JAPAN GEOGRAPHIC

広島県福山市 鞆 

Tomo,Fukuyama city,Hiroshima

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安国寺


福山市鞆町後地1225 沼名前神社能舞台 重文 近世以前/その他 江戸前期 江戸前期 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、妻入、こけら葺 19531114

福山市鞆町鞆842 太田家住宅(広島県福山市鞆町) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸中期 18世紀中期 "桁行14.7m、梁間12.9m、二階建、南面入母屋造、北面切妻造、東南西各面庇付、本瓦葺、南面下屋附属、西面突出部 桁行6.0m、梁間5.0m、本瓦葺、北面庇附属、桟瓦葺、西面台所及び浴室附属、北面大広間 桁行7.0m、梁間9.8m、切妻造、桟瓦葺、東面庇付、鉄板葺、北面便所及び上便所・渡廊下附属" 茶屋1棟、高塀1棟 19910531

福山市鞆町鞆842 太田家住宅(広島県福山市鞆町) 炊事場 重文 近世以前/民家 江戸後期 18世紀末 桁行4.1m、梁間6.0m、北面庇付、二階建、南面入母屋造、北面切妻造、本瓦葺、東面主屋間取合附属、西面流し場 桁行3.8m、梁間4.1m、二階建、片流れ、本瓦葺、西面湯殿附属 19910531

福山市鞆町鞆842 太田家住宅(広島県福山市鞆町) 西蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 寛政元(1789) 土蔵造、桁行7.3m、梁間6.0m、二階建、切妻造、本瓦葺 棟札1枚 19910531

福山市鞆町鞆842 太田家住宅(広島県福山市鞆町) 釜屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 18世紀末 土蔵造、桁行6.0m、梁間5.0m、二階建、切妻造、本瓦葺、南面西蔵に接続 19910531

福山市鞆町鞆842 太田家住宅(広島県福山市鞆町) 南保命酒蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 18世紀後期 土蔵造、桁行13.8m、梁間5.9m、二階建、切妻造、妻入、本瓦葺、南面釜屋間土塀附属 19910531

福山市鞆町鞆842 太田家住宅(広島県福山市鞆町) 北保命酒蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 天明8(1788) 土蔵造、桁行15.1m、梁間5.9m、二階建、切妻造、南面保命酒蔵に接続、東面突出部 桁行3.7m、梁間5.7m、二階建、切妻造、本瓦葺 19910531

福山市鞆町鞆842 太田家住宅(広島県福山市鞆町) 東保命酒蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 寛政7(1795) 土蔵造、桁行14.2m、梁間6.0m、二階建、切妻造、妻入、本瓦葺、西面北保命酒蔵間取合附属 棟札1枚 19910531

福山市鞆町鞆842 太田家住宅(広島県福山市鞆町) 北土蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 19世紀前期 土蔵造、桁行10.0m、梁間5.4m、二階建、切妻造、本瓦葺 19910531

福山市鞆町鞆842 太田家住宅(広島県福山市鞆町) 新蔵 重文 近世以前/民家 江戸末期 19世紀前期 土蔵造、桁行11.6m、梁間7.9m、二階建、切妻造、本瓦葺 19910531

福山市鞆町鞆846 太田家住宅朝宗亭(広島県福山市鞆町) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 文化元(1804)以前 桁行13.8m、梁間10.0m、一部二階、西面切妻造、東面入母屋造、妻入、南東北各面庇付、本瓦葺、南西各面下屋及び北面上便所・渡廊下附属 19910531

福山市鞆町鞆846 太田家住宅朝宗亭(広島県福山市鞆町) 門屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 文化元(1804)頃 桁行5.9m、梁間2.6m、二階建、切妻造、西面庇付、本瓦葺、東面主屋間取合及び北面下屋・塀・下便所附属、南西面離屋に接続 19910531

福山市鞆町鞆846 太田家住宅朝宗亭(広島県福山市鞆町) 離屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 18世紀後期 桁行6.0m、梁間7.9m、二階建、南面入母屋造、北面切妻造、西面庇付、本瓦葺、主屋間取合を含む、東面塀・便所及び渡廊下附属 19910531


