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長野県下諏訪町 中山道 下諏訪宿と周辺 
Shimosuwa post town of Nakasendo and Koshukaido,Shimosuwa town,Nagano

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Oct.2018 柚原君子

中山道 第29 下諏訪宿

概要

下諏訪宿のある長野県諏訪郡は、古代721年律令時代に信濃国から独立して諏方国と成っていましたが、その10年後には再び信濃国に合併されるという歴史を持っています(当時は諏方という字でした)。それから850年後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は関東の地において江戸幕府を作ります。江戸をあらゆる方面から防衛するために、宿場を設けて伝馬を義務づけ、一里塚をたてるなどして街道の整備に力を入れていきます。
二代将軍秀忠の代になって整備はさらにすすみ、軍事的に重要な道である東海道、日光街道(日光道中)、奥州街道(奥州道中)、中山道、甲州街道(甲州道中)を五街道として定め、江戸への出入りを監視するために関所を置いて、江戸幕府を安全にして強固なものにしていきます。

古くは下ノ諏訪とよばれた下諏訪宿は、江戸と甲斐・甲府城を結んでいる甲州街道(甲州道中)の最終地であると共に中山道の宿場でもあり、追分として多くの人が行き交う場所でした。また鎌倉時代より詣でられていたという信濃一宮である諏訪大社があり、その門前町としての知名度も高く、さらに中山道において唯一、温泉を有する宿場でもあったために、大名の参勤交代のみならず参拝客、商人、湯治客などで大変な賑わいであったといいます。
その上、宿の前後を峠に挟まれている立地でしたので、京方面よりは塩尻峠を越えてホッと出来る宿。湯治をして休み、江戸方面の中山道1の難所である和田峠に向かう行程を組む宿でもありました。江戸より来た人もまた和田峠を越えてきてホッと出来る場所。下諏訪宿で体調の調整をする必要があったようです。賑わう理由がいくつも重なった下諏訪宿は屈指の規模を持つ宿場町として栄えます。

現在の中山道は和田峠を無事に下りてくると慈雲寺を左に右奥に諏訪大社下社(春宮)、それらを見つつ道なりに諏訪湖の方に降りて行く街道筋が下諏訪宿です。
鎌倉時代からあるという温泉も旦過の湯をはじめとする町営温泉が数軒、街道に面してあります。どこの湯もとても熱く、土地の人ですら湯船に沈むのには勇気がいるそうです。

街道は江戸時代の面影を残した歴史ある建物が所々にあり静かな町並みとなっています。進んでいく突き当たりが諏訪神社下社秋宮でそこから道は直角に右に折れて、塩尻宿へと続いていきます。
上諏訪が大規模に観光開発されて上諏訪温泉街となったことと異なり、下諏訪は旅館も小さく、駅前には飲食店すらなく、もちろん観光のお土産を売っている店も無く歓楽的な雰囲気は全くありません。駅前は驚くほどひっそりとしています。

地域産業としての特産品はカリン・寒天・フナ・ワカサギ・氷餅などです。
ちなみに諏訪大社は上社と下社に分かれ、上社は本宮が諏訪市中洲、前宮が茅野市宮川にあります。下諏訪宿にあるのが下社で春宮と秋宮に分かれています。諏訪大社の御柱祭と諏訪湖花火大会と諏訪湖結氷による御神渡りは有名です。

1,新宿〜下諏訪駅〜木落し坂

朝7:00のスーパーあづさ1号松本行きは下諏訪駅には停車しないので、上諏訪駅下車、飯田線豊橋行きに乗り換えます。
下諏訪宿の前にある和田峠をまだ実際には歩いていないので心残りです。峠越えには7時間くらいかかるので決心がいります。夏に一度計画を立てたのですが体調の加減でパスしています。いけるところからと和田峠を飛び越えて今日は下諏訪宿を歩きます。

