鼓楼と相対し、同じ大きさ
     
階上に梵鐘を吊る。鐘楼前には偈(げ)の書かれた巡照板が下げられています

■売茶堂(ばいさどう) 昭和3年(1928年)創建
     
売茶翁(ばいさおう・まいさおう)を祀る。
売茶翁はもともと黄檗宗のお坊さんで、後に京都の東山に「通仙亭」という茶亭を開き、煎茶の普及に貢献した方
蝙蝠(こうもり)の透かし彫りが施されていました。これっきとした吉祥紋様

■天王殿 国宝 建立:寛文8年(1668年) 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺  内部には弥勒菩薩の化身の布袋像を安置
      
堂内の中央正面に「布袋(ほてい)さん」 布袋は弥勒菩薩の化身とされます

巨大な布袋尊像の背後に像高200cmという巨大な「韋駄天(いだてん)立像」が伽藍守護神として安置されています。
すべて像高223cmの広目天(西方)、多聞天(北)、持国天(東)、増長天(南)という四方を守護する四天王を祀る。

□四天王像 南北の壁面際に安置されています0065~0068-5
   
□板蟇股が身舎や四天王像の背後に配されています

□四天王像
    

■大雄寶殿 国宝 建立:寛文8年(1668年) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺、正面月台附属 廊8棟
     
二階建てに見えますが一重裳階付きです。日本の一般的な寺院の「本堂」「仏殿」にあたる建物、萬福寺で最大の伽藍です。
日本では唯一の、チーク材を用いた歴史的建造物。シャム産のチーク材で、豪商の勝性因(かつしょういん)居士と江戸幕府の寄進

□細部
     

□歇山重檐式(けっさんじゅうえんしき)、蛇腹天井(じゃばらてんじょう)
    
蛇腹天井は黄檗天井ともいい、龍の腹を表しています。
本堂のほか、法堂、開山堂の主要建造物の正面一間分の軒下の垂木はこのように丸く、かまぼこ型をしています。
虹梁の上に束が2個立てられ、束の上には桁が通り、軒裏を受けています

□身舎に蟇股が見られます。人の字型に似た形状で、上には蓑束のような意匠のものが見られます。 小扉の桃戸 
    

■斎堂 国重文 建立:寛文8年(1668年) 桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺
      
萬福寺僧衆の食堂 扁額は「禅悦堂」 青銅製の「雲版」

■大庫裏 国重文 建立:寛政12年(1821年) 桁行23.8m 梁間14.0m 切妻像 本瓦葺 南面庇付 桟瓦葺
    

■東方丈 国重文 建立: 寛文3年(1663年) 桁行21.0m、梁間14.9m、一重、入母屋造、こけら葺、式台、中門、廊附属、桟瓦葺
   

■法堂(ほっとう) 国宝 建立: 寛文2年(1662年) 桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、桟瓦葺
      
禅寺における重要伽藍のひとつで説法を行う場所 法堂や開山堂の正面の勾欄は、卍及び卍くずしの文様です
これらはすでに奈良時代の法隆寺などの南都寺院に使われていたが、江戸時代初期にあらためて黄檗宗を通じてもたらされた。

□法堂正面の回廊細部
     

□黄檗天井周辺
     

■西方丈 国重文 建立:寛文元年(1661年) 桁行17.8m、梁間11.9m、一重、切妻造、東面、北面、西面庇附属、こけら葺、廊附属、桟瓦葺
      
萬福寺において最も古い建造物の一つ。扁額「西方丈」は木庵の筆。法堂の左右には西及び東方丈が向かい合って配置されています。

■威徳殿 建立:元禄14年(1701年) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、背面突出部 桁行一間、梁間二間、寄棟造、本瓦葺
     
法堂の裏、一段高い位置に建ち、徳川歴代将軍を祀る

■禅堂(選佛場)建立:寛文3年(1663年) 桁行五間 梁間五間 単層 入母屋像 本瓦葺 背面庇付 桟瓦葺
      
斎堂と対称位置に建つ坐禅堂です。選佛場は禅堂の異称

□蟇股
   

■祖師堂 国重文 建立:寛文9年(1669年) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
      
伽藍堂と対称位置に建ち、中国禅宗の祖である達磨の像「達磨大師坐像」と、開山隠元禅師からの歴代管長の位牌を安置します

■鼓楼 国重文 建立:寛文8年(1668年) 桁行一間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
    
二階四周に縁と逆蓮柱付の勾欄を巡らす。鐘楼と対称位置に建ち、階上に太鼓を置く。
朝5時開静、夜9時の開枕に鐘楼の大鐘と鼓楼の太鼓をもって、時刻と消灯、起居動作の始終を知らせます。
また、賓客来山の時に鐘鼓交鳴して歓迎を表わします

