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滋賀県東近江市 五個荘 雨宮龍神社

Higashiomi Gokasho Amemiyaryujinja


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June 2010 撮影/文: 中山辰夫

≪含む 織山(きぬがさやま)・里山をまもる会≫ 東近江市五個荘石馬寺祭神:大山祇神 級長津彦命 級長戸辺命 彌都波能賣神 大綿津見神 底中上津綿津見神

祭礼:7月18日雨宮龍神社は織山(きぬがさやま)山上、約300mのところに鎮座している。登るルートは幾つもあるが、表参道からはかなり険しい。

神社の建つ繖山(きぬがさやま)と三角点から見た峰(小さく写る屋根は石馬寺)

表参道は、石段道の連続である。

石馬寺村集落にある名刹石馬寺の参道から入り、薄暗がりの苔むした乱れ石積「かんのん坂」を登ってゆく。

石で囲った水みちからはかすかな水音が耳に出来、周りの静けさをより引き立たせている感じである。

約300段登ると、左手は「六所神社 ろくしょじんじゃ 既報」、右手は「石馬寺 既報」、直進は雨宮龍神社の分岐点となる。

そのまま真っ直ぐ進むと、雨宮龍神社の鳥居が現れ、その先、表参道である石段道が延々と続くのが見える。

石馬寺から約840段のしかも上りの石段をじっくり登ると、約300m高さにある平坦な山道にたどり着く。

出迎える大きな岩石群横の10数段の石段を上ると、その頂部に雨宮龍神社が鎮座している。 雨宮龍神社は、降雨明神、雨明神とも呼ばれ、水神信仰の神社で、推古天皇時代の創祀。弘法大師による雨乞実施の社伝をもつ。

石馬寺村をはじめ、川並、金堂、市田、北ノ庄、七里、下日吉、位田、北町屋などの諸村を雨氏子とし、天災除けの神として篤く崇まれ、往古よりしばしば祈雨祭が行なわれてきた。

弥生時代以降、水耕耕作が普及し、生計が稲作に比重を置くようになった。農耕民にとって適度な水の恵みは希求の願いとなった。

そこで生まれたのが水神・龍神・蛇神といった神々で、その座す場所が山岳とされた。

水は山の方から流れ出て、雨は山から降り出す。即ち「山が水を降らせる場所」と思われた。

これらから、山の神は水の神、さらには田の神の性格を持ち合わせるとされた。

雨宮龍神社は名前が示すとおり、龍神=水神を祀る、雨の恩恵を祈るための神社であった。祭礼は毎年、7月17〜18日に行なわれる。この日には氏子が神社へ参り神事が行なわれる。が、この時、雷・雨に見舞われることが多いといわれる。雨明神ゆえであろうか。

お祭り用の大太鼓と鉦は石馬寺の参道前に準備される。山上の神社では神事のみが行なわれる。

表参道

自然石を敷き詰めた石道の連続である。石が無くなり落ち込んだところ、水が流れ出しているところ、大きな石ばかりの所、様々である。

登るのも大変だが、積む方はもっと大変だったろうと、文句は言えない。30分程で登りついた。苦しく、厳しかった。 雨宮龍神社への登り道は他にもある。石馬寺の集落から地獄谷を越えて登るルートもその一つ。石段でなく、丸太の段道で出来ている。

約280m高さにある地獄谷とは、信長に攻め込まれた時、逃げ惑った婦女子がこの谷に重なって落ち込んだ所ともいわれる場所である。

岩石群と玉垣

大きな岩石群が2ケ所、鳥居の傍と社殿の前にある。

社殿前にある大きな岩石群の中に、字が刻まれている石が見受けられた。玉垣で囲まれ保護されていることからも、恐らく岩石信仰の対象になっていたと思われる。勿論、下にあった岩石も同じであろう。

玉垣(石垣)内には、3個の目立つ板状の岩石と、それを支える神木とされる樹木が数本生えている。玉垣は、俗界と聖界を区分する境であり、その機能は注連縄や鳥居の役割と大差ない。従い、その内部にある岩は聖石である。

内部にある樹木もまた同じである。

この岩石群は立地的にも見晴らしのいい山頂にあることや、社殿前であること、そして玉垣内に岩石と樹木の両方が混在して祀られているという、信仰の対象であった貴重な形態を今に伝えている。

