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Monthly Web Magazine Feb. 2017

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■■■■■ 前号マガジン以降に公開した動画 

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富山県上市町 日石寺

Nissekiji,Kamiichi town,Toyama

香川県土庄町 小豆島銚子渓 お猿の国

Choshikei Osarunokuni,Tonosho Town,Kagawa

香川県小豆島 全般(小豆島町土庄町

Shodoshima Island(Shodosima town and Tonosho Town,Kagawa)

高知県高知市 竹林寺 31番札所

Chikurinji 31ban fudasho Kochi city,Kochi

高知県土佐清水市 

Tosashimizu city,Kochi

愛媛県愛南町 外泊

Sotodomari,Ainan town,Ehime

愛媛県西予市 宇和卯之町 

Uwa Unomachi,Seiyo city,Ehime

徳島県徳島市 阿波十郎兵衛屋敷 阿波人形浄瑠璃

Awa Ningyo Joruri,Awa Jurobe Yashiki,Tokushima city,Tokushima

徳島県美馬市 脇町

Wakimachi Mima city,Tokushima

鳥取県三朝町 三徳山三仏寺

Mitokusan Sanbutsuji, Misasa town, Tottori

島根県安来市 足立美術館

Adachi museum,Yasugi city,Shimane

宮城県大崎市 鬼首間欠泉 

Onikobe Geyser,Osaki city,Miyagi

東京都文京区 小石川植物園 

Koishikawa botanic garden,Bunkyoku,Tokyo

三重県津市  三多気の桜

Mitake,Tsu city,Mie

群馬県甘楽町 小幡 

Obata,Kanra town,Gunma


■■■■■ Topics by Reporters


 

■ 小豆島の冬  瀧山幸伸

2017年1月の後半、4日かけて島を調査した。小豆島は、東側の小豆島町と西側の土庄町に分かれ、日本19位の大きさだ。

観光的に小豆島といえば、オリーブ寒霞渓醤油、そうめん、二十四の瞳エンジェルロード、等々で、実際の観光広報も訪問客もこれらを目的地としている。オリーブ園にある道の駅で観光協会によるかなり長時間のアンケートヒアリングを受けたが、内容はこれら既存観光地に関するもので、新規の目的地や観光客を開拓する発想は見受けられなかった。特に文化的な対象が薄いように思われた。

    

文化財はまさしく地域の宝物。リピート率が低い団体若者志向から脱却し、埋もれた文化財を再評価すれば大きなポテンシャルが生まれるだろうに、「冬はオフシーズン」との思い込みから、島全体が全くの閑古鳥状態だった。

そうは言っても、オリーブも醤油もそうめんも映画も文化に関するものであるし、さらには美しい中山の棚田農村歌舞伎の舞台、まるでギリシャ野外劇場そっくりの池田の桟敷、島内だけの八十八か所遍路、歴史的建造物など、多くの文化財を擁している。その数は2016年12月に訪問した屋久島よりも圧倒的に多い。例えば映画にもなった小説「八日目の蝉」で中山の棚田や伝統行事、歴史的な街並などの文化的景観が取り上げられたことは喜ばしい。

  

冬の小豆島はオリーブのイメージに違いかなり寒くいが、寒くても問題ない観光客とリピーターを増やす必要がありそうだ。寒さゆえに愛くるしい「サル団子」も見られる。ここのサルは性格がおとなしく人懐っこく、県天然記念物に指定されている。午後三時以降に見られる確率が高いとの情報を得て訪問したが、現地には私たち夫婦と、徳島からやってきた中年ご婦人カメラマンの三人だけだった。雪が降りしきる中での夕日の輝きがこの世の物とも思えぬ美しさだった。安易な団体客向きではないが、感動の大きさは計り知れない。

大坂城石垣石切丁場跡の遺跡は、世界的な建造物の大阪城石垣のルーツであり世界レベルで特筆に値するが、現地は整備が遅れ廃墟に近い。大阪城のある大阪市と連携を強化する道もあろうし、歴史ファンを魅了する道はありそうだ。

