Monthly Web Magazine Sep..2024
■ 鉄、石炭、その他鉱物の歴史を学ぶ文化財巡り 瀧山幸伸
金銀銅と来れば、鉄や石炭その他の鉱物に関連する文化財を紹介するのが順当だろうが、なにしろ数が多いので個別に文化財索引を調べて訪問してほしい。鉄だけでも、中国山地に散在する古代の製鉄遺跡から世界遺産に指定された近代の釜石橋野製鉄遺跡、福岡の八幡製鉄遺産まで数が多い。
古代の製鉄遺跡で見逃せないのは出雲のたたら製鉄関連遺産だろう。水木しげるが描いた妖怪やジブリのもののけ姫のモチーフがここにあることは容易に察しが付く。砂鉄を採った跡に出現した奥出雲の棚田は鉱業と農業が調和した稀有な事例だ。
近代の製鉄遺産と石炭関連遺産は密接につながる。石炭関連遺産は九州から北海道まで数が多い。長崎市のグラバー邸や高島炭田、端島(軍艦島)、あるいは三池炭鉱遺産、福岡県飯塚市の伊東伝右衛門邸などは有名だが、福岡県築上町の倉内邸、佐賀県唐津市の高取家住宅などはドラマ関連で多くの人が視聴しているにもかかわらず現地文化財との関連はあまり認知されていない。北海道の炭鉱遺産に至っては夕張の町おこし失敗事例も尾を引いて盛り上がりに欠けている。現代を考えれば、常磐炭鉱のあとがまとして陳情招致された福島原発の惨事は来世紀には必ず産業遺産となるだろう。
その他の鉱山、例えば火山周辺の硫黄鉱山や鉱毒の歴史を背負った鉱山は、徹底的に負の遺産を表に出して活用すべきだ。
廃墟には廃墟なりに社会教育目的などローコストの活性化策がある。近年とみにSDGs(Sustainable Development Goals)が騒がれているが、この問題は人類の歴史、特に文明の盛衰や戦争の根幹であり、今に始まったことではない。SDGsのあり方を学ぶには、Unsustainable Development Hiostoryを学ばなければならない。 詳しくは持続可能都市(サステイナブルシティ)に関する研究を参照いただきたいが、世界遺産のみならず国の史跡に指定されている多くの文化財を巡れば解決策が見えてくる。まずは若者から気づきはじめ、為政者や経済人は最後まで抵抗勢力となったしがらみを引きずるのだろう。
■ 久しぶりの和歌山遠出 大野木康夫
6月2日に丹後に行った後、用事や暑さのために遠出ができていませんでしたが、9月8日に和歌山へ行くことができました。
主な目的は今年重要文化財に指定された2件(金剛峯寺本坊、郭家住宅)を撮影することです。
郭家住宅は毎月第二日曜日が公開日ですが、10時からの公開なので、先に高野山に行くことにしました。
京都の自宅を4時過ぎに出て、高野山大門前に到着したのは6時前でした。
金剛峯寺本坊は8時30分から内部に入ることができるので、その前に奥の院に行って撮影をしました。
御廟橋
松平秀康及び同母霊屋(重要文化財)
福山藩水野家墓所付近で朝日が射してきました。
上杉謙信霊屋(重要文化財)
佐竹義重霊屋(重要文化財)
8時前になったので、金剛峯寺本坊に向かいました。
山門(重要文化財)
かご塀(山門東方、重要文化財)
かご塀(山門西方、重要文化財)
鐘楼(重要文化財)
経蔵(重要文化財)
会下門(重要文化財)
大主殿及び奥書院(大主殿、重要文化財)
ここからは内部からの撮影
大主殿及び奥書院(奥書院、重要文化財)
真然堂(重要文化財)
護摩堂(重要文化財)は屋根がわずかに覗いています。
築地塀(北方、重要文化財)
再び外に出て撮影
築地塀(南方、重要文化財)
六時鐘楼(附指定)
壇上伽藍に向かいました。
常喜院校倉(和歌山県指定文化財)
不動堂(国宝)は修理中
壇上伽藍での撮影は切り上げて徳川家霊台方面に行きました。
金剛峯寺徳川家霊台
