大分県中津市 長岩城
Nagaiwajo,Nakatsu City,Oita
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Feb.6,2024 瀧山幸伸 source movie
概要
福岡県との県境に近い扇山(標高530m)と周辺の支峯・谷窪などに築かれた中世山城。
石垣や石塁のある中世山城の中でも特に規模が大きいとされており、銃眼を持った石積櫓や登り石垣など他に例のない構造物も多いことから「奇城」と呼ばれることもある。
宇都宮氏(城井氏)一族の豪族、野仲氏の居城であった。建久9年(1198年)、野仲重房が築城したと伝えられる。
築城後は土塁などを使った一般的な中世山城であったが、南北朝から戦国時代にかけて増改築されており、特に豊臣秀吉の命で黒田孝高・長政らが豊前国に来た頃に石積・石垣を多用した城に変化したと考えられている。
天正16年(1588年)、城主の野仲鎮兼は黒田長政に攻められ、調略による内応者が出たことで落城し、その後は廃城となった。
1984年に地元保存会などにより部分的な修復工事が行われ、1998年には大分県文化課による現地調査が行われた。なお、現存する石垣遺構は江戸時代前の遺構とされるが、石垣遺構群の時代区分の詳しい断定にはまだ至っていない。2011年3月29日、大分県の史跡に指定される。
登山(登城)口となる大分県道2号沿いに駐車場とトイレが整備されている。
構造と遺構
扇山の頂上に広さ約20m四方の本丸があり、周囲を腰曲輪と石垣で囲んでいる。また、西東にそれぞれ西之台・東之台と呼ばれる出城が存在する。
長岩城の全域にわたって安山岩を使った石積機構が約20ヶ所あり、石塁の総延長は約700mに及ぶ[3]。特に斜面を上に向かって伸びる「登り石垣」(石塁)は本城の特徴的な遺構とされ、空堀も並行している。
本丸と谷を隔てて相対する側にも出城があり、石積櫓や砲座跡、陣屋跡などがある。石積櫓は文字通り安山岩を積み上げた高さ約1.5mの櫓で、銃眼を3カ所備える。この銃眼は「下から攻めてくる敵兵を撃つため」と伝えられるが当時の火縄銃の射程を考慮すると疑問視されており、少し離れた所にある弓形砲座と呼ばれる石積みの台座と合わせて、敵の様子を見張る監視所だったと推察される。なお、当時は雨露を防ぐ屋根があったと推測される。
また、本丸側と石積櫓側の間の谷川沿いに一之城戸・二之城戸・三之城戸と呼ばれる城戸(城門・虎口)が3段構えで設けられていた。一之城戸が谷川の最下流に位置しており、長岩城の北側を流れる津民川に面している。
(Wikipedia)
中津市耶馬渓町大字河原口
大分県史跡
・耶馬渓を利用した「日本一危険な城跡」
・「日本唯一の穴付き石積砦」
・もしも黒澤明がここで「七人の侍」のロケをしていたら、、、物凄い迫力が生まれるだろう。
世の中には百名城、続百名城と、「城の専門家」がお選びになったリストがあるが、選定基準が自分の基準と異なるので現地を調査しても違和感を持つことがある。百選シリーズは、城に限らず棚田百選や名水百選などもそうで、母数の選定リストと厳密な選定基準と評価数値を明示していないからだ。Japan Geographicで独自の百選を作成中なのはそういう違和感がもとになっている。
「日本一危険」というのは誇張ではないが、「日本一」は厳密かつ公平な用語ではない。無数にある全ての城跡を調べたわけではないからだ。と厳密な選定基準と評価数値を示して「日本一危険」という母数の選定リストを厳密に定義すれば、国または都道府県の文化財「史跡」に指定されている城(単独の砦や櫓などではなく本丸ほか城の統合機能があるものに限る)の中では、という程度だ。評価数値はいつもの簡易評価法だ。
思うに修験地にある城が危険な城のリストの上位になるのだろうが、「もっと危険な城」をご存じの方はご指導ご鞭撻を賜りたい。とは言っても動画を見なければ怖くない。歩きながら動画撮影している自分はさらに怖いのだが。