歴史ファンということでは、小西行長支配時代のキリスト教遺産も完全に忘れられている。高山右近が潜伏していた屋敷跡は探し出すのも大変だったし、説明版もない。まだ文化財にも指定されていないようだ。アニメファンばかりでなく、高山右近の軌跡や殉教キリシタンの遺跡巡礼など、新しい訪問客の発掘もありえよう。

小豆島特有の「シシ垣」(イノシシ除けの構築物)は、総延長120Kmに及ぶといわれ、ミニチュアの万里の長城のようだが、観光的には完全に埋もれている。

  

まだまだ多くの文化財があり、どれも非常に魅力的である。要するに、小豆島には多くの宝が眠っており、美術関連で賑わう隣の直島や豊島とは異なる道が開けているように思えた。直島や豊島とは異なり、スポンサーも大型投資も不要だ。


■雪の思い出 大野木康夫

1月下旬、1mほどの積雪があったという東近江の百済寺を訪れたら、除雪ができずに拝観停止となっていましたが、その時、管理の方が、「子どもの頃は普通にこれくらい積もっていた。」とおっしゃっいました。

私は京都と大津の中間の山科盆地に生まれ育ちましたが、小学校くらいのとき(昭和40年代半ば)に、家の裏にあった空き地にむりやり「かまくら」を作った記憶がおぼろげながらあります。

ある程度しっかり残っている記憶では、昭和59(1984)年の1月、大学1年のときですが、朝7時30分頃、中野区新井にあった学生寮を出るときは粉雪が舞っていたのが、登校して1、2時限の語学の授業が終わって校舎の外に出たら20センチほどの雪が積もっており、交通機関が混乱して午後からの授業は軒並み休講になったときがありました。

図書館と脇のヒマラヤスギの墨絵のような雪景色が目に焼き付いています。

この年は何回か東京にしては多く雪が降り、1回は東中野の友達の下宿で試験勉強と称した夜遊び(実は私は勉強は昼のうちに終えているのですが…)をしていたら雪が降り、登校準備のために夜明け時に寮まで雪の中を帰ったりしていました。

就職して京都に帰ってからの記憶では、クリスマスに左京区の久多で民宿をしている友達の家で1泊したら、前日は何もなかったのに1晩で車のボンネットを越えるくらいの積雪になってびっくりしたことがあります。翌日は仕事だったのですが、その友達は何事もなかったように、除雪もされていない道(府道)を突っ切って送ってくれたのにも驚きました。

その他、大学の卒業旅行で行ったアテネに積雪があったことも含め記憶のよすがとしての写真が残っていないので、年を取るとともに記憶は薄れ、また、脳の中で美化されてきているようです。

Japan Geographicに投稿するようになってからは、雪景色の写真を残す習慣はついたので、それ以降の記憶のよすがは残っていますが、美化できるように写すのは難しいかもしれません。

雪道の運転はしないと決めているので行動半径が限られていますが、今後も機会があれば「よすが」(できれば記憶に干渉できるようなもの)を残していきたいと思います。

平成23(2011)年

      

平成24(2012)年

    

平成25(2013)年

     

平成26(2014)年

       

平成27(2015)年

          

平成28(2016)年は雪の撮影はありませんでした。

平成29(2017)年

          


■発掘の話 田中康平

知り合いのやっている保育園で恐竜と鳥というお話をやってほしいと依頼があり、これは難しいと思いながらネタをいくつか掘り起こしていた。掘り起こすといえば発掘だが、恐竜の発掘は見たことがない。そういえば4年くらい前に鬼怒川の河原でクジラの骨を発掘しているところを観に行ったことを思い出した。

鬼怒川が大谷(ダイヤ)川と呼び名が変わる少し手前の宇都宮市北部の河原で、化石好きの中学生が何か生物のような化石があるのを見つけ栃木県博物館に持ち込んだことから本格的発掘が始まったということだったと思う。

