JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Jan.2021

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 2020年の桜と紅葉 瀧山幸伸

桜も紅葉も、巷で喧伝される騒々しい観光地は好きではなく、なるべく人がいない目的地に絞っている。昨年は団体や海外からの観光客をほとんど見かけなかったので、普段は避けるような観光地でも静かな桜と紅葉に出会えた。

桜は南西から北東へ、紅葉は逆向きに、渡り鳥かアサギマダラのように巡るのだが、盛りの期間が短いうえ、近隣の文化財調査を兼ねているので、いつも時間切れで終わってしまう。

昨年訪問した桜と紅葉のうち印象が良かったものを訪問日順に整理してみた。

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■ 新年雑感 大野木康夫


 あけましておめでとうございます。
毎年、家内が友人と作ってくれるお節料理の写真をアップしていますが、今年はそれぞれの家で分担して調理し、大晦日にシェアする方式で作ってくれました。
 

昨年以来、新型コロナウイルス感染症の影響で撮影に行く機会がめっきり減りましたが、私の職場でも暮れに感染者が出たことにより、正しい知識を持つことの重要性を痛感しました。
報道やネットの書き込みは「検査ができていない」、「対応が不十分」といった情報を垂れ流しますが、私の体験では、精密な疫学調査(感染者や職場からの聞き取り、場合によっては現地調査)が行われ、感染する可能性がある人は濃厚接触者としてPCR検査を受けたうえで、感染者と最終接触した日から2週間の外出制限要請を受けます。
これにより、職場の業務は多大な影響を受けましたが、他部署からの応援や臨時の外部委託対応により、なんとか乗り切ることができました。
また、それまでは、マスクは「自分が感染しているかもしれないから、人に感染させないために着けるもの」と考えていましたが、ウイルスを含む飛沫が口や鼻から入って粘膜に付着して感染するだけでなく、飛沫が付着した手で鼻や口の粘膜を触ることでも感染しやすいと保健所の方から説明を受けたことにより、マスクを着けていれば無意識に鼻や口を触ることが物理的になくなるという意味で、感染にも非常に効果があるものであると知りました。
最後に、感染者は厚生労働省の基準に従い、他の人に感染させる可能性がなくなった時点で保健所の管理下から離れますが、感染したことにより引き起こされた症状(味覚や嗅覚の障害、肺炎症状)は残ります。
感染した人は、後遺症や「どうして感染してしまったのか。」といった悩みを抱えながら職場に復帰することになるので、職場としては、報道やネットの情報で必要以上にナーバスになっている他の職員に対し、丁寧な説明を尽くしたうえで元感染者を職場復帰させる必要があります。
「正しく恐れる」という短い言葉の中には、最低限このようなことが含まれているということを、皆が理解することが大事であると思います。

そんなこんなで、昨年12月初め以来、撮影に行けていなかったことから、9日の早朝、リハビリがてらに西本願寺に行きました。
普段であれば早朝参拝の団体さんの姿が見られるのですが、この時期、そのようなこともなく、ほぼ無人の境内で撮影をし、1時間ほどで早々に帰宅しました。
現在の状況ではこれが精一杯と思いますが、状況に応じて、撮影を再開していきたいと思います。

          

 


■ 「牛」の彫刻 酒井英樹

 明けましておめでとうございます。
 今年は丑年。干支は「辛丑」です。
 初めてWEB-MAGAZINEに書いたテーマは「辛卯」。同じ「辛(かのと)」だったので、早いもので十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)が一周したことになる。

 「丑」の象徴としてあてられる動物は牛。
 そこで、例年の通り(といっても10年間で3回目ですが・・・)、国指定の重要文化財重要文化財建造物にある「牛」の彫刻、撮影してきた内公開可能な写真から探してみた。


<十二支の内の一つとしてデザインされた彫刻>
 五重塔のように3間×3間の平面を持つ場合、柱間は12となりそれぞれの柱間の中備(蟇股)に十二支が一つずつ配されている。

 *日光東照宮五重塔(栃木県日光市)
   
  
 *旧寛永寺五重塔(東京都台東区)

  上野恩賜動物園内にあり鳥糞害に晒されて放置されていた状況

 


  修理のため取り外され、クリーニングされた状況

 

 *本門寺五重塔(東京都大田区)
 

 *北口本宮富士浅間神社神楽殿(山梨県富士吉田市)
 

 *南宮神社高舞殿(岐阜県垂井町)
 

*備中国分寺五重塔(岡山県総社市)
 


 *神部神社浅間神社少彦名神社本殿(静岡市葵区)
 