下諏訪の駅では万治の石仏が出迎えてくれました。
和田峠を越えたときに出てくるはずの辺りまでひとまず戻り、そこから下諏訪宿として歩き始めることにします。町営バスで和田峠の方に向かい「町屋敷」下車。
和田峠を越えた気分で(笑)、これから下諏訪宿に向かって歩きます。時間は10時。標高は900メートルです。

国道沿いに絶滅危惧種に等しいツリフネ草が咲いていました。竜の落とし子のようなクルッと巻いた花です。珍しくって写真に収めました。
国道と分かれて案内板に沿って木落し坂に。御柱が横たわりその先には目のくらむような急坂。ここが柱を落とすところ。上から見ると下は見えずまるで崖のようです。もう少しなだらかと思っていました。のぞくだけで怖いです。

横たわっている御柱の前に下諏訪観光協会の案内板があります。
『諏訪大社 御柱木落し坂
諏訪大社の御柱祭は、7年目毎申・寅年に行います。規模の大きさ、勇壮・豪快なことは比類なく、天下の大祭として知られています。樅の巨木を奥山から切り出し「山出し祭」が御柱祭の4月、町内を曳行し建立する「里曳き祭」を5月に行います。曳行途中、木落し坂と呼ぶこの急坂で、御柱を引き落とすのが下社山出し祭の最高の見せ場「木落し」です。男意気に駆られる若者たちが、群がりうちまたがった御柱を100m余り・傾斜度45度近い崖のようなこの木落し坂頂上から、一気に引落します。落下の反動で、若者たちの大半は放り出され御柱とともに転がり落ちる、一帯を埋め尽くす大観衆は一瞬息をのみ、驚声と大歓声が沸き上がり、その豪壮さは筆舌に尽くせません。「男見るなら7年に一度 諏訪の木落し坂落とし」と唄われてきました。この木落し坂での木落しは、下社春宮・秋宮の御柱八本を三日にわたって行います。』

十二支の寅年と申年の6年に一度行われる御柱祭は諏訪大社の式年運営の祭りで、諏訪市の上社本宮、茅野市の上社前宮、下諏訪町の下社秋宮、下社春宮の4宮の四隅に御柱の巨木を曳き建てるというものです。御柱は4月に山出しが行われて5月に里曳きと建て御柱が行われます。実際の御柱が展示してあります。危険なので乗ってはいけないと書いてありますが(ついつい……)(写真は非公開)、よくぞこのような丸太に乗れるものだと改めて命がけの思いを想像しました。
                                 

2,注連掛け〜イチイの赤い実(←食するときは要注意)

木落し坂の左側に中山道に戻るために下って行く道がありますので降ります。山道、石段、道祖神、芭蕉の句(『ゆき散るや 稲屋のすすきの 刈残し』)とたどって国道に出ますが、中山道は落合いバス停脇からまた左の山道に入ります。
しばらく行って「注連掛け」と呼ばれる国道の場所に出ます。注連掛けとは御柱祭で御柱に注連縄を張る場所。下社の御柱はここまでが山出しで、この場所に注連縄を掛けて柱を安置します。一ヶ月後にはここから里曳きが始まるそうです。
国道を行きます。左側に山の神社、右側は諏方の山々。お諏方の風に吹かれながら稲刈り後の畑や田んぼ、その間を細く流れている砥川を見ながら歩いて行きます。
国道より少し外れて右側の坂道を降りて行くと道祖神。下諏訪らしく四本の御柱と注連縄でお祀りしてあります。
民家の間を抜けて再び国道に出ますが、この時期の民家の垣根にある赤い実はイチイの木で実は食べられます。甘いです。……しかし、帰宅して調べたらイチイの木の赤い実は甘い実の部分以外は全て毒性があり、特に種は四粒五粒くらいでも噛んで食べたら死に至る……とありました。むかしから、このイチイの赤い実はつまんで食べていたけれども、危ない危ない!しかし、簡単に食べられる毒性のものが垣根とは。知らないと恐ろしいことがこの世にはまだまだあるのですね。
                                         