家康霊屋(重要文化財)
秀忠霊屋(重要文化財)
金輪塔(和歌山県指定文化財)
女人堂(和歌山県指定文化財)
高野山はここまでにして、沿道の文化財建造物を撮影しながら和歌山市方面に向かいました。
鞆淵八幡神社
本殿(重要文化財)
大日堂(重要文化財)
三船神社
本殿(重要文化財)
摂社丹生明神社本殿(重要文化財)
摂社高野明神社本殿(重要文化財)
旧中筋家住宅
表門(重要文化財)
主屋(重要文化財)
内蔵(重要文化財)
北蔵(重要文化財)
長屋蔵(重要文化財)
御成門(重要文化財)
土塀(表門~御成門、附指定)
土塀(御成門~北蔵、附指定)
土塀(表門~長屋蔵、附指定)
最後に郭家住宅を訪問しました。
この日は洋館の二階には上がれませんでしたが、保存会の方のご厚意で裏側の建物を撮影することができました。
米蔵の屋根や石塀は壊れており、早期に公的な援助のもとで修理する必要があります。
また、風呂や離れなど、後世の改変がみられる建物は復原修理が必要と思われます。
洋館(重要文化財)
診察棟(重要文化財)
座敷(重要文化財)
離れ(重要文化財)
米蔵(重要文化財)
東土蔵(重要文化財)
南土蔵(重要文化財)
風呂(重要文化財)
外便所(重要文化財)
表門及び石塀(重要文化財)
郭家住宅の撮影終了が15時頃だったので、そのまま帰宅しました。
無理なく、久しぶりの撮影を楽しみましたが、撮影枚数が1,225枚になっていたので、とりあえず少し修正して現像し、この投稿に間に合わせています。
今月は搦手が公開されている姫路城にも行ってみたいです。
日光東照宮 その3
社務所・神楽殿・神興庫・唐門・坂下門・奥社・仮御殿です。 日光東照宮の最終です。
■ 文化財の冷泉荘アパートを見に行く 田中康平
7月19日の文化審議会文化財分科会の審議の結果新たに158件の登録有形文化財(建造物)の登録が文科科学大臣に答申されその中に福岡市博多区の民間アパート冷泉荘が含まれていると報じられて、とりあえず見に行ってみようと出かけてみた。
ネットの地図を頼りに近くの立体駐車場に車を止めて建物を探す。少し歩くと写真で見た少しくたびれた建物が見えてくる、これのようだ。いまはレンタルスペースとして利用されているようで小さいプラカードがそこここの窓についている。この日は1階の展示スペースで絵画の個展があっていたのでのぞいてみた。
建物自体は古いだけの昔のコンクリートアパートだ。文化財と聞くとフーンという感じがする、あまり有難味がわいてこない。1958年築というから昭和33年、御成婚がありテレビが一気に広がり東京タワーができてスバル360が出てきた年だ。戦後から高度成長社会へ転換していく節目のような年だ。福岡の街の上には米軍の戦闘機が飛び交っていたのを覚えている、時々衝撃波のドーンという音が響くこともあった。新しいコンクリート製のアパートが続々と作らていったその最初がこの冷泉荘ということのようだ。眺めているとそのころの時代の雰囲気を次々に思い出して果てしない、そういうところが文化財なのだろう。今なおレンタルスペースとして使い続けるというところに博多らしさを見た気がする。
ついでに近くにあるはずの博多遺跡を探しに行った(今年2月に国史跡に指定されている)、旧冷泉小学校のグランドで発見された平安期の遺構で船着場跡のような石組が出てきたと記憶している。グランドまで来ると仕切りで囲ってあって工事中のようだ、中は囲いにある穴から見るだけだが覗いても遺構のようなものは何も見えない、埋め戻したのかもしれない。どうも博多の街は遺稿を残して眺めるだけというのは不得意のような気がしている、埋め戻してその上に新しい文化を築いていく、それを太閤町割りの昔から続けてきたように思う、あるいは元寇以来というべきかもしれない、常に争いの現場となり破壊されては作り直してきた街だ。そんな生きている街の有り様が今さらのように面白い。
