JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine July 2020

Back number

 


■■■■■ Topics by Reporters


ウポポイ 瀧山幸伸

7月12日の日曜日、北海道白老町に「ウポポイ」がオープンした。ウポポイは、北海道白老郡白老町にある「民族共生象徴空間」の愛称で、国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設などからなるアイヌ文化の復興・発展のためのナショナルセンターだという。「ウポポイ」とはアイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味している。

初日は入場予約できなかったが、月曜休館日の翌日の14日に運よく予約できて入場が叶った。想像以上に立派な施設と展示で、スタッフも出演者もホスピタリティにあふれ目が輝いている。一日居ても飽きない。だが、某遊園地のように一日では足りないとか、年に数回は必ず訪問したいかというとそうでもなく、もう少し知的好奇心を刺激するような奥の深さが欲しいように思えた。

ウポポイの素晴らしい点は多くの人が言っているのでこの場で繰り返す必要もない。今後のさらなる充実を期待して自分の希望を以下に述べてみたい。要するに統合学習機能(視聴覚を含めた自習可能なライブラリ、国内外から専門家を招いた講座など)をさらに充実してほしい。

いわゆる和人や内地人がどれほどひどいことをして来たかは、アイヌや沖縄などの歴史と文化を知る人は知っているが、ほとんどの日本人は知らない。かと言ってウポポイに来ればそれが統合的に理解できるかと言えばそうとも言えない。修学旅行の児童生徒や団体観光客を主なターゲットとしているように思え、全く知識も興味も持っていなかった人にアイヌを知るきっかけ作りの拠点であり、そのための一日完結型の体験施設となっているようで、自分には少し物足りなかった。

リピーターが多いかどうかは成功の重要な要素だ。数日かけてあるいは毎年のように訪問してより深く学ぶための自習型のライブラリー機能や他施設との連携機能が不足しているように思えた。ナショナルセンターであるならば、東京国立博物館科学博物館北海道博物館旭川博物館などのアイヌ関連施設と研究や展示をさらに統合してもらいたい。ここに来れば、縄文から続く北方文化圏(世界遺産候補)とアイヌの歴史と文化との相関について、あるいは国内と世界の少数民族の文化や歴史など、ありとあらゆる関連情報を統合的に理解できる場となればありがたい。大手広告代理店がコンセプトの企画と運営に関与しているそうで、集客数優先で人目を引くが中身が浅いコンセプトに基づいて生まれた施設だとすると、ナレッジセンターとしての深堀りはあまり期待できないのかもしれない。営利目的の遊園地ではないので、訪問者の量よりも質を重視すべきだろうが、アンケートなどのフィードバックツールは見当たらなかった。

福井県の恐竜博物館は国際的な研究拠点となっていて世界中から研究者が集まってコンテンツが日々拡充しており、世代を超えてリピーターが多いのとは違うようだ。例を挙げれば、教科書に登場するレベルの蝦夷・アイヌの情報はあるのだが、史跡などの情報がかなり不足している。北海道各地に分布するチャシ、アイヌが崇めた名勝ピリカノカ、和人が築いた館や藩が築いた陣屋での和人とアイヌの関わりの解説も少ない。シャクシャインがなぜ和人と戦ったのかは、同じく虐待を受けたアメリカインディアンの歴史と共通するものがあり、ぜひ人々に知ってもらいたい情報だ

国交省(観光庁)型の観光集客施設を主力にして展開すれば、知的興味を持つリピーターは生まれず、やがて衰退するか、てこ入れのために新規のアトラクションやショーに無駄な税金を使うか、いずれにせよ悲しい未来が待っているように思える。そうではなく、アイヌ総合研究の講座や語り部の充実など、知的なコンテンツのさらなる充実が必要だろう。

世界遺産となった岩手釜石の橋野高炉跡では多くのアイヌを雇っていたと地元の案内人が解説していた。柳田邦夫が研究した九州椎葉村の焼き畑文化や、マタギ文化などとアイヌ文化との関連はあるのかないのか。秋田の鵜養など、国内のアイヌ語と思われる地名はアイヌと関係があるのかないのか、その地に痕跡はあるのか。そのようなことも究明する、アイヌに関する地理と歴史と文化の統合拠点となってもらいたい。

