JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Mar. 2019

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 危険な水 瀧山幸伸

危険なデスティネーション(目的地)シリーズは、きりがないので今回で終了する。

「危険な滝行」、「危険な修験地」、「危険な動物」に続いて、「危険な水」の話題。

純粋に危険な水といえば、水に落ちて溺死したとか、北海道で川の水を飲んでキツネの寄生虫エキノコックスにやられたとか。

よほど不注意でなければ水に落ちて危険な目には遭わない。

川下りの船頭さんが言っていた。「川がよどんでいる瀞では、水流が渦を巻いているので浮かび上がれず事故死が多いです。安易に瀞では泳がないで」と。数年前、川下りで悲惨な水難事故が発生したが、装備の不備と不注意が原因だった。

また、五島列島で聴いた話では、「潮が激しくて、漁師が海に落ちても浮かび上がってこないよ」と、怖い話を聞いた。

氷が割れて裏側に回ってしまったとかも怖い。

自分はこのような危険なことは回避しているが、撮影時に水に落ちたことはある。危険な滝行では恐怖ゆえにとても気を付けているし、滝つぼでは細心の注意を払っているが、通常の浅い水では撮影に気を取られてついつい足を滑らしてしまう。

晩秋の頃、新潟の竜ケ窪湧水で、石橋を渡る最中に池に落ちてしまった。

家人は竜神様のたたりだと言うが、それほど大変ではなかった。というのも、湧水は年中ほぼ一定の温度で、あまり冷たくなかった。持っていた機材一式は水没したが、数日放っておいたら問題なく使えた。問題は水から這い上がってからだ。本当に寒く、低体温症はこういうことかと思った。車内で衣服を全部脱いで毛布にくるまり、遠くの衣料品店に着替え一式を買いに行き、竜ケ窪温泉で温まって事なきを得た。温泉の入り口では怪しい客に見えたのではなかろうか。

自分にとって危険な水といえば、やはり海の断崖絶壁だ。自分が命を落とすのはこのような場所ではないかと思っている。

例えば、鹿児島の指宿竹山。ソテツの自生地として天然記念物になっているから調査で登ったのだが、道が草で覆われているので油断してしまう。道を外れて50センチ先に足を踏み入れようものなら、真っ逆さまに海岸に転落する怖い場所だ。

高知では、怖いと言われる足摺岬はそれほど怖くないが、西側の叶崎や隣町大月町の観音岩は断崖が隠れているので怖い。

  

紀伊半島の海岸では、三重県熊野市の楯ケ崎は怖かったが、鬼ケ城一周は歩道が整備されており足元の危険もよく見えるのでそれほどでもなかった。

 

不思議なことにサスペンスドラマに出てくる東尋坊能登金剛などは怖くない。崖の先端からカメラを突き出すので、家人は見ていて肝をつぶすそうだが。事前に怖いことを学習しているからなのか、見通しが良くて危ないことが察知できるからなのか。要するに予備知識がなく予見できない危険、隠れている危険が最も怖い。

 

今まで取り上げた危険は自力で対処できる。いわば自業自得の危険だ。

つくづく思うのだが、地理を研究している人間の目から見た最も危険なデスティネーションとは、地震、津波、大火災や洪水に弱い大都市だ。

地下トンネルは、こう門や隔壁などが破壊されたら水が一気にトンネルに押し寄せるかもしれない。このような場合は自力で対処できないから、地下鉄に乗ったり海底トンネルの利用はとても怖い。

巷でよく聞く「想定外です」の答弁には「ぼーっと仕事してんじゃないよ」と言い返す前に、自己防衛すべきではなかろうか。


■ 冬ごもりから覚めたばかり  大野木康夫

体や仕事の関係でしばらく撮影をお休みしていましたが、2月末から少しずつ行けるようになってきました。

再開して1回目の撮影は、リハビリを兼ねて妙心寺と仁和寺に行きました。

妙心寺(天球院特別公開を含む)

    

仁和寺

   

感覚が戻らないのか、撮影動作がスムーズにならず、お休み前の5割増しくらいの時間がかかってしまいました。

何もなければ、下草が枯れている1〜2月は、山城の址を撮影したいと思っていたので、再開2回目の撮影は観音寺城跡に行きました。

以前は、麓の石寺の集落から歩いて登りましたが、手術の後でもあり、大事を取って林道で観音正寺参拝駐車場(五個荘側)まで登りました。

観音寺城は初期の石垣のお城としては、相当規模が大きいもので、最近は木々に埋もれていた石垣を見えるように発掘や整備が始まっています。

駐車場からすぐの伝布施淡路丸跡の石垣

  