写真は順に 0:地図、1-5:冷泉荘、6:冷泉荘ギャラリー(篝ハルカ個展)、7:旧冷泉小学校(内部に博多遺跡がある)、8:同 覗き穴から中を見る、9:同 外周にある旧大乗寺跡(806年空海が開基)
真壁に撮影に出かけるのは三年ぶりになります。
東日本大震災の大きな被害から、回復する過程を見てきました。そして、ほぼ元に戻ったと感じたのが、三年前でした。
三年が過ぎ、真壁がどのような変化をしているのか、ふと気になり暑さに耐えて出かけてきました。
重伝建に係る建造物に大きな変化はなく、修復が完了した良好な状態のままでした。
ただ、それら建造物の人が住んでいない割合が増加しているように思いました。
登録文化財の表示があっても、門から覗ける庭がジュングル状態の建造物や、店を廃業しているところもありました。
重伝建に係りないところでも、道路に面して空き地が目立ちますし、商店もシャッターを閉ざし、廃業して無人となっている
と思われる建物が多くありました。
真壁の町をカメラを持って歩くだけで、切実な人口減少と高齢化で町の活力が奪われていることを強く感じました。
訪問は土曜日の午前でした、暑いこともあるのでしょうが、観光客には全く出会うことがありませんでした。
このまま、人口減少が続き、町に活力が無くなれば重伝建に係る建造物はどうなってしまうのでしょうか。
住民が減り、観光客も期待できないとなれば、消滅の将来が待っているだけなのでしょうか。
つい最近の新聞で富岡製糸場が世界遺産に指定されていながら、見学者の減少が著しくて世界遺産に指定されている
建造物の修繕費用も捻出できないと報道されていました。
世界遺産に指定されていてもこの有様ですから、重伝建というだけの真壁が生き残る道は極めて隘路となりそうです。
そのためにこそ、画像や動画で将来のために記録し残すことを目的とするJGの存在意義があるのでしょう。
いささか淋しい思いもしますが。
■ 重要文化財建造物内にある龍の彫刻 その3 酒井英樹
前回(2024年8月号)の続き
3回目は重要文化財建造物内にある龍の彫刻
近畿(2府4県)地方の重要文化財建造物の棟ごとに列挙しました。
延暦寺【滋賀県大津市】
大講堂
日吉大社末社東照宮【滋賀県大津市】
本殿・石の間・拝殿
園城寺【滋賀県大津市】
閼伽井屋
大通寺【滋賀県長浜市】
広間
五村別院【滋賀県長浜市】
本堂
弘誓寺【滋賀県東近江市】
本堂
大徳寺【京都市北区】
唐門
北野天満宮【京都市上京区】
東門
本願寺【京都市下京区】
阿弥陀堂
唐門
八坂神社【京都市東山区】
本殿
泉涌寺【京都市東山区】
大門
正法寺【京都府八幡市】
本堂
石清水八幡宮【京都府八幡市】
本殿及び外殿
弊殿及び舞殿
楼門
勝鬘院【大阪市天王寺区】
多宝塔
杭全神社【大阪市平野区】
本殿(第三殿)
積川神社【大阪府岸和田市】
本殿
願泉寺【大阪府貝塚市】
表門
錦織神社【大阪府富田林市】
本殿
聖神社【大阪府和泉市】
本殿
船守神社【大阪府岬町】
本殿
叡福寺【大阪府太子町】
多宝塔
随願寺【兵庫県姫路市】
唐門
円教寺【兵庫県姫路市】
開山堂
天満神社【兵庫県たつの市】
本殿
久久比神社【兵庫県豊岡市】
本殿
高座神社【兵庫県丹波市】
本殿
八幡神社【兵庫県丹波市】
本殿及び拝殿
名草神社【兵庫県養父市】
本殿
御形神社【兵庫県宍粟市】
本殿
傳香寺【奈良市】
本堂
談山神社【奈良県桜井市】
末社惣社本殿
宇太水分神社【奈良県宇陀市】
本殿(第一殿)
本殿(第三殿)
法隆寺【奈良県斑鳩町】
金堂
岡寺【奈良県明日香村】
