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Monthly Web Magazine   Apr..2024


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■蟇股あちこち 48 中山辰夫


京都市右京区 「大覚寺」と、その近くにある「清凉寺」、「二尊院」、「常寂光寺」です。
何れも、誰もが一度は訪れたことのある有名な寺院です。諸堂もさることながら四季にわたり景観(サクラ・紅葉)が素晴らしい寺院です。


1619 大覚寺 宸殿

京都市右京区嵯峨大沢町

貞観18年(876年)、嵯峨天皇が御成婚に際し造営された「嵯峨院」を仏寺に改められたのが始まりです。
明治初頭まで、代々の天皇や皇統の方が門跡(住職)を務めた格式の高い門跡寺院です。
応仁の乱の兵火で諸堂は灰燼に帰しました。現在の寺観は桃山時代以降、漸次その基礎が整えられたものです。

寺域には、宸殿・客殿・御影堂・霊明殿・五大堂・御霊殿などの建物があります。

■境内
      

■表門~明智陣屋~式台玄関
      

寺門は江戸初期の建築 切妻造 本瓦葺 四脚門
明智陣屋は江戸時代 木造切妻造本瓦葺 明智光秀が居城としていた亀山城の一部を移築したものとされます
式台玄関は京都御所からの移築 特別の賓客時に使用 入母屋造 桟瓦葺 正面に銅板葺の唐破風 妻飾り木連格子、懸魚付
松の間には(松に山鳥図),の障壁画 手前には後宇多法皇が使用された御輿

■宸殿 国重文 建立:1619 桁行20.0m 梁間13.6m 一重 入母屋造 檜皮葺 牡丹の間
     


東福門院の女御御殿の宸殿として建てられたもので、1673~81年に大覚寺に下賜、移築されました。
妻飾り,破風板,天井に装飾 蔀戸を吊り、正面一間を広縁とするなど御所宸殿の面影を残しています。

□向拝周辺
   
□襖絵
正面側 狩野山楽による牡丹の間-牡丹図、紅梅の間の紅梅図
    
□背面側 狩野永徳による『松に山鳥図』
   

■時雨の廊下
     

宸殿と心経前殿を結ぶ回廊 縦の柱を雨、直角に折れ曲がる回廊を稲光にたとえ(村雨の廊下)とよばれます 天井は低く、床は鶯張りです

■正寝殿 国重文 建立1573~1614 桁行正面七間・背面八間・梁間四間 一重 入母屋造 檜皮葺 
     

12の部屋を持つ書院 客殿です 絵師・狩野山楽と絵師・渡辺始興が描いた障壁画(野兎絵 4枚の兎)

■勅封心経殿 国登録 再建:1925 鉄筋コンクリ-ト造の八角形 銅板葺
  

法隆寺の夢殿を模して再建 藤井厚二設計の優美な八角円堂 

■霊明殿
    

1936年(昭和11年)の二・二六事件の凶弾に倒れた斎藤実第30代首相が、1928年(昭和3年)に自費で東京都練馬区沼袋に日仏寺を建立した本堂を、百草園への移築を経て、1958年(昭和33年)に再移築したものとされます

■心経前殿(御影堂) 建立 1925年 入母屋造、桟瓦葺、伽藍の中心部に位置

      

大正天皇御即位に際し建てられた饗宴殿を式後賜り移転したもの 心経殿の前殿にあたる 嵯峨天皇、弘法大師、後宇多法皇、恒寂入道親王を祀る。

□向拝周辺
   

■安井堂 
     
京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を1871年に移築

□向拝周辺
     

内陣
   

□内陣正面虹梁の蟇股
    

□内陣の格天井鏡板に花鳥などを描く
  


□天井雲龍図 
       
奥の内々陣の折り上げ鏡天井にえがかれています


■五大堂(本堂) 再建 江戸時代中期(1582~88) 現在の大覚寺の本堂 一重 入母屋造 桟瓦葺 向拝蟇股
      
大沢池のほとりに位置し,正面中央は板唐戸、両脇各二間は蔀戸です 大沢池に面する東面には池にとびだすように観月台(濡れ縁)を設ける

□向拝周辺
      


■勅使門 再建 1848~54( 四脚門 切妻造 正面・背面に軒唐破風 唐破風以外は素木造 鍍金の飾り装飾
      

鐘楼

    

■大沢池
    
中国の洞庭湖を模して造営された、周囲1KMの日本最古の林泉庭園
平安初期、嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営の折りに造られ、当時の最先端の文化の発信地でした

■五社明神
  

■閼伽堂 入母屋造 桟瓦葺のお堂 1200年前、嵯峨天皇の命により空海が掘ったとされています
 

■聖天堂 宝形造 桟瓦葺 
   

■大日堂
    

■心経宝塔 嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立 大沢池のほとりに位置し、嵯峨野四季の風景にとけあい、朱塗りの端正な姿が美しい
   