  桁行3間×梁間2間(柱間が10間)の平面を持つ。外面の10個の蟇股には寅(虎)から亥(猪)が配されている。
  内部に子(鼠)と丑(牛)が存在する。(通常非公開) 公開時に外部から撮影したため不鮮明ですみません。
 
  


 *箸蔵寺本殿(徳島県三次市)
   
  十二支中、未(羊)は未確認、それ以外は確認済み

 *箸蔵寺護摩堂(徳島県三次市)
  
  十二支中、戌(犬)と亥(猪)以外は確認済み


<牛を単独でデザインされたもの>
 *英勝寺仏殿(神奈川県鎌倉市)
 
 
 *延暦寺根本中堂(滋賀県大津市)
 

 *日吉大社東照宮本殿・石の間・拝殿(滋賀県大津市)
 

 *北野天満宮本殿・石の間・拝殿及び楽の間(京都市上京区)
 

*専修寺如来堂(三重県津市)
 

<農耕用や運搬用道具として人との関りをデザインされたもの>

*専修寺如来堂(三重県津市)
 

*随願寺本堂(兵庫県姫路市)
 

 *名草神社拝殿(兵庫県養父市)
 

 *本願寺唐門(京都市下京区)
 
 
<その他>
 *築地本願寺本堂(東京都中央区)
 

 *北大農学部第二農場種牛舎(札幌市北区)
  

これら以外にも詳しく探せばあるかもしれませんが・・、とりあえず今年はここまでとさせていただきます。
来年は寅で虎の彫刻・・虎と龍は数が多すぎて・・兎は10年前に一度・・これまでと同じく気ままに・・パス???して4年後かな・・

 


■ 積雪の宇和島 野崎順次

伊達家の城下町、宇和島には名庭園が多い。以前から、1月7日―9日に訪問することを決めていた。その日が近づくにつれて、東京地区の新型コロナ緊急事態宣言、大寒波到来などネガティブな要因が立ちふさがってきた。が、ひるまず決行した。

1月7日早朝、大阪からJRを乗り継いで、宇和島に向かった。風がきつく、瀬戸大橋では風速25kmを越えたので、15分くらい緊急停車した。その後、ずっと雪の気配はなかったが、内子駅あたりで、吹雪き始めた。大洲城は吹雪で煙って見えた。

  

昼過ぎに宇和島に着いた。積雪はない。キャリーバッグに撮影機材を入れて、ホテルから歩いて10分くらいの西江寺、明源寺の庭園を撮影した。その直後に風と雪が強くなり、屋外はあきらめた。いったんホテルに戻り、多賀神社凸凹神堂に出かけ、性文化財の研究に没頭した。

    

7日の夕方から降雪が本格的となり、8日の朝までに20-30cmの積雪となった。さらに雪が断続的に続いているので、庭園のディテールを見ることはできない。そこで、宇和島城、伊達博物館、天赦園庭園に行くことにした。雪のため、キャリーバッグは使えない。リュックサックを担いだ。宇和島城天守閣へは桑折氏武家長屋門側から登った。途中の石段は乱積みで吹雪の中では足元が不安であった。

      

天守閣と四方の眺望。外に出ると吹雪の頂点だった。上り立ち門に降りた。

       

伊達博物館は伊達家の屋敷跡で展示は撮影禁止である。庭園の一部が残る。雪で分かりにくいが池泉鑑賞式で、江戸末期の武家らしい石組が残っているようだ。

     

名勝天赦園は受付にも園内にも誰もいなかった。雪景色がなかなかよい。滑らないように注意しているのに、凍り付いた敷石に薄く粉雪が積もっているところで、こけて、三脚付きカメラを守ると腰骨で着地してしまった。アイゼンなしでは不可抗力である。出るときにはじめて係員の人がいて入場料を払った。

          

ホテルに戻る途中で遅めの昼食を食べた。長いネギ入りかき揚げそばである。うまかった。

  



■  蟇股あちこち—9 中山辰夫

 
「初期透かし蟇股」の遺構として、平安時代後期の四例の紹介が終わり鎌倉前期に入ります。蟇股がどのように伝播し、形状変化してゆくのか興味津々です。
ここからは平安時代後期から鎌倉時代前期に創建された社寺の代表例を羅列します。すでに板蟇股で紹介しました社寺も含みます。
順序については、建立時期と再建時期が交錯しているケースがあり、順不同と思ってください。
訪れた社寺を軸に紹介しておりますが、未訪問の社寺は画像を引用させて頂いたもので紹介しております。

