JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Aug. 2020

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■■■■■ Topics by Reporters


■ ピリカノカ -アイヌの景勝地 瀧山幸伸

国の名勝となっているピリカノカの一回目の調査がほぼ終わった。ピリカノカとは、アイヌ語で美しい形というような意味で、アイヌのユーカラに謡われた物語や伝承の舞台や景勝地である。アイヌ文化の根源を成す、全ての物には魂(カムイ)が宿るという精神性の高さ故、神々の物語の地という要素が強く、自然景観の要素よりも人文景観の要素が強い。 キリスト教以前の西欧の世界観は別として、残念なことにキリスト教の影響下の西欧文明はアニミズムは野蛮な文化だとして蔑んでおり、その偏見と排除の論理は潜在意識として今も続いている。西欧文明を取り入れた明治以後の日本人も西欧の世界観と同様かというとそうでもなく和魂洋才で、アニミズム的世界観は旧石器時代から縄文を経て今日まで我々の心の奥深くに息づいている。
だからピリカノカはゲニウス・ロキ(地霊)に意味が近い。もっとわかりやすい表現では三界萬霊と言っても良く、そこには神々の物語があり、単純な「絶景」とは違って、その場に立つと深い感動を味わうことができる。とはいえ、それを高く評価する動きはほとんど無く、北海道に居住する者はもちろん、国内国際ともに訪問者はほとんど居ない。

具体的に名勝指定されているピリカノカは、 

名寄市の九度山(クトゥンヌプリ)

石狩市の黄金山(ピンネタイオルシペ) 

 

枝幸郡浜頓別町・枝幸町境の神威岬(カムイエトゥ) 

  

えりも町の襟裳岬(オンネエンルム) 

遠軽町の瞰望岩(インカルシ) 

  

豊浦町のカムイチャシ 

  

室蘭市の絵鞆半島外海岸 

平取町の幌尻岳(ポロシリ)とオキクルミのチャシ及びムイノカ

  

  

そして、未調査の帯広市・中札内村の十勝幌尻岳(ポロシリ)。

これらの中で自分が特に感動したピリカノカは、

室蘭市の絵鞆半島外海岸、ここには複数の景勝地点がある。チキウ岬は世俗的な観光スポットとなっており残念だが、トッカリショ浜の切り立った崖が続く海岸風景は、むつ半島の仏が浦と同様に世俗離れしたものだ。

石狩市の黄金山(ピンネタイオルシペ)、ピリカノカには観るべき視点があるのだが、この火山の山容は円錐形で、どこから観ても美しい。

遠軽町の瞰望岩(インカルシ)、下から見上げた風景と頂上からの展望風景いずれも大迫力だ。

豊浦町のカムイチャシ、岬の先端に立つと左右に海岸が広がり、えもいわれぬ高揚感、いわゆる「気が満ちている」感覚が味わえる。

枝幸郡浜頓別町・枝幸町境の神威岬(カムイエトゥ)、枝幸町側から、岬の先端から、浜頓別のベニヤ原生花園から、いずれからも崇高な姿が拝める。

 


■ 蟇股あちこちー4 中山辰夫

今回からは1185年~1274年の鎌倉時代前期に入ります。
この期間は、古代の奈良・飛鳥時代に建立された大寺院の復興、修理を中心に、従来と異なる技法の出現など新しい時代の始まりでした。
鎌倉時代は、中国から新形式の建築様式が伝来し、それまでの建築様式を「和様」と、新建築様式を「大仏式」「禅宗式」と呼び、区分されました。その後の時代は入り混じった「折衷式」が新たに登場しました。

今回も板蟇股についてまとめますが、平等院鳳凰堂からスタートして、宇治上神社へつながりました「透かし蟇股」が併用して使われるようになりました。
板蟇股の諸例を年代順に並べます。


■ 昔のコレクション  大野木康夫

寺社や城郭に興味を持ったのは小学校1年生くらいですが、小学校3年生くらいから鉄道にも興味を持つようになりました。
小学校4年生頃からは、一人での遠出を許してもらえるようになったので、京都駅に行って一日中鉄道車両を眺めたりしていましたが、そのうち、旧国鉄の切符、特に硬券と呼ばれる厚紙製の切符を集めるようになりました。
今は硬券は発売されておらず、たまにマニア用のものが発売されるくらいになったので、特に集めたりはしていませんが、昔集めたものを切手帳に保存しているので、一部紹介します。