Nov.30,2020 瀧山幸伸

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「地理が歴史と文化を創る」という視点から考察したいとの動機があり、先行論文が無い部分を深く探求するための下調べとして再訪した。

テレビの教養番組レベルではなく、大学院の専門領域で論文論考レベルの視点で鞆を巡検するための下調べとするための訪問記録。自然地理・人文地理・歴史地理的なアプローチで、アニメ映画や時代劇などの興味がある方には全く面白くない内容。

鞆の発展と衰退の歴史における地理的要因の調査

例えば

・漁港、軍港(水軍)や汐待港、商業港(西回り航路など)において他の近隣と比較してどのような利点や弱点があったのか。沿岸漁業の漁港であればここまで発展しなかった。水軍拠点であれば能島のような高速な潮流には勝てないし、御手洗のような汐待港、現在の高速インターのような立地にも勝てない。商業港と文化では後背地まで含め尾道などとどう違うのか、尾道水道と磐台寺の水道はどのような違いがあったのか、などを探りたい。

・朝鮮通信使施設として現代のリゾート型迎賓館に選ばれた理由を牛窓、興津とともに文化景観工学的に調べたい。

・景観を破壊する海上バイパス案は世界危機遺産に指定されかねないほど衝撃的なものだった。これに関しては天草の牛深が悪い前例を作ってしまった。当地域は塩飽諸島の自治領などと争ってきた。福山人の気質を憂えた菅茶山の廉塾(国特別史跡)は忘れ去られ、現在においても経済優先思想は根強い。地域の人々の世界観形成の背後に地理的要因があるのかどうか探りたい。

 

  

港付近

                                                                                                                                                                                   

福禅寺

                                                                                                                        

安国寺 沼名前神社 方面へ

                                                                     

 

 

             


Apr.29,2013 瀧山幸伸

   


Aug.2012 大野木康夫 source movie

2012.8.20撮影 

ホテル鴎風亭付近

         

早朝の鞆の町を散策しました。

鞆港

       

太田家住宅

    

西蔵(重要文化財)

   

釜屋(重要文化財)

 

南保命酒蔵(重要文化財)

   

北保命酒蔵(重要文化財)

     

北土蔵(重要文化財)

 

新蔵(重要文化財)

           

主屋(重要文化財)、炊事場(重要文化財)

                           

太田家住宅朝宗亭

離屋(重要文化財)

      

門屋(重要文化財)

           

主屋(重要文化財)

 

山中鹿之助の首塚

  

沼名前神社

安国寺

ホテル鴎風亭からの朝の眺め

                   

百貫島(弁天島)

  

対仙酔楼

  

福禅寺

      

客殿(対潮楼)

               

海から見た対潮楼

          

仙酔島への航路

            

仙酔島

                                  

ともてつバス

方向幕の両側にカタツムリのマークがあるのは都バスのリサイクルです。

   

鞆港

           

太田家住宅を再訪しました。

公開時間は10時からです。

太田家住宅は、江戸時代に酒造業で栄えた町家の遺構で、鞆の古い町並みの中心にある。

敷地は四方を道路で囲まれたほぼ一区画を占める広さで、その東南に主屋を配し、主屋の西と北に敷地を囲むように附属屋や土蔵が建ち並んでいる。

江戸時代の商家の構えをよく留めており、また、鞆の歴史的町並みの中心となる町家として重要である。

(国指定文化財等データベースより)

       

主屋(重要文化財)

18世紀中頃の建築

桁行14.7m、梁間12.9m、二階建、南面入母屋造、北面切妻造、東南西各面庇付、本瓦葺、南面下屋附属、

西面突出部 桁行6.0m、梁間5.0m、本瓦葺、北面庇附属、桟瓦葺、西面台所及び浴室附属、

北面大広間 桁行7.0m、梁間9.8m、切妻造、桟瓦葺、東面庇付、鉄板葺、北面便所及び上便所・渡廊下附属

附指定:茶屋1棟、高塀1棟

内部は撮影禁止、入口北側の白壁が附指定の高塀です。

               

