Monthly Web Magazine May 2026
東北の桜を訪ねる旅の途中、念願の黒沢峠道を歩いた。なぜ念願だったかというと、イザベラ・バードや直江兼続が通ったルートであること、石畳がひっそりと残っていること、周囲の自然景観が美しく、道と調和していることなどだ。
雪解けの直後だったので誰の足跡もなかった。熊もいない。道は狭いが緩やかで歩きやすい。遠くには飯豊の山が美しく、足元ではカタクリやイチゲが歓迎してくれる。鳥の声はあまり聞こえなかったが沢音だけで騒音のない環境は今も昔も変わらなかったのだろう。一人で歩くには極上の目的地だ。
■ 祭り撮影試行錯誤 大野木康夫
movie0066
5月のゴールデンウイークは神戸の東灘、灘区一帯で春祭りのだんじり巡行が行われます。
おととし、東灘区本山地区のだんじりパレードを撮影しましたが、今年は5月4日の夕刻から夜にかけて行われる東灘区の住吉だんじり祭りの宵宮、本住吉神社宮入りを見に行きました。
夜の祭礼の撮影に慣れるのが目的です。
住吉だんじり祭りは、旧兎原郡住吉村の8地区(旧村でいう「区」が単位になります。)からだんじりが出ます。また、旧本山村、魚崎村のうち兎原郡内の4地区も本住吉神社に宮入りします。
神戸のだんじりは上だんじり、外ゴマ(車輪が土台の外側に付いている)が特徴です。囃子は太鼓、半鐘、鉦が使われ、小太鼓がない分、落ち着いた雰囲気です。
だんじりの屋根には多くの人が乗り、はたきや提灯を持って踊ります。
今年の宮入は去年までより1時間早く午後5時開始なので4時頃に本住吉神社に行きました。
練り場東南のスポットはすでに場所取りがされていたので、練り場の西側から見ることにしました。
宮入りは神社に近い地区から入ってきます。
午後5時15分、まだ明るいうちに宮本の西区が入ってきました。参道を2回全速力で駆け(トバセ)、ゆっくり戻った(モドセ)後、練り場にトバセで入ってきます。
30分近く拝殿の前の練り場で時計回りに旋回します(マワセ)。右後ろのコマを軸にして旋回するので、コマがどんどん地面にめり込んでいき、回らなくなることもあります。練り終わると境内東北の蔵に入ります(蔵がない地区もあります。)。
茶屋区
吉田区
空区が入ってくるあたりで日が落ちて暗くなってきました。
山田区
住之江区
反高林(たんたかばやし)区
この辺りでカメラの操作を間違え、感度がISO5000に上がってしまいましたので画質が極端に悪くなっています。
呉田(ごでん)区
旧本山村の岡本区
旧本山村の野寄区、旧魚崎村の横屋区、西青木区は5月5日の昼間に宮入りします。
撮影の結果は満足できるものではありませんでした。
反省点は、ビデオの高さ不足(カメラの映り込み)、ストロボの光量不足(少なくとも1/16以上にするべき)、距離(近すぎて背が高い警察官や関係者が前に立つと撮りづらくなる、ハンディカムよりも画質が劣るアクションカメラを多用せざるを得なかった)、カメラの誤操作などいろいろあります。今後、夜の祭りの撮影を続けるなかで、試行錯誤していきたいと思います。
■ 野崎順次
岡山県の本山寺と広島県宮島の大聖院です。
本山寺は天台宗の大伽藍で、江戸時代には津山藩の祈願所として栄えました。国重文指定を含む本堂・三重塔・常行堂・鐘楼が並び建ちます。
大聖院は宮島で最古の歴史を持つ寺院、厳島神社の別当寺。明治20年(1887年)の火災で焼失。現在の堂宇はその後整備されたものです。
■ 桜の後はツツジと藤が 田中康平
