JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Aug. 2020


■ 蟇股あちこちー4 中山辰夫

今回からは1185年~1274年の鎌倉時代前期に入ります。
この期間は、古代の奈良・飛鳥時代に建立された大寺院の復興、修理を中心に、従来と異なる技法の出現など新しい時代の始まりでした。
鎌倉時代は、中国から新形式の建築様式が伝来し、それまでの建築様式を「和様」と、新建築様式を「大仏式」「禅宗式」と呼び、区分されました。その後の時代は入り混じった「折衷式」が新たに登場しました。

今回も板蟇股についてまとめますが、平等院鳳凰堂からスタートして、宇治上神社へつながりました「透かし蟇股」が併用して使われるようになりました。
板蟇股の諸例を年代順に並べます。

新薬師寺 本堂には本尊の木像薬師如来坐像を囲んで十二神将立像が居並び壮観です。内部は撮影禁止(工事報告書より引用」

  

南門 国重文 建立:鎌倉前期 切妻造 本瓦葺 檜皮葺 

南門、鐘楼、本堂、地蔵堂(透かし蟇股)にも蟇股が使用されています。
    

教王護国寺(東寺)

東寺は京都人の心のふるさとといわれます。今日まで千二百年超、盛衰興亡を繰り返した京都の姿を静かに眺め尽くしてきました。京都の象徴といわれる所以です。

  

蓮花門 国宝 建築:1191年(鎌倉時代前期) 三間一尺八脚門 切妻造 本瓦葺
   
蓮花門は、弘法大師がこの門から出て高野山へ向かった際に、蓮の花が咲いていたことから命名されました。壬生通りに面す東寺で最古の門です。
   
板蟇股は両妻の二重虹梁蟇股式の架橋部に用いられています。 足元の先端を斜めに切り落とした形 平等院鳳凰堂の板蟇股の形を引継ぐとされます。

東寺には、慶賀門・東大門・北大門・北総門・灌頂院門、など(全て国重文)がありますが全てに板蟇股が用いられています。

長寿寺

滋賀県湖南市東町5丁目1-11
本堂 国宝 建築:鎌倉時代前期 桁行五間 梁間五間 一重 寄棟造 向拝三間 檜皮葺
   
阿星山(693.1m)の北東麓にあり、常楽寺の西寺に対して東寺と呼ばれる天台宗の古刹。奈良時代(729~49)後期、聖武天皇の勅願により良弁開山。
一時衰微しましたが、鎌倉時代初期に源頼朝が、室町時代には足利将軍家が、祈願所として諸堂を造改修したとされます。

本堂 板蟇股 見ることは出来ても撮影は禁止です。
 
板蟇股は本堂寄棟の化粧屋根裏と舌播磨二間の外陣の虹梁上に用いてあり、肩の曲線はなだらかで平安後期の形を残しています。 
足元には平安後期の蟇股に見られる花形の繰形が施してあります。こうした花形を採り入れたものとしては最古の遺例とされます。

尚、向拝には見事な「透かし蟇股」が施されています。

元興寺(極楽坊)

奈良市中院町11
  

596年、蘇我馬子によって飛鳥に建立された法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都で移され、寺号を元興寺と改めました。奈良町全体を境内とする広大な寺院でしたが、現在は極楽坊本堂を残すのみです。本堂と禅堂には飛鳥時代の瓦、数千枚が使われている事でも有名です。

蟇股は、禅室西牟妻、東妻、東門、本堂に見られます。ここでは西妻のみとします、
禅室西妻 国宝 建築:鎌倉時代前期 桁行四間 梁間四間 一重 切妻造 本瓦葺 元興寺創建時の僧坊の遺構
   
板蟇股は西妻身舎部分の二重虹梁蟇股式の架橋部に用いられています。東妻のとは異なった形、 足元は先端を大きく反り上げており 鎌倉前期の早い段階のものです。

法隆寺東院廻廊 

国重文 建立:1237年(鎌倉)) 東廻廊(一棟 桁行折曲がり延長二十二間 梁間一間 一重 切妻造 本瓦葺
    

東院回廊の頭上に、まさに集団というべき板蟇股の大群が虹梁の上に一匹づつ整然と並び目を光らせており、まさに”ヒキガエル”を意識させる板蟇股です。
肩の曲線は僅かに盛り上がり、足元は丈を低くして先端を強くそり上げており、緊張感ある力強い形となっています。西院回廊との違いが歴然です。

宗源寺四脚門 国重文 建立:1237年 四脚門 切妻造 本瓦葺 勧学院表門 西院と東院を結ぶ参道の北側にある子院です。
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 
  
板蟇股は両妻の妻梁上に用いられている。垂木勾配が灸なために蟇股の丈が高くなっています。

東大寺法華堂(三月堂) 

国宝 正面五間、側面八間、前部入母屋造、後部寄棟造、本瓦葺 棟札1枚
  

法華堂北門

国重文 建立:1240(延応2)年 鎌倉時代中期 四脚門 切妻造 本瓦葺 二月堂に通じる石段の途中にあります。
      
板蟇股は両妻の虹梁上に用いられています。肩幅を狭めて足元を軽快に広げ、安定感のある力強い形です。足元の竹葉法隆寺東院廻廊に比べると高いです。
他に、正背面の組物の中備に用いられている板蟇股があります。 足元の繰形は小さく反転曲線と円弧を組み合せ先端を斜めに切り落とした形としています。

東大寺は蟇股の宝庫、随所に見られます。

明通寺

福井県小浜市門前
   
征夷大将軍の坂上田村麻呂が東征の犠牲者供養のために建立した。樹齢300年を越す老杉が並び立つ石段を登ると檜皮葺の本堂、すぐ先の小高い所には三重塔、木洩れ日と谷間を流れる水の音。三重塔の前から見下ろす本堂の屋根の線の美しさ。千百年昔と変わらない風情が魅惑します。

本堂 国宝 建立:1258(鎌倉時代) 桁行五間 梁間六間 一重 入母屋造 向拝一間 檜皮葺 806年に建てられたものが焼失し再建されました。
  

板蟇股 本堂内に用いられているが、撮影できません。
    

向拝及び本堂には透かし蟇股が用いられています。これらについては「透かし蟇股」の部で報告します。
 

参考資料 「蟇股 吉井 博 著」修理工事報告書
板蟇股が用いられている遺例を並べていますが、その過程で大きさ、高さ、長さ、目の有無、などに微妙な差異がみられます。まだまだ続きますが、何かが分かれば・・と願ってます。
次回も板蟇股の遺例です。



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Editor Yukinobu Takiyama

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