明治初期に東京から北海道まで訪問したイザベラ・バードは、締めくくりにアイヌの酋長の家に滞在して文化に感銘を受けたり樽前山に登ったりした。その情報も少なかったが、洞察力鋭い彼女だったらこの施設をどう評価するだろうか。

ウポポイからの現実的な出口はどこだろうか。ここを訪問した人々の興味に応じて次はどこを訪問すべきかのおすすめコースガイドがあればうれしい。チャシを巡る人、聖地と景勝のピリカノカを巡る人、全国の縄文遺跡とアイヌ遺跡を巡り比較文化を行う人、極東やイヌイットなどアイヌと類似した文化を巡る上級者など、ここが次の旅の出発点となれば理想的だ。

 


■ 最近の取材から  大野木康夫

新型コロナウイルスの影響が取材に及んでからはや半年近くになります。
当初は人が少ない山城を中心に撮影していましたが、感染が拡大し始めてからは不要不急でない用事のついでの撮影、4月中旬から5月末にかけては職場のルールに従い、まったく撮影に行きませんでした。
5月末から市内の撮影をはじめ、6月下旬からは職場のルールの緩和に伴い、隣県へ撮影に行きました。
撮影対象は、長年続いた保存修理事業が完了した竹生島と薬師寺です。

県をまたいだ移動が可能となった6月20日は、平成25(2012)年から修理保存事業が続いていた竹生島宝厳寺を訪問しました。
竹生島に渡る琵琶湖汽船の船便は事前予約制で、定員よりもかなり少ない人数で運航されていました。
   

9年ぶりの竹生島
  

保存修理事業により黒漆ベースの鮮やかな色彩となった唐門
今回訪問した主目的です。
豊国廟の唐門を移築したものですが、豊国廟の唐門は大阪城の極楽橋に付属していた唐門だったようです。
幟が少し気になりますが、寺社なので仕方ありません。
     


修理前の唐門(平成24(2011)年7月撮影)
     

竹生島の重文・国宝建造物
     

帰りに彦根城に立ち寄りました。
危険個所として立ち入りできなくなったエリアがあり、あまり満足できませんでした。
        


7月2日には10年に亘って保存修理工事が続いていた薬師寺東塔を見に行きました。
5月の落慶法要が中止となったので、東塔周辺の整備工事が続いており、低い囲いが設置されたままとなっていました。
初層の裳階(もこし)は創建当初は西塔と同じ連子窓と聞いていたので、どうなっているか気になったのですが、確定できるような資料がなかったのか、白壁のままでした。
巨大な三重塔ということになりますが、裳階がなければ滋賀石塔寺の石造三重塔のようなスリムな姿になるのでしょう。
フェノロサが東塔を見て言ったといわれる「凍れる音楽」が意味するものが、フリードリヒ・シェリングの「芸術の哲学」に記述される「凝固する音楽」と同じ「天然物と少しも似る事なき美を作りだすもの」であるとすれば、日本の塔婆建築として極めて異形であるこの塔にぴったりの表現であると思いました。
もう少し時間がたって、周辺の整備が終わったころにもう一度訪ねたいと思いました。
    


修理前の東塔(平成23(2010)年9月コンデジ撮影)
  


覆屋に入る前の東塔(平成25(2012)年1月撮影)
  


西塔と金堂
  


東院堂と休ヶ岡八幡宮
  


ついでに寄った唐招提寺浄瑠璃寺岩船寺
       
    

最近、また、感染者が増えてきたようなので、これからしばらくは市内での活動(なるべく夏季休暇を利用した平日の活動)に専念しようと思います。


■ 植治の庭をあらためて鑑賞する 野崎順次

ざっくりといいすぎだが、日本庭園について、重森三玲は、芸術性、抽象性、創造性、そして永遠のモダンを求めた。作庭手法からは石組を重視し、枯山水を高く評価する。彼が明治、大正、昭和初期の庭を評するときに芸術性に欠けるとよく言う。これら近代の庭は自然を模倣しただけだというのである。これを自然主義と呼び、代表的作庭家が七代目小川治兵衞(通称植治)である。彼は万延元年4月5日(1860年5月25日)に生まれ、昭和8年(1933年)12月2日に73歳で亡くなった。彼の作品の多くを私自身が訪れている。平安神宮、円山公園、無鄰庵、高台寺、仁和寺、大徳寺などなど。さらに修景も含めば、京都御苑と京都御所、修学院離宮、桂離宮、二条城、清水寺、南禅寺、妙心寺、法然院、青蓮院など。明治28年の平安神宮に始まり、大正、昭和の初めにかけての造園界は植治の独り舞台であった。