梅桃桜が終わっても春の花は勿論続く。今年は福岡市近辺のツツジと藤を少し気にして見に行ってみた。ツツジはクルメツツジ発祥の久留米周辺にいいところが多いようだが、福岡市のすぐ西の糸島の浮嶽幸花樹園(うきだけこうかじゅえん)のつつじもちょっといいらしいので4/21に見に行ってみた。50年位前に開園していて全国から集めたミヤマキリシマの園芸種であるホンキリシマが主力のようだ。赤もいいが色取り取りも良くてなかなか見ごたえがある。
藤のほうはどこにでも藤棚くらいあるだろうと思っていたがそうでもなく、福岡城址にあるというので4/28に見に行ってみたところ、もうすっかり終わっている、無残なほどで、今年はやはり開花が早かったようだ。市内では西区の壱岐神社の藤もそれなりに知られているようでそのままこちらにも回ってみる。生の松原にある古い神社だ。『日本書紀』に登場する壱岐値真根子を祀るということで壱岐の名となっているようだ。藤棚は本殿の北西にあってそれなりの広さはあるが咲き残っているのは西南の一角だけであとは終わっている状態だった。残っているところだけでも結構よくて、満開ならなかなかの景観と想像される。
花は時期が勝負だ。次第に温暖化するこの時代ことさら春の花見は気合を入れて構える必要が出てきているように感じている。
浮嶽幸花樹園
福岡城址
壱岐神社
■ さくらとぼたん 川村由幸
四月は春爛漫、花の季節です。
私もこの季節にさくらとぼたんを取材しました。花はその姿と香りと色彩で人を癒し、やさしい気持ちにしてくれます。
今回はそれを動画でお届けします。
さくらは福島県田村市、ばたんは千葉県柏市の医王寺にて撮影しました。
さくらの動画
Preview fukushima-tamura-sakura-202604-1K.mp4
ぼたんの動画 Preview chiba/chiba-kashiwa-ioji-botan-kawamura-202604-1k.mp4
■ 米じいちゃん 柚原君子
20数年前。家庭を開放してゼロ歳児から3歳児までを預かる保育ママ(家庭的保育)をしていた。通ってきていた保護者の実家が徳島県で、「親戚のおじちゃんからお米を取り寄せているのですが,ゆっさんも取り寄せませんか?おいしいですよ」というのが米じいちゃんとのお付き合いの始まりであった。当時はまだ我が家はそれほど米粒を食べる年齢の子もいなかったので、年間60㎏の契約で十月の新米の時期にお金を振り込むと、一年間にわたって順次送られてきた。
米じいちゃんに「送ってください」、と電話をするとすぐに精米されて送ってもらえるのでおいしかった。味は新潟の特上米レベルで、それでいて金額的にはあきたこまちよりも安かった。
それから我が家のお取り寄せ米は、孫たちも段々に食べるようになり、年間90㎏が7.8年続き、今、夜となく昼となく、弁当も持参で、米びつも釜もいつの間にか空っぽになっているというコメ喰い虫くん16歳男子がいるので、昨今の取り寄せ量は年間にして120㎏にもなっている。米じいちゃんは全国の20ヶ所くらいに送っているそうで、農協には出していない。どの家庭も120㎏が限度で増量はできない。我が家はじいちゃん米の足りない分の20~40㎏ををしぶしぶと近所のスーパーで買い足している。
米じいちゃんからお取り寄せの上で助かったのはやはり、令和の米騒動である。
2023年夏、記録的な猛暑と雨の少なさが原因で特にお米どころの秋田や新潟で収穫量が激減した。新型コロナウイルスの終了で外食産業が回復し、小麦価格が高騰し、永年続いてきた減反政策(米余りを防ぐ政策で休田も決められた)が、正か否かは都会の消費者にはわからないが、少しの不作で業者の買いだめや売り惜しみがあくどい渦を巻き、近所のスーパーの棚に米袋は一袋も出なくなった。