大正時代に建てられた佐佐木城址の碑

伝三国丸跡付近の石垣群

観音寺城跡東部のハイライト

最近、樹木を伐採して見やすくしようとしているようです。

    

伝本丸跡

食い違い虎口、大石段など、

     

伝三の丸跡の石垣

伝平井丸跡の石垣群

観音寺城跡西部のハイライト

虎口に続く大石垣

    

伝池田丸の石垣群

    

通称大石垣

石寺の城下に見せるための石垣といわれています。

近年周辺の樹木を伐採し、新幹線からも見えるようにされています。

   

大石垣の上からの眺め

観音正寺

境内のねずみ岩などを見れば、繖山が岩山だったので石垣は容易に作れたのではないかと思います。

 

権現見附の大石垣

 

麓の御屋形跡の石垣

  

城跡の規模が大きすぎて、4時間ほどかかっての撮影となりました。

もう少しペースを上げないと、日帰りの遠出はできないと思いました。

その後仕事がらみで撮影した八坂の塔

 

まだまだ撮影したいものがいっぱいあり、今後も楽しんで取材を続けたいと思います。


■ 大谷資料館 柴田由紀江

節分の時期に大谷資料館を訪問しました。ここは異次元の空間に出会えるということで若い人に人気のスポットです。

異次元の空間というのは、視覚(昼なのに暗く、照明がいい雰囲気)、、聴覚(とにかく音の反射が非日常的)、皮膚感覚(大谷石の肌ざわりと、夏涼しく冬暖かい)と、日常の環境とは全く異なるからなのでしょうね。残り一つの嗅覚の非日常性は味わえないですが、日光など地元の山の四季折々の癒し系アロマミストなんかがあったら喜ばれるかも。

確かに夏は涼しくて別天地ですが、人が少ない冬もおすすめです。ここでのコンサートは最高でしょうね。

   


■ 那珂八幡古墳を見る  田中康平

福岡市の古墳を気の向くままに見ているが今月は博多駅に近い那珂八幡古墳というのを見に行った。

ネットで北部九州の古墳のことを書いたものを探していたら、福岡の古墳の一覧図に行き当たって、見ると那珂八幡古墳というのがこの辺りでは最大級でしかも最古級であると記されており気になっていた。(図は「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告Ⅰより)

 

たまたま福岡市博物館に行くことがあって、みると最近の発掘調査の成果の一つとして那珂八幡古墳についても展示されている。現地説明会資料というのも掲示されていたが何と先週あったばかりでがっかりする。よっぽどアンテナを張っておかねば現地説明会予定は引っかかってこないようだ。

   

気を取り直して説明を読むと、詳細な形状が明らかになり最古期の特徴のある古墳とわかったとある。時代は3世紀後半から末ということのようだ。卑弥呼の時代の直後に当たりうる。三角縁神獣鏡も出土している。これは面白そうだ。

那珂八幡古墳の近くには日本最古期の水田跡の遺跡である板付遺跡や弥生時代から7世紀に至るまでの遺跡が重層している比恵遺跡群もある。あたり一帯は魏志倭人伝に言う奴国の中心地ではないかと思える。しかし福岡市の中心部に近い。長い歴史の中で破壊や石の流用も行われてきたようで切れ切れの遺物しか残っていないのがもどかしい。

とにかく現地を見てみようと日を変えて出かけた。福岡空港の滑走路とJR新幹線・鹿児島本線とに挟まれたエリアだ。恐らく空港の建設ではもっと多くの遺跡が出ていたに違いない、板付空港として朝鮮戦争時には米軍に多用されていたようでこの時期に空港整備も進み遺跡も破壊されたのではあるまいか。平坦で最もいい土地が空港になっている。

  

那珂八幡古墳は街中だけに専用の駐車場は無く近くのコインパークを探してクルマを止める。後円墳部のみが形を残して頂上部に八幡神社の社殿がある。社殿の下に主被葬者が埋葬されているようだが発掘されていない。中心から外れたところにも埋葬がありここから三角縁神獣鏡が出ている。相当有力な勢力だったと思われる。

頂上に神社があってかろうじて後世まで残った古墳のようだ。

魏志倭人伝では 卑弥呼は大いに墓を作りその径百余歩 とされ普通にみて歩=6尺、1尺=0.24mの換算では径150m位になる。但し魏志倭人伝の距離の記述はそのまま換算すると非常に大きく、距離の記述と現実の距離とが対応できる短里を使っているとも考えることもできる。もし短里で全て通っているものなら墓の径は約30mとなる。この古墳は後円部径が約52mでこの3倍のサイズかはたまたこれよりひとまわり小さい墓ということになる。卑弥呼の墓が30mではどうみても小さいが、ともかく色々議論が尽きないのは墓一つとってもそうかと思わせる。

