Monthly Web Magazine June 2026
■ 一面のチングルマ風景 瀧山幸伸
チングルマはバラ科なので、猛暑や渇水がこたえるらしく、見渡す限り一面のチングルマ風景がいつまで見られるのか心配だ。
事実として蔵王御田の神湿原のチングルマも中心部が禿げ上がってしまい、元に戻るか不安でしかない。
南蔵王の芝草平も思ったほどではなかった。
一方、花の百名山で有名な秋田駒ケ岳の愛称ムーミン谷のチングルマは素晴らしい。ややきつい登山で、熊さんがうろついているので危険ではあるが。
北秋田森吉山のチングルマも秋田駒ケ岳に負けず劣らず素晴らしい。ロープウェイがあるので登山初心者でも比較的容易に到達できる。こちらの熊もマタギがいなくなったので怖いものなし状態だ。
北海道の大雪山旭岳周辺の群生は日本一だと思うのだが、ロープウェイ終点からは散歩感覚の平坦な周遊なのでとにかく観光客が多くて騒がしく、花を楽しむ雰囲気はあまり良くない。
大雪山赤岳にもお花畑はあるが規模が小さい。コマクサ平や頂上付近のウルップソウやチョウノスケソウは見事だが。
自分が最も気に入っているのが大雪山緑岳のお花畑だ。もちろんヒグマと遭遇する確率は高いが、ガサガサ歩く気配や独特の獣臭を感じてなんとか回避できる。人が少ないし雪解けの水音もあり本当に癒される。
大雪山を白雲岳からトムラウシまで縦走すれば、あるいは富良野岳に登れば最高のお花畑体験ができるそうだが、未だその機会に恵まれていない。
チングルマに比べてはるかに到達しやすくあちこちに咲いているイチリンソウ、ニリンソウも好きなのだが、あまりにもポピュラーなので珍重されていないのが残念だ。
クリンソウやレンゲツツジもシーズンになってきた。
■ 賀茂移し 大野木康夫
現在は伊勢神宮でのみ式年遷宮が行われていますが、かつては多くの神社で式年造替制がとられ、一定周期で本殿等を建て替えていました。
谷重雄「旧官国幣社における式年造替制の調査」(1959)によれば、江戸期以前に創立された旧官国幣社182社(伊勢神宮を除く)のうち、41社に式年制が見られたということですから、式年造替制は広く行われていたようです。
建て替える前の建物を他の神社に移築した例で有名なのは奈良の春日大社で、奈良県、京都府、大阪府、兵庫県の各神社に40例以上移築されています。
春日大社本殿は4棟、若宮社本殿を加えると5棟あることに加え、春日造で小ぶりであることから「春日移し」という言葉が生まれるほど多くの移築例が見られるのだと思います。
春日移しの例
圓成寺白山堂・春日堂、長尾神社本殿、崇道天皇社本殿(奈良市)
夜支布山口神社摂社立磐神社本殿(奈良市)、松尾神社本殿、岡田鴨神社本殿・摂社天満宮社本殿(京都府木津川市)
京都の賀茂社(賀茂別雷神社、賀茂御祖神社)も幕末まで式年造替を実施してきました。
賀茂社の本殿建築も4棟(賀茂別雷神社本殿・権殿、賀茂御祖神社東本殿・西本殿)あるのですが、三間社流造で比較的大規模な建築であることから、確認された移築例は4例のみとなっています。
例が少ないので「賀茂移し」という言葉はありません。
1 吉御子神社本殿(滋賀県湖南市)
天保6(1835)年建築の賀茂別雷社本殿を慶応元(1865)年に移築したものです。使われている金具も賀茂別雷社のものと思われる双葉葵模様となっています。
2 熊野神社本殿(京都市左京区)
享和元(1801)年建築の賀茂御祖神社本殿(どちらかわからない)を天保6(1835)年に移築したものです。金具の模様に双葉葵の名残があり、高欄が朱塗りであるところが賀茂御祖神社本殿と同じです。
3 菅大臣神社本殿(京都市下京区)
天保6(1835)年建築の賀茂御祖神社本殿(どちらかわからない)を明治2(1869)年に移築したものです。金具に名残がありますが、高欄は素木に変わっています。
4 寶塔寺七面堂(京都市伏見区)
延宝8(1629)年建築の賀茂御祖神社西本殿を正徳2(1712)年に移築したものです。最近になって移築が判明しました。寺院に移築されたため、大半の金具は取り外されています。
三間社流造は京都近辺では多用される社殿様式なので、今後、「賀茂移し」の例が見つかるかもしれません。