小学生のころ(昭和40年代から50年代にかけて)は、国鉄は50km以上の切符を買うと、いくらでも途中下車ができたので、途中のすべての駅に途中下車して入場券を買っていました。
米原駅から膳所駅までの入場券はそうして買い集めたものです。



大学で東京に住んだので、東京の駅の入場券を買う機会が多くなりました。
代々木から水道橋、新大久保から大崎は、午前中で授業が終わったので、歩いて山手線を半周して買い集めたものです。



そのうちに国鉄はJRとなり、次第に硬券は発売されなくなりましたが、平成7年になって、硬券入場券をマニア向けに発売するようになりました。
特にJR北海道は、収益向上のため、路線ごとに硬券入場券のセットを通信販売で発売していました。

深名線の硬券入場券セット
日付が実際の機械で刻印されている。



函館本線(山線)の入場券セット
日付がプレ印刷になっており、マニアからすると少し残念。



平成7年7月7日に、JR西日本が全駅で硬券入場券を発売した時は、買い損ねましたが、その後、平成8年8月8日や駅名変更の時に硬券入場券が発売されたので、出勤前に買いに行きました。
行ったのは、昔から硬券入場券を売っていなかった駅(大津駅)や、駅名変更後は硬券入場券を売っていない駅(嵯峨嵐山駅)などです。



硬券乗車券(近距離)

北海道と九州は青色、その他は赤色の切符でした。



硬券乗車券(遠距離)

50km以上の切符です。



自由席の特急券や急行券も同じ形です。



行先の駅のところで切って発売する遠距離切符もありました。



硬券の指定席券です。
ほとんどの列車は廃止されてしまいました。



みどりの窓口で買った遠距離切符
切符に押されている小さな丸い駅名印は途中下車の際に押されるものです。



軟券の急行券



窓口発券の軟券乗車券と車掌さんが車内で発行する補充券(乗り越しなど)



みどりの窓口で発券される指定券(初期型)や定期など



指定券、私鉄の切符
加悦鉄道、南部縦貫鉄道、尾小屋鉄道は廃線になりました。



指定券
一番下は、天王寺から新宮まで走っていた夜行の普通列車「はやたま」の寝台券



指定券



国鉄、私鉄の軟券など

券売機のものは、印刷が消えやすいのでけっこう高値で取引されているらしいです。





■ 消える提灯の灯(ともしび) 酒井英樹

 大阪ミナミの象徴するものといえば、浮かぶのは「通天閣」「グリコのネオン看板」「くいだおれ太郎」「かに道楽の動くかに看板」「づぼらやの河豚提灯」の5つでしょうか。
 かつては知る人ぞ知る存在だったのが、今では全国的に知られています。

 
 新世界界隈
* づぼらやの河豚提灯 と 通天閣
 

 道頓堀界隈
*グリコのネオンサイン
 


*くいだおれ太郎
 かつては食のデパート「くいだおれ」の看板人形。
 現在は「中座くいだおれビル」の正面に飾られている
 


*かに道楽の動くかに看板
 カニ専門店で全国にチェーン展開している店のオブジェ。
 全国各地にみられるが、本店で動くカニの看板は元祖とされる。
 ちなみに「かに道楽エビ専門店(通称エビ道楽)」がかつて存在し、動くカニの代わりに動くエビの巨大看板があった。
 


 このうち「河豚提灯」が今、消滅する危機に見舞われています。

 フグ(フク)と言えば下関が頭に浮かぶ。
 しかし、大阪では「てっちり」といえば、必ず「づぼらや」が真っ先に浮かぶ。
 

 「づぼらや」は大正9年(1920)の創業で今年でちょうど100年となる老舗。
 新世界の本店と道頓堀の2店舗で営業をしていた。
 手頃な価格でフグを提供してくれる店として、大阪人としては知らない人がいない店である。

 昨年まではインバウンド観光の恩恵を受け大いににぎわったようだが、新型コロナウィルスの影響で客足が遠のき、令和2年9月に閉店することになった。

 大阪生まれの私のとって幼少より亡き父に連れられ幾度となく訪れたなじみの店・・・
 カメラに収めるべく久方ぶりに訪ねてみた。

 新世界本店
          


道路を挟んで向かいにある本店新館
 


 道頓堀店
      

 水かけ不動で有名な法善寺近くにある別館
      

 新型コロナによる休業要請を受け、すでに休業し店は閉まっている。
 当初は6月から再び開店するはずであったが、残念ながらこのまま店を開けることなく閉店する。

  