仁王門
吉野水分神社【奈良県吉野町】
本殿
楼門
玉置神社【奈良県十津川村】
社務所及び台所
天満神社【和歌山市】
本殿
紀州東照宮【和歌山市】
本殿、石の間、拝殿
三郷八幡神社【和歌山県海南市】
本殿
長保寺【和歌山県海南市】
大門
闘鶏神社【和歌山県田辺市】
本殿
三船神社【和歌山県田辺市】
本殿
金剛峯寺【和歌山県高野町】
本坊大主殿
十三神社【和歌山県紀美野町】
本殿
野上八幡宮【和歌山県紀美野町】
摂社平野今木神社本殿
摂社高良玉垂神社本殿
雨錫寺【和歌山県有田川町】
阿弥陀堂
以上、知る限りの近畿地方の重要文化財建造物にある「龍」の彫刻を紹介しました。
この地域は重文建造物が多数あるのに、比較的龍の彫刻が少ないように思えます。
単に・・私が撮り忘れただけかもしれませんが・・
次回は残りの西日本(中四国・九州)・・・それと出来れば追補も・・
飛龍を入れて5回に分けた龍の彫刻・・いつものように何か??が起きて・・完結できるかな???
■ 私のランチ事情 - 大阪駅前第1~4ビル 野崎順次
先日の朝、ABCテレビを見ていたら、日本のサラリーマンの昼食代平均が1200円台であると言っていたので驚いた。うちの会社のある大阪駅前ビルではもっと安い。そして、一部を除いては行列する必要もない。大阪駅前ビルは第1から第4の4棟あり、B1とB2が食堂居酒屋街となっている。そのなかでも、特にお気に入りの店と価格をまとめてみた。
第2ビルB1
チャイニーズ酒家「豪華(フーバー)」
後述の台湾料理人気店「味仙」が真ん前に開店して苦戦するかと思ったが、善戦している。入口当たりの床が油で汚れているので、靴の裏がべたつくが、とにかく安い。酢豚定食、マーボナス定食などが700円である。写真にはないが、あんかけ焼きそばが750円。中高年の一人客が多い。
イタリア/スペイン料理「エルソル」
昼間はお結びランチが美味しい。いいお米をつかう店が少ない中、貴重な店で、しかも湯豆腐もおいしい。湯豆腐まるまる1丁付きが880円、だし巻き付きが950円、ヘルシーサラダランチ970円。
台湾料理人気店「味仙」
有名な店らしく1年くらい前に開店してから、夕方や土日には行列ができている。名物は台湾ラーメンでニンニクと唐辛子がきいて、むせたり涙ぐむ客が多い。写真は台湾ラーメン、天津飯、焼きビーフンで、800円から900円。テーブルに調味料が一切ないのが不思議。
第2ビルB2
さぬきうどん「四国屋」
40年以上続いている店で、カレーうどんが有名。でも、揚げたての海老の天ぷらうどんが一番だと思う。ただし、今や1300円となった。
イタリア料理「オットモンテ」
1年くらい前に、脱サラ青年が淡路島産生パスタを使って、メニューはボローニャ一品、カトラリーはフォークだけで始めたカウンターだけの店。今ではスパゲティ3品、スプーン、バケット、サラダ、ワインも揃い、店員も一人雇い、繁盛してきた。若い女性客が多い。写真はア・ラ・パンナ、純ペパロンチーノ、明太子のオイル。いずれも900円。
第一ビルB1
そば処お食事処「三起」
安くてうまい、老若男女に愛される店で50代くらいの夫婦二人だけで営業している。店の写真を撮ったが、「本日通院ためランチお休みします。すいません。三起」とある。そういえば、3か月くらい前に膝の手術のため1か月くらい休んでいた。きざみそば650円、日替わり(たまご丼とかけそば)750円、木の葉丼750円?。
英国パブ「シャーロックホームズ」
ランチはローストビーフ、唐揚げ、ハンバーグと3種あり、いずれもスープまたはコーヒー付き1000円である。ハンバーグはジューシーで柔らかく、箸だけで食べられる。
第3ビルB1
でんがく季節料理「おかじま」