笈形―彩色文様
興福寺北円堂内部の間斗束両脇の壁画に描かれた彩色の笈形文様です。この文様は蟇股と直接関係は無いですが、蟇股の脚元、懸魚、蓑束の形はこのような彩色を基にして形作られたと考えられています。構造物の装飾的な繰形には彩色文様を基にしたものが多いように思われるとされています。
その遺構ともされてものを紹介します。

興福寺北円堂
奈良市登大路町

興福寺は、710年の平城遷都によって造立されました。721年の北円堂をスタートに、次々と伽藍が整備されましたが、数回の火災で奈良・平安時代の建物はなく、鎌倉時代再建の北円堂・三重塔と室町時代再建の東金堂・五重塔・大湯屋(国重文)を残すのみで、中金堂、南円堂は近世のものです。
前述の四堂が国宝であることは、興福寺が古代、中世を通じて保ってきたその偉大な勢力を物語っています。

北円堂 国宝 建立:1210年 八角円堂 一重 本瓦葺
  
北円堂は藤原不比等の追善供養のために造営されたもので、一周忌にあたる721年に完成しました。その後数回の焼失に遭遇し、1210年に再建されたのが現在の建物です。土壇は奈良時代創建時のもの、基壇は1049年再建時のものです。
八角形花崗岩製基壇上に八角形の建物が建っています。3段に出された垂木が軒を支えています。屋根の一番高い所に華麗な露盤、宝珠が据えてあります。

笈形彩色文様
    
内陣の天井は組入天井で、平らな天蓋を吊り、彩色を施しており、絢爛彩色の笈形文様は、間斗束左右の壁面に描かれています。

彩色の笈形は天平創建の東大寺大仏殿にも描かれていたようですが(信貴山縁起絵巻)、現存のものとしては、法界寺阿弥陀堂に残っています。

法界寺
薬師堂は、「蟇股あちこちー8 2020-11」に紹介しております。

阿弥陀堂 国重文 建立:1221年直後 方五間の身舎の周りに一間の裳階をめぐらした形、屋根は宝形造 桧皮葺 本尊阿弥陀如来坐像を安置 
法界寺阿弥陀堂とその内部と笈形文様 資料<笈形は稲崎喜代子氏論文より引用・他>
     

蟇股に戻ります
シンプルな蟇股からはじめます。鎌倉時代前期の遺構としては、奈良の円成寺春日堂・白山堂、香川の神谷神社本殿(1219年)、広島の厳島神社摂社客人神社本殿(1241年)、などがあります。

円成寺(えんじょうじ)春日堂・白山堂 含む≪円成寺≫
奈良市忍辱山町273

円成寺は柳生街道のほぼ中間部に位置します。境内前部に中島を有する池庭が広がり、境内には日本最古の春日造の社である春日堂・白山堂が並び、国重文・本堂には運慶の初期の作品・国宝・大日如来像が祀られています。
   
「袖板壁」でつながれている春日堂と白山堂は2棟とも同規模・同形式です。1228年に春日大社の本殿を移築したもので、春日造社殿の現存最古遺例として国宝に指定されています。
両堂は円成寺鎮守社として春日大権現、白山大権現を祀ってきましたが、廃仏毀釈で明治以降社殿を堂に改称されました。
表は入母屋、裏は切妻、桧皮葺。棟木、千木、堅魚木をのせ、蟇股・懸魚・勾欄・斗栱などは鎌倉初期の社殿の特色を表わします。

春日堂 国宝 建立:鎌倉前期(1227~9) 一間社春日造 桧皮葺
      

白山堂 国宝 建立:鎌倉前期(1227~9) 一間社春日造 檜皮葺
       
蟇股
両堂とも、宇治上神社南北殿と同様に、母屋の斗栱を舟肘木、庇を頭貫でつなぎ、平三斗を組み、中備に蟇股を置き、繁垂木を配しています。
用いられている蟇股は宇治上神社本殿(国宝)の系統に属し、鎌倉時代前期を下らない優品とされます。一木の作ですが、輪郭内下部の繰形は別材です。

宇賀神本殿
    
春日堂・白山堂に次ぐ春日造の現存例です。軒唐破風を付け、向拝三斗様で蟇股を置き、白山堂や春日堂より装飾性を増しています。
蟇股の脚内彫刻の発達や正面を唐破風にした点は時代が下がることを示し、鎌倉時代後期の建立とされます。

円成寺
756年唐の僧虎滝和商が十一面観音を祀ったのを開基とし、1026年に僧命禅が春日神所の造った十一面観音像を祀る堂を建てたのが中興とします。
応仁の乱の兵火で堂塔伽藍の大半を焼失、その後再興されました。
境内には鎌倉時代の建造物(春日堂・白山堂)・楼門(国重文)以外に、室町時代再建の本堂(国重文)、平成に再建された朱色の多宝塔が建っています。
蟇股は楼門、本堂厨子に見られます