参考文献:京都府埋蔵文化財論集第7集「宝塔寺七面堂と賀茂社本殿の建築」(2016.3、村田典彦)
最近の撮影から
早朝の祇園
早朝の先斗町
近江八幡
教林坊、教林坊別院
長楽館
■ JR車窓の山々- 北陸編 野崎順次
2026年5月31日 大阪発 08:40 サンダーバード9号
湖西線から琵琶湖対岸の三上山
敦賀発 10:18 つるぎ10号
白山連峰
氷見発 16:08 普通電車
雨晴海岸あたりからの立山連峰
6月1日 新高岡発 09:31 はくたか558号
富山駅を過ぎて、立山連峰そして常願寺川
黒部宇奈月駅前後、黒部川
上越妙高駅付近
高崎駅あたりから見える奇怪な山容は妙義山
富山県高岡市の国宝・勝興寺です。
■ 花菖蒲を見に宮地嶽神社まで 田中康平
花菖蒲の季節になった。福岡市近辺で花菖蒲で知られるところというと大宰天満宮府と宮地嶽神社の名が上がるようだが、宮地嶽神社のほうが規模が大きく、最近は訪れた記憶がないのでこちらへ行ってみた。
10万株くらいあるということで、60年くらい前に明治神宮の江戸菖蒲が移植されそれを増やしてここまでに至ったということのようだ。神社前の駐車場は平日ということもあって特に混んではいない。入口の石段から真ん中の分離帯のようなところに菖蒲が植えられている、これは気合が入っている。拝殿に至るあちこちが花菖蒲で埋められているが、更に奥右手には江戸菖蒲苑がありこれは確かに10万株くらいありそうな量だ。ほぼ満開状態で江戸菖蒲のいろんな花が楽しめる。
せっかくだからと本殿の先にある奥之宮八社も巡ってみた、こちらには花菖蒲はない。一番奥の不動神社では横穴式石室を持つ巨石古墳(通称宮地嶽古墳ー正式名称は丸塚古墳)がありその石室に祀られている形を見ることができる(古墳内部撮影禁止)。
宮地嶽神社の参道は真っすぐ海まで延び、2月と10月にそこに落ちる夕陽を光の道として見ることができると知られており、その時期にその情景が報道されるのを何度も見たことがある。創建は1700年前、神功皇后の三韓征伐の頃とされ主祭神は神功皇后
副祭神には三韓征伐を助けた阿曇族の長、勝村大神が祀られている、古代史を見るような場所だ。
添付写真は 000:地図、00a:宮地嶽神社境内案内図、01-04神社参道階段、05階段上より見る光の道、06,07楼門、08-11拝殿エリア、12本殿、13-19江戸菖蒲苑、20-24奥之宮めぐり、21古墳説明版、22不動神社、23不動神社の手水舎、24古墳墳丘、25海側から見上げた光の道、神社はほとんど見えない
■権現堂のあじさい 川村由幸
関東も梅雨に入り、あじさいが似合う季節になりました。
五月はぼたんに桜でしたが、今月はあじさいです。権現堂桜堤に行ってきました。
ここは北米原産のアナベルというアジサイが売りのようです。
白いアナベルです。一面白いアナベルばかりが咲いており壮観なながめです。
アナベルはピンクのものもあり、これは可憐な美しさです。
白とピンクのコントラストが眼にやさしくて見ていて飽きません。
午前8時前には現地に到着したのですが、すでに結構な見学者が居られました。
今朝は久しぶりに雨がなく、傘なしで見学できたためでしょうか。
アナベル以外にも多くのあじさいを見ることができますが、今年はいくらか花が少ない気がしました。全く花芽のついていない樹もちらほらと見えていました。
権現堂は近くを幹線道路が通っていて、車の音がとても激しいため、動画撮影の連続した音の録音は断念してしまいました。
白・ヒンク・青と色とりどりのあじさいに十分に癒されてきました。アナベルは花の一つ一つが小さく密集していて、美しいものだと感じいりました。
動画に編集するのが楽しみです。ただ、今朝は風がなくあじさいがほとんど揺るがない状態でした。揺れていたほうが動画が美しいのですが。
■「黒への微熱」 柚原君子
私の髪をすくい取った若者の左手が
鏡の中で透けて見える
少しだけ節のある それでいてやわらかそうな若者の指
若者にすくいとられた私の髪は
垂直にならんで切り取られ
かすかな風をまきおこして落下していく
若者は 片耳ピアス ナイキのシューズ
