滋賀県彦根市 高宮神社
Takamiyajinja, Hikone city, Shiga
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Jan.31, 2014 中山辰夫
彦根市高宮町 高宮宿は、旧中山道の宿場町で、近江鉄道高宮駅は本線と多賀線が分岐する駅で、多賀大社参詣の乗換駅として重要である。
駅舎窓のマークは、4月に開催される高宮神社太鼓祭りで囃される「太鼓」をイメージされている。中山道沿いには古い家が立ち並ぶ。
高宮神社は旧中山道に面して建つ。創建は鎌倉時代末期。
もとは檜皮葺と思われる厳かな拝殿と複雑な造りの本殿が古木に囲まれて堂々とした姿を呈する。
旧中山道高宮宿に鎮座するこの神社は往時から街道を行き来する人々の心の拠り所となっていたと思われる。
参道左側に近江商人で元庄屋であった馬場家住宅(彦根市指定文化財)である。随神門は入母屋造の三間一戸の八脚門である。
旧中山道を挟んだ正面が、国登録文化財の「旧近江商人「布惣」跡—加藤家住宅−「座・楽庵」である。周辺は旧中山道の中心区域で、宿町を彷彿させる古民家が並んでいる。
≪参考≫
馬場家住宅
彦根市指定有形文化財馬場家住宅は、旧中山道高宮宿の北寄りにある高宮神社の参道南側に位置している。
築後250年余を経過している。黒壁に複雑な屋根組構成の屋敷の落ち着いた佇まいが、歴史の風格を感じさせる。
馬場家には馬場家文書と称される大量の史料が伝来しており、商家としての歴史的推移を追認することができる。
それによると馬場家は宝暦年間(1751〜64)に薬やく種類を持参する旅商を開始し、中山道を中心に商圏を拡大していった。
1798(寛政10)年に甲州に出店すると呉服類の卸業へと転身をはかるが、その姿は典型的な近江商人の経営展開を示すものであった。
江戸時代後期に発行された近江商人の番付である「湖東中郡日野八幡存々持余家見立角力」には、高宮出身の2人の近江商人の上位に当家先祖である「馬場利左衛門」の名が認められる。
現存する馬場家の屋敷は、主屋を中心に4つの蔵が配された重厚な造りとなっている。
その主屋は、桁行10間、梁間6.5間の2階建・入母屋造・瓦葺・平入の形式であり、特に2階外壁は漆喰で軒裏まで塗ぬり籠こめられている。
馬場家文書の中には、1832(天保3)年7月から天保12年9月に至る『棟上祝儀帳』が伝来しており、現存する主屋や土蔵などがこの間に建立されたことが分かる。が、主屋については、主屋東側の鬼瓦側面に「天保四」の銘を確認しており、主屋の建築年がおよそ1833(天保4)年と想定される。
主屋は、一部に改造があるものの全体としては建立当初の外観を保っており、室内の間取りにおいても良好な状態で維持されている。馬場家は中山道を中心に広範こうはんな商業活動を行った近江商人であり、高宮を代表する商家として庄屋を兼ねることもあった。
現存する建物は、そのことを物語る重厚な造りであり、上級商家の当時の暮らしを知る上でも貴重な歴史的建造物と言えるでしょう。「彦根市HPより抜粋」
彦根市高宮町
本尊:天津日高日子番能邇邇芸命街道からはずれ、石畳の長い参道を進む。
境内は約1万㎡と広い。
拝殿・本殿以外に幣殿・献饌殿・絵馬殿・表門・手水舎・社務所がある。
表参道以外にも南参道がある。
創立祀代は不詳であるが、社伝によると、鎌倉末期といわれている。
寛政年中の「中山道分間延絵図」には「山王」と記載されている。
また『近江輿地志略』には「山王権現社、同所にあり祭神日吉大比叡神、祭禮毎年三月十日」と記されている。
古くは十禅師宮又は山王権現と称していた、日吉社領に起因するものである
明治5年に村名により高宮神社と改称された。
配祀神木花佐久夜毘賣は、彦根市高宮町御旅所に鎮座してあった御幸神社の祭神であり、高宮神社に合祀した。
なお本殿は延宝6年(1678)の建築と伝えられており、高覧擬宝珠にその銘が刻まれている。随身門
嘉永2年(1849)の建立で、棟札を残している。入母屋造の三間一戸の八脚門である。
拝殿
入母屋造正面唐破風付 間口五間三尺 奥行二間三尺 入母屋造正面唐破風付
幣殿
本殿
間口一間一尺 奥行一間一尺 一間社流造正面千鳥破風軒唐破風付
高欄擬宝珠に刻銘があり、延宝6年(1678)建立とわかる。
芭蕉句碑
芭蕉の句碑「をりをりに 伊吹を見てや 冬籠り」の句碑が建立
裏面に 嘉永三庚戌林鐘の年号有り
美濃方面から伊吹山を吟じたとされる句である。
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