というわけで、重森三玲の逆説的な出発点ともいうべき植治の庭を見ようと、特に意識して、京都東山に出かけ、彼の出世作と最晩年作を観察した。これらの庭園は意外と近い。徒歩10分程度。

並河靖七七宝記念館庭園
七代目・小川治兵衛(通称・植治)は、靖之とは隣同士で親しく、その関係で施工を行った。30代半ばの植治にとって、維新後の動乱のあおりで庭造りの仕事が振るわないなか受けた並河邸の作庭は、転機となる重要な仕事だった。植治の作庭園の特徴は、1890年(明治23年)に完成する琵琶湖疎水から得られた豊富な水を用いた躍動的なデザインだが、その萌芽をこの庭園に見ることが出来る。並河邸の庭園は、七宝の研磨用に疏水から水を引き、その余水が池に注いでいる。この池を中心とする庭園は、地主の靖之の意向を汲み、景石や燈籠、手水鉢など石をふんだんに用いた作りになっている。池の中には、靖之が好きだった鯉が放たれている。作庭当初からある木は少ないが、庭園の要に位置するアカマツは当時からあり、庭園内側中央にアカマツを配するのは植治のやり方である。
(ウィキペディアより)

池が大部分を占めるが、水の動きはあまりない。目立つ島は、柱を支える岩島と亀島のような長細い島で、江戸時代からの伝統手法を想像させる。沢渡もある。

           

ウェスティン 都ホテル京都葵殿庭園
葵殿庭園は葵殿の南斜面にひろがり、三段の滝で構成された雄大な回遊式庭園です。この庭は、日本の近代庭園の先覚者として有名な、京都の庭師・七代目小川治兵衛(万延元年~昭和8年)によって、昭和8年に作庭されました。池や流れを「沢飛び」で渡る手法、琵琶湖西岸から疏水船で運ばれてきた縞模様のはっきりした守山石の配置などに特徴が見られます。殊に、急斜面の自然地形を活かしてデザインされた「雲井の滝」と呼ばれる三段の滝は、小川治兵衛の作品の中でも傑作といわれています。
(ホテルウェブサイトより)

ホテルのロビーに入ると、客はほとんどいない。ボーイさんが近づいてきたので、お庭が見れますかと聞くと、エレベーターで5階の庭園入り口まで案内してくれた。

庭はまさに突然現れた深山幽谷である。下を見ると、4階稔りの間で会議中だった。その横が宴会場の葵殿でそこから庭園全体を見上げるのがいいのだが、突然の来訪者には無理である。

     

童橋と雲井の滝

   

さらに奥に行くと、「石抱きの椎の木」など。

    

なるほど、身近に自然を再現し、水を躍動させるのなら、実に分かりやすい。

 



蟇股あちこちー3  中山辰夫

 

奈良時代後期における板蟇股の遺例は、法隆寺伝法堂や唐招提寺金堂に見られるだけで少ないとされています。「既報」
さらに以後の平安時代後期まで遺例がないとされています。

平安時代後期以降は、踏ん張った形の板材の内側を透かしたタイプと板状のタイプ、二種類が現れます。
内側を透かしたタイプはその後次第に装飾材に発展し、華麗な彫刻が施されたものへと発展してゆきます。
板状のタイプは構造材として原始蟇股を受け継いだ華型と法隆寺東院回廊の蟇股に見えるような蟇そのものに近づく形となります。

平安後期の初期板蟇股の遺例として、法隆寺鐘楼と平等院鳳凰堂翼廊があります。



■雨に思う =梅雨の晴れ間に= 酒井英樹


 今年の梅雨は例年にも増して激しい雨を降らせ、各地で出水災害をもたらしている。
 まずは被災された方々にお見舞い申しあげたい。

 先日梅雨の晴れ間を利用して、昨年度に重要伝統的建造物群保存地区に指定された、たつの市龍野町を訪れた。
 兵庫県南西部(西播磨)に位置し、一級河川揖保川右岸の川沿いに形成されるこの地域。
脇坂藩5万石の城下町としてまた17世紀後半には醤油(薄口醤油)の生産地として栄え、江戸時代から昭和初期に建てられた伝統的な建築物が良好に残っている。