3,慈雲寺〜矢除石

道祖神から道なりに降りて行くと再び国道142号にでます。この辺りで少し迷います。国道をそのまま行けば慈雲寺。中山道は慈雲寺の手前をもう一度右に入ります。入った先が諏訪大社下社の春宮。川を隔てた向こう側が万治の石仏。行きすぎたり戻ったりはどこかしなければならないので、慈雲寺に先に行くことにします。

慈雲寺は臨済宗の禅寺。歴史は古く創建は鎌倉時代。神官で武士となっていた下社大祝(おおほうり・諏訪社(上社・下社)の頂点に位置した神職)の金刺満貞(かなさしみつさだ)氏が諏訪大社下社の春宮の鬼門を鎮護する寺院として開基し、鎌倉五山のひとつ、建長寺の住職であった一山一寧(いっさんいちねい)禅師を招聘。鎌倉から高僧を招くことはその後の三世まで続き、地方の寺としては格式の高さを保てたことであり、信州筆頭の名刹と言われる所以なっています。

杉木立の元の苔むした参道には石仏群や下諏訪の領主で高島城を築いた日根野氏の供養塔、その息子の五輪塔などが並びます。古刹らしい趣ある山門は禅宗様式の楼門で1768(安永8)年の建立。一階の左右には2体の仁王像を配し、二階には梵鐘が吊るされています。楼門と梵鐘はともに街の文化財です。

開基した下社大祝金刺満貞を偲んだ「諏訪梶」の紋と再建した信玄公を偲んだ「武田菱」紋が掲げられた本堂も立派です。内陣の彫刻は江戸時代の貴重なものと説明板にあります。本堂前の松は天桂松。慈雲寺第七世の天桂玄長禅師が植えたもので樹齢は400年。枯山水に並ぶ10個の石はお釈迦様の弟子たちを表しているそうです。砂紋もとてもきれいでしばらく見とれました。本堂の裏には池泉庭園。本堂の回り廊下に腰掛けて静かにお茶タイムしました。

楼門の石段を斜めに降りて矢除石に。信玄が戦に出る前に天桂禅師に戦に勝つ教えを請うたところ、石の上に立った禅師が私に矢を向けてみよ、といわれて射ったところ禅師には当たらなかった。不思議な魔力のある石とのことで矢除けの札を受けて戦場に向かった、という言い伝えのある石。誰でもがさわれるようにゴロンと置かれています。
                                            

4、諏訪大社下社春宮

諏訪大社は創建時代は不明とはいえ日本最古の神社です。諏訪湖を挟んで下社と上社に分かれていますが上下の関係はありません。下社は諏訪湖北岸に位置して春宮と秋宮に分かれ、上社は諏訪湖南岸で本宮と前宮に分かれています。
社殿の四隅には御柱が立っています。前面の御柱は両サイドに見えますが、拝殿の奥にある御柱は見えません。御柱の意味は確定されていませんが、現在時点では「神霊降臨の依り代説」「聖地標示説」「社殿建て替え代用説」などがあるそうです。
四宮ともに本殿はなく神楽殿、拝殿、宝殿で構成されています。本殿がないのでご神体がないのかといえば、そうではなく拝殿の背後にご神木として春宮は杉の木、秋宮はイチイの木があります。諏訪大社の建物の多くは国の重要文化財に指定をされています。彩色はなく華美な彫刻もない諏訪大社の社殿は神に近いというよりも人の生きていく側の日常に寄り添っているような感じを受けます。

下社春宮は毎年2月-7月に祭神が祀られているため、春宮とよばれています。正面の御影石の鳥居は1659(万治2)年の建立。まず前面に神楽殿、奥に拝殿と左右片拝殿と横に長く続きます。社殿の左右に御柱が立てられています。この後に訪れる予定の秋宮も同じ作りです。社殿の建て替えが行われたときに諏訪藩から同じ図面が渡されたとのことで作りは全く一緒ですが、彫刻の早さを競ったとあります。
神楽殿の前にある杉の木は「寝入りの杉」と呼ばれて注連縄で飾られています。七五三の季節でもありましたが人があまり訪れていなくて静かな中で歴史を感じることができました。中山道で栄えた時代は参拝客が多かった事でしょうから、しばし想像に浸りました。
                                          