いずれにせよ九州は邪馬台国論争が身近に感じられて面白い。暫くはあちこち訪ねてみようかとも思っている。


■  カラスについて 中山辰夫

過日新聞でカラスの記事に出合いました。読みながら思い出したことを書きました。

厄介者のカラスですが「シートン動物記」には、貝殻など白く光るものを集める習性があると記されているようです。

新聞記事の内容は、東京の多摩地区に勤める女性がカラスから定期的に、光るものをプレゼントされているという話。

会社近くの敷地に巣から落ちたヒナがいて木陰に戻してやったという。すると後日小柄なカラスが鍵のデザインのアクセサリーを加えて来て、女性の前に落とした。その後も贈り物は続き、ビーズ飾りのボールペンやスプーン、など等。今年最初のプレゼントは蛍光色の釣りのウキだったとか。

女性は「人の顔が識別できるのか? 本当に賢い」と話されていたとありました。「日経」

我が家の一角に電柱が建っています。平成13年頃この電柱に多くのカラスがとまり迷惑していた時期がありました。ある日電柱から落ちたヒナを見つけ、近くの動物病院に連れて行きました。手遅れでしたので元の場所に置いてやるといつの間にか姿が消えました。親カラスは病院までの間離れず追っかけてきました。この些細な事からカラスを身近に感じました。もしヒナが生き返っていたら贈り物をされたかも・・・。

3年程前、知恩院塔頭の屋根に止まったカラスが約10分かけて百態の動きをするのに出会いました。辛抱強く100枚ほど画像に納めました。後ほどメンバーの田中さんから「カラスの身繕い」と教えて頂きました。全身を念入りに嘴で身繕う様にビックリしました。可愛く感じました。

   

最近、カラスは都市部からも激減したようです。スズメ、ツバメも半減に近いとか。代わりに新たに増える鳥がいるようです。

我が家の電柱はカラスに代わりムクドリの大群が朝・夕飛んできます。鳴き声と撒き散らす糞に音をあげております。

電力会社の対策工事も効き目がありません。ムクドリには憎しみだけ残っています。

昨年末、威嚇ピストルで驚かしたところビックリしてすぐに飛び去りましたが、果たしていつまで効果があるか。そろそろシーズンに入ります。

カラスの方が可愛い気があった・・などなど、新聞記事をきっかけに思い出して時を過ごしました。


■ 春が近づいてますね 蒲池眞佐子

西日本ではついこの前まで寒いと言っていたのに、急に温かくなってきた気がします。

ちょくちょく利用しているバスツアーで、梅林に行ってみました。

ちょっと前まではバスツアーっておばちゃん臭いな、と思って敬遠していたのですが、これがなかなか便利。安い料金で迷いもなく目的地へ連れてってくれる上、

おいしいランチは出るし、お土産までつくこともある。

ただ、時間の限られた中での行動なので、写真がじっくりと撮っている暇がない、歩きながら、バシャ、バッシャ、という感じか、他のみなさんが、ゆっくり歩いて

行っている間に写真を撮って、追っかける。結構体力使います。

先日行ったのは佐賀県にある三船ケ丘梅林。

なんと、ほとんど散ってました。去年も花が咲く時期が早くなってましたが、今年も早くなっている模様。これも温暖化の影響でしょうか。

撮影時にはちょうど雨も上がり、曇り空は残念でしたが、雫と一緒に撮れたのはよかった。

      

ところで、我が家は庭がないので、ベランダに小さなビニールハウスを設置して植物の世話をしていますが、その植物たちも花が咲きました。

こちらは梅と椿、椿は萩市で購入したのですが、何種類かの種類があり、その中から選んで買ったのに、名前もすっかり忘れ、情けない限り。

次は、さつきが咲き、その次は紫陽花、とこれからは花の季節が続きます。

 


■ α7Ⅲを持って房総のむらへ 川村由幸

これが人生最後の撮影機材への投資になりそうだと思いながらα7Ⅲを購入しました。

交換レンズは別に考えるとしてもカメラ-ボディはこれが最後でしょう。

今年70歳になる身としてはそろそろ身辺整理、断捨離に努めないといけません。

新しい機材を手に入れれば、当然使ってみたくなり、小雨の中「房総のむら」へ出かけました。

最初に風土記の丘ゾーンにある「旧学習院初等科正堂」「旧平野家住宅」「旧御子神家住宅」を撮影。

旧学習院初等科正堂

  