玉垣を構成する石材には、恐らく寄贈者であろう名前が彫り込まれている。 本殿

三間社流造 向拝付 間口二間一尺 奥行一間一尺

こざっぱりした社殿である。が、厳しい山頂にあって、鎮座している姿は神々しさが感じられる。

本殿を注視すると、各所に素晴らしい彫刻が施されている。目立たないようであるが、かなりの手が入った精巧なものである。

板格子戸にも素晴らしい彫り物があるようだが隠されて見えない。

現在は各村の人が持ち回りで管理しているとのこと。石馬寺の六所神社本殿でも彫刻を見かけた。その関連はわからない。情報が欲しいところである。展望台からの眺望

地元のボランティアグループがつくった展望台である。湖東平野が一望に見渡せる。

繖山(きぬがさやま)を護る活動繖山

安土町(近江八幡市)、五個荘町(東近江市)、能登川町(東近江市)にまたがる標高432.9mの山である。

湖東平野に横たわり、文字通り山容は絹笠に似て、また上空から見るとヒトデのような形状をしている。

西は北腰越えの鞍部で安土山に連なっている。 山上の観音正寺にちなんで観音寺山、あるいは日本で初めて桑木が生えた所との伝承があって、桑実山とも呼ばれる。

北方の支峰は八王子山、南西に延びる屋根には竜石山の別称がある。

尾根からの見晴らしは素晴らしく、場所ごとに景観を異にする。各地より見た繖山

登山路よりの眺望

行く先々で素晴らしい景観に出会う。同じ場所も登るにつれて見える範囲が異なってくる。

三角点よりの眺望

三上山〜八幡山・安土山〜能登川・伊庭内湖〜(伊吹山)〜石馬集落〜五個荘集落〜日野が見え隠れする。

古くから信仰の対象とされ、山頂の巨岩を磐座とする神体山であった。

観音正寺のほか山域には多くの社寺があり、南西麓の桑実寺、北東麓五個荘町石馬寺(いしばじ)の石馬寺、北西麓能登川町の安楽寺同町伊庭の八王子山頂の繖峰三神社(さんぽうさんじんじゃ)などは今でも多くの参詣客が訪れる。

応仁−文明期(1467〜87)以降、山上から南斜面を中心に城郭として整備され、守護六角氏の主城(観音寺城)となり、信長の侵攻まで当山が湖東の政治・文化の中心地であったといっても差支えがない。

繖山は、平安時代の末期から戦国時代の終わりまでおよそ四百年間、近江その他を支配した近江源氏とも称される佐々木氏の総本城があった山である。観音寺城は、繖山全山にわたって築かれた佐々木六角氏の居城−戦国屈指の山城で、国史跡に指定されている。

ところがこの山は、平安時代をさかのぼる古代においては、狭狭貴と称した豪族がここを本拠としていたといわれる。

現在、全城域に残っている曲輪、屋敷の跡は、優に1千ケ所以上に及ぶが、そのうち最大の面積を占めるものは3500㎡、中級で1500〜2000㎡はある。古書に「この山の平なる所は曲輪跡にして、その数八百余ケ所あり」と伝えているが、これは決して拡張でない。

現在残っている城域は200万㎡、曲輪や屋敷を繋ぐ石階段の道は縦横無尽に設けられている。

「安土城に先行する山城」として年々関心度が高まってきている。まだまだ未調査の域の方が多いと聞く。

今後の調査でさらに全貌が明らかにされることを期待している。(観音寺城については別途) 登山路は20数本あるとされるが、主な登山道は石寺・桑実寺・五個荘町川並からで、山麓は歴史公園近江風土記の丘となっている。

「近郊の社寺仏閣・名勝等については各々の名称で別途」

繖山は安土山=安土城にも近く、これを合わせるとまさに歴史巡礼のメッカである。

だが、どこを訪ねるにしても石段道の登攀を覚悟しなければならない。

全山石、石、石である。巨岩がゴロゴロしている。だが、これら巨岩の存在がこの地域の歴史誕生のベースでもある。

一段一段固めながら登ると味わいもかわる。だが自動車道も出来ているので利用できる。平成13年(2001)5月19日、森林火災が発生、約57haを焼失した。一週間近く燃え続いたとされる。

今も山中には真っ黒な焼け残りの樹木の断片が散見される。

観音正寺、桑実寺、安楽寺、などが延焼を免れたのが幸いであった。

JR駅から歩いて行ける山は多くない。

繖山はJR能登川駅から歩いて登れ、しかも安心して登れる山とされ、しかも周囲には名刹・名勝が無数にある。

従い、最近は四季を通じてハイカーが訪れる。その数も年々増加するばかりである。

そのため、山の維持管理の必要性が高まり、種々の団体が協力して行なっている。その一つ「里山に親しむ会」を紹介する。実は私も5年前から会員として時々であるが協力している。

「里山に親しむ会」の経緯・趣旨・活動内容は次の通りである。(添付資料参照・毎日新聞H7−8)