□蟇股
     

■護摩堂
  

閼伽井堂 入母屋造 桟瓦葺のお堂 1200年前、嵯峨天皇の命により空海が掘ったとされています
  
離宮「嵯峨院」時代に造られ、約1200年前に造営された大沢池と同年代に造られた『弘法大師閼伽井』

 


1701 清涼寺 (嵯峨釈迦堂)

京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町 

洛西嵯峨野にある古刹です。寛和2年(986)釈迦堂を建てたのがを始まりとされる。
東大寺の僧奝然(ちょうねん)が宋より将來した釈迦如来像を祀るために釈迦堂を建てたのが始まりとされる古寺です。
奝然が生前、愛宕山の五臺山に擬して大清凉寺を建てようとしていたことから、釈迦堂は清凉寺の名で呼ばれました。
浄土教の流布と共に発展し、中世には念佛の大道場となりました。
国宝や国重文指定の寺宝を所蔵しています。

境内
    

仁王門 京都府指定文化財 再建:1784 仁王は1487年頃の作とされます。二重楼閣 「五代山」の額 ケヤキ造り 
    

妻壁
  

蟇股
    

細部
         

愛宕権現社
    

多宝塔 京都府指定文化財 再建:1703
     
蟇股
     

一切経蔵 再建:1885 中央に輪蔵を備え、正面に傅大士(ふだいし)父子像を安置する。
    

手水舎 鐘楼
     
梵鐘は京都府指定文化財 梵鐘には足利義政・日野富子・足利義尚の名と1484年の日付が刻まれており、揃って寄進したものと推測される。

薬師堂
     
疫病退散祈願として嵯峨天皇の勅により薬師如来像が奉安された名残とされます。

薬師寺
    

狂言堂
  
定期公演が開かれ、嵯峨大念仏狂言(重要無形民俗文化財)が奉納されます。

本堂(釈迦堂) 京都府指定文化財 再建:1701 桁行七間 梁間七間 一重 入母屋造 正面背面向拝三間 本瓦葺

     
徳川綱吉が1694年から1702年にかけて再建しました。大規模な七間堂。浄土宗本山の御影堂に似た空間構成をもっています。
以前の堂は豊臣秀頼によって1602年に再建されたものです。

妻壁
   

蟇股は向拝に配しています。
向拝
     


蟇股 
        

本堂内蟇股
 

阿弥陀堂 1863年に再建
   

嵯峨天皇の皇子左大臣源融が山荘・棲霞観(せいかかん)を建て、後に棲霞寺と改めましたが、これが阿弥陀堂のはじまりです。




1521二尊院

京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町

釈迦如来と阿弥陀如来を本尊することから、二尊院と称します。承和年間(834~48)、嵯峨天皇が慈覚大師が円仁に命じ創建されました。
法然が再興して、天台・真言・律・浄土の大道場として発展、応仁の乱で荒廃、江戸期に復興しました。紅葉の名勝として有名です。

■総門 市指定文化財1613年に角倉了以が桃山城の薬医門を寄進しました。総門をすぎると参道、通称(紅葉の馬場)
    

■勅使門(唐門) 再建:永正18年(1521年) 勅使門に掛かる勅額「小倉山」は後柏原天皇の宸筆です。
    
□蟇股
     

□不老門
  

■本堂 市指定文化財 再建:1永承8年(1521) 桁行21.7m 梁間13.3m 一重 入母屋 銅板葺 前列後列各3室 
     

■御霊屋(左)と弁天堂(右) と 御霊屋の蟇股
       

■鐘楼 再建:慶長年間(1596年~1615年)。梵鐘は「しあわせの鐘」と呼ばれます
  

結構な段数の石段を上ります
  

■湛空廟 市指定文化財 近世初頭 浄土系諸宗の廟の中で古いものに属します。
   
法然上人廟です。室町時代末期に建立。碑は建長5年(1253年)に宋の石工によって彫られたとされます。

身舎廻りの蟇股
□正面と背面の蟇股
      

□左右側面側の蟇股
      

□組物
      

■八社宮 市指定有形文化財 表鬼門
     



1620 常寂光寺 多宝塔


京都市右京区嵯峨小倉山町

常寂光寺は小倉山の山裾に寺地を占め、日蓮宗に属し、古くは常寂寺あるいは軒端寺と称しました。
1596年に開創、角倉栄可や小早川秀秋らの帰依を受け寺観が整えられました。境内には、多宝塔をはじめ、本堂・仁王門・庫裏が建っています。
 

多宝塔 国重文 建立:1620 三間多宝塔 檜皮葺 二重折上格天井
     

京の町衆の寄進で、相輪を含め総高12.3mと小型ですが、江戸初期に造立された多宝塔としては優美です。
組物は大きな拳鼻を入れた出組で、中央間に蟇股、脇間に蓑束を入れています。

仁王門 建立:1616 三間一戸八脚門 寄棟造 茅葺 
    

本堂
  

紅葉の名所です

 

 

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