 ちなみに
 看板にある「てっちり」「てっさ」はそれぞれ「河豚のちり鍋」「河豚の刺身」。
 関西では、河豚の隠語は「当たれば致命的」ということから「鉄砲」。
 河豚のちり鍋、刺身はそれぞれ「鉄砲のちり鍋」「鉄砲の刺身」を縮めて「てっちり」「てっさ」と呼ぶ。
 

 ビルの3階に吊り下げた長さ3m重さ数トンの巨大な河豚提灯の今後は不透明。
 松井大阪市長は、大阪を代表するオブジェとして大阪市所有とし保存の方向で検討しているとされる。
 しかし、この看板はそもそも法令違反の看板。
 大阪市はこれまで看板設置を黙認してきたが、現状のまま所有するとなると一筋縄ではいかないだろう。

 保存されたとしても・・店がないままのオブジェでは夜に灯は灯ることはあるのだろうか???

 幼少の記憶ではあるが今でも忘れられない、はっきり思い出される風景。
 店を出て見上げた時に見た、淡く灯る巨大な河豚提灯がずらりと並ぶ姿。
 時代の移り変わりとはいえ、もう見られなくなるのは残念でしかたがない。
 


■ 4K動画編集   川村由幸

先月のウェブマガジンでPCを更新したことをお伝えし、4K動画が編集できるようになったとお話ししたと思います。
早く動画編集をしてみたいと考えてはおりましたが、コロナウイルスの再感染拡大でまた外出がしにくくなる中、自宅近くの重文、旧吉田家住宅に出かけ撮影した動画を編集してみました。

旧吉田家住宅4K動画

 

RONIN-SCにα7Ⅲをセットして、できるだけカメラを動かさず一定時間同じシーンを撮影したものをAdobe Premiere Elementsで編集しました。
Premiere Elementsでは、調整要素はすべてプログラム側で用意されているものを選択する形ですから自分の思い通りに調整することはできません。
それでもわたくしには十分な機能です。
書き出しにも大きな時間は必要なく、この程度の作業でしたらPCの能力も十分でした。
好きな古民家を今回と同じように動画にしてゆこうかなと考えたりしています。
今のところ、なんとなく他県には車で出かけにくい状況と思え、千葉県栄町の房総のむらにでも撮影に出かけようかと考えています。


■ 夏場の野鳥   田中康平

夏場は野鳥を見るなら標高の高いところか北海道などの北の大地が好適とされる。平地では暑いばかりで今一つのところがある。
しかし自宅のある福岡市の近くの公園でも、ぐっと増えたスズメの幼鳥のしぐさやムクドリ、バンの子育てなどそれなりに楽しめたりもするし、カラスも若い鳥が多くなってやたらガーガー騒ぎたがったりもする。そのあたりは人間と大して変わらない感じがして結構面白い。
また、マガモは冬鳥で基本的には夏は北へ帰るのだが、中には体調が良くないのか帰るのをやめそのまま居座って日本の暑い夏を耐え忍ぶのもいる。朝鮮半島を北に上がればそれこそカモが来たとばかりに捕まえられ食べられてしまう危険が増大しているのを察知しているのかもしれない。
夏の平地の鳥で見栄えがいいのがカワセミだ。留鳥だからいつでもいるのだが冬鳥が去った後の平地の水辺ではひときわ目立つ。ヒスイと同じく翡翠と書くだけあって美しい。
この季節はカワセミも子雛を孵して幼鳥がデビューしてくる。胸のあたりが黒っぽいのと色の鮮やかさが今一つなので幼鳥と解る。
近くの公園にも7月の末からカワセミの幼鳥が現れ始めたが、他の鳥と同様幼鳥は動きがなれてない風が見れて面白い。親鳥が遠巻きに見守っているのも他の鳥と同じだ、これも人間と同じなのだろう。

カワセミはヨーロッパからアフリカ、インド・ユーラシアに広く分布しているが、南北アメリカ、オーストラリアには、アメリカヤマセミなどの近隣種はいるものの Common Kingfisher と呼ばれる本種はいない。大陸移動でパンゲアから南北アメリカなどが切り離された時期(およそ1億5000年前)の後に旧大陸側に現れた種で、熱帯起源の鳥故に極地近くを経由しての移動はやる気がしなかったのだろう。カワセミの中にも現生人類の歴史をはるかに超える時の流れが伝わっていると思うと綺麗な鳥以上の感慨深いものを感じてしまう。

