奈良県奈良市 元興寺
Gangoji, Nara city,Nara
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奈良市中院町11 元興寺極楽坊五重小塔 国宝 近世以前/寺院 奈良 奈良 三間五重塔婆、本瓦形板葺 19010802 19520329
奈良市中院町11 元興寺極楽坊禅室 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 桁行四間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺 19060414 19530331
奈良市中院町11 元興寺極楽坊東門 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 四脚門、切妻造、本瓦葺 19520329
奈良市中院町11 元興寺極楽坊本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 寛元2(1244) 桁行六間、梁間六間、一重、寄棟造、妻入、正面一間通り庇付、本瓦葺、閼伽棚を含む 厨子及び仏壇1具、棟札1枚 19010327 19550202
June 16, 2024 野崎順次 source movie
奈良県奈良市芝新屋町12
元興寺塔跡
奈良町には
かつての元興寺の遺構として、元興寺極楽坊(真言律宗)、元興寺小塔院(真言律宗)、元興寺塔跡(華厳宗)の3つの寺院が残っています。
その中の元興寺塔跡は、幕末の大火で焼失した五重塔があった場所でした。以前はいつも門が開いていて自由に立ち入れていたのでしたが、昨年7月に管理人の転居に伴い閉門されました。
閉門後は隣接する自治会により維持管理が行われ、4月には桜の時期に合わせてボランティアの協力も得て2週間の特別拝観が行われ、この度は紫陽花に合わせて6月の第一第二の土日曜日のみ特別公開が行われます。
(奈良倶楽部通信 PART:III 2024年6月3日月曜日)
パンフレットと現地説明板
山門あたり
奥へ
塔跡
アジサイなど
啼燈籠
本堂へ
本堂外陣
本堂内陣の仏像群
市文 木造不動明王坐像
その他境内
Oct.17,2023 柚原君子
Aug.26,2016 瀧山幸伸 movie
パンフレット
東門外の石仏群
国重文 東門
国宝 極楽堂(曼荼羅堂)
国宝 極楽坊禅室(僧坊)
極楽堂横の石造物群
かえる石(大阪城の蛙石)
西門
浮図田
県文 小子坊(旧極楽院庫裏)
総合収蔵庫
講堂跡礎石
暑いのに天平衣装のガイドさん
舞台
奈良県奈良市芝新屋町12
元興寺塔跡
(Ruins of Pagoda of Gangoji Temple, Nara City, Nara Pref.)
奈良時代に権勢を誇った元興寺も15世紀頃にはすっかり衰え、五重大塔と観音堂・小塔院・極楽坊の三寺に分裂した。ここは観音堂の系譜をひく華厳宗元興寺である。
パンフレットと現地説明板など
国史跡 元興寺塔跡
東塔跡である。高さ推定約50m(古記では二十四丈)の五重塔だったが、安政六年(1859)に焼失した。
啼燈籠
山門近くの石仏群
西新屋町
国史跡 元興寺小塔院跡
奈良時代には元興寺の境内で、小塔堂を中心とする小塔院があった。
May 30, 2014 中山辰夫
奈良市中院町11
宗派:真言宗
アプローチ
配置図
東門 国重要文化財
元興寺東室南階大房が極楽堂と禅室に大改造され、東向きの中世寺院として性格を改め後の元興寺極楽律院(南都極楽院)へと変遷してゆく契機となるものである。興福寺大乗院門跡の指図による復興事業の一環であったと思われる。
極楽堂(本堂) 国宝
東室南階大房(僧坊)の三房(室)分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造されたもの、僧坊の一室(極楽坊)の身舎部を内陣とし、東妻を正面として前面向拝とした鎌倉時代新和様の堂々たる建造物である。南都における浄土教発祥の聖地として古来有名な堂宇である。
極楽堂屋根の流れ
古代瓦
飛鳥時代製作の日本最初の瓦。数千枚使用されている。色合いにも違いがある。瓦にも厚みがあり、一個4kgの重さといわれる