本堂(阿弥陀堂) 国重文 再建:1472 桁行五間 梁間五間 一重 入母屋造 妻入 向拝三間 桧皮葺 
 
春日造社殿に両廂付で、局・宝蔵・経蔵・籠堂・御堂を設け、向拝に舞台があります。

本堂厨子 蟇股
本堂 国重文建立:1472年 桁行五間 梁間五間 一重 入母屋造 妻入 向拝三間 銅板張
    
蟇股は厨子正面の中備に用いられています。輪郭内には左右対称の簡単な彫りが施されています。

楼門 再建:1468年 三間一戸 入母屋造 桧皮葺 
     
上・下層ともに和様三手先を使い、下層出入口の上に、正・背ともに花肘木を入れています。

手水舎
   

東門 板蟇股
    

蓮華王院(三十三間堂)本堂
京都市東山区三十三間堂廻町657

本堂の板蟇股は「蟇股あちこちー5 2020-9」に紹介しております

1001体の御本尊を安置する総欅造の仏堂内は、余分な装飾の無い簡潔な空間で、独特の荘厳な雰囲気に包まれています。現在の建物は、1266年頃再建の二代目です。分厚い柱にも床板にも歳月が黒く光りひそんでいます。応仁の乱にも残った建物はしっかりした美しさを有しています。鎌倉彫刻のいきいきとした二十八部衆の個性美に劣らず、化粧屋根裏の二重虹梁にのる板蟇股は古色に溢れ、仏像同様に魅力的です。撮影できないのが残念です。
       

本堂の向拝 建立:1650年
  
正面にある向拝は1650年に改築されたもの。桁行七間 梁間二間と規模も大きく札堂としての性格をもっています。
創建当初から現在と同じ形式の向拝が取りつけてあったようです。正面は全て板扉とし、組物は出組と簡素ですが鎌倉時代中期における和様の造りを伝えています。

蟇股
         
向拝には7ケの蟇股が彫刻されています。サイ・獅子・キリンが彫られています。

南大門 国重文 建築:1600年頃(鎌倉時代前期)方広寺の南門として建立された豪壮な三間一戸の八脚門 切妻造 本瓦葺
   

板蟇股
板蟇股が両妻の虹梁上に設けられています。 肩の丸味を小さくし、斗載面脇から足元にかけての繰形は反転曲線に彫られています。
   

鐘楼
  

久勢稲荷大明神
  

峰定寺(ぶじょうじ)本堂・ほか
京都市左京区花背原地町772

本山修験宗の寺院で 1154年鳥羽上皇の勅願により観空西念が開基。修験道系の山岳寺院です。京都中心部からバスで約1時間半の距離にあります。
桂川の源流の一つである寺谷川沿いに仁王門が建っています。大悲山(747m)の中腹に位置します。修験の行場として著名な大和の大峰山に対し、大悲山は(北大峰)とよばれました。
樹齢約1000年といわれる杉の大木があります。カメラ持参は山門まで、貴重品とハンカチ以外は受付に預け、本堂まで山門から約400段の石段を歩きます。
      
現在見る社殿は1350年に再建されたものです。

仁王門 国重文 建立:1350年 入母屋造 杮葺単層の八脚門
     
蟇股
 

本堂 国重文 建立:1350年頃 寄棟造 杮葺 舞台造(懸造)の仏堂。わが国の舞台造の起源は定かではないですが、密教が流行して深山遠谷に堂塔が営まれるようになってからのようです。最古の舞台造は三仏寺投入堂で、本堂はこれに次ぐものです。
  
内陣後方に須弥壇があり、厨子が安置されています。そこに使用されている勾欄や格狭間、装飾蟇股などは、鎌倉時代の細部手法がみられるようです。

閼伽井屋(供水所)国重文 建立:1350年 桁行三尺三寸 梁間二尺四寸

小建築ですが 上に優美な唐破風造の屋根を架し、その正面の虹梁の上下に、蟇股と二つ斗を置いた見事な装飾を行っています。
 
蟇股は、脚内に唐草彫刻を有し、中央は欠けて失われていますが、鎌倉式をよく表す実相花唐草です。

花背の三本杉
 

本堂周辺は撮影禁止のため、パンフレットより転載。写真は一部大野木義夫氏撮影のものを含みます。

当麻寺本堂(曼荼羅堂)閼伽屋
奈良県北葛城郡当麻町当麻1263

当麻は大和と河内の境界をなす二上山の東麓にあって、古来、交通の要所でした。古代豪族の当麻氏が本拠を置いて支配していました。古墳や寺院の築造に多く使われた凝灰岩は二上山から切り出され、当麻氏はその供給に関与して勢力を伸ばしました。当麻寺は当麻氏の氏寺として691年に創建されました。