腰にハサミを入れる布の袋
黒い瞳 大きな目 強い光
美容院で働くこの若者は
きっと誰かの愛弟子で きっと誰かの大切な息子で
ふるさとで静かに暮らす 誰かの孫
誰かにはとても頼りになる友達で
妹を愛する兄で
そして 誰かの切ないあこがれであるにちがいない
私は髪を切ってもらいながら 遠い昔に旅したような午後だった
★
遠い遠い昔、中学生だった一時期、私の大切なものは<黒>という字だった。
脳の一点にいつも<黒>の字が張り付いていた。町を歩いていても本を読んでいても、ご飯を食べていても、貼り付いたその黒の字はまるで別の生き物のようにドクドクと脈を打ち、熱を帯びていた。
頭の中の<黒>という特別な文字は黒須クンの黒の字で、黒の字を思い描くだけで切なく甘く抱きしめたく、涙ぐみそうにもなった。
幼稚園、小学校と手をつないでいたのは、ずっと女の子で、仲良くなったらどこに行くのにも双子のように一緒。お手洗いへも、図書館へも、学校の行き帰りも、給食時間もお休み時間も。女の子同士の固い愛情を大体の子どもが通っていく。それは同性における擬似恋愛の期間である。
そこにふっと割り込んできた感情。脳に微熱を伴って着床した異性である黒須クンという男の子。女の子へ疑似恋愛感情を卒業して、初めて男の子に抱く愛しいという感情。一つの成長過程を私も潜り抜けた。
★
夏休みに入って間もない日のこと。親友のカナちゃんと好きな男の子を告白しあった。
私は地面に棒切れで黒須クンと書いた。カナちゃんが、よく読めないというので、
片仮名で「クロスクン」と書いた。
カナちゃんが驚いた顔をした。私もなの、とカナちゃんは言った。
良くある話である。親友だから気が合うし、気が合うから好みが一緒で、向いている方向も一緒。だから好きになる男の子も一緒。
私たちは黒須クンをまるで自分の持ち物のように、<譲るから>と言ったり、<私があきらめるから>とうなだれたりした。夏の強い太陽が私たちの足元に短い影を作っていた。
私たちは黒須クンの家を見に行くことになった。黒須クンの家は玄関の格子戸が半分開いていた。
三和土にはぞうりや、つっかけ(木のサンダル)や運動靴が散らかっていた。丸いちゃぶ台があって、黒須クンがご飯を食べていた。黒須クンが出てきた。頭をかきながら出て来た。
私とカナちゃんはビックリした。黒須クンは見事な坊主頭になっていたのである。どうしたの?とカナちゃんと私が同時に訊いた。「明日からプールがあるしさ……」それがどうしたんだよ?といわんばかりに黒須クンは大きな黒い目で私たちを見て、そして「何?」と言った。なんでもない、通りがかったら見えたから、私とカナちゃんはそう言って黒須クンの家を後にした。
好きな男の子を見にきた高ぶった感情が、ショボショボと消えてゆくのを感じた。坊主頭の黒須クンはもはや私たちの黒須クンではなかった。「がっかりだよね」、私とカナちゃんは同時に言った。
微熱は坊主頭という強力な抗生物質に出会って消滅し、黒須クンはただの友だちに格下げされた。そして私の中には<黒い大きな瞳>への好ましさが、ストンと落とされた。
些細な出来事一つで、子どもの内面は大きく変化していく。様々なものに遭遇して発熱を繰り返しながら、いろいろなものをストンストンと心に落としながら、子どもは大人への過程を進んでいくのだ。今振り返るとそれがよくわかる。
★
昨日まで夢中であった感情が何かの拍子で消える。
会社勤務が長続きせずに、職歴の枠が増えていく自分をだらしないやつだと思う。
誰かを愛することが出来なくなった自分を責める。
大人になると、内面が変化することに罪悪感を持つ。
しかし、そんなことはない、と言いたい。
子どものときと一緒で変化してもいいよ、と言いたい。
変化のあとに何を心にストンと落とせたかが問題なのである。
夏、あの頃と同じ夏が今年もやってきた。私は随分と年老いて、<黒>の文字にもう微熱を感じることはない。
けれども、黒い大きな瞳の若者が、今日の午後、私の髪を切ってくれたことが、なんだかとてもうれしかった。
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