そしてその後に出てきたお米はとてつもなく高価で、昨年までの5㎏平均を2500円とすると、倍近い5000円にもなった。令和の米騒動で世間は不安な気持ちになり、米を確保する人々でスーパーには行列ができた。
……ところが我が家では一つも気にせず……
多少高価にはなったが、お米が無くなったと電話すると例年どうりに送られてきて、ほくそ笑んでは悪いけれども、米をどこで買うかの友だちの会話には無口でいられた。
米じいちゃんとのお付き合いは米の取り寄せばかりでなく、米の入った段ボール箱の隙間に必ず野菜が同梱されてくる。玉ねぎが隙間なく、ジャガイモが隙間なく、ホウレンソウが山ほど、黒ニンニク、ショウガが山ほど……裏山で採れた柚子がこれでもかの量で、柿は大小さまざまで荷解きの我が家の廊下にあふれ出た。優しい米じいちゃんと家族一同いつも喜んだ。近所にもおすそ分けをした。自分の実家のじいちゃんのような気がした。
そして、お米到着とこちらからの電話に、米じいちゃんは嬉しそうに、方言で、近況や風邪をひいていないかどうかの心配や、互いに飼っている犬猫の話など、長話になるのが常であった。朗らかではあるが静かな声であった。必ず、「徳島に来らんとね。阿波踊りにも案内するとね」。と言葉が添えられた。お互いに一眼レフを愛好していることも判明した。20年間は声とお米だけのやり取りでお写真をもらったことも、一度もお会いしたこともない。
■
保育専門学校で共に学んだアメリカ在住の友人がいる。愛称をデコという。60年に及ぶ友情関係であるが、ケンカは一度もない。お互いに自分が我慢しているからだと言い合っている。デコは一年に一度帰国する。日本でもらえる年金が郵便局に溜まるのでそれを使うために帰国する。優雅な暮らしである。そして帰国すると一週間から十日間の旅に出る。私は付き合える範囲の長さで同行する。昨年は北海道であった。
一つの旅が終わると次はどこにする?と計画が始まる。検討の末、今年は「徳島、高知、高松」になった。これらのことは携帯のラインがあるので便利に話し合える。ホテルや飛行機を早めの割引で取った。すべてデコがアメリカから押さえてくる。私はある程度決まるまでは本気に首を突っ込まない。デコの日本での楽しみを優先したいからである。
■
旅が近づいた今年の3月末にお米が無くなり、お米送ってくださいのメールをした。その時に、あっ米じいちゃんは徳島だ!と気づいた。徳島に行くのに黙っているのもなんだから「徳島方面に旅します」と付け加えた。
米じいちゃんからどんどんメールが来た。
「どのように回るのか予定表をください」
「どのホテルに泊まるのか知らせてください」
「友達とですか一人ですか」
「その友達はどんな関係ですか」
「徳島県だけはすべてフリーにして私に任せてください」
次から次へとくるメール……静かにしゃべる米じいちゃんだったが、こんなに闊達だったの……闊達だった、旅はびっくりすることばかりになった。
■
詳しい旅の日程表を送った。すぐに返信が来た。
「本当にここに行くのですか、本当ですか、変なとこですよ、いいのですか」
私のメモには「お花大権現林下寺」とある。行ってみたい是非、と返信をした。二、三日無言であった。四日目に返信が来た。「当日決めましょう」と書いてあった。
続けてきたメールには「当日は『穴吹駅』で降りてください。待っています。そこからうだつの町、郷土料理、牡丹の花咲く寺などなど案内しますから」と。
「お花大権現林下寺」の文字はなかった。
当日、『穴吹駅』に下車。改札に米じいちゃんが待っていてくださった。一目でわかった。少し額の上がり始めた目じりの下がった優しい70歳である。名前を佐藤さんとおっしゃる。
「ちゃんとついたね、柚原さんは少し背が高いねぇ、想像どうりの人だったねぇ」