1600万年前位の化石でその時代は今は標高130m位となっているこの辺りもクジラが泳ぎ回るような海だったようだ。人類が猿の仲間から枝分かれするずっと前のことだから”縄文海進”などよりはるか昔から水面はかなり高かったということになる。今、温暖化して海面が上がろうとしているのは実は普通の姿に地球が戻ろうとしているだけなのかもしれない、そんなことも思ってしまう。

ともかく、発掘しているという現場を見に行った。

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発掘というと遺跡や土器の発掘は一応見たことがあるのでそんなものか、繊細に刷毛で土を払いながらの掘り出しか、と思っていたが全く違っていた。河原の人だかりのする方へ進むとけたたましい削岩機の音がする。近寄って眺めると石を砕いて化石と分離しているようだ。1600万年もたつと土ではなく周りが石にまで固化してしまう、そんなことになるのだ。確かに途方もない時間の経過だ。

見に来ている人も奇妙な人がいて、化石の発掘だというの石の間に生息する小さな川魚を走り回って夢中で追いかけたりする人(大人)がいたりする。やはり博物学の世界だろうか。

発掘されたクジラの化石は全身骨格で、全身が見つかることは珍しいのだと今調べて知った。こどもにでも話をすることは自分が学ぶことになる。それがいい。

添付図は当時のFNNニュースより

こんな話も混ぜてとにかく鳥と恐竜についての話をつくりあげて5歳の子供たちに話した。興味のある子はちゃんと聞いて色々質問するがそうでない子ははなから聞いていない。反応が一々面白い。

話し終えて振り返ると、この子たちから一人でも恐竜の発掘に進む子が出たら、とそんな気持ちを持たせて 教育の場はうらやましくもあった。

 


■年初の嬉しい出来事〜雪化粧のメタセコイアと、あるご婦人との出会い 中山辰夫

昨年11月中旬、日本経済新聞NIKKEIプラスⅠの「冬の訪れを感じる並木道を歩こう」で、神宮外苑のイチョウに次いで2位に「マキノ町のメタセコイア」が選ばれました。この記事をみて「紅葉は外すまい」と情報を仕入れながら過ごしました。

12月初めの「紅葉」

   

ピークは一週間前後 タイミングが合ってラッキーでした。その時から、次は「雪化粧」を見ようと決めました。

紅葉が終わると一気に落葉が始まります。路面一杯に落ちる落葉の量は年々増加している様で、2010(平成22)年に設立された「マキノのメタセコイア並木を守り育てる会」やボランテイアの皆さんの手で、年末直前に落葉の除去作業が行われました。重機が必要なほどの量です。

除去前と除去後 あとは雪の降るのを待つだけです。

   

雪が降っても、樹の上に残らないと着雪したことにならない。強風で吹き飛ばされてもダメ。何時でも見られる現象でなく、昨年は一度も着雪がなかったようです。

その機会が意外と早く訪れました。日本中を大型の寒波が覆った1月22〜24日各地に大雪が降りました。これは外せないとダメ元で出かけました。

JR湖西線の沿線は白一色、空と琵琶湖は鉛色。だんだん不安になってきました。勿論マキノは大雪、ホームも1m強の積雪でした。駅前よりバスで現地へ直行。

幸い、並木道は風もなく、期待通りの着雪で、何とも表現しづらい光景が目の前に開けていました。周囲の幻想的な雰囲気・景観に魅了され、満足しました。

   

ところで、滋賀県マキノ町にあるメタセコイアの並木道は、1981(昭和56)年に「マキノ土に学ぶ里整備事業」の一環として、マキノ果樹生産組合が植えたのが始まりです。クリ園の防風林としての働きも期待されていました。