5、万治の石仏

諏訪大社下社春宮の神楽殿の左方向に万治の石仏に行く矢印が出ています。砥川を渡って行きます。けっこうな水量があります。しばらく行くと小さな顔に大きな丸い石を体とした石仏がひょっこりと現れます。帽子をかぶって仏の顔でなくモアイの像のような、手の組み方も少し斜めで2メートル60センチの全体アンバランスな石仏です。石工は春宮の大鳥居を作った人たちと同じ人々。その顛末が案内板にあります。そのまま記します。
『万治の石仏と伝説
南無阿弥陀仏 万治三年(1660)十一月一日
願主・明誉浄光 心誉廣春
伝説によると、諏訪大社下社(春宮)に石の大鳥居を造る時、この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめた(ノミの跡は現在でも残っている)。その夜、石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ、果たしてそこに良材を見つけることができ鳥居は完成したというのである。石工達は、この石に阿弥陀如来をまつって記念とした。尚この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町字石仏となっている。下諏訪町』

万事納めますという御利益があるそうで、その方法は@正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。A願い事を心で唱えながら石仏の回りを時計回りに3周する。B正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。
当然、やってみました。効く効かないは別の話(笑)。旅の鉄則は二度と来られないかも知れないから何でも体験しておく、にあります。グルグル回った後は川の水と森のイオン効果もあったのでしょうかさっぱりとした気分になれました。
街道に戻ります。家並みの屋根の向こうに諏訪湖が光って見えます。
                                   

6、一里塚と伏見屋邸

万治の石仏から中山道に戻ると、先ほどちょっと迷って先に慈雲寺に行きますと書いた道に出てきます。慈雲寺の石段の下に矢除け石の案内と龍の口。龍の口から湧き水。江戸時代の中頃からあったそうです。昔から旅人の口を潤してきたのでしょうね。
先の右手側には江戸日本橋より五十五里目という一里塚。その横に代々名主年寄りを務めた伏見屋邸。建物は1864(元治1)年の建築。木造二階建ての旧商家で、復元されて中山道を楽しむ人の休憩所となっています(登録有形文化財の指定有り)。運営はボランティアでなされているようで、当日は幼なじみとおっしゃる老年の方にお新香と温かいお茶と柿のおもてなしを受けました。欄間の彫り物が見事です。明治初期の頃の暮らし向きが分からる広告が多くぶら下がり珍しく見入りました。
                                                   

7,旦過の湯〜本陣岩波家(本家)

御作田神社の前を拝んで通ります。諏訪大社に捧げられる早稲に関連する神社です。籾をまいて一ヶ月で稲になって奉納したという伝説が残っています。
この辺りから家の前に温泉が出る樋が置かれているのがみられるようになります。温泉地としてもとても古い歴史を持つ下諏訪宿です。
宿の道は湯田坂という名前が付いています。昔からの公衆浴場が多く並んでいます。
「旦過の湯(たんがのゆ)」は鎌倉時代の慈雲寺修行僧のために建てられた旦過寮が始まり。湯は52度と高温。切り傷に効く源泉で戦いで傷ついた武士もよく入浴したそうです。給湯器の無かった時代はこの湯を自由に汲みだしていたそうです。現在は2012年12月にリニューアルオープンされて伝統の高温湯のほかに常温湯も作られています。大人230円。入りましたが、本当に熱かったです。
向かい側に茶屋松屋。現在はその孫であった女性歌人今井邦子の文学館となっています。室内には歌の他に昭和二十年代の近辺の写真があり、緩やかに登りになっている湯田坂の風景があります。天秤棒に桶を前後にして汲んだ湯を運ぶ女性の姿などもあり、宿というよりも温泉の里らしい風景です。
公衆浴場の「児湯」を過ぎると向かい側に本陣岩波家(本家)と看板があります。1668(元禄1)年に岩波太左衛門が問屋を務めてから代々本陣を務めています。門の奥に庭園があるようです。明治天皇下諏訪御小休所碑もあります。門にはこの先は入場料がいります、と書かれています。幕末に赤報隊の相楽總三、近藤勇ら新撰組、水戸浪士軍が宿泊し、激動の幕末の舞台となった本陣でもあります。
                                                          