私も
「想像どうりの佐藤さんでした、二日間よろしくお願いします」。
佐藤さんは一眼レフを二つも持って来た。一つは首から下げて一つはバックに入っている。車は白い若者のような車。美馬市脇町のうだつの町並みに向かう。デコがこのうだつの町で30代の友人と待ち合わせて食事を一緒にする予定になっていた。
縁は異なもの不思議なもので、佐藤さんは会うとすぐにこの方を知っているという。新聞記事で見たという。町は近いので知っていても不思議ではないが、佐藤さんがすぐにものすごく親しくしゃべりだした。郷土料理のランチをこの友人の分も奢っていただいた。
料理屋のおかみさんに私たちの関係を丁寧に説明している。出会ったところからの説明なので話が長い、長い。おかみさんは辛抱強く聞いてくれている様子。
うだつの町の撮影場所、説明場所は佐藤さんリード。うだつの商家の裏道の赤レンガがいいと全員を次から次に並ばせて写真を撮ってくださった。私は自分の好きな場所で長く写真を撮ることができない。次はこの説明、次はあれの説明、この塀は裏の吉野川を走っていた船の板を使っているのでここに傷がある、と詳しい説明。
ここに立って、あそこに立って、佐藤さんの醸し出す温かさで、みんな言われたとうりの位置に立ち、また佐藤さんとツウ―ショットで肩を組みながらの写真も撮れた。会ってまだ数時間である。よく説明してくださる佐藤さんの相槌に少し疲れることと、自分なりの写真を十分に撮れないことを除けば、地元の人の情報は有難いと思うことにした。
余談であるが、心なしか、私たちよりうーんと若い30代の友人に話しかけることが多いような気もした。
■
ランチ後に30代の友人は職場に戻り、私たちも佐藤さんの車に戻った。
「本当に行くのですか」お花大権現林下寺のことである。
「行きたいです」。
「ほな、せっかくじゃけん」と佐藤さんが苦笑いして出発となった。ところが幹線道路に「お花大権現」の大きな看板はあるものの指示どうりに進むと、橋で行き止まりか、幹線道路の下にもぐってしまう。何度か指示どうりに行ったが寺がない。
「どうしても行きたいんか」、再び佐藤さんの問い。いかれないとなったらさらに行きたい気持ちが募る私。
ネットで電話番号をサーチしてお寺の方に電話誘導してもらう。曲がれないような田んぼの中の道をよろよろと進み、登れないような山道に誘導される。やっと登って細い道で行きどまると、さらにその横の細い道を登れと電話指示。そしてやっと、まるで幽霊の寺のような寂れた寺前に出た。一時期はこの寺は流行したのだろうか崩れ落ちそうな食堂やおみやげの字の禿げた売店のあとも見受けられた。雨が降り出して、駆け込むように寺に入る。本堂に入る細い道に大きなコンクリートの男根が苔むしたり、いくつもむき出したり植生のように並んで続く。みんな無言である。
佐藤さんがお寺のお札三枚とお布施を三千円で購入してくれる。私に目で制して自分が払うからと伝えて下さる。ご住職の奥様に本堂に案内される。どこを向いても奉納された彫刻の男根、大きいものから小さいものまで林立している。見事である。毛糸の帽子を被せられた男根もある。すごいねぇ以外は無言。続いて奉納物殿に案内される。先ほどの本堂よりもさらに大量の男根。これだけあるともうチンチン!と言っても何らH感がない。裾の捲れたエロい弁天様、涎掛けをされたチンチン、テカテカに光ったチンチン、目の前にヌ―と飛び出たチンチン、どこで探してきたのか巨木なチンチン、かわいい手彫りチンチン、安産・子授け・家庭円満・受胎希望・受胎御礼などいろいろなご奉納の種類で目が点になりすごいしか言えない。民俗資料としても超一級品の品揃えの気がする。