その後樹木の成長と町をあげての整備が進み、1994(平成6)年には、「新・日本街路樹百景」に選ばれました。

今では高さ30mにそびえる幹とは対照的に、繊細な樹形が織りなす並木道の景観は四季それぞれ美しい雰囲気を醸し出します。

4月終わり頃からの芽吹き〜新緑〜若葉〜夏木立〜黄葉〜紅葉へと変化し、四季折々の雄大な姿で魅了します。

   

帰路、とある女性とタクシー相乗りで駅に向かいました。この女性は、姫路を5時に出てマキノまで約4時間の一人旅で来られました。

どうしても雪化粧のメタセコイアを見たくて追いかけておられた由。「今日はチャンス」と確信して家を飛び出したとのこと。

樹幹の雪化粧に大満足! バスで知り合った卒業直前の大学生と同道し、恋人気分?でシャッターを押してきたことにもご満悦でした。

後で、お年が満80歳と聞いてビックリ。気力・体力ともに満ち溢れておられる姿に脱帽。2年間、無償で開いていた絵パソコン教室(独力でマスター)を昨年末で閉められたとか。年賀状の見事な絵を拝見しました。行動の範囲が非常に広いことも知りました。

京都までの間、いろいろお話する中で、私もまだまだ負けておれない、「80歳までは続けよう」との思いに至りました。

帰って彼女のブログを拝見しました。記載内容の豊富なこと、文章や画像の素晴らしさに圧倒されました。メタセコイアの画像はリアルでとても追いつけません。

お名前は窺っておりませんでしたが、通信員に加わって頂けたらいいな・・・とも思いました。これから先もブログを楽しませて頂きます。いい出会いに満足しました。

年明け早々の、私にとって二つの良きことを踏み台に今年も頑張りたいと思いました。

瀧山さんにはこの数カ月、「もううんざり」と思われるほど繰り返し、メタセコイアの画像を処理頂いたこと、あらためてお礼申し上げます。

 


■ 節分  蒲池眞佐子

最近は節分の恵方巻が大イベントになっていますが、昔は恵方巻なんて食べなかったな〜と思ってしまいます。

ご存じの方も多いですが、立春で1年が始まることを重視し、前日の日に厄を祓って新しい年を迎えるため、節分は立春の前の日にあるそうです。

地域ごとにいろんな風習がありますが、山口県では「豆をまく」はもちろんのこと、「匂いの出るものをいぶす」「自分の嫁をけなす」「こんにゃくといわしを食べる」「鯨を食べる」など、ちょっとずづ地域によって違うらしいです。

また、萩地方ではトゲのあるダライギという木を玄関の脇に置くことで厄除けにするらしく、同じ県でもこれだけ違うのだから、いろいろなところへ出かけて行って調査するのも面白いかもしれません。

近くのスーパーには節分になると、恵方巻とイワシと鯨が山ほど売られます。まだこんなに鯨があったのか、と驚くほどです。

今では滅多に食することができなくなった鯨の刺身、もちろん買ってきました。その他に鯨のメンチカツ、南蛮漬け。

スーパーのおばさんに聞くと、「この地域は大きいものと小さいものを食べるのよ。」と教えてもらいました。

なぜ小さいものの代表がイワシなのかは不明ですが、これまた謂れがあるのでしょう。


■ダイエット 川村由幸

50歳を過ぎたころから、徐々にお腹のまわりに肉が付き出しました。

それでも毎日忙しく仕事に追われている内は気にするほどの体重増加とはならなかったのです。

ところが、多忙な仕事から離れた60歳から後の7年で10kg程も体重が増加してしまいました。

もちろん人間ドックではメタボの指摘を受け、コレステロール・血圧高と成人病予備軍の状態となりました。

バンツのウェストサイズも90cmを超え、それもきつくなり始めてやっと心を入れ替え、昨年の8月から体重減少に取り組みはじめたのです。

結論から先にお知らせすると、昨年の8月から6ケ月で9〜10kgの減量が実現できました。

最大85kg超であったものが現在は76kg前後を維持しています。

減量に幅があるのは、日々体重測定しているのですが、微妙な増減を繰り返しており、一定しないためです。

皆さん、なにをして減量したかと問われるでしょう。

「8時間ダイエット」を地道に実行したというだけです。

具体的な中身は一日の内、8時間の間のみ食べるというものです。例えば朝11時にその日最初の食事をしたら、夜7時までにすべての飲食を完了。翌日の朝11時までは飲食しないというものです。