重要伝統的建造物群保存地区
 

  龍野城
 

  重伝地区の町並み
         


 私ごとであるが、昔・・揖保川改修に関わって数年ほどこの地域に携わった。
 その後、花火や私事で近くを訪ねることはあっても、重要伝統的建造物群保存地区となった地域を訪ねるのはほとんど無く久しぶりの訪問であった。

 当時、揖保川の整備は行ったが、根本的な解決には至らなかった。そして現在ではその計画さえ棚上げになっている。
 だが、そんな話は珍しくなく全国各地に残っている。

川や対岸を眺めるのを保つためスリット状にして、非常時には畳を入れる全国に3例しかない止水壁(通称:畳堤)
 老朽化のため城壁のデザインに変えて立て替える計画があったが、現在は元の畳堤として修復されている。
 


 揖保川左岸に隣接し洪水時に流水阻害になるため計画では買収したうえで移転する予定であったが、買収が折り合わずに現在地に残った堀家住宅 主屋(H25年重要文化財指定)
 


 一因は地元の理解を得られなかったことだ。当時は、「膨大な予算を費やして数十年に一度しか発生しない災害に備えるより、もっと有効的な使い道があるはずだ」といった・・ある意味、平和ぼけしたと言っても今日に至っては過言でない・・風潮が都道府県を含めた各自治体で全国的に蔓延していた。
 気象変動のシミュレーションで十年後には数十年に一度の規模ではなくなると説得しても、残念ながら聞く耳を持つ者はほとんどいなかった。
 国土交通省の公表している資料によると、昨今災害を発生させているクラスの雨がもしこの地域を襲ったら・・数十年に一度の想定外(ある意味想定内だが・・)の雨が降った場合、例に漏れず揖保川の堤防は決壊する。
 揖保川洪水ハザードマップ 該当部分抜粋
  (国土交通省姫路河川国道事務所)
 
 

 重要伝統的建造物群保存地区では3m以上の水深になる場所があるという。
 この地の伝統的建造物は江戸期のものが中二階建てであり、屋根の軒下まで沈むことになる。

中二階建ての町屋建造物
    


また氾濫流によって家屋が倒壊することも想定されている。
 人的被害がなくても壊滅的な打撃を受けないとは言い切れない。

 氾濫による家屋倒壊想定区域 当該部分抜粋
  (国土交通省姫路河川国道事務所) 
 
  
 だが、抜本的な対策は十数年の期間と莫大な予算を要する。オンオフの差の激しさを増す気象水象・・今から計画を再開しても間に合わないかもしれない。

 自然の前で無力な自分。
 自分の手を離れた身としては・・ただただ、災害が避け続けてくれることを祈るしかない。
 そして、写真に残すしかないのかも・・

 町並みを楽しく撮影しながらも、そんな思いを頭に浮かべてしまう自分がわびしい。


■ バソコンの更新   川村由幸

 

カメラに続き、バソコンも人生最後の更新をしました。
Dell Inspiron AIO DT 5490 というモデルです。
いままでは、東芝のREGZAを使用していましたが、フリインストールされているソフトのほとんどが使わず仕舞いで無駄な思いでいましたので、今回はほぼ何もプリインストールされていないDellを購入しました。

オプションでOffice2019 Home&BusinessとAdobe Premiere Element2020,Photoshop Element2020を付けました。
ところがこれが大トラブルの元となりました。
実は5月末に仕事場のパソコンも更新していて、Officeの登録をMicrosoftの同じIDで行っていたせいで
プロダクトkeyの入力で使用開始できる場面に辿り着かず、電話の自動応答で長いパスを言われ、それを入力して
なんとかOfficeは使用できるようになるという始末。
AdobeのPremiere Element2020は自分でwebからダウンロードしてインストールするのです。それ自体はたいしたこともなく実行できたのですが、使ってみるとファイルを書き出そうとするとフリーズしてしまいます。
セキュリティソフトを切ってインストールするなどいろいろと試しても駄目。
webでいろいろ調べてみても役に立つ情報が出てこず、Dellのサポートを受けるしかないかと匙を投げかけた時に今回のパソコンにはグラフィックボードも付いており、これがうまく動いていないことに気づき、調べてゆくとIntel HD Graphicsドライバーが最新に更新されていないことが判明。
これをupdateしましたら、問題は全て解決。
あれやこれやと右往左往していたことがなんとも馬鹿らしい事態となった次第です。
パソコンのspecはcpuがCore i7-10510U メモリーが512GB SSD (ブート) + 1TBとそこそこの能力です。
これにグラフィックボート NVIDIA® GeForce® MX110 with 2GB GDDR5付きですから4K動画の編集も楽にこなせます。
いままでResolveは使い方が難解な上、パソコンの能力不足で全く戦力になっていませんでした。
これからは、4k動画をそれなりに美しく編集してupできると思います。
それにしてもコロナ渦、二次の感染拡大を感じさせるほどです。なかなか思うように取材に出かけられません。
ワクチンが国民全体に行き届くまで続くのでしょうか。全くやり切れません。