何年か前に再塗装し綺麗になったのですが、もう劣化が始まっています。文化財の維持管理の大変さが解ります。

旧平野家住宅

  

このような古民家なかなか部屋に入れてくれません。もちろんここも駄目。

旧御子神家住宅

  

平野家は県指定ですがこちらの御子神家は国指定の重文、外見だけではその理由は解りません。

ここまで撮影したところで雨が激しくなってしまいました。ふるさとの技体験エリアには行かずに帰宅。

器材も濡れてしまいますし、天候には逆らえませんでした。

私はα6300も所有していますのでこのAPS-C用のレンズがα7Ⅲでもそのまま使用できます。

もちろん、APS-C用のレンズをフルサイズ機に付けても画素数が減少するだけで有効な使い方とは言えませんがフルサイズ用のレンズをAPS-C機につけると望遠は1.5倍、フルサイズ200mmをAPS-Cに装着すれば300mm相当として使うことができます。

但し、SEL1018はAPS-C用レンズなのですが、フルサイズとして使うことができます。

上の画像で旧学習院初等科正堂の一番左側の画像以外全て、α7ⅢにSEL1018を装着して撮影した画像です。

もちろん、ズーム域10-18全てでは使用できません。ズーム両端に向かってケラレが大きくなり使えません。

ただ、12-16の範囲ですと多少のケラレは発生しますがライトルームの周辺光量調整機能を使うと簡単に解消できます。

上の画像もその機能を使用して現像しています。

そんなわけで、200mmぐらいの望遠ズームレンズを購入して、α7Ⅲとα6300の2台のボディを持参してレンズを交換するのではなく、カメラを交換して撮影なんても楽しいのかもと思ったりしています。


■ 酒飲みの小さなエピソード 野崎順次

若いころ、しょっちゅう、子供たちと近くの酒屋の自動販売機に行った。俺はワンカップ、子供たちはジュースを立ち飲みした。一度、近くのセレブな奥様が通りがかり、思わず会釈をしたが、奥様は知らぬふりをして遠ざかった。

よほど気の合う友達と一緒でなければ、そそくさと一人酒を好む。若いころは、会社の行き帰りのJR駅のキオスクで毎日のようにチューハイを立ち飲みした。ある日、いつもより1時間くらい遅く寄ると、オバちゃんに「今日は遅いね」といわれた。常連扱いか!

同じように会社の近くのコンビニでも立ち飲みをよくした。店員の若い男と顔見知りになったというか、俺に関心を示しだした。ある日、朝早く、電池か何かを買いに行くと、「チューハイは飲みませんか。」とにやつきながら尋ねるので、「他人のことはほっとけ。」と諭した。

ある夏の日、古市古墳群を撮影して、夕刻、道明寺交差点前のコンビニでチューハイのロング缶を買って、表で一気に飲んだ。1分もかからなかった。すると、横にいた労務者風のおじいさんが「にーちゃん、ええ飲みっぷりやなあ。」と褒めてくれた。

若いころ、コンビニは少なく、酒類は酒屋か自動販売機で買うのが普通だった。家の近くに酒屋が3軒あった。いずれとも顔見知りになり、時には財布を忘れていったこともあるが、「お金はいつでもいいですよ。」といってくれた。3軒とも!

阪神大震災のずっと前のことだから、1985年あたりか、10月のある日曜日、自宅から神戸方面にサイクリングにでかけた。旧阪神国道の御影あたりで、灘五郷利き酒めぐりの一行に出会った。毎年、開催されているらしい。酒好きがぞろぞろ歩いて、各酒造で利き酒をする。無料だが、お金を出せば、もっと飲めるし、おでんやするめなど酒の肴もある。自転車をおいて参加した。全部で数十人くらいか。3〜4kmの工程で酒造数か所をまわる。結局どれほど飲んだか、分からないが。よく飲んだ。終盤は酔っぱらいの大行進となった。中にはへたり込んで歩けなくなった老人もいた。俺の記憶はこのあたりからぼやけてきた。断続的に残る記憶をたどると、三宮まで行って、車しか通れない連絡橋で、ポートアイランドから六甲アイランドに渡って、…………………… 翌朝、無事に自宅のベッドで目覚めた。

最近、京都の大徳寺に行った。夕刻、総門を出るときには、酒が恋しくなっている。と、目の前に酒屋があった。地酒の4合ビンを買って、コップを借りて、半分飲んだ。店のおかみさんが「前にも来はったねえ。」という。そういえば、来たような気がする。その時は表で家内を待たしていたような気がする。「家内と来たときかなあ。美しい女の人と一緒やった?」と聞くと、愛想よく、「えーそうどしたなあ。」というから、「そしたら、俺と違う。」と話をわざとそらした。その話を家内にすると、以前、この酒屋で冷酒を飲んだことが2回あったそうだ。今度で3回目か。