8、問屋場跡〜かめや・和宮宿泊の上段の間

中山道下諏訪宿が大賑わいであった一つの理由に甲州街道と中山道の合流地点であったことは概要にも記しましたが、本陣の先に広場があり現在は「合流地前広場」という名前になっています。問屋場跡と綿湯跡でもあります。ここまでが横町。合流地点の碑が立っています。合流地点らしく中山道の案内ばかりでなく木曽路名所絵図も飾られています。この先中山道は直角に右に曲がっていきますが、ここが宿のほぼ中心です。

この広場の奥にあるのが本陣岩波家(本家)の分家に当たる聴泉閣かめやという旅館。本陣に宿泊した和宮の上段の間がここにありますが、昔はこの一帯が本陣だったそうで、つまり本陣宿の一部だったようで、本陣の分家である旅籠かめやが上段の間を大切に守ってきたということで、本陣と離れたところに和宮本陣宿泊の上段の間があるようです。
また、この場所は皇女和宮だけでなく、参勤交代の諸大名や、第5代将軍〜第14代将軍の歴代御台所の花嫁行列の寝所でもあったそうです。上段の間には和宮が召し上がられたお食事が再現されています。脇息やお座布団なども置かれて座って「姫君」体験することが出来ます。きらびやかな打ち掛けや写真も飾られていて、ほんに小さな姫君であった様子が分ります。
かめやには明治期には島崎藤村、芥川龍之介、与謝野鉄幹・晶子、宇野浩二、西條八十など諸文豪を迎えたとあります。入口には紫式部がきれいに咲いていました。
                                           

9、下諏訪大社下社秋宮

いよいよ下諏訪大社下社秋宮に到着。春宮と同じ作りとなっていますがこちらの方が壮大な感じがします。人出も多いようで七五三の姿も目立ちます。ご神木は本殿を持たない神社ですのでこちらはイチイの木をご神木としています。
大きな狛犬が正面にある神楽殿。狛犬は青銅製で日本一の高さがあるそうで、丈は1.7メートル。
神楽殿は三方切妻造りで1835(天保六)年建立。その奥に二重楼門造りの拝殿と左片拝殿及び右片拝殿が横に並んでいますこれ等の建物は江戸時代中期の絵図面では帝屋(御門戸屋)及び回廊と記されており、現在の建物は1781(安永10)年春に立川和四郎初代 富棟の棟梁で落成。拝殿奥の神明造りの建物は宝殿で、新しい方を神殿、宝殿の奥が御神座、御神木をお祀りする下社の最も重要な場所で上社の神体山に対し下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残している、と諏訪大社のHPにありました。御柱は拝殿の左右にしっかりと立てられています。残りの2本は拝殿の背後にありますが、春宮同様によく見えませんでした。
木洩れ日の中、多くの親子が晴れ着で七五三参拝していました。中にはカメラマンとレフ板持つ助手、それにスタイリストらしき女性も連れている親子も。今流ですね。
                                                                    

10、旧脇本陣(御宿まるや)〜資料館

諏訪大社下社秋宮の参拝を無事に終えて甲州街道との追分に戻ります。中山道はここから直角に右に折れて立町となり御宿まるや、みなとや旅館など趣ある道が再び続きます。右角にある御宿まるやは旧脇本陣。最近建て替わったそうですが、古文書の図面を元に当時の形に忠実に建ててあるそうです。みなとや旅館は江戸中期創業。