飲食できる8時間の食事内容に一切の制限はありません。

どうも大切なのはその日最後の飲食をしてから就寝までに十分な時間をとることと、食べてよい8時間の反対側の時間、すなわち16時間何も食べないということがキーポイントのようです。

私はさらに仕事に出勤したり、テニスをしたりしない日は1時間程度全速力で歩きました。

私が全速力で一時間歩くと6,500歩、6km前後となります。真冬の今でもこれをやると全身汗ビショリです。

これらの成果が体重減少だけではないのです。

昨年12月の人間ドックでは、一昨年と比較してメタボリックシンドロームの指摘はなくなり全ての検査項目で悪化したものはなく、改善したものだけとなりました。

皆さん、ダイエットは辛いものと思っておられるでしょう。

確かに食べないという禁欲は楽しいものではありません。

振り返ると私には50歳の時の禁煙のほうがずっとたいへんであったと感じています。

そうなんです、煙草を止めて太りだしたのです。因果関係のある禁煙が出来たのだから、食べないという禁欲もできると思えました。

意思の問題です。やろうと思い、行動する。全てが自分で決めたことなのです。思わなければ何も始まりません。

自分で決めたことを淡々とこなしたというのが今の実感で、それに結果が付いてきたというところでしょうか。

もう一つはあまり厳格にしないことでしょうか。お酒をいただいて会食すれば、すぐに8時間ダイエットの前提が崩れます。楽しかったからまあいいやと思い、そこから又自分を律すれば良いのです。

そんなわけで、それほど辛いとは感じない6ケ月でした。

もうしばらく、このダイエットを続けてみようと考えている今日この頃です。


■ 中古DVDで映画を楽しむ  野崎順次

10年位前までは、自宅から10分歩いて電車で16分、それから10分歩くと会社に着いた。ところが、自宅近くの停留所からバスに乗ると、25分で別の駅に着き、12分乗ると会社直下の駅に着くことが分かった。バスの便は少なく時間は少しかかるが、歩く距離は大幅短縮して楽である。半時間弱のバスの中ではノートパソコンでDVDの映画を見ることにした。2時間ものなら、大体、往復3日で見ることができる。日本映画は面白くないからほとんど見ない。英米映画の方が質が高いし、仕事(貿易)上、英語に親しんでおける。でも、英語版をそのままヒアリングする能力はないので、音は英語、字幕は日本語というのが標準である。最初はケーブルテレビの映画専門チャンネルを録画したものを見ていた。家内が名作を録画してDVD(CPRM対応)に入れてくれるのである。ところが、CPRM対応のものはなぜかパソコンで長時間見れない。15分くらいでとぎれて再起動する必要がある。そこで、普通のDVDを優先的に見るようになった。

主な購入先は、大阪駅前第1ビルのB2のアダルトビデオ(AV)屋である。その店頭に(AVではない)普通の映画の中古DVDが3枚900円(後に980円に値上げ)で売っているのである。見たことのない映画がほとんどである。そういえば、40年以上映画館に行っていないし、20年以上、レンタルビデオ店にも行っていない。

     