炊事場(重要文化財)

18世紀末の建築

桁行4.1m、梁間6.0m、北面庇付、二階建、南面入母屋造、北面切妻造、本瓦葺、東面主屋間取合附属、

西面流し場 桁行3.8m、梁間4.1m、二階建、片流れ、本瓦葺、西面湯殿附属

南側の通りから見て主屋の西側に建っています。

    

新蔵(重要文化財)

19世紀前期の建築

土蔵造、桁行11.6m、梁間7.9m、二階建、切妻造、本瓦葺

主屋の北、東側の通りに面しています。

   

西蔵(重要文化財)

寛政元(1789)年の建築

土蔵造、桁行7.3m、梁間6.0m、二階建、切妻造、本瓦葺

西側の通りに並ぶ土蔵群の一番南の蔵です。

  

釜屋(重要文化財)

18世紀末の建築

土蔵造、桁行6.0m、梁間5.0m、二階建、切妻造、本瓦葺、南面西蔵に接続

西蔵のすぐ北の建物です。

   

南保命酒蔵(重要文化財)

18世紀後期の建築

土蔵造、桁行13.8m、梁間5.9m、二階建、切妻造、妻入、本瓦葺、南面釜屋間土塀附属

釜屋の北に2棟並ぶ土蔵の南側です。

東西の路地が突き当たっています。

保命酒を仕込んだ蔵です。

    

北保命酒蔵(重要文化財)

天明8(1788)年の建築

土蔵造、桁行15.1m、梁間5.9m、二階建、切妻造、南面南保命酒蔵に接続、

東面突出部 桁行3.7m、梁間5.7m、二階建、切妻造、本瓦葺

西側の通り沿いに並ぶ土蔵の一番北側です。

保命酒を搾った蔵です。

     

東保命酒蔵(重要文化財)

寛政7(1795)年の建築

土蔵造、桁行14.2m、梁間6.0m、二階建、切妻造、妻入、本瓦葺、西面北保命酒蔵間取合附属

北保命酒蔵の東に続く土蔵です。

外部からは見えません。

保命酒の貯蔵に使われていました。

 

北土蔵(重要文化財)

19世紀前期の建築

土蔵造、桁行10.0m、梁間5.4m、二階建、切妻造、本瓦葺

北側の通りに面しており、北保命酒蔵の東にあります。

通りに面した壁には檜皮が貼ってあります。

 

太田家住宅朝宗亭

太田家住宅朝宗亭は、本宅と道路をはさんで東側に建てられた別宅で、藩主の御成のさいに使用されていた。

敷地の西側道路に面して門屋と離屋が並び、門屋の奥に主屋が建てられている。

主屋の東と南は港に面した庭となっていて、眺望が開けている。

座敷などの造りも良く、本宅とともに鞆の町並みの主要部を構成する町家として価値が高い。

(国指定文化財等データベースより)

現在も太田家の住居として使用されており、非公開です。

主屋(重要文化財)

文化元(1804)年以前の建築

桁行13.8m、梁間10.0m、一部二階、西面切妻造、東面入母屋造、妻入、南東北各面庇付、本瓦葺、南西各面下屋及び北面上便所・渡廊下附属

鞆港の雁木の方から見えます。

      

門屋(重要文化財)

文化元(1804)年頃の建築

桁行5.9m、梁間2.6m、二階建、切妻造、西面庇付、本瓦葺、東面主屋間取合及び北面下屋・塀・下便所附属、南西面離屋に接続

太田家住宅と通りを挟んで東側です。

ひとつながりの建物に見えますが、北側(玄関付)が門屋、南側が離屋です。

     

離屋(重要文化財)

18世紀後期の建築

桁行6.0m、梁間7.9m、二階建、南面入母屋造、北面切妻造、西面庇付、本瓦葺、主屋間取合を含む、東面塀・便所及び渡廊下附属

     