塩鮭定食と串揚げ定食、いずれも900円。
第3ビルB2
中華料理「長崎亭」
この店とは長い長い因縁があるが、詳細は略す。向こうもこちらも無愛想である。私はイカが嫌いなので、いつでも「イカ抜き」で注文する。いい忘れると「イカ抜きですね」と言ってくれる。30年くらいの付き合いになるが、会話はその程度である。長崎皿うどんとチャンポンは絶品といっておこう、いずれも800円。
喫茶と洋食「ロイヤルエイト」
梅田界隈の大衆洋食の店が減ったが、ここはまだ健在。エビフライ、ハンバーグ、焼肉のロイヤルで900円、その隣は700円くらいかなあ。ただし、喫煙可。
洋食スタンド「グリル異人館」
ロールキャベツ定食が食べたくなって入った。980円。
第4ビルB1
汁なし担々麵「キング軒大阪梅田店」
広島からやってきたチェーン店らしい。30回以上混ぜてからとあるが、それはともかく実にうまい。私にとって新しい世界である。並盛750円、トッピング(ねぎ、野菜、セロリ)150円。若い男女の客が多い。麺通らしき一人客をよく見る。
イタリア料理「BARU ONE (バルーワン)」
無口で生真面目なシェフと会話はほとんどないが馴染みである。夜にキノコのリゾットを食べに行く。ランチは、サラダ、パン付きスパゲティが850円または950円、写真は日替わり2種850円。若い女性客多い。
喫茶店「珈琲の辞書」
この界隈ではコーヒーが一番おいしい店である。カップにたっぷりで550円。大人のためのお子様ランチ(ミックスサンド)」が980円、モーニングセットが580円。ただし、喫煙可。
信州そば処「そじ坊」
お好みぶっかけそば三種盛り990円、かけそば+野菜天960円
■ 団塊 柚原君子
戦後、父親になりうる人たちが戦地から帰って来て、第一次ベビーブームが出現した。出生率統計上からみるとそれは“とてつもなく大きな塊”に見えたので『団塊の世代』と名づけられた(堺屋太一氏命名)。
私たちの学年が生まれたのは団塊の世代でも後半にあたる1949年である。当時の世相を羅列してみると、戦後の混沌とした中から日本が新しい時代を生きていくための形や規律、希望がうかがえる。
1948年は、占領政策色が未だ残る中でGHQから“祝日に国旗掲揚を許可”された年であり、人は右、車は左の対面交通が実施された年であり、海上保安庁や建設庁が開庁し、110番が犯罪専用電話として設置され、全学連が結成され、しゃもじを持ってデモをする主婦連が結成され、“黄金バット”が活躍して、斜陽族やノルマが流行語となった年である。
5円玉の発行。封書が5円。週刊朝日が10円。セロテープやボールペンが発売され、美空ひばりが天才少女として、マンボズボンにステッキを持って軽やかに世に出てきた年である。東条英機の死亡、太宰治の自殺、皇居を宮城と呼ばない事なども列記する事ができる。
否応なしか、いとも簡単にあっさりとだったのかは解らないが、潔く四捨五入して新時代に入っていった勢い……そんな時節に私たちは生まれた。
★
何にしても大きな塊だった。間に合わせのプレハブの校舎にすし詰めの状態は幼稚園から大学までずっと続いた。遠足など小学校時代も中学校時代も、校舎の周りに観光バスが10台以上も並び、補助イスまで使いきって満員バスに乗って行った。前日のバスの座席割り当ては、10人十色の何倍もの個性が個性を出し合うので、HRの時間が終わっても決まらなかった。
前例のない大きな塊世代は、至近距離での触れ合いを常とさせられてきたので、自分の体温を仲間に伝えやすく、またその体温を機敏に感じ取る能力にも長けていたような気がする。経済の高度成長期にあわせて大人になっていった私たちは、彼方に大きな希望や夢を見いだす事ができた。努力をすれば芽を出せるだけの隙間が、社会にはまだまだあったから目いっぱい頑張る事ができた。