レジは店内の入り口にあるので、中に入らねばならない。アダルトビデオを買っているように見えるが、そういうことを気にする年でもない。

この1年間に120枚以上の中古DVDを買った。時には、見ず知らずの客が、これとこれは面白いよと勧めてくれる。若いころ好きだったB級ホラーやB級SFは退屈な作品が多い。やはり、お金をかけて撮影技術を駆使した大手作品が面白い。見終わると、身内か友達にただであげようとするのだが、あまり喜んでもらえない。みんな手持ちのDVDがあふれているようである。捨てるのも抵抗があるので、そのアダルトビデオ屋に買い戻してもらうことにした。まとめて持っていくのが重たいし、1枚当たり20〜30円しかならないが、気分的には納得する。

面白かったのは、しばらく手元に残しておく。今のところ、こんなのがある。順番は at random である。

1992年米 ドラキュラ(Bram Stoker's Drachula)

2010年米 ウルフマン(The Wolfman)

2004年仏 ゴッド・ディーバ(Immortel, ad vitam)

2009年米 マイケル・ジャクソン This is it (Michael Jackson's This Is It)

2007年米 デスプルーフ in グランドハウス(Death Proof)

2006年米 ラッキーナンバー7(Lucky Number Slevin)

1962年米 マーズ・アタック!(Mars Attacks!)

2008年米 バーン・アフター・リーディング(Burn After Reading)

2005年スペイン あなたになら言える秘密のこと(The Secret Life of Words)

2004年米 チーム★アメリカ/ワールドポリス(Team America: World Police)

2002年米 ボウリング・フォー・コロンバイン(Bowling for Columbine)

それから、

1952年米 宇宙戦争(The War of the Worlds)

2002年米 クリスティーナの好きなコト(The Sweetest Thing)

2000年米 スナッチ(snatch)

2004年米 レディ・キラーズ(The Lady Killers)

2004年米 マイ・ボディガード(Man on Fire)

などである。

話は変わるが、新品DVDで大切に残しているものは、スティーブ・マックイーンの出世作「拳銃無宿(Wanted dead or alive)全7巻」。1958から1961年のテレビドラマシリーズで、威勢のいい賞金稼ぎ(ジョッシュ・ランダル)が活躍する西部劇である。当時、中学生だった私たちは夢中になったものだが、今見てもワクワクする。独特の改造銃(ランダル・カスタム)が登場し、50年後の現在でも、そのモデルガンが売られている。


■ おばちゃんカメラマンが行く   @鹿児島 事務局

鹿児島には世界一の食べ物が二つあるらしい。

一つは世界一大きい大根の「桜島大根」

もう一つはギネス世界一になった世界一小さいみかん、「桜島小みかん」だ。

桜島大根は有名でしばしば大根足の象徴として使われるが、ギネス認定桜島小みかんはちょっと気になる。

昨年12月、知覧の森重堅庭園の入り口で、たわわに実った桜島小みかんの木を見ることができた。数が少ないのと収穫時期が12月上旬の短い期間ということもあり、なかなかお目にかかれない。直径5cm未満の大きさでかわいらしい。「盗るな」と注意書きがあり、その場で味見することはできなかったが、道の駅で見かけ食すると甘く、程よい酸味もある。小さいが自己主張は忘れていない。

 

では、世界一大きいみかんは?

それも今回食することができた。熊本の「晩白柚(ばんぺいゆ)」だ。大きいものでバレーボールぐらいになるそうで、持ち運びも大変だろうが、1か月ぐらい日持ちがするらしく、地元の人たちはお正月用に大量に買いだめるらしい。甘みもありジューシーでさっぱりしている。皮は厚いがジャムやお菓子にすることができる。

泊まった日奈久の宿ではお風呂にゆずの代わりに惜しげもなくぷかぷかと浮かんでいた。

みかんの種類は品種改良を重ねた結果900種類以上あるともいわれているが、こんなにもみかんにこだわるのは日本人だけかもしれない。

ところでもっと小さい金柑を忘れているではないか・・・・・

世界一小さいのは金柑かと思いきや、金柑はミカン科キンカン属でミカン属の仲間には入れてもらえないのだ。ギネス認定ならず残〜念。


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Editor Yukinobu Takiyama

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