桝屋清右衛門宅

 

帰りの福山駅行きのバス

 


Dec.2010 川村由幸

名称:鞆の浦

訪問日:Dec.8,2010

「鞆の浦埋立架橋問題」、「崖の上のポニョ」、そして今年の「竜馬伝」と話題に事欠かない鞆の浦を訪れてきました。

江戸時代の港湾施設が残っている数少ない港です。街並みも歴史を感じさせるものでした。

鞆の浦は移動・運搬という効率を求める交通施設で効率の良くない歴史あるものが残されている珍しいケースなのでしょう。

                               


May 2010 撮影/文:瀧山幸伸 source movie

     

A camera

    

対仙酔楼

    

          

福禅寺 対潮楼

                                               

                                    

太田家住宅

                                                                                              

鞆港

                                 

竜馬談判の家

  

B camera

                                                                                                                                       


Oct.2008 撮影/文 小出正

鞆の浦は昔のものが残る貴重な遺産ではあるが、住民の生活との間の調和 を考えずに、開発に反対したり、現状の保存を主張するだけでは、問題が片づかないのではないだろうか。

今、聞かれる「開発反対」の声を聞いていると、その 調和・バランスにあまり配慮がないように思われてならない。

鞆の浦が文化遺産を守りつつ発展するには、その前提として住民の活き活きとした生活が不可欠な のである。

  

弁天島

 

福禅寺 境内は「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」として国の史跡に指定、村上天皇の命を受けた空也上人による創建

 

常夜灯

 

がんぎ

 

沼名前神社(ぬなくまじんじゃ) 鞆祇園社・伏見城から移築の豊臣秀吉ゆかりの能舞台が国の重要文化財、石鳥居が広島県指定重要文化財 京都祇園神社の本社に当る

 

安国寺釈迦堂 釈迦堂、阿弥陀三尊像などが国の重要文化財、境内が広島県指定史跡

 


Dec.2003 撮影/文:瀧山幸伸 source movie

典型的な危機遺産 その行方は?

鞆は北前船はもちろん、古くから潮待ちの港であり、瀬戸内海航路の重要港として栄えていた。

江戸時代の港湾施設である常夜燈、雁木、波止場、焚場、船番所が全て揃っているのは全国でも鞆の浦のみであり、活きた産業遺産でもある。

瀬戸内は世界的に見ても素晴らしい内海であり、自然も文化も世界遺産にふさわしい。

鞆は景観も秀逸である。沿岸部と沖の島々一帯は「鞆公園」として国の名勝に指定されている。

瀬戸内海の名勝、国立公園は、そのほとんどが埋め立て、造船、汚染など、産業の犠牲になってしまったが、ここは未だ魅力を保っている。

かの朝鮮通信使は福禅寺対潮楼に滞在し、ここからの景色を「日東第一形勝」と賞賛し、書を残しているように、彼らと日本の学者、書家との交流の場でもあった。

朝鮮通信使の史跡は、ほかに岡山県の牛窓、静岡県の清見寺だが、それぞれに素晴しい立地である。

単なる港町ではなく、保命酒の醸造元に関連した伝統的な街並が細い街路に沿って形成されている。

幕末の動乱期には、酒蔵に志士がかくまわれ、密談の場となった。

町中には今でも江戸時代の建物が80棟ほど残る。国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されていないのが不思議だが、日本のドブログニクとも言え、世界遺産級の港町である。

この港の上にバイパスを通すことが計画されているのだが、それは歴史、文化、景観を破壊することとなる。

住民の生活も重要なので無意味に反対するのではなく、双方合意できる案を時間をかけて検討してほしい。

なお、「鞆の浦」の国際的な文化遺産としての価値評価とその保全については、イコモス(ICOMOS国際記念物遺跡会議)の国際的な会合の場で3回にわたり、日本政府・広島県・福山市に対して要望書や勧告が発せられている。

 

雪景色の鞆の浦

   

     

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