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Monthly Web Magazine July 2020


■蟇股あちこちー3  中山辰夫

 

奈良時代後期における板蟇股の遺例は、法隆寺伝法堂や唐招提寺金堂に見られるだけで少ないとされています。「既報」
さらに以後の平安時代後期まで遺例がないとされています。

平安時代後期以降は、踏ん張った形の板材の内側を透かしたタイプと板状のタイプ、二種類が現れます。
内側を透かしたタイプはその後次第に装飾材に発展し、華麗な彫刻が施されたものへと発展してゆきます。
板状のタイプは構造材として原始蟇股を受け継いだ華型と法隆寺東院回廊の蟇股に見えるような蟇そのものに近づく形となります。

平安後期の初期板蟇股の遺例として、法隆寺鐘楼と平等院鳳凰堂翼廊があります。

法隆寺鐘楼 国宝 建築:1005~1020年の間 桁行三間 梁間二間 楼造 切妻像 本瓦葺

    

蟇股は、上層の二重虹梁蟇股式の架橋部にあります。斗載面脇の巻き込みが小さいとされます。 最初のものは焼けて、平安中期に再建されました
経蔵と一対をなす鐘楼 端正な佇まいです 経蔵に比べ斗や蟇股の背が高く、虹梁や肘木は曲線が鈍いです。

宇治平等院鳳凰堂 国宝 建築:1053年 桁行三間 梁間二間 一重もこし付 入母屋造 本瓦葺
    
宇治の地は、『源氏物語』の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていました。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとされる源融の別荘だったものが幾度の変遷を経て、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となっり、1052年に宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりとされます。そして1053年に西方極楽浄土をこの世に出現させたかのような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立されました。「抜粋ウイクペデイア」

蟇股:初期板蟇股と称される蟇股は、鳳凰堂翼廊と鳳凰堂中堂にあります

平等院鳳凰堂翼廊 国宝 建築:1053年 各桁行折曲り延長八間 梁間一間 隅楼二重三間 宝形造 廊一重二階 切妻造 本瓦葺
       
板蟇股は翼廊上層の二重虹梁蟇股式の架橋部にあります。繰形がもうけられている。翼廊天井部にも有馬手。

中堂 国宝 桁行三間 梁間二間 一重もこし付 入母屋造 本瓦葺 (資料 「蟇股」「平等院大図鑑」) 
     
中堂身舎の虹梁上にあります。上部に斗を載せて天井桁を受けています。表面には華麗な繧繝彩色が施されています。
この板蟇股が後世の板蟇股や蟇股の基本形のようです。

これまでの一覧と文献に見られる蟇股についての部位の説明です。
  
次回からは鎌倉時代~桃山時代の板蟇股に入ります。


 

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