■合山鐘(がつさんしょう) 再鋳:元禄9年(1696年) 回廊に賽銭箱と鬼瓦
    
開山堂の正面回廊の途中に吊るされている雲紋梵鐘。

■寿蔵 国重文 建立:寛文3年(1663年)本瓦葺 六角堂。屋根は宝形造 頂に路盤・宝珠を置く 寿塔ともいわれます
    
半円形石垣に囲まれている。これらの特徴は中国の墳墓の形式を忠実に踏襲したもの。屋根の六方には、中国の仙人を表した鬼瓦がある。

■石碑亭(せきひてい)国重文 建立:宝永6年(1709年) 宝形 桟瓦葺
     
内部の亀趺付きの顕彰碑には、隠元の特賜大光普照國師塔銘が刻まれています。

■回廊 国重文 法堂前面より天王殿に至る 左右廊 延七十間、各梁間一間、切妻造、本瓦葺
     
天王殿・大雄宝殿・法堂を中心軸として、北側に慈光堂・禅堂・祖師堂・鼓楼が、南側に斎堂・伽藍堂・鐘楼がそれぞれ平行に東西に建ち並び、それぞれ回廊で結ばれます。

□吊灯籠
   
党側家、万福寺、煎茶道 三葉葵の紋入り 萬福寺の宗紋です 徳川幕府が庇護

■通玄門 国重文 建立:寛文5年(1665年) 三間一戸 四脚門、切妻造、本瓦葦。開山堂の正門。
     
門の先に開山堂が南面しています。開山堂の正門です。松隠堂の山門。名前の意味は、奥深く玄妙なる真理=仏祖の位に通達する門とされます。

■開山堂 国重文 建立: 延宝3年(1675年) 桁行三間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、背面後室附属、向唐破風造、本瓦葺
     
外観-正面から背面 大雄宝殿を小型化した感じです。 明風の独自の構造、意匠が見られます。萬福寺開山の隠元禅師像を安置しています。

細部
□下層正面 三間 下層の前方一間通りには吹き放ちの庇 基壇の前縁に欄干 欄干は完全な卍型に組むまれています。
    

□板蟇股が向拝と身舎に配されています
     
庇の柱の間に渡された虹梁に配されています。下広がりの通常の形状です。 柱は面取り角柱です。

□母屋正面
     
扁額は「開山堂」 柱間に桃戸や格子の窓 桃戸には葉の付いた桃の薄い線彫り 

□上層
    
扁額は「瞎驢眼(かつろげん)」 おおむねの中央に瓢箪型の宝珠 両端にマカラ 禅宗様木鼻 中備えは和様建築の意匠の撥束

■黄檗天井
     
歇山重檐式(けっさんじゅうえんしき)で、法堂・大雄宝殿と同じく蛇腹天井、全ての柱が角柱、高欄の組子などに中国風の意匠。

■未確認
   

■大雄宝殿 妻部
    

 


酬恩庵一休寺


京都府京田辺市薪里の内102

一休寺は、正応年間(1288~93年)に開かれた妙勝寺が前身です。
元弘年間(1331~34年)に応仁の乱の兵火にあって衰退していたのを、康正2年(1456年)に一休宗純が中興し、酬恩庵と号しました。
一休は大徳寺の住持となってからも当庵から大徳寺へ通っていました。88歳までここで過ごしました。
慶安3年(1650年)、前田利常が伽藍を再興、狩野探幽によって描かれた障壁画43面を納め、江戸幕府から朱印状が与えられています。
一休寺には、国の重要文化財が10個あり、本堂、方丈、庫裏、「唐門」、東司などがあります。境内の庭園の美しさでも有名で、国指定の名勝とされています。

■総門~参道~三本末(二代目)
      

■浴室 国重文 再建:慶安3年(1650年)-承応3年(1654年) 桁行五間、梁間三間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺
     

御廟と虎丘庵は並んでます
 

■宗純御廟
□菊花紋
      

□屋根の猿面鬼瓦
      

□御廟
    

■唐門と虎丘庵
 

□唐門 彫刻は獅子と鳳
       

□虎丘庵 京都府指定 応仁元年(1467年)に東山から移築、扁額「虎丘」は一休の自筆 茶室造
   
文化サロン的な役目、周囲は枯山水の庭園 作庭は村田珠光

■東司 国重文 再建:慶安3年(1650年)-承応3年(1654年) 桁行二間、梁間二間、一重、切妻造、桟瓦葺 前田利常が再建
   

■庫裏 国重文 再建:慶安5年(1652年)桁行16m、梁間16m、一重 一部二階、切妻造、妻入り、こけら葺、前田利常
      

■方丈 国重文、再建:慶安3年(1650年)-承応3年(1654年) 桁行折曲り五間、梁間一間、一重、前後唐破風造、桟瓦葺、両端檜皮及び銅板葺
□渡廊下
       

□方丈の間
        

■方丈庭園 国名勝、枯山水庭園、江戸時代(1603-1868)の作庭、当時の有名な3人の設計者によるものと考えられています。
  

□南庭(国指定名勝) - 白砂の大海を現した庭園。方丈の3つの庭園は松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の合作といわれています。
    

□東庭(国指定名勝) 十六羅漢の様子を現した庭園。
  

□北庭(国指定名勝) - 枯滝落水の様子を現した蓬莱庭園。
   

■本堂 国重文 永正3年(1506年) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、背面庇附属、檜皮葺
         
山城・大和地方(京都府から奈良県にかけての南部地域)の唐様建築の中で、もっとも古い建造物です。
唐様は、切妻と桧皮で覆われた屋根に一番の違いがあります
仏殿とも呼ばれる。永享年間(1429年 - 1441年)に室町幕府将軍足利義教によって建てられた禅宗様仏殿。

■開山堂 大正元年(1912)に改築されたが、内部は以前のまま、
   

■鐘楼 国重文、修復:慶安3年(1650年~承応3年(1654年) 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺 前田利常により修復。
     
梵鐘は元和9年(1623年)造。

■廿世紀の庭 一休酬恩会が平成11年(1999年)に造園したもの
    



 

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