里山に親しむ会は、五個荘在住の永田 久さんと坪田末次郎さんがコンビを組み、ボランティア活動を目的に結成された。

平成14年「住まいの110番・住環境整備」として結成されたのが始まりである。

この環境整備は、①ひとり暮らしの老人の生活サポート・②きぬがさ山系の遊歩道の整備作業に重点が置かれた。

平成15年「雨宮隆神社に涼水を通す」として構想2年の「無動力ポンプ」による「雨宮龍神社揚水設備設置」が始まる。

平成16年 繖山山系の保全作業が会の大半を占めるようになったため、「里山に親しむ会」に名称を変更。現在に至る。

以上が会の経緯である。

現在、メンバーとして35名ほどが登録されている。

地元五個荘に住む人が中心であるが、能登川・彦根・大津・栗東・日野・湖南など近郊からの参加者も含まれる。 雨宮龍神社揚水設備設置の件

明神さんと親しまれる雨宮隆神社は標高299mの山頂に鎮座する。しかし、境内には水道や電気は通っておらず、水の確保はバケツによる担ぎ挙げしかない。また、自然探索を楽しむ登山者も増えてきたため、二人は給水設備の設置を計画された。永田さんは、山の落差を利用した無動力ポンプに着目。神社と反対側の山腹1.5kmの繖山に集水タンクを設け谷水の引水を計画した。

無動力ポンプとは、高低差による空気圧と弁の開閉で水を送る装置で、水撃(ウオーターハンマー)の圧力で一気に揚水したあとは、峠を越えた雨宮龍神社まで流れ落ちる仕組みだ。(揚提175mの高所への揚水である)二人は整備を進め、地元住民の協力を得て標高300mの山腹まで機材を担ぎ上げた。言葉にもならない程辛い作業だったようだ。平成15年(2003)3月、境内の手洗い場に水が噴出した。協力した人たちは大きな歓声を上げ喜び合った。まさに執念の結集であった。

その後、毎日4〜5Lの水が流れ、クリーンエネルギーによる癒しの水となってきた。

今年4月、年数が経過した無動力ポンプの代わりに、大きな水タンクを設置すべく頂上まで担ぎ上げ、ゴムホースも引っ張り挙げた。

搬入ルートは石馬寺集落から地獄越えのコースであった。無動力ポンプの分解と撤去もあわせ大変な作業であった。

だが、冷たい谷川の水が蛇口から飛び出した瞬間、満足感が充満した。 暫くは活躍してくれるだろう。

「里山に親しむ会」は参加任意のボランティア団体で運営されてきた。

月一回の定例作業は、登山道の整備・草刈、案内板の改修築竹林の伐採等、仕事に切れ間がない。

現在この会が管理運営している歩道の距離は約15km、面積3万㎡におよぶとのこと。

登山路の雑草は一年過ぎると延び放題となる。毎年のように伐採が必要である。

だが大半の作業は、年配の会員さん達の働きに依存している。ほぼ毎日のように詰めて世話頂いており、これで滞りなく進んでいる。

登録会員は定例日、任意の参加になっている。

会員一人々の半日/月の協力でも出来る作業が多くあって、役立つことを喜んでいる。

山の維持管理は地道な作業の繰り返しではある。いつまでも継続する体制づくりが課題となる。

今年は「ささユリ」の保護と育成を他のグループと共同で行なっている。その可憐で優しい姿が登山者を迎える。

その可憐で優しい姿が登山者を迎える。 「ささユリ」によせる一首・・・会員・稲葉政幸氏

次代の担う子ども達との交流も大切な活動である。毎年20〜30人の小学生を募集して≪わくわく発見隊「自然の達人」≫を結成し、一年間にわたって山で一緒にボランティア活動を行なう。

作業終了後の交歓も楽しみの一つである。山との触れ合いを若いときに体験させておくことが大切と毎年継続されている。シイタケ栽培と販売

子ども達がシイタケ菌を植え付ける作業も板についてきた。気温が15℃前後になると出てくる。

その場で取って、直ぐ焼いて食べる・・・最高に美味い! 販売も順調だ。課題はサルとイノシシ対策である。

渓流の整備と探検

巣箱つくり

交歓会

「トムソーヤの家」づくりに一歩前進?

子ども達との自然を介した交流が、疲れを癒し新しい元気を与えてくれる。

太古からの歴史を秘めた繖山・・・果てしない魅力にあふれた存在である。参考資料《近江神崎郡誌、近江蒲生郡誌、滋賀県の地理、かくれ里をゆく、他》≪里山に親しむ会会員山本嘉之氏より写真提供≫

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