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大分県豊後高田市 市街 昭和の町

Bungotakada downtown Showa no machi,Bungotakada city,Oita

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Dec.18,2014 瀧山幸伸 source movie


May 2012 瀧山幸伸


Dec.2005 瀧山幸伸 source movie 

原図:国土地理院

資料:豊後高田市観光協会

映画「ALWAYS三丁目の夕日」がヒットした。

これは、アクション映画などの五感、情動に訴える次元の映画ではなく、寅さんと同様、上位概念としての「自我」を刺激する映画だ。

当時の「記憶」を、自分史にみたてて共感する観客が多いのだろう。

二度三度と劇場に足を運ぶ人が多かったそうだ。

心理学的には、エリクソンの言う自己同一性(アイデンティティ)に訴える映画であり、ひとごととは思えないから涙が出てしまう。

大分、磨崖仏で有名な国東半島の付け根で、ほとんど死にかけていた豊後高田。

過疎化のモデルケースのような街が蘇った。

豊後高田は、城下町として、また昭和30年代までは宇佐八幡への参詣客で賑わった町だが、日本経済の構造変化について行けず、基幹産業も無く、人口3万人から1万8千人まで減少していた。

中心商店街は、過疎化の地方都市の典型として、シャッターが閉じ、道行く人もまばらな状態であった。

2000年頃から、町の有志を中心に、この町が一番栄えていた昭和30年代に街並を戻そうというプロジェクトが始まった。

その効果は短時間で劇的に現れた。「昭和の町」誕生からわずか1年4ヶ月で2万人の観光客を集めた。

商店街入り口に建つ案内板

もっと詳しいほうが良い。 説明チラシも置いて欲しい。

そのままの、ベタなアーチがかえって新鮮だ。

当時のガソリンスタンド。価格の看板は当時のもの。自動車は憧れだった。

カレー屋さんの看板建築。カレーの色が染み付いたような外壁が面白い。

全国どこにでもありそうな商店街の街並

シャッターをやめて、ガラス戸など、当時の姿に戻したほうが良い。

照明灯も当時の電柱架設型に。裸電球とアルミ笠にしたほうが面白い。

道路はアスファルトではなかったはず。

砂利敷きに戻したほうが良い。

不要な交通標識も撤去すべき。

地元の買い物客の車が激しく行き交い、駐停車も多い。

交通規制を行わなければ本当の昭和の街は蘇らない。

観光客が子供連れで安心して歩けなければ、この街のホスピタリティが疑われる。

なぜ子連れ主婦が商店街を利用しないか、ショッピングセンターでは交通事故に巻き込まれる心配は少ない。

駄菓子屋さんと保険屋さん

当時はモダンだった店のリバイバル。 タイル張りの店ファサードも懐かしい。

肉屋さんのコロッケが味わえる。皆空腹だった時代。肉が貴重品だった時代の記憶がラードの匂いと共に蘇る。

新しく建築された環境型商業施設(店舗長屋)

中央の水路、植栽、非毛氈、盛り塩、道標石など、楽しい演出がなされている。

旧共同野村銀行

昭和8年(1933)の建築。

現在は展示スペースなどに活用されている。

玉津仲町交差点(昭和49年頃)

新町商店街(昭和10-12年頃)

昭和17-18年頃の中央通り

中央通り

春祭りの日の中央通り(年代不明)