明治前期の建物といわれる資料館があったので入ってみました。やっぱり見入るのは中山道の昔の写真。旧脇本陣だった御宿まるやが昔の形と本当に一緒であったことがわかります。舗装されていない道路、建築そのものも今から見れば崩れそうにも見える町並みに素朴さを感じます。
本陣、脇本陣に宿泊した者の身分が高いほど大きかったという宿札も展示されています。宿札は一度使うと二度と使うことはなかったそうですので残っているそうです。ちなみに「仙台中将」とは伊達家とのこと。
本陣の間取り図もありますが、とてつもなく大きな本陣であったことが解ります。また、当時旅館で出された料理の見本が置いてあり一汁三菜、川魚、芋、豆腐が多かったようです。貴重なものの多い資料館でした。
                                                              

11,高札場

諏訪大社下社秋宮の正面からまっすぐに伸びる道をたどる場合と、参拝の後に追分まで戻り旧中山道を行く道と二通りがありますが、いずれもこの高札場で合流となります。新しく建てられたばかりのような高札場です。当時は中山道と甲州街道が合流する追分にあったそうですが、あまりの人混みで現在地に移したとあります。
そろそろ暮れてきた空ですが薄の穂がきれいでしばらく写真格闘。薄の穂に小さな黄色い赤ちゃんがいっぱい付いていました。
                           

12、寄り道して青塚古墳へ

青塚古墳は横町にあります。所有者は諏訪大社。欅の大木がありなだらかな山状で諏訪地方では唯一の前方後円墳。現状は削られた部分もあり奇妙な形。
説明板及び下諏訪市HPを要約しみます。
『石室は後円部の西側に開口し、半分以上が露出しています。安山岩の自然石で積み、天井石も大きな平石を使用していますが、羨道(せんどう)部は破壊されています。全長約5.5m、奥壁幅2.15m、石室床面のレベルは墳(ふん)裾(きょ)より約5.0m上っています。石室は横穴式石室で、諏訪地方の小円墳と全く同じ様式であり、羽子(はご)板状を呈しています。この石室内部からの遺物は須恵器の杯(つき)、小玉以外は全くその所在や伝承すら残っていません。また墳麓(ふんろく)には円筒埴輪(はにわ)が発見され、これも諏訪地方では唯一です。
嘉永のころの記録に背丈4尺(120cm)の武人埴輪を発見し、再び埋めもどしたとの伝承がありますが、今日見るものは円筒埴輪の破片ばかり。
この古墳は、下諏訪の大半と岡谷市まで見おろすことができることから、かなりの権力者のものと思われます。古墳が7世紀末から8世紀の築造とすればおそらく金刺の有力者か、あるいはそれ以前下社を主宰した権力者などが浮かびあがりますが、天竜川沿いに点在する前方後円墳などと比較しながら考えねばならないでしょう。』
7世紀末といえば倭の国から日本となった頃、奈良時代の頃、古事記の頃……ふ〜ん、ものすごく古い!こんな形にしろ良く残っていたものだと感心しました。
日も暮れてきたので今日はこれで終了して東京に帰ります。
                         

13,今井茶屋本陣跡〜石船観音

日を改めて下諏訪宿の続きを歩きます。塩尻駅出発となりますので先回の続きにあった鎧塚、一宮常夜灯、旧渡辺家住宅、東堀の一里塚などは残念ながら歩けません。
塩尻駅よりバスに乗り「今井」下車。
住宅街を歩いて行くと火の見櫓の下に夫婦道祖神。下諏訪らしく御柱に囲まれているようです。その先に明治天皇今井御膳水碑。そのすぐ隣が今井番所跡。高島藩が設けた口留番所(関所ほどおおきなものではないところの通称)。通過するには高島藩の通行手形を必要として関所同様に米、塩、材木、女性などの入出に目を光らせていた場所です。

続いて向かい側に今井茶屋本陣跡。主屋など11棟が江戸時代の姿をほぼ継承しているとして国登録有形文化財になっています。この辺りは今井家の他に3軒の茶屋があり四ッ家立場と呼ばれていたそうです。和宮の休憩した場所でもあり明治天皇が休まれた場所でもあります。門からも脇からもはみ出して優雅に枝を広げる松。中に入ることは出来ないようです。