極楽堂の北流と西流、禅室の南流の東側の屋根瓦は、一般の本瓦と少し趣が違う。さらに、丸瓦も平瓦も重なり合って葺かれている。飛鳥時代(法興寺創建)の古式瓦を伝えている。法隆寺玉虫厨子の屋根表現はこの丸瓦を意識している。他に、京都東寺の講堂屋根の一部、深草宝塔寺の多宝塔下層、貝塚孝恩寺の釘なし堂、大分富貴寺大堂などにも残っている。
元興寺の場合、解体修理の結果、使用可能な古瓦(飛鳥時代からの瓦)を集めて使用していることがわかっている。また、極楽堂西南隅、禅室南東隅には古代の軒平瓦が残っているのも注目したい。
一般の本瓦
禅堂-僧坊 国宝
元興寺旧伽藍の東室南階大房(僧坊)遺構、四房(室)分を伝える。切妻造、本瓦葺四間四面の簡素であるが重厚な趣がある。智光や空海をはじめとする僧侶が起居し、学修した官大寺僧坊の遺構で、平面図や雰囲気をよく保っている。
建築様式としては鎌倉時代の大仏様を示しているが、構造材は奈良時代以前の古材を多く再利用されている。中世には春日影向堂とも呼ばれ、近世に客殿、近代には学校舎にも使われてきた。
総合収蔵庫
企画展「元興寺の聖徳太子信仰)が開催されていた。
聖徳太子十六歳孝養像(国重文)~聖徳太子十二歳像(南無仏太子 奈良県指定文化財)~如意輪観音菩薩坐像
小子坊(極楽院旧庫裏) 奈良県指定文化財
もと禅室の北側にあった、東室南階小子房の一部を改築して、北厨房あるいは台所と称された。 寛永三年(1663)極楽院庫裏として改築されたが、昭和二十四年(1949)本堂の南側に移転増築して極楽院保育所建物とし、さらに昭和三十五年(1960)現位置に移動して復旧された。古代僧坊の沙弥寮から近世寺院の庫裏へと変化した歴史、ならびに建築物としての価値を有するものである。
泰楽軒(茶室)
小子坊の西側に位置し、四畳半の茶室と三畳の水屋からなり、元興寺の古材と川崎幽玄氏の指物で構成されている。川崎幽玄氏の古材と春日杉への愛着が、伝承して磨きあげられた指物技術と相俟って見事な茶の空間となっている。
露地庭も植栽は四君子を配し、石組みは奈良時代の元興寺鐘堂礎石をはじめ鞍馬石、白川石などを集めて見応えのあるものとなっている。
浮図田
北門
『注』解説は寺のHPより引用
≪参考≫
極楽堂屋根部材の名称
鎌倉時代の蟇股
手前が1206年以降、奥が1234年以降に伐採されたもの。鎌倉時代の極楽堂改築(1244年)に作られたもの。
元興寺極楽坊
夏の雨上がりの元興寺極楽坊です。
東門
本堂
本堂と禅室の取合い部
境内に置かれている子鬼
禅室
2012.1.26撮影
元興寺は飛鳥の法興寺が奈良に移転したもので、現在奈良町と言われる地域のほとんどを境内とする大寺院でした。
その後衰退し、伽藍の中心であった諸堂も失われ、現在は中院町の元興寺極楽坊と、芝新屋町の元興寺(塔跡)に分かれています。
塔跡付近の町家
元興寺(塔跡)
所在地 奈良県奈良市芝新屋町12
東大寺の末寺で、たび重なる戦乱にも焼け残った創建当初の中門観音堂と五重大塔がありましたが、安政6(1859)年の火災により焼失しました。
現在は「元興寺塔跡」として国指定史跡になっています。
元興寺ハ靈龜二年飛鳥京ヨリ移建セラレ南都七大寺ノ一ナリシガ中世以降堂舍廢頽シ大塔ノミヲ残セシヲ安政六年燒失シテ今其塔阯ヲ存セリ
土壇ハ周囲石壁ヲ繞ラシ上ニ十七個ノ礎石アリ
礎石ハ表面ニ直徑約三尺ノ円形柱受並ニ直徑約九寸ノ大柄ヲ彫リ出シタル形式ニシテ心礎亦其形式相等シク形状稍大ナリ
礎石ノ配列ニヨリテ三間三面方約三十二尺ノ塔阯タルコトヲ知ル
昭和二年九月心礎周囲ノ地下約一尺二三寸ノ深サニ於テ勾玉 瑠璃玉 捻玉 丸玉、小玉等ノ玉類 和同開珍 萬年通寶 神功開寶等奈良朝時代ノ遺物ヲ發見セリ
(国指定文化財等データベースより)
元興寺極楽坊
所在地 奈良県奈良市中院町11
西大寺の末寺です。
鎌倉時代の浄土教興隆期に、奈良時代末期に浄土教を研究した智光が遺した「智光曼荼羅」を祀る「極楽房」として改造されたものです。
その後は、庶民の信仰を集める寺として、元興寺本体とは独立して受け継がれました。
境内は国指定史跡です。
元興寺は左京四條五條の七坊の内にあった。
現在旧境内は、そのほとんど全部が市街中に没し去り、わずかに街路、地名等にその面影を認めうるのみである。
残礎の点在も報ぜられているが、このような現状において、さし当り遺構の顕著なものを保存しようとするものであり、元興寺の塔跡は、すでに指定されているので、今回その僧坊の跡として元興寺極楽坊の境内を指定する。