本堂閼伽棚 本堂建立は1161年 1268年の本堂屋根修理の際に増築されました。
    
本堂背面北方に付設されており本堂の設立当時には無かったとのこと。面取り角柱に出三斗をのせ、中間に足の長い蟇股が置かれてます。虹梁で本堂と繋ぎ、その上に両端は蟇股をのせ、中間は合掌を組んで棟木を受け木瓦葺とします。本堂の屋根が1268年に修理されており、この時に増築されました。

蟇股
      
虹梁の上に背高く且つ両脚のよく伸びた板蟇股が置かれ、その下に刳抜式の彫刻蟇股が用いられています。又軒桁下の各斗栱間にも置かれています。
板蟇股は三十三間堂内の虹梁上や新薬師寺東門の妻にもありますが、一般に両脚があまり開かず、ここにあるような左右に長く伸びたものは少ないです。
反して、彫刻蟇股には両脚の左右が伸びたものが多いですが、ここのように流暢に長くのばされたものは珍しいです。脚内の彫刻は左右より垂下した紐状の柄によって中心飾りを支えた形、これは宇治上神社本殿の蟇股に直ぐ続くもので、彫刻蟇股変遷の初期における一過程を示すものとして貴重とされます。

当麻寺全体については、別途紹介する予定です。

浄土寺
兵庫県小野市浄谷町2094

浄土寺は東大寺再建の重源和尚に縁故のある寺で、東大寺領大部荘の土地に浄土堂と薬師堂を建て寄付しました。その建物には大仏殿と同様式の天竺様が採用されました。重源によって創立された七カ所の別所の一つで、播磨別所と称されました。浄土堂は別所の中心建物で、巨像「阿弥陀三尊立像」・国宝を祀っています。
天竺様は東大寺再建に大きな功績を遺しましたが、その優れた構造的特色と建築美は一般に理解が得られず、東大寺及び重源縁故の寺院に少数用いられた程度で衰微し、従いその遺構は少なく、東大寺南大門・開山堂のみです。

浄土堂(阿弥陀堂) 建立:1194年 一間四面堂 方一間の内陣の四面に庇部が付く形式 宝形造 本瓦葺 大仏様 仏師快慶作の阿弥陀三尊像
    
重源が南宋より伝えたという大仏様の典型的な遺構であり、同じ様式で建てられた東大寺南大門よりも和様の趣が少なく、宋風が色濃く残っている建物であるとされ、平面も、構造も他に例を見ない鎌倉初期の大仏様建築の傑作とされます。簡単な外観を有する建物。
軒下組物
    
外観は比較的地味です。側面は一辺に柱が四本、柱間が三つの方三間。三間とも桟唐戸。組物は三手先の挿肘木で、隅扇垂や遊離垂木などに特徴が見られます。
板蟇股が用いられています。

内部講架
      
撮影禁止のため参考資料を引用します。内部は天井を張らない巨大なスペースの広がりで、貫や梁などをそのまま見せたいわゆる「大仏様建築」の特徴が出た、豪快で力強い造りです。像の周囲に四天柱が立ち、それに三方から太く円に近い断面の繋虹梁が3段に掛かっています。
柱が少なく、柱間は広く、中央に向かって高くなる広大な空間を、巧みな構造によって造り出しています。
内部に用いられている板蟇股は、外部軒下に用いられているのと同様に見えました。

本堂(薬師堂) 国重文 再建:1517年 桁裄五間、梁間五間、一重、屋根宝形造、本瓦葺 浄土堂とほぼ同形同大の建物
  
浄土堂に相対しています。重源に大仏様建築として建てられましたが、焼失して再建されました。再建に当たっては大仏様式を基本として禅宗様も取入れた折衷用建築となりました。
正面は桟唐戸、側面の火灯窓は禅宗様、垂木の配付けは隅扇垂木、組物は大仏様三手先、中備は和様の撥束と舟肘木
     