JGレポートが残っているので、月日日時は明らかである。2012年8月16日(木)というからお盆休みの最中に河内長野にいった。どこかを回って、最後に烏帽子形八幡神社を目指して高野街道をたどった。午後3時くらいに天野酒で名高い造り酒屋「西條合資会社」に寄って、行く道を確かめた。教えてもらったお礼も兼ねて、お酒を飲んだ。3合くらいかなあ。3時半ころ、無事、神社に着いて、少し撮影してから、東屋風の休憩所で一息つくと酔いがどっと回って眠ってしまった。起きるとすっかり暗くなっていて、撮影をあきらめて帰宅することにした。家に帰って撮影機材を片付けていると、動画撮影時のマイクに付けていた愛用のウィンドスクリーン(手製)の無いのに気がついた。あの神社休憩所辺りで落としたに違いない。そこで、2日後の18日(土)に早起きして再訪した。午前7時頃に着いた。休憩所の長椅子の下にウィンドスクリーンは残っていた。ちょうど宮司さんが境内の掃除をされていたので、お願いすると、瑞垣内での写真撮影を特別に許可してくれた。本殿は国重要文化財である。早起きは三文の得ということか。

 


■ 看板考 No.74  「日中融合看板」 柚原君子

 

所在地:東京都板橋区

『誠仁勝手なガら 店主は中国に戻りました。一時的な休業となります。ご迷惑を(お)掛けしますガ よろしくお願い申し上げます。』

中国の方が書かれたと想像できる「一時的な閉店のお知らせ文」が張ってありました。一度だけ入店したことがあり、中華料理屋さんらしい豊富なメニュー揃えの美味しい中華料理屋さんです。

看板内容ですが、に→を仁、が→ガになっていておもしろいです。店主自身が予定通り短期休業するのであれば,戻りました,ではなく戻ります,になるはずですから従業員の方が寝耳に水!えっ旦那は中国に戻った?と慌てて書いたような文です。慌てているので日本語が所々変です。

店主の両親が病気なのか……中国に置いてきた妻が怒っていて呼び戻されたのか……はたまた闇の世界で何かあったのか……なんてそんなわけ無いでしょうが、それにしても何があったのでしょうか、と立ち止まるに十分な力を持った看板でした。

何もなく閉めたままの店であるよりは、混合あるけれども精一杯書かれた一時的閉店お知らせ文。お隣の国中国。同じアジア人。店主が無事に戻られてまた仲良く再開されたら良いのになぁと思います。


■ おばちゃんカメラマンが行く @三四郎島 西伊豆堂ヶ島  事務局

なんといっても桜の早咲ナンバーワンは伊豆の河津の桜下賀茂の桜だろう。今年も十二分に堪能させていただいた帰路、西伊豆堂ヶ島の三四郎島の前を通る。

日本の夕日百選に選ばれるほど素晴らしい夕日ということで、三四郎島の前には数人夕日撮りカメラマンがスタンバっていた。

日の入りまでは40分ぐらい、当然待つ気もなく、ちょいと一枚のつもりで〜♪充分美しい島々を撮っていると地元のおじカメさんが親切に解説してくれる。

三四郎島と夕日とトンボロが一緒に撮れるのは五年に一度しかない、ということだ。確かにトンボロが見える。

トンボロはたびたび目にする上、夕日は、しょっちゅう。

少し根拠が怪しいとは思ったが、そこまで何度も言われると連れ合いと友人Yは撮る気満々になってきたらしい。結局日の入りまでなんだかんだ撮りまくった。

結論として、日の入りの夕日が弱いらしく絶景を撮り損ねたおじカメさんは「これじゃコンテストに出せない」とちょっと残念そうだったが、今度は10月だからと言っていた。おいおいさっきは五年に一度って言ったじゃない。

つまりそれほど珍しいという意味なのかと理解する。

日の入り時間と干潮時間、潮位(トンボロになるためには30-50cm位まで干潮時間の前後一時間)、快晴の天気、この奇跡的な出会いがないと絶景夕日は撮れないのだろう。

友人Yは夕日の前を船が通ることまで願っていた。

奇跡的な自然現象と根性と体力がマッチングするのはそれこそおばカメ的には五年に一度ぐらいになりそうだ。

 

今月のニャンコ

小石川植物園のカモフラージュにゃんこ

枯葉の中で爆睡中


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Editor Yukinobu Takiyama

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