■コアジサシが楽しい  田中康平

夏鳥でこの季節に面白い鳥の一つにコアジサシがある。日本にやってくるコアジサシはニューギニア辺りの海域で冬を過ごし島伝いに夏日本にやってきて子育てをする。秋には生まれて数か月の若鳥を連れてまた赤道近くに戻っていき、これを毎年繰り返している。
カモメ科の海鳥だが飛ぶ感じはツバメのように俊敏で時々上空でホバリングして魚に狙いをつけ一気にダイブして魚を採る。日本の繁殖地では集団でコロニーを形成してカラスなどの外敵に立ち向かっている。日本では絶滅危惧種として絶滅危惧II類VU(Vulnerable)に指定されていて見れるところは割合限られている。

博多湾にコアジサシが渡ってきているというので、市の北部にある海の中道へ先月見に行った。やっとコロナ自粛も緩んできてそれなりの人数で集まって見に行ったのだが、人数もいることもあって刺激しないよう大分離れてスコープなどで見ていた。写真もとりあえず撮っては見たものの帰って見直すとすべて失敗で後日また別途出直した。今度は浜辺に出て、居るのを遠巻きにして見る、ヒナを育てているところは見えないが、200羽くらいいて十分楽しめる。
野鳥は野生生物だけに、思うように写真に撮れないことが多い、機材にお金をかければカバーできるところもありそうだが、結構な金額になるようなので、できる範囲にとどめている。今よく使っているのはNIKONのP900というコンデジを進化させたカメラで広角端から望遠端までの比率で82倍ズームになっていて2000mm相当の望遠というのが謳い文句だ。デジタル望遠を入れれば100倍くらいは使える写真が撮れることになる。動きの少ない遠くの野鳥をとる分には大して困らないがデジタルファインダーの遅れもあって動きのある野鳥をとるには少々苦労する。

コアジサシは栃木にいた時は鬼怒川中流域の中州に何年か渡ってきているのを、10年位前に見にいったことがあった。結構そばで見ることもできていたがその内水害で中州が流されたことをきっかけに来なくなった。関東ではその季節になれば羽田モノレールの昭和島のあたりでも観れることは知っていたが、なかなか見るチャンスがなく、九州に転居した後、3年ほど前、6月末に東京に出かけたついでに時間をやりくりして見に行った。水処理センターの屋上に毎年コロニーが出来ていてモノレールの昭和島駅の東口を出て運河まで歩いていく間に飛び交う姿がよく見える。道具は小さな双眼鏡とコンデジだけでアップの写真は撮れないがそれなりに楽しめた。いい写真はとれなくても野鳥を見るのはとにかく感じるところが多い。

人類が出現するはるか以前から繰り返されてきた地球の温暖化も寒冷化も大災害も見事に乗り切ってきた鳥たちの姿を見ていると、コロナだろうが温暖化だろうが原発だろうが水害だろうが、乗り切れない訳がないと励まされるものを感じてしまう。

写真は順に 1~4:博多湾のコアジサシ(2020.6)、5~7:鬼怒川のコアジサシ、ホバリングしたあと垂直ダイブして魚を採っているところ(2007.7)、8、9:羽田モノレールそば昭和橋のコアジサシ(2017.6)
         


■ 看板考 No.89 「ダイヤモンド脱穀機」  柚原君子

 


所在地:長野県小県郡の和田宿

看板は文字のみですが、実際の脱穀機は↓このようなものです。

 

光り輝く第一級の宝石“ダイヤモンド”を冠にいただいて、商標の様なものは、“たわわに実った稲穂”と“豊年”。
号名は“太陽号”。
大豊作間違いなし!の祈りをこめた脱殻機です。