コロナの暑い夏が過ぎていく。鳥や虫や花を見ながら過ごす時間が長くなっているが、つくづく人間と全ての生き物は同等なのだと感じてしまう。DNAのサイズをとってみても人間より大きいサイズの生き物はいくらもいる。温暖化もコロナも謙虚な態度でしのいでいくしかないのだろう。

写真は順に、

1.スズメの幼鳥(くちばしの根元が黄色い)、2.親に餌をもらうムクドリの幼鳥、3.親に餌を求めるバンの幼鳥、4.夏を越すマガモのオス(非繁殖羽根になってメスに似ているがくちばしが黄色いのでオスとわかる)、5.カワセミの幼鳥、6.公園の池で小魚を狙うカワセミ、7.ポーズするカワセミ。

       

 


■ 言葉のあぶく、その7 野崎順次

3年前に隣に住む母が亡くなった。49日だったか、その家に孫二人泊まったら、夜中にごとごとと音がしたそうで、「あっ、おばあちゃんだ!」と思ったそうだ。おばあちゃんが大好きだったから、出てきて欲しがっていた。すると、息子が携帯で母の番号にかけて、般若心経を唱えたら、夜中の音がなくなった。孫二人はおばあちゃんに会えなくなったと怒った。

娘の幼いころの言い間違え集
おぞうすい (お雑煮)
気の毒屋 (紀国屋)
動物園で小さい従妹に「あれがフラメンコよ!」(フラミンゴ)
サザエのおじちゃん (定哉)
ミント (ミトンー指の開いていない手袋)
たけとみひでよし (とよとみひでよし)
体重計に二人で載ってどの位かと聞くと80度 ( 80kg)
食当たりで入院した母さんに「どうか冷静に」 (安静に)
家を塗り替えに来ていたペンキ屋の助手の少年のことを「あの人はアイドル?」(アルバイト)
俺の仕業さ (早業)
マッサカサマに割れる (マップタツ)

奈良のならまちをあるいていたら、マンションで「ディアコート奈良(DEARCOURT NARA)」というのがあった。奈良ならやっぱり鹿(deer)でDEERCOURTだろう。

 

平安神宮の大きな赤い鳥居の近く、神宮道を歩いて見つけた看板、日本語なら「準備中」でまだ閉店だが、英語では「Welcome! Ready」で開店である。

 

英国の取引先が不得意なややこしい技術上の問題を話題にした時の返事。Please let me know if there’s any information you think I might have that could be useful to you.

大阪梅田のビルB2に占い師が店を出している。よほど客が来ないのか、占い師本人が表に出て客引きをしていた。それにつられた客に「あなたには不幸がある」とか言えるんだろうか。

名古屋行きの近鉄特急が珍しく混んでいて、堺在住のおばはん(68歳)と隣り合わせになった。私はウオークマンに録音したトーク番組をイヤーホンで聞いているのに、無理やり話しかけてきた。しかもマスクなしである。「新型コロナでいろいろあれがあって困る。」とおっしゃる。あれとはなにか?しばらくしてやっと、「制限が」とおばはんが思い出した。固有名詞ではなく普通名詞を忘れるのはボケ具合がかなりである。いろいろなところに写真を撮りに行くというと、「あれ行きはった、三国のお墓?」。これで私は仁徳天皇陵とわかるから不思議である。天皇陵まで自転車ですぐの所に住んでおられるそう。