お花大権現のお花さんは諸説あるようだが、性的な恨みで惨殺されたお花さんの話が基のようである。
「ほなけん、そろそろ出よかな」。佐藤さんの言葉に促されて寺を後にする、四国巡礼の第十一番でもあるが、このような山の奥に巡礼さんは来るのかなぁと思い林下寺を後にした。来てみたかった私は大満足。雨の中を佐藤さんが連れてきてくださらなければ、こられ無かったところである。感謝である。
■
旅の間、この日だけが雨の大降りとなっていた。これから牡丹寺に案内するという。車の中で牡丹寺のいきさつをとうとうとしゃべる佐藤さん。疲れたら寝とっていいけん、と佐藤さんは言うが、それなら誰が相槌を打つのか、デコと私は眠い目を必死に開けて相槌を打ち続けた。徳島まで車で一時間はかかる。途中、佐藤さんのお住まいである町を通るとのことでてっきり、お米の田んぼとご自宅を教えてもらえると思ったが、遠くから、あの辺が家でここら辺が田んぼ、まだ田植え前やな、で通過してしまった。雨がひどいので牡丹園をパスして、和紙会館に行った。和紙詰め放題千円也を佐藤さんと競合して袋詰めを笑いあう。そして雨の中をひたすら徳島駅前のホテルに向かった。
■
東京の米を買ってくれる人を案内するだけではとても追っつかない大親切で、佐藤さんに頭が下がったが、しかし、多岐にわたる話題に相槌を打っていくのは大変である。
徳島に向かう車中でも、自分の友人(80代)が昔東京で働いていたとかで、その人としゃべってください、と携帯電話のスピーカーをあけっぱなしにして、しゃべるように勧められる。
その方は昔、若いころ江東区の木場で働いていたとのこと。私は結婚した夫が自営業で木場に包装の材料を売る仕事をしていて、木場のことは私もよく知っているから、見知らぬおじちゃんに必死で相槌を打った。
話の合間に携帯の音量をさわりながらの片手運転の佐藤さんに冷や冷やし、知らないおじいちゃんの昔話に合わせるのに疲れる。電話を切る前に、今夜一緒に夕食はどうやね、と言っている佐藤さん。えっ、知らないじいちゃん同席の夕食?と驚く。
電話を切ったら、今度は佐藤さんの若いころの話……友人と目でつかれたねぇ、とうなづきあう。
結局、そのじいちゃんは夕食には現れなかったが(ほっ!)、御礼の意味で佐藤さんに宿泊のホテルで夕食をとっていただく。食事中に「明日は来ていただかなくても、大塚国際美術館をゆっくり観て、渦潮は鳴門大橋の橋の上から見るから、船には乗らなくっていいから、今日も遅いから、明日は私たちで動くから」と何度も言ったが、船には乗らなければ意味がないから、どうしても船に乗ってほしいの一点張り。私たちは仕方なくうなづいた。
食後に私たちは阿波踊り会館で20時から始まるショーを観ることにしていた。ホテルからは一本道で信号を三つも過ぎれば行き当たる。佐藤さんは送っていくという。一本道なので行かれるから大丈夫です、と言ったが、結局歩いて20分くらいのところを同行してくださった。あそこです!大きな阿波踊り会館を指さされた。
これから自宅に帰るのに二時間弱かかると思う。そして明日も鳴門を案内するためにまた二時間かけてきてくださるという。「大阪難波行のバスが出る午後三時まできちんと鳴門を案内するけん、ほなけん、『鳴門駅』に9時10分に到着してください」。
そうおっしゃってにこやかに手を振って夜の阿波踊り会館前の交差点で別れた。
いままで会ったことのない種類の人、ひたすらの大親切の塊の佐藤さんに私とデコはうれしいような悲しいような小さなため息をつき、大きくお辞儀をした。
■