中山道碑があります。「西しもすは、左しほじり峠」とあります。当初の中山道は下諏訪を過ぎるとこの辺りの岡谷から三沢、小野峠、牛首峠、木曽桜沢と抜けたそうですが、慶長の時代になって塩尻峠に抜けるように改められたそうです。大名行列やお茶坪道中など警護の関係もあったのでしょうか。
先に進みます。道は少しずつ登りになり、その登りの角度も上がっているようで塩尻峠に向かっていることが体感できます。諏訪湖が見えてきた辺りは眼下に長野自動車道のICなどもあって標識方向に行って行き止まりだったので戻ったりと道を少し迷いましたが、石船観音方向に行くことが出来ました。

石船観音はご本尊の馬頭観音が船状の台の上に安置されているところからこの名前が付いています。山の中なのに何故船?と思いましたが、それなら納得です。足腰の弱い人に御利益がある観音様だそうですが、たどり着くまでにとても長い二つの石段を登っていかなければならずあきらめて、お堂と鳴沢清水だけを写真に収めました。清水の樋の前に龍神の口が。なかなかダイナミックな龍です。これから気合いを入れて塩尻峠に向かいます。
下諏訪宿はここで終了とします。
                                                                            


Oct.11,2015 瀧山幸伸 source movie

塩羊かん 新鶴
Shintsuru
             

諏訪宿の街並
Suwa shuku
          

諏訪宿本陣
Suwa honjin
                                                                                                  


水戸浪士の墓
Mito roushi no haka
          

樋橋茶屋本陣跡

   

木落し坂
                      

毒沢鉱泉付近
      


神の木
Kaminoki
          

渡辺家
Watanabeke
                       

中山道沿いの街並

伊那道道標
  

   

東堀一里塚
Higashibori ichirizuka
 

          

今井茶屋本陣、口留番所
Imai chaya honjin,kuchidome bansho
                 

塩尻峠への中山道
     

石船観音、金明水
Ishihunekannon, Kinmeisui
                

大石
Oishi
  

霧ヶ峰
 


Sep.2009 撮影:高橋久美子

旧中山道

                                                    


万治の石仏





June 2005 撮影:瀧山幸伸


Map 上和田
Map 唐沢
Map 接待から和田峠
Map 和田峠から下諏訪その1
Map 和田峠から下諏訪その2
Map 和田峠から下諏訪その3
Map 和田峠から下諏訪その4
Map 諏訪大社春宮
Map 下諏訪宿全体
Map 下諏訪から岡谷


中山道と甲州街道の結節点で、諏訪大社もあり、大いに賑わった。中山道唯一、温泉のある宿場。

中山道 和田から和田峠 ドライブ
Nakasendo Wada to Wadatouge drive
June 2005 撮影:瀧山幸伸 HD quality(1280x720)

中山道 和田峠から下諏訪宿 ドライブ
Nakasendo Wadatouge to shimosuwa drive
June 2005 撮影:瀧山幸伸 HD quality(1280x720

中山道 下諏訪宿内 ドライブ
Nakasendo shimosuwa town drive
 source movie


中山道 下諏訪宿 
Shimosuwa post town of Nakasendo and Koshukaido,Shimosuwa town,Nagano

June 2005 撮影:瀧山幸伸 source movie


  

   

万治の石仏

   

下諏訪宿 諏訪大社秋宮付近
  



下諏訪宿本陣
Shimosuwa Shuku honjin



June 2005 撮影:瀧山幸伸 source movie

  

  

宿泊客歓迎の掲示は現在の旅館と同じ
 

明治18年の宿場 本陣から秋宮方面
 
江戸時代の間取り
    
宿場地図
    

下諏訪宿の絵
 

皇女和宮ゆかりの部屋
     

土蔵
 

居間になにげなく飾られている額
       



中山道 下諏訪宿から塩尻峠 ドライブ
Nakasendo Shimosuwa to Shiojiri pass drive
June 2005撮影:瀧山幸伸 HD quality(1280x720): supplied upon request.

中山道 塩尻峠
Nakasendo Shiojiri pass
June 2005撮影:瀧山幸伸 source movie
  

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