■ 看板考 No.90 「Y.K.K」  柚原君子

所在地:長野県塩尻市洗馬
中山道の洗馬宿を歩いているときに崩れそうな民家の壁の下方にみつけた「Y.K.K」の看板。「Y.K.K」はSUNTORYの創業者の鳥居氏が社名にTORYと入れているように「Y.K.K」のYが創業者である吉田忠夫氏の頭文字です。
「Y.K.K」と銘打ってあれば安全なファスナー、壊れることのないジッパーということで、世界の一流品。ハンドメイド作家(←私のこと!!・笑)にとっても欠かせないYKKの刻印です。
ファスナーの起源は、1891年に米国人のホイットコム・ジャドソン氏が、当時流行していた長いブーツの靴ヒモを結ぶのが不便な事から、その解決のために何度もの申請特許を繰り返してファスナーを作る機械共々、製品化されたというものです。
世界シェア50%を誇る日本の「Y.K.K」は、1934(昭和9)年、東京市日本橋区蛎殻町に吉田忠夫氏によってサンエス商会として設立されています。当時はサンエスということでSを三つ配してその中央にYを入れたものが商標でしたが、その後にY.K.Kに。
創業者は戦後にアメリカよりファスナーを作る機械を四台購入して、その機械を国内で作って100台に増やしてファスナーを作ったとあります。創業者が亡くなってから看板の色がブルー系に変化したそうですから、この黄色と赤の看板はレトロの部類に入るようです。
一般名詞であるファスナーは「しっかり止める物」という意味で、大義では工業用のボルト、ネジ、ナット、釘、スナップピンなどもその様に呼称されます。
洋服や鞄などに多く使われているファスナーは『線状ファスナー』。務歯(むし)と呼ばれる歯をテープ状の紐の上に並べた物です。あまり知られていませんが、町の小間物屋さんなどに行くと、今でも必要な㎝にあわせてファスナーの端の留め具を外して切って作ってくれる場合も有ります。
線状ファスナーは時にはジッパー、チャックと呼ばれたりもします。
ジーンズの場合“ジッパー”と呼んだりしますが、ジーンズの”ジ”ではなく、ファスナーを閉める時の「シューッ」という擬音の「Zip」から来ています。
また、おしゃべり禁止の合図で”口にチャック!“のチャックとは巾着のことで、尾道のある会社がファスナーを「チャック印」として販売したところ評判になり、「チャック」という名称も定着することになります。
チャックと言えば、男性のズボンの前のチャックが空いていると、「社会の窓が開いている」と言いました。どうしてそこを社会の窓というかについては、1948(昭和23)年のNHKのラジオ番組『インフォメーションアワー・社会の窓』からきているそうで、社会のさまざまな問題の裏側を探るという番組の主旨の、「普段見られない部分が見える」という意味と共通したので使われたそうです。
この番組が放送された頃に生まれた私は12年経って中学1年生になっていて、何でも興味津々の大人への入口の時期にいましたので、体操教師のスゥエットパンツの社会の窓の辺りにモコモコしている出っ張りが気になって仕方ありませんでした。体操の時間に、どうやらジーと観察している視線を先生も察知したらしく、「同じところばかり見ない!」と注意を受けて私はうなだれます。
それ以後、私たち女子生徒の間で”モコモコ“とあだ名を付けられたことを秋山先生はご存じないだろうと思いますが、ご存命ならば80代半ば……お元気でいてくださればうれしいなと思います。
えっ、モコモコ話を書きたくて「Y.K.K」の看板を選んだのですか?と言われれば、まあ、そんなところ……かな?(笑)。お付き合いありがとうございます。<(_ _)>

 


■ おばちゃんカメラマンが行く  コマクサで育つ天然記念物 ウスバキチョウ @大雪山赤岳 事務局

  

今回もまた、銀泉台(1520m)から大雪山赤岳(2078m)へ向かう。
毎度お決まりのコースだが、季節によってだいぶん様相が違う。
おばちゃんの足で登って1時間ほどで第一花園の雪渓(1630m)にたどり着く。
手前でイソツツジの群落が出迎えてくれるが、何度来ても眼下に広がる景色は感動ものだ。秋に真っ赤に紅葉していたナナカマドも白い花が満開で別物のようだ。
雪渓をいくつか超え(滑るので結構危険)、キバナシャクナゲやチングルマなど色とりどりの山野草を眺めながら駒草平(1840m)に到着。
殺風景なガレ場の中、ちょうど駒草が満開で、一見地味だがよく見ると美しい。さすが存在感のある「高山植物の女王」だ。
単調な登りから一気に開けた景色は登りの苦しさを忘れさせてくれる。
望遠レンズを構えているおじさんに遭遇する。聞けばウスバキチョウを撮るために朝から待っているそうだが、希少種でなかなか撮れないらしい。見られればいいぐらいのいい加減な気持ちで探していると、蝶もゆるいおばちゃんには気を許すのか、強風の中を風に乗って飛んできてくれた。とりあえずシャッターを切って撮影できたが、ラッキーだった。
ウスバキチョウは約11ケ月、卵の状態で越冬し、幼虫期間は3ケ月、さなぎで11ケ月、また越冬して丸2年で成虫になる珍しい蝶だ。
標高1700m以上の高山帯で、しかも駒草に産卵し、幼虫が駒草を食べることから、日本ではこの辺に分布が限定されるらしく国の天然記念物に指定されている。
普通の登山者の倍も時間をかけてお花畑を堪能したが、雪渓を滑り降りながらの下山は大変だった。

今月のニャンコ 

栃木県日光市 湯元の温泉街

人面猫参上、よろしく。



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Editor Yukinobu Takiyama

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