浄土寺の境内に鎮座する「八幡神社本殿・拝殿(国重文)」については、「蟇股あちこち7 2020-10」に紹介しております。

浄土寺のすぐ近くにあって、現在日常管理をしている、塔頭二寺院の蟇股・ほかです。
塔頭 歓喜院
           
塔頭 宝持院
       

長寿寺本堂
滋賀県湖南市東寺5丁目1-11

滋賀県の湖南三山・常楽寺・長寿寺・善水寺中のひとつで、阿星山北麓に、阿星五千坊と呼ばれる大仏教文化圏がありました。安楽寺から約1km離れた所にあります。常楽寺・長寿寺ともに阿星山の山号を共有しています。長寿寺(通称東寺)は聖武天皇の勅願で良弁が建立したとされます。往古には七堂伽藍のほか二十四の僧坊が集中して建っていたとされます。現在は閑寂な境内で、樹林を背景に本堂が建っています。

本堂 国宝 再建:鎌倉時代 桁行五間 梁間五間 一重 寄棟造 向拝三間 桧皮葺
  
和様の建物で優美な外観を示しています。檜皮葺で照り起こりの屋根が柔らかにうねる曲腺を描いています。
堂内は外陣を化粧屋根裏として、内陣に国宝春日厨子が配置されています。向拝は1336年に付加付されたものですが、正面の蟇股・手狭の彫刻は華麗な装飾です。平安末から鎌倉初頭にかけての新旧の技法・意匠の混在が随所に見られる移行期の仏堂です。

蟇股は向拝に用いられています。向拝 建立:1336年
       
鳥獣による国宝の被害が各地で起こっています。長寿寺も向拝にある蟇股の被害が大きいです。股間の彫刻が三つとも無事でなく、被害の様子が明らかです。金網を張って防御している所もあります。

本堂内部の板蟇股は 「蟇股あちこちー4 2020-8」に紹介してます。
  
本堂以外の蟇股

本堂の板蟇
弁天堂の蟇股 弁天堂 国重文 建立:1550年
  

薬師堂
  

鐘楼の蟇股
   

1454年建立の三重塔は安土城・總見寺に移築されました。
安土・總見寺・三重塔(国重文)
     

白山神社 国重文 拝殿 鎌倉時代 1453年建立 三間四方 入母屋造 桧皮葺 内部に1436年の板絵三十六歌仙図(県文化)を有しています。
    
平安時代以降、神仏習合が進み長寿寺院内に鎮守社が設けられるようになり、その鎮守社です。
長押(なげし)に掲げられていた三十六歌仙の額は竪挽き鋸(大鋸)で挽いた最古の板で、1436年の銘が残っています。絵は宮廷絵所預りで、土佐光弘の筆です。
これによって、室町初期にはこの地で製材が行われていたことが判明し、甲賀大工座の先見性が推察されます。

大報恩寺本堂 (千本釈迦堂)
京都市上京区七本松通今出川上ル

千本釈迦堂の名で親しまれます。1221年に小堂に釈迦如来を安置したことに始まり、1223年、摂津尼崎の材木商の援助で現存の本堂が完成したとされていますが、
上棟は1227年のようです。応仁・文明の乱の際、この一帯は焼け野原となりましたが、千本釈迦堂だけは奇跡的に類焼を免れました。
鎌倉時代以前の建物で、創建当時の本堂が仏像と共に現存する数少ない例で、京都で最古の木造建築です。鎌倉時代以前の遺構で残るは醍醐寺の五重塔と広隆寺の講堂のみです。

本堂 国宝 建立:1227年 桁行五間 梁間六間 一重 入母屋造 向拝一間 桧皮葺
    
組物は出組とし、中備は間斗束、軒は二間繁垂木。向拝は当初からのもので遺構として残る最古のもので、鎌倉初期の和様を代表する仏堂です。

向拝の蟇股
  

本堂内部では板蟇股が本来の目的で用いられています
  

平安時代末期から鎌倉時代前期の一部を並べました。鎌倉時代前期の1185年から1274年は古代の奈良・飛鳥時代に建立された大寺院の復興・修理を中心に、従来とは異なる技法の出現など新しい時代の始まりであったともいわれます。古代建築の持つ特徴及び特性が中世に受け継がれましたが、京都だけは平安時代の院政期における形だけを模倣した建築の濫造により、構造的な理由から急速に建築が消滅して行ったともいわれます。
来月も蟇股を有する遺構を紹介します。