ここは、櫛比する民家を隔てゝ塔の北方に当り、東室南階大房の一部で、礎石が遺存し、いま本堂、禅室がその上に建てられている。
また小子房の跡も一部存し、その建物は禅室の南側に移されている。なお、境内の西南隅、禅室の西南方に当って講堂の基礎地形の東北端部が見出されたのは幸いである。
(国指定文化財等データベースより)
東門(重要文化財)
鎌倉時代後期の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺
室町時代に、東大寺西南院の門を移築したものだそうです。
本堂(国宝)
寛元2(1244)年の建築
桁行六間、梁間六間、一重、寄棟造、妻入、正面一間通り庇付、本瓦葺、閼伽棚を含む
もともと僧房として禅室と一帯でしたが、智光曼荼羅を祀るために禅室と切り離されました。
禅室と本堂の間
屋根瓦のうち茶色く見えるものは、飛鳥時代のものです。
禅室(国宝)
鎌倉時代前期の建築
桁行四間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺
Sep.2011 瀧山幸伸 HD video
A camera
極楽坊
Gokurakubo
塔跡
Tou ato
小塔院跡
Shotoin ato
B camera
極楽坊
Gokurakubo
塔跡
Tou ato
小塔院跡
Shotoin ato
Aug. 2009 撮影/文 野崎順次
奈良県奈良市中院町11
真言律宗
元興寺(極楽坊)
(Gangoji Gokurakubo, Nara)
撮影日:2009年8月15日
元興寺(がんごうじ)は、奈良市にある、南都七大寺の1つに数えられる寺院。
蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身である。
法興寺は平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となった(ただし、飛鳥の法興寺も元の場所に残り、今日の飛鳥寺となっている)。
奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退した。
元興寺には奈良時代の学僧・智光が描かせた阿弥陀浄土図(智光曼荼羅)があったが、平安末期の末法思想の流行や阿弥陀信仰の隆盛とともにこの曼荼羅が信仰を集めるようになった。
曼荼羅を祀る堂は「極楽坊」と呼ばれて、次第に元興寺本体とは別の寺院として発展するようになった。
これが現在、奈良市中院町にある元興寺、通称元興寺極楽坊である。
現存する元興寺極楽坊の本堂と禅室は、奈良時代に智光をはじめとする僧たちが住んでいた僧房を鎌倉時代に改築したものである。
主な文化財(建造物のみ、*印は写真あり)
東門 (重文) 室町時代に移築*
本堂(極楽堂) (国宝) 鎌倉時代に改築*
禅室(春日影向堂) (国宝) 鎌倉時代に改築*
小子房(極楽院旧庫裡) (県指定) 江戸時代前期*
東門(東大寺の門を移築したもの)と近くの石仏
本堂(極楽堂)
― 寄棟造、瓦葺で、東を正面として建つ。
この建物は寄棟造の妻側を正面とする点、正面柱間を偶数の6間とし、中央に柱が来ている点が珍しい。
内部は板敷きの内陣の周囲を畳敷きの外陣がぐるりと囲んでおり、内陣の周囲を念仏を唱えながら歩き回る「行道」に適した構造になっている。
鎌倉時代の寛元2年(1244年)、旧僧房の東端部分を改造したもので、内陣周囲の太い角柱や天井板材には奈良時代の部材が再用されている。
また、屋根瓦の一部にも飛鳥~奈良時代の古瓦が使用されている。
古瓦は上部が細くすぼまり、下部が幅広い独特の形をしており、この瓦を重ねる葺き方を行基葺きという。
禅室(春日影向堂)
― 切妻造、瓦葺。本堂の西に軒を接して建つ。元は現・本堂も含んで東西に長いひと続きの僧房であったものを鎌倉時代に改築したものである。
本堂と同様、部材や屋根瓦の一部には奈良時代のものが残っている。
境内の墓地と石仏。
小子房(極楽院旧庫裡)と茶室(泰楽軒)。
東門から出てすぐ南にある肘塚町石仏。
奈良市芝新屋町 元興寺五重塔跡。
奈良時代から残る創建遺構で、一辺9.65m、高さ72.7mの超大型塔があったが、安政6年(1859年)に焼失した。
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