MONTHLY WEB MAGAZINE Oct. 2012

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■■■■■作庭家重森三玲さんのこと 野崎順次

吉備中央市の吉川八幡宮に出かけた。車に縁のない私にはJR備中高梁からのバスしかないが、土日は特に便数が少なく、次の選択しかない。

11:42 高梁バスセンター発 → 12:36 センタービル(吉備高原)着 

ここからタクシーで吉川まで5分

16:58 吉川発 → 17:57 高梁バスセンター着

と云う訳で、吉川で約4時間過ごすことになった。食堂はおろか、コンビニも酒屋もない集落である。が、意外と濃密の時間を過ごすことになった。

たっぷり2時間かけて吉川八幡宮を撮影した。石鳥居の隣に重森三玲の顕彰碑があり、八幡宮本殿の重要文化財指定に貢献したとある。また、反対側には立石を並べた石組みがあり、本殿渡り廊下の中庭にも石組みがある。社務所の建築が新しいが趣がある。後で知ったが、これらは重森さんの作品である。

重森三玲(1896-1975)は吉川に生まれ、長じて日本庭園を独学で学び、全国の庭園を実測調査して、日本庭園史研究の先駆けとなった。また、昭和を代表する作庭家として、全国各地に50余庭の傑作を残している。例えば、東福寺方丈庭園松尾大社庭園大徳寺瑞峯院など。

神社に隣接して重森三玲記念館と18歳の時の処女作品といわれる「天籟庵(てんらいあん)」が移築されている。茶室も秀逸であるが、庭がすごい。隣接する八幡宮に因んで、八幡神は海神であるとの解釈から、まさに波打つカラーコンクリートである。草木はほとんどない。

記念館の展示を見ると、作庭家、庭園研究家だけでなく、書、陶器、茶道具の作品もある。展示品の半分くらいが寄贈品だった。と、寄贈者の名前を見て行くと「福山市 岡本類氏」とあった。これはまぎれもなく父方の伯母である。書の掛け軸と陶器を寄贈していた。

3年くらい前に確か94歳で亡くなった。そういえば、あまり贅沢はしない伯母であったが、お茶やお庭が大好きで、よく京都に行っていた。自宅に小さいながら枯山水の庭があって、有名な先生に作ってもらったと云っていたが、重森さんだったのだ。作品地図にも岡本邸庭園(福山市、非公開)と明記されている。生前、伯母は私のことをよく可愛がってくれた。若いころからなかなかあっぱれな女性でいろいろエピソードがあるが、ここではふれない。ただ、晩年少し認知症気味になっていた頃に、お見舞いがてらマスカットを3千円で買って持っていったら、「おまえもいろいろ大変だろうから」と云って珍しく小遣いを袋に入れてくれた。帰途、話の前後から少なくとも3万円だろうと思って袋を開けるとマスカット代と同じ3千円だった。意外としっかりしていたのかもしれない。

とにかく、今頃になって伯母の高度の感性が少し分かったようである。昨日は岸和田城の八陣の庭を見てきた。天守閣の欄干から身を乗り出してステンレスの安全柵の上から全景を俯瞰した。圧倒された。

近々、京都の吉田山にある重森三玲庭園美術館(旧重森邸の書院と庭園、要予約)に行こうと思っている。

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