翌日、「よう寝れたかな」颯爽と白と水色のワイシャツ姿で、佐藤さんが鳴門駅で待っていてくださった。疲れた様子はない。むしろ昨日より若作り!空は快晴。乗車するとすぐに渦潮の解説。渦潮も一年で一番良いのは四月で、しかも今日は新月直近日で大きな渦を巻く日だそうだ。お恥ずかしいことに私は渦潮は一年中いつでも渦を巻いていると思っていたのでびっくりした。「船に乗らなあかん」佐藤さんが小さな声で言ったのが聞こえた。大塚美術館をじっくり見たいから、船には無理に乗らなくっても、と私とデコはまだそう思っていた。
佐藤さんは渦潮は11時半の船が一番いい。そのあとは12時半と言いながら、鳴門芋屋の前に車は止まる。この店の芋は有名でお土産に買ってあげたい、開店までまだ15分ある、待ちましょう、と。大塚美術館はもう開館している、早く行きたい、お芋は有難いですが、早く行きたい、これを三回くらいデコと唱和してやっと車は出る。佐藤さん少し無口になってしまった。悪いことをしたかな、と少し後悔の私たち。しかし、奢っていただくこと多くこれ以上お土産を頂くことも憚られる。
佐藤さんは今日もカメラを二台持っている。望遠も長くレンズも相当高い。私は大したカメラではないが同じキャノンでうれしい。大塚美術館に行く前に、ここが一番鳴門大橋がきれいに見えるところ。写真を撮りましょう。車から降りるように促される、カメラを構える佐藤さん。早く美術館に行きたい私たち……。
■鳴門海峡まで約3分の小型高速観潮船「うずしお号」で、渦潮を間近で体験。
30分ごとに出航し、予約なしで乗船できます。
また、大塚国際美術館からは徒歩5分、渦の道やエディ等、他の渦潮観光施設からも徒歩圏内にあり、合わせて楽しめます 徳島県鳴門市鳴門公園亀浦漁港。
■
私たちを美術館で下し、12時には迎えに来ますから、私は11時40分の船に乗ってきます。佐藤さんは手を振り去っていき、私たちは美術館を堪能した。そして、迎えに来てくれた佐藤さんと鳴門公園亀裏漁港船着き場に。小型高速観潮船「うずしお号」に乗船する人は私たちのほかに二十代のお嬢さんと40代後半のお母さんのみ。船を待つ間、佐藤さんはこの母子に話しかける。どこから来たのか、どこを回るのかと。鳴門大橋にも行きたいが便をどうしたらよいのかと迷っている、タクシーを呼ぶか迷っている、と母と娘。すかさず佐藤さんが私の車に乗りなさい、連れて行ってあげると即決。私とデコはびっくり。若い母娘は私たちがいることで安心して佐藤さんの車に乗ることを決断したのか、母娘が私たちに少しお辞儀をする、私たちは口を半開きのままにお辞儀する。
佐藤さんがナンパした、デコが小声で言う。地方ではこんなことは当たり前なのか、佐藤さんだからなのか。不思議な顔で私とデコは見つめあう。
しかし、この時までもまだ観潮は鳴門大橋の上からでいいのに、と思っていたが、これが大きな間違いであったことが解かった。本日2度目の乗船となる佐藤さんの船の料金2000円を私たちで持つ。
とにかく船はすごい。鳴門大橋の真下でエンジンを止めて停留するのである。大きな渦が船の周囲にいくつもいくつも出現する。佐藤さんは船の縁のこちら側がいいでです。ここに並んで、みんなで並んで、と若い母娘と私たちを並べたがる。私は20分しかない乗船時間で少しでも良い写真を撮りたいのに、、、、、と思いつつ並ぶ。
やはり今日の渦はすごい!!みんな強い風に髪を吹かれながら、かき上げながらうず潮を見た。いくつもいくつも次々と消えては出現する渦。大きな渦。この渦の中でどうして鳴門大橋の真下に船は停留できるのか、不思議に思いながら渦を見つめる、あそこにもここにもあっ!そこそこ、あれは大きい、ダイナミック、すごい。
大きな観光船も渦を見るためにいるが、私たちの船よりずっと遠い。すごい、佐藤さんおすすめの船はすごい!!
