滋賀県湖南市 長寿寺
Chojuji,Konan city,Shiga
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湖南市東寺5-1-11 長寿寺弁天堂 重文 近世以前/神社 室町後期 天文19(1550) 桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、正面軒唐破風付、檜皮葺 19520329
湖南市東寺5-1-11 長寿寺本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、向拝三間、檜皮葺 厨子1基 18981228 19530331
湖南市東寺5-1-11 白山神社拝殿 重文 近世以前/神社 室町後期 室町後期 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺 19590627
January 7, 2023 野崎順次 source movie
滋賀県湖南市東寺5-1-11