社会の中核になった頃は、チャン鍋の中で炒られる豆のごとく必死で飛び跳ねてきた。豆にはそれぞれの重さと痛さと熱さがあったと思うが、働き続けてきたことには間違いない。そして豆たちはその数において莫大な労働力と莫大な消費力を示し続けて、日本経済をとにもかくにも押あげてきたのだ。
“やりたい放題をやってバブル崩壊の後始末もしない団塊の世代が、実は日本を駄目にした”とか、“この塊の老後をどのように面倒を見るか”というようなことを識者たちが知たり顔で言うのを聞いていると、少し悲しい気がする。
★
クラス会準備のため、先日、有志4人が浅草に集まった。七年ぶりの再会である。
「先生はもういくつになるんだよ。俺たちと同じ干支だから79歳になるよ。やっぱり次のクラス会を早くやらないと先生が死んでしまうぞ」
石屋になっているタクボンが言った。タクボンの目の下には70代半ばでは当然と思えるたるみがあるが、それがふっくらと盛り上がって昔より柔和な顔に見えている。
銀行のお偉いさんを退職した謙が「そうだそうだ」と相槌を打った。謙は、ぽや~ん口をあけていた昔と変わらぬ風貌で、よれたTシャツに半ズボン、サンダル履きで300円のコンビニガサを大事そうに持って、銀行の元お偉いさんとは程遠い姿で今日の打ち合わせ会にやってきていた。
「今夜は飲もうね、飲もうね」とカコちゃん。「マドンナだったんだよね、カコちゃんは。他のクラスからも、人垣ができるくらい覗きに来てうちのクラスの男も半分以上はメロメロ」早くも酔い始めたタクボンが言う。
「私も今はただのおばあちゃんよ!飲もうよ飲もうよ」
お酒ならそんじょそこいらの人には負けないカコちゃんのピッチは早い。
「前のクラス会の時、手違いで20名のお膳に集まったのはたったの6人。仕方ないから皆でお膳を移動して食べまくったよね。おまけ畑谷くんが潰れて床の間の花瓶を割ってしまって、さんざんだったよね」
と私が言った。
「そのときの花瓶は俺が後で弁償に行ったよ。その頃の給料を半分持っていかれたよ」とタクボン。
「言えよお前、そういう時は俺に言えよ。元の会社に行けば金は山ほどあるんだぞ」
と銀行員の謙が言う。自分のオアシじゃないでしょう!タクボンが言い足した。
「そうそう、立川と忍田が結婚した時のクラス会よぉ、店の内側に下げてあった暖簾を無理に上げて入ってきた客がいたよな。見事なつるっぱげでさ、てっきり一見さんか、って『すんません、今日はクラス会で盛り上がってますからお店はお休み……』って言いながら、みんなの箸が止まったよな」
「そう、天ぷらを露の中にドボンさせたやつもいた」
「あいつ、必死な顔してたよな。『俺だよ俺!市蔵だ』って。困ったような市蔵の顔。あんまりいい服を着ていなかった市蔵。皆に会いたくて来たんだよ。あいつはあれから音信不通。クラスで一番最初に行方不明になっちまった」
「文枝が死んだってことも聞いた……急ごうぜ、クラス会」
★
二軒目の呑み屋でタクボンがふらふらになった。四人は細い雨の降っている吾妻橋を傘もささずに「なるべくまっつぐに歩こうよ」と言いながら渡った。マドンナも普通のおばあさんに。銀行マンも元の字がつく。石屋は俺は死ぬまで石屋でいると頑固に言う。
酔っ払ってるカコちゃんが、ねぇねぇ久しぶりに月光仮面の歌を歌おうよ、と言うので皆で歌った。端から見たらいいおじいさんやおばあさんなのに、久々のスクラムと月光仮面の歌とですっかり中学三年生の気持ちに戻って、私たちは橋をずんずん渡っていった。
朱夏。その半分がもう終ろうとしている。
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