20分ほどの滞留で港に帰る船の中で、私とデコは佐藤さんに謝った。
「ごめんなさい。船に乗らないと言ってごめんなさい。乗って良かったです」。
佐藤さんはニコニコ顔でとうなづいてくれた。「11時20分に僕が乗った方の渦の方が凄かった気がするね」。大塚美術館は後にして先に船に乗ろうと誘った件を肯定するかのような、佐藤さんの笑顔だった。
船を下りて、ナンパした母娘ともどもに鳴門大橋の上から渦潮を見る。
車で10分、駐車場から歩いて20分ほどで鳴門大橋に。橋に上がるのに500円かかる。奢っていただいてばかりで恐縮で佐藤さんの分を私たちが持つ。佐藤さんは若い母娘にぴったり寄り添い、親しそうに話して歩いている。デコと私は苦笑いする。若い方がいいんだね、と私が言う。デコが深くうなづく。
大渦が出る時間帯が過ぎていたせいもあるだろうが、鳴門大橋からガラス張りになっている真下の渦は小さくてつまらなかった。改めて佐藤さんに船に誘っていただけたことを有難く思い言葉で伝えた。
橋の脇の小高い丘に見晴らし台がある。今回の旅行の佐藤さんとの最後の記念写真になる。あそこに並んでここに並んで。またまたみんなが動かされる。若い母娘も一緒に並ぶ。佐藤さんが若い母娘の住所を聞きメモっている。写真をCDに入れて郵送しますから、と言っている。
見晴らし台の横の潮見茶屋で昼食をした。ワカメの冷やし蕎麦。一人1000円少し。佐藤さんの分も出そうとしたら、もう会計は済んでいます、とお店の人。笑っている佐藤さん。五人分で7000円。佐藤さんの際限のない親切。やはり、今までに一度もあったことのない大親切の塊の人。どう解釈したらいいのだろうか、私とデコは出した財布もしまい忘れてひたすらお辞儀をした。
駐車場までの歩く道のり20分。佐藤さんは若い母娘と夢中で話している。私たちは相槌を少し休めむことができて景色を堪能する。そして、車で大塚国際美術館まで送っていただいて、私たちは次の予定地大阪難波行のバスを待った。若い母娘は高松に出るとかで、私たちより先発のバスに乗る予定である。佐藤さんは車のトランクを開けて、和紙会館で袋詰めにした和紙の半分を別のP袋に分けて、若い母娘にお土産として手渡した。佐藤さんは車の脇に立ち、大きく私たちに手を振ってくれた。そうして佐藤さんの白い車は嬉しそうに車体の後ろを少しクネクネとさせ(たように見えた)去っていった。
ありがとう!ありがとう!私とデコは去っていく車に言葉に出してお礼を言った。
■
長く続く友情というのはおもしろい。夫婦に似ている。どちらかが男役でどちらかが女役になる。夫役、女房役とでもいうのだろうか。不仲になる関係は両方が夫役でぶつかり、また両方が女房役で何を決めるにも心躍らず進展がなく疲れるので関係は壊れる。
私とデコは時によって夫役女房役が入れ替わり、相手の主張で引く時は引き、相手が出ないとなると出る。
お米と声だけのお付き合いから、現実にお会いできた今回の旅行での佐藤さんとのやり取りも私たちにはしっくりときた。
「また来年もこなあかんけん。どうしても見せたかった渦潮船のあとは大塚美術館をゆっくり観させて、買ってあったバスチケットは捨てて、大阪難波までワシが車で送っていっても良かったけんが、船にも乗れたし、美術館も堪能できてよかった。今回は、ほなこれで。来年はフリーで泊る所もワシが決めるけん、絶対にこなあかんけん」とおっしゃって下さった。
果たして来年は……今年の旅が終わった今、大いに検討中である。友情としてとらえて、佐藤さんにもう一度連れまわしてもらいたい気持ちとおしゃべり相槌には疲れるのとが五分五分で大いに検討中である。
それはそれとして、お米騒動がこの秋の新米には起きないように、天候の順調を祈っている今である。
※余りの奢られ方にこのままではいけないと、先日デパートよりとらやの羊羹そのほかを御礼に送った。到着の電話が来た。佐藤さん今日は何してますか?と訊いたら友達の田んぼが田植えで手伝いに行っとった、との返事であった。相変わらず人にやさしい佐藤さんであった。20年来の友人のように話せてうれしかった。やっぱり来年も会いに行こうと思った※
All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中