 ■ 2020年を振り返って―コロナ禍に思う―   川村由幸

毎年、新年1月のウェブマガジンのテーマは前年の振り返りです。
残念ながら振り返るほどの取材内容がありません。コロナ コロナで出かけることもままならず、シャッターを切る機会が大幅に減少してしまいました。
仕事で東京に出る以外、隣県の茨城には数回出かけましたが、それ以外千葉県を離れることがありませんでした。
千葉県は昨年のコロナ禍の初めから感染拡大が他県に比べて激しく、他県への訪問が憚られました。
そして現在も一都三県で緊急事態宣言が再発令される状況となり、さらにまた行動が制限される状況となりました。
コロナを含む病になっても治療が受けられないという医療崩壊が目前に迫っている中、思いのほか世の中、平和です。
都心の盛り場には新年の三連休、多くの人出があるようですし、最初の発令時よりもゆるみが見られます。
仕方がないでしょうね、11、12月は政府がGo Toキャンペーンで目一杯アクセルを踏み続けていたわけですから。
手の平を返すようにブレーキを踏んでもすぐには止まらないのが道理です。
対策が後出しに見えるのは私だけでしょうか。経済が大切でないとはもちろん思いませんが、まずなすべきは感染拡大防止でしょう。

オリンピックは本当に開催するのだろうかとか、はやくワクチン接種が始まればいいのにとかそんなことを考えながら、自宅に閉じこもっています。
昨年はここに載せるほどの取材活動ができませんでした。載せる程の画像もありません。
今年はいつ頃になれば、自由に動けるようになるのでしょう。いつになったら思い切りシャッターを押せるのでしょう。
「出来る我慢もそろそろ限界」 そんな気分が蔓延し始めているのでしょうか。

 


■身近な野鳥の季節    田中康平

冬になると色々の鳥が渡ってきて鳥見にはいい季節となる。例えば九州では鹿児島県出水の1万羽を越えるツルの飛来が知られているが、身近なところでも、おやという野鳥に出会えるようになる。コロナで出歩く機会が激減している現状だが手近に自然の移ろいが楽しめるのがいい。
自宅から歩いて5分ほどの街中の公園でも結構野鳥が面白い。今冬の目玉はトラツグミの飛来だ。すぐ横の広場では子供たちが球技で元気な声を上げたりしているのだが悠然として草原で体をゆすって土の中のミミズをとっている。トラダンスといわれるが全体としては動きが緩慢なので景色に溶け込んでしまって見逃してしまう。子供たちが追いかけることもない。この鳥は冬は暖地で過ごし夏は山や北海道など涼しいところで過ごす国内を移動するだけの漂鳥と見られている。見る機会がそれほど多くない鳥で見つけるとうれしくなる。
カワラヒワは国内を移動するどこにでもいる鳥だがまれに大柄で美しいオオカワラヒワが混じっていることがある。今冬は同じ近くの公園でセイタカアワダチソウの実を4羽のオオカワラヒワが頻りに食べているところに出くわした。茫々とした雑草の茂みは野鳥が好む場所でこの公園もこれ以上手を入れると野鳥の数が減りそうだ。見栄えのいい整った公園には面白い野鳥は現れにくいように思う。
この季節では他にはシロハラが多い。渡ってきて直ぐは人に対する警戒心が強くなかなかしかと姿を見れないが、この頃になると落ち着いてきて見やすくなる。今年はシロハラやアカハラの仲間のマミチャジナイがここへちょっとだけ姿を見せた。これもここらではめったに見ない鳥だ。寒い冬のせいだろうか。
コロナと寒波の冬もこんな風に過ごせば満更でもない。


写真は順に1,2:トラツグミ 、3,4:オオカワラヒワ 5:普通のカワラヒワ、6:シロハラ 、7:マミチャジナイ
       


■ 「茶々丸」 柚原君子


人は犬派と猫派に分けられると言う。犬派は群れを好み、Grでお茶飲みを好み互いを褒め,モミ手をするように楽しむ。他方猫派は一人を好み、時々訳のわからない自分勝手行動をするのではないか、とまあ、猫派である私の狭い範囲からの見解。

昨秋、コロナ故猫を飼う案が家族会議で可決された。
コロナ故出掛けられないので家で皆が楽しめるように。
孫が五年生になったのでそろそろ自分の責任で動物を可愛がったりお世話ができたりの親からの希望。
家族全員でお国から50万円貰ったけれども、コロナにビビる我が家はどこにも出掛ける予定がない……のでお金を回せる……と言うような、数々の理由で,まずは保護猫から模索に入った。

保護団体を何ヶ所かまわったが,見学の都度1000円寄付が必要。もらい受けるのに論文が必要(貰う理由から家族構成からなぜ猫が必要なのか、かなりしつっこいものを求められた)←結果、論文が通らずに譲れない、と言われた日には少しむっとした。
くわえて保護猫シェルターであるにもかかわらず子猫がやたら多い上、もらい受けるだけで8万円くらいかかる……何か変,という疑問生じた。今時のことでネット情報をさぐると、子猫を産ませて売っている可能性もありトカ。