長岩城は黒田と宇都宮の戦いの舞台となり、大分県の史跡に指定されている。
歴史好きな人はよく知っていることだが、黒田官兵衛と長政親子の策略は相当なものだ。2013年に城井谷城跡を調査した折、地形を巧みに利用した防御戦略に感銘した。守りが堅固な城を崩すには得意の策略を駆使するしかなかったのだろう。
2023年、名勝耶馬渓の全調査のため立ち寄った津民耶馬渓で長岩城を知ったが、あまりにも手強い城なので事前調査と準備を万全にして今回の調査に臨んだ。
他の人の記録には、雨の日や単独行は命を落とす危険がある、との情報がある。7日待ってようやく雨が上がったので現地へ。
駐車場近くのおばあちゃんに尋ねても「小さい頃は遊んだけどねえ」とだけで、弓型砲座へのルートがまるでわからない。
雨が降ってきそうな怪しい空模様だ。全て見れば一日がかりになるらしいのだが、、、 無事下山できるのだろうか。
修験の地耶馬渓を甘く見るなよ、黒田に滅ぼされた宇都宮の怨念を甘く見るなよ、と目の前の城跡がつぶやいているようだ。
ここで人生の終焉を迎えるのだろうか。それも本望か、えーいままよ、と調査を開始する。
だが最初から道がぬかるんでやたらと滑る。途中そぼろ雨が降ってくる。
9時40分出発
下流方向から見る
正面駐車場から
入口においてあるパンフレット等
川を渡って登り
一の城戸(石積は復元)
右側の三日月塹壕
二の城戸
三の城戸
本丸方面と石積櫓方面の分岐点
最初に本命の石積櫓方面へ
陣屋跡
右側の砲座跡は帰りに立ち寄ることとし、先に進む
梯子を上る
右側の岩を見ながら左へ
弓型砲座への分岐は危険なので進入禁止
岩を巻いて梯子を下る
右に見える岩壁
左は弓型砲座方面
ロープに沿って痩せ尾根を下る。右も左も絶壁の断崖。
急に石積櫓が見えてくる。馬の背の危険な尾根を下る。下りを歩きながら動画を録るが、ずるっと滑る。石積櫓に近づくと谷向こうにいる鹿が警戒してやたら啼く。
石積櫓
絶壁の先端で怖い。実際3つの穴から覗いてもよく見えない。見張り目的と狭間目的であろうが、、、前方から侵入する敵は絶壁を登ってこなければならないので、櫓が無くても撃退できるが有ればなお有効。狭間は狭く、弓や鉄砲での撃退は難儀だ。見張りの目的と、「ここに来るな」という威圧効果は絶大にありそうだ。
弓型砲座方面
帰路
陣屋跡から馬場方面へ
陣屋跡から右側の砲座方面へ
陣屋跡から下る
本丸方面へ登る
三の城戸の続きの石塁
東の台から本丸まで続く石塁の始まり
東の台
長く続く石塁と竪堀
本丸虎口
本丸
西の台へ
西の台
下る
正面駐車場
下流の林道に入り弓型砲座へ
危険だからドローン撮影だけで済まそうかと思っていたが、途中で杉林の手入れをなさっていたおじいさんに聞くと「現地まで簡単に行けるよ」とおっしゃるではないか。行くしかない。だが、耶馬渓が日常の地元民が言う「簡単」を信じてはいけないことがわかった。
ここまでは「けもの道」程度の登りだったのだが、、
ここからは馬の背の危険な尾根を登る。右も左も絶壁の断崖。ロープは腐りきっている。登りながら動画を録るが、礫岩がもろくてずるっと滑る。そもそも歩きながら片手で動画を録りその画面を見続けるという行動に無理がある。両手が使えればそれほど危険も感じないのだが。
弓型砲座 ここも石積櫓と同じく絶壁の先端だが、こちらのほうが足場が悪く、砲座の後側に敷いてある平石がぐらぐらする。背後は絶壁で、とにかく怖い。
下り
おじいさんはまだ作業をなさっていたので、教えていただいたお礼に非常用のチョコレートを差し上げて撤収。
ドローンで弓型砲座付近を撮影。逆光でよくわからない。石積櫓も弓型砲座もドローンを持って登っていたので、現場でちょこっと数mくらい飛ばせばよかったのだが、現場ではそのことに思いつかず後の祭り。
道路沿い、下流方面から見る
3時5分に撮影終了。あー怖かった。
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