東京都檜原村 小林家住宅
Kobayashike,Hinohara village,Tokyo
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西多摩郡檜原村藤原4994 小林家住宅(東京都西多摩郡檜原村) 重文 近世以前/民家 江戸中期 18世紀前半 桁行14.8m、梁間9.3m、入母屋造、西面突出部附属、茅葺 19780121
Nov.2,2016 瀧山幸伸
麓の藤原集落
小林家の手前尾根を望む
春日神社と旧藤原小学校がある地点からの本道(尾根道)を登る。ここから25分の登り。
この地点には8世帯があったそうだが、山崩れで7世帯が失われた。
一軒残っているのは小林家住宅の最後の住民の方のお孫さんの家。
旧藤原小学校
春日神社
Kasugajinja
それほどきつい登りではない。
ほぼ登り切った地点。無住。
次の家。こちらも無住。
小林家住宅に到着。尾根なので展望が良い。
主屋
現在は村の所有。2015年に修復工事が完成し、公開された。
修復以前の小林家(写真:檜原村)
東京都西部の山中にある一軒家で、組頭を勤めていたという。
入毋屋造、茅葺で、破風が大きく、かぶと造りの形式をもつ。
平面は三間取広間型であるが、広間には隅納戸が付く。
比較的質が良く、東京都から山梨県へかけての民家の関連を知ることができる貴重な遺例である。
(文化財データベース)
管理人の小林さんは、小林家最後の住民のお孫さんで、麓にお住まい。以前大工をなさっていたので、詳しいお話を伺うことができた。
ほとんどの柱は栗。復元後も2本を除いて以前の栗の柱を使っているが、その他の不足部材は全国各地から取り寄せている。茅は阿蘇ほかから、構造材は岐阜ほかから、デイの竹は滋賀から、等々。
なお、建築的に留意すべき点が多い。例えば、屋外にも全周長押が付いている。造り付け棚があり、構造材の質が良いなど、関東の通常の重文民家とは違い仕様が良い。
林業は豊かだったので、全国各地の林業家の仕様は関東近在の農家よりも良い。家の造りからして、単なる炭焼き民家ではなく、山岳民家によくある武家の末裔、あるいは落人の系譜かとも思われるが、その痕跡も言い伝えもない。(参照、黒沢家、松下家)
周囲には修験地があり、檜原村には修験道に関連する文化財が残るが、当家が修験者の宿となっていたのかどうかも、わからない。
組頭の家なので、役人への対応ができる仕様となっていたのは事実。
この尾根は甲州街道の裏道として使われていた。武田、北条などの軍勢も通ったのであろうが、確証はない。
尾根をさらに登ると小河内峠。峠との中間地点に縄文前期の中之平遺跡(出土品は歴史民俗資料館に展示)があり、当地域の歴史はかなり古い。
小林家の上方には天正年代の秀吉ゆかりの祠もあるという。
前景
裏側 水源はなく、手前の谷間から汲んでいた。
便所、風呂など
玄関 出入り口はここだけ。
内部
土間
土台に焼け焦げ跡があるので、この付近にかまどを復元。
デイ
奥は納戸。煙探知機の動作などがあるので通常は締め切りだが、特別に開けていただいた。納戸の中の左側の戸を開けると、奥行一尺五寸、幅一間ほどの狭い空間が出現。この部分の目的は不明。管理人さんも今日までこの空間の存在を知らなかった。
かつては納戸の側面に仏壇と神棚があったこのこと。
東南角の間
仏間
板蔵と馬小屋。板蔵に収穫した食料を保存していた。焼いた炭を馬で運搬していた。主屋の横には牛小屋もあった。
板蔵の裏、東南の角の大ケヤキ、その根元に祠がある。
家の裏と横はかつて畑で、ヒエ、アワ、ムギ、ジャガイモなどを栽培し自給自足だった。
現在はツツジ、カエデなどを植えている。
小林さんお手製の梅干とお茶をいただく。この地の梅を使用。