それならば,多少高くってもペットショップで出自の正しい猫を!に家族全員の気持ちがシフトした。お国から貰った50万円がある。強気である。

ある日、孫の希望する茶色の猫、生後一ヶ月に出会う。スコティッシュフォールドの立耳、垂れ目の丸顔。茶系のタビー。まだヨロヨロしている感じ。血統書付きだけど、30万円平均の種類が、なぜが23万円の値札。ショップのオーナーに聞くと「少し食が細いので」と言う。育たないということですか?「いえいえ、それは無いです,大丈夫と思います。色の出具合がちょっとなので、ご了承いただければ」、とだんだん小声に。けれど、出会いの不思議があり、私は見た瞬間にこの仔は絶対に我が家にやってくると直感。その後、家族全員で見に行ったが全員そろってOK!我が家に迎えて『茶々丸』と命名。年賀状に『家族が一人増えました』と書く事ができた。

食が細いといわれたが今は一日中食べ物を探して、ゴミ袋に頭を突っこみ、家族の食事中にはテーブルの上に手を出し、おこぼれがないかと,食卓付近を徘徊している。カーテンはよじ登られて一部にかぎ裂きができ、つめを研がれはじめた壁は一部ボロボロになっているが,叱りもせずにアララ~といいうだけである。家の中に無条件に可愛い動く物がいることはなんと心が和むことか。コロナ禍の外出不可のイライラを救ってくれている。

私は生まれてからずーと生活のページに猫がいた。茶々丸は通算10匹目の猫となる。この年で猫を飼えるとは思わなかった。娘との同居は少し窮屈だが,猫が飼えたことで良かったと思っている。ちなみに私の年を考えて「猫が先かお母さんが先か」と口の悪い娘には言われている。確かに私の健康余生と猫の寿命はどっこいどっこいだろう。猫に負けずに頑張りたい!と思う。

   


■ おばちゃんカメラマンが行く 西教寺@滋賀県大津市 JG事務局

 

あけましておめでとうございます。

コロナの報告があってから丸一年。毎日ニュースで状況確認をしつつも終息の目途が立たず、行動自粛や三密回避では限界かと思われ、ジャパジオ的には、撮影旅行はどうしたものかと悩んでしまう。
こうなると庶民は八百万の神に頼りたくなるのはいつの世も同じだ。
妖怪神アマビエやそのグッズ、疫病退治のお守り、家の戸口に貼られている角大師の護符など頻繁に耳にするようになった。
昨年秋、東京 深大寺で秘仏元三大師木像を公開しようという話があったが、密を回避するため中止となった。
元三大師は特に疫病退散のご利益があることで有名だ。
元々比叡山の高僧で、良源という名前だが、元日三日(一月三日)に入滅したので、通称元三大師と言われている。
人並外れた霊力を持ち、様々な姿に変わって人々を救ったと言われている。
角大師もその一つで、鬼の姿となって疫病神を退散させたそうだ。弟子がその姿を写し取って版木を作り護符として刷ったものを人々が家の戸口に貼って疫病や厄災を払ったそうだ。
昨年11月西教寺に参詣した折、コロナ禍の特別開扉で、元三大師坐像等を拝観することができた。その横に角大師木像もあり、護符は有名だが角大師像は珍しく、初めて拝観したような気がする。このご時世、ついつい拝む手に力が入ってしまう。
西教寺の角大師は一見ぎょっとするが、よく見ると目がクルリとしていて護符とともにとても愛嬌のある大師だ。他の寺の護符、特に大御所の比叡山延暦寺横川元三大師堂のおどろおどろしいそれと比べると疫病を戸口で防いでくれるとは思えない可愛いお顔つきだ。
蛇足だが、元三大師はおみくじの創始者といわれ、西教寺でもこの元三大師像の横におみくじ引き箱が置いてあり、拝みながらおみくじを引くことができる。もちろん有料だが、最強のおみくじに違いない。
「そうだ京都、行こう」も角大師の特別御朱印めぐりを企画して疫病除けのご加護を授かりましょうと謳っている。(元三大師ゆかりの曼殊院、蘆山寺、青蓮院)。護符は通販でも入手でき人気らしい。
日本人はこの神頼みに使うエネルギーと転んでもただで起きない商魂パワーで平安時代より疫病や厄災を乗り切ってきたのだろう。
深大寺の秘仏元三大師像は今年の秋東京国立博物館で205年ぶりに出開帳する事になった。元三大師様、拝むなら今でしょうということらしい。
好きな時に好きな所に行ける日が来ますように。今回も早い終息を願うばかりだ。

 

★今月のニャンコ 

ネコ文字「祝」? 福岡県新宮町 相島

 




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Editor Yukinobu Takiyama

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