庭に放し飼いのニワトリ。遠くからは牛小屋の臭い。豚の鳴き声。
家の中では、丸いちゃぶ台にじいちゃんばあちゃん、父ちゃん母ちゃん。
丸坊主刈りや前髪を勝手に不揃いに切りそろえられた子どもたち。
おかずは少ないけれども白米がぴかぴか光って置かれている。
そんな、昭和のよき時代も浮かんできます。
(ほぼ、かつての我が家のことです)(笑)。

脱殻とは稲の実から籾(もみ)を落とすことで、江戸時代には主に“千歯抜き”(センバコキ)といって1枚の板に一列に打ち付けた釘状のものに稲束を振りがぶって叩きつけ引き抜いて脱穀していたそうです。
大正期になって足踏み脱殻機(人力脱穀機)になっています。開発したのは明治43年に創業された養蚕具の製造・販売をしていた「共栄社」。

ダイヤモンド脱殻機はドラムの形をしたものに金具が出ていて足で踏んで回転させるもので(イネコキ)、昭和34年頃まで活躍しています。

これ以後は現在でもなじみのある“コンバイン”という稲の刈取りと脱殻が一度にできる機械へと変化していきます。さらに昨今のコンバインの発達はめざましく、GPSを活用した自動運転技術が取りいれられて、自動稲刈りしつつタンクが満杯になったら、籾を運搬する車まで移動。タンク内の籾を出したら、稲刈りの途中であった所まで戻れるとか。まるでロボットの様なコンバインですが、価格は一千万円以上するそうです。もちろん田植えもコンバインで行いますから、早乙女の紅い蹴出しの風物詩もあまり見られなくなっています。

先日、新型コロナの影響で、外国人の実習生という名を借りた外国人の農業助っ人さんたちが来日できなくなって、収穫ができずにほうれん草や水菜を捨てざるをえないという農家のニュースがでていました。

脱殻機からコンバインに進化したとはいえ、稲作以外の農業はまだまだ人の動作に頼らなければならない部分が多いです。しかも近未来においては水と食料が奪い合いになるであろう予測も出ています。自給自足率が低い危険性を認識していない、人柄の良い日本人は、あれよあれよという間に国内の水資源も海域の漁業もどこかの国にさらわれてしまうような懸念を覚えます。
稲作は国の根幹です。農業をファーム・株式会社にしてコンバインを個人の借金ではなくして、と農業からほど遠いところで暮らしていますが、自国の白米を愛する一国民としての願いです。

はてさて誰にお願いしていったらいいのやら……。


■ おばちゃんカメラマンが行く なんとラッコに出会えたぞ@霧多布岬 北海道  事務局

その名の通り一面の霧で岬が見えるかと思いきや、霧の中をくぐっていくと先端の霧多布岬が見え、霧の中に一面のお花畑と先端の崖が見えてくる。アヤメ、エゾカンゾウやシシウドが無造作に生えており、どこを切り取って写したらいいものか迷ってしまう。

霧の中、崖下に小さなうごめくものを発見。アザラシかと思いきや望遠でのぞいてみると、どう見てもラッコに見える。

最近目がよくなり(いつかこの話は書きたいが)被写体が瞬時に見えるので、ラッコと確信してゴマ粒のようなラッコを撮りまくる。覗いていると赤ちゃんを抱いていたり、白い肉のようなものを食べていたり仕草や表情がやたら愛らしく可愛い。
ラッコって日本にいるの?撮りながら疑問に思う。
一人で興奮してあわあわしていると、地元の観察係のような人がラッコが棲息していると教えてくれた。野生のラッコなのだ。先月のムツゴロウに共通する可愛さだ。
以前は北海道にもラッコがいたようだが、毛皮の乱獲でラッコは姿を消し今はほとんど見られないと思っていた。

正式な個体数はわからないようだが、戻って来て繁殖をしているようである。今回も雌親子と雄2頭計4頭見ることができた。
このほかに、納沙布岬、ユルリ・モユルリ島、落石岬、襟裳岬でも目撃情報があるらしい。あまりの可愛さに次の日も又撮影に行ってしまった。



今月のニャンコ

熊本県八代市坂本

捨て猫ではありません
STAY HOME です


■■■■■■■■■■■■■■■■■

Japan Geographic Web Magazine

https://japan-geographic.tv/

Editor Yukinobu Takiyama

info at japan-geographic.tv (atを@に入れ替えてください)

■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中