中央通り中程の辻から四方の通りを見る

一見モダンな店だが、、、

橋のたもとの瓦屋呉服店

昭和の子供たちが着ていた衣類を店先に飾る。

明治維新前夜の戦争に出てきそうな手押し車が陳列してある。

昭和の町の店舗は「まちかど博物館」と称し、「一店一宝」を出品している。

店先の説明看板には、このようなことが書いてある。

・江戸後期創業の7代目。

・4代目の弟が高井佐川という有名な俳人で、種田山頭火が立ち寄った。

俳句好きは思わず中に入ってみたくなるだろう。

中に入り、お話を伺う。

古めかしい車は、当時の営業車。これに呉服を積んで客回りをしていた。

木製の車輪が面白い。

4代目のお嫁さんの嫁入り衣装。

この店の一店一宝は、この足袋。

4代目のお嫁さん(おばあさん)が、継ぎをあてながら大切に履いていた。

足底の模様は、継ぎの糸。織り模様ではない。

後代のお嫁さんが本当にこれを宝物として扱っていることがひしひしと伝わる。

あきんどの妻道を実感した。

吉成電気商会

この店の一店一宝は、当時三種の神器だった、テレビ、洗濯機、冷蔵庫。

昭和のこの時代、プロレスの力道山を見に近所の人が集まったものだ。

安東薬局

この店の一店一宝は、薬研と薬袋。

店内にはなつかしいタバコの展示も。

昭和らしい街並。

やはり、人工テーマパークには無いリアリティが感じられる。

千嶋茶舗

この店の一店一宝は、玄米茶の袋。

あったよねえ、これ。

昭和のコーヒー屋さん

店先でゆず湯を売っていたりするところが豊後高田らしい。

佐田屋

元禄7年創業の店という。

まとめ

テーマパークとしての昭和の町は、足助などにもこじんまりとあるが、所詮映画のセットのような人工のもの。

本物の商店街、いわゆるロケーション物にはかなわない。

古くてみすぼらしくて活気が無いこの商店街は、素顔のまま放置されていた。

あるいは店先の軒看板やシャッターだけ新しく取り付けられた状態であった。

そのため、一皮むけば即座に昭和の香りが蘇る。

各店舗に置いてあった古い商品や機材は、蔵の中で眠っていた。

それらは今となっては貴重なアーカイブとしてコレクター垂涎の的になる。

商店街全体が無料の時代テーマパークだ。

テレビも面白おかしく紹介する。

こうして豊後高田は俄かにトレンディーな観光デスティネーションに成長した。

テーマパーク性を重視するために、各店舗は「一店一宝」と称して、捨てられそうになっていた懐かしい品をショーウィンドウに陳列し、うんちく看板を設置する。

こうするから、観光客は自分の記憶が蘇り、店に入りたくなる。そうなれば店の人と雑談で盛り上がる。

時間が経つのを忘れ、帰り際には記念の品を買ってしまう。

記念の品は、家族や近所の人のためのおみやげではなく、自分のアイデンティティとしての記念の品であるところが、この町の魔力かもしれない。

すなわち、自分にとって貴重なものであれば、ある人にとっては当時のつまらない看板であっても、その人には、お金では買えない愛着の宝物なのだ。

これこそブランドアイデンティティ理論の奥義なのだが、心理学やマーケティングでは教わらない。

そもそも、日本ではまだ「行動科学」が発達していないのだ。

豊後高田と、大正ロマン村を展開している岐阜県明智とを比較してみると面白い。

明智では、カメラマンの提唱により「大正ロマン村」を展開している。

明智の生い立ちは、明智光秀や遠山の金さんゆかりの城下町であり、中馬街道の交通の要衝たる宿場町、在郷町でもある。

市街地に数件あった大正風の建築だけで街のテーマを統一するには無理がある。

大正関連の利権を有する人には都合が良いが、町全体で盛り上がるには難しい。

足助の進むべき道は、古代から現代までの街並形成の歴史が学べる「時代別街並博物館」であろう。

その点、この豊後高田は良くも悪くも昭和で揃っていることが幸いした。

もちろん課題もある。

平均滞在時間が短い。

日帰り、いちげんさん、団体主体の観光地の行く末は悲しい。

訪問者も、受け側も、旅行会社も、心が荒れてしまうのが通例だ。

郊外には、国宝の宇佐八幡宮富貴寺、特別史跡の熊野磨崖仏など、国東半島ブランドの貴重な文化遺産があるので、観光客をそちらにも誘導し、一泊需要を喚起しなければならない。

そのための温泉普及も遅れている。

リピーターを確保する戦略が無い。

ヒントのキーワードだけ言おう。

団塊世代のリタイアに向けて、個人の「記憶」「アルバム」「アニバーサリー」「記念植樹」「遺言」「墓に持って行けない愛着の品物」をヒントにシステムを仕掛ければ面白い。

例えば、北海道の銀婚湯が繁昌している。

大正天皇の銀婚の年に開業したのでそのように命名したが、訪問者は皆自分のこととして「銀婚」の言葉の力に注目している。

銀婚式、金婚式にどこかへ行きたい人は多い。

そのような人々の定期的な需要への受け皿となれば、莫大な経済効果が享受できる。

競合を排除し、全国的なブランドの地位を確固たるものにする戦略の策定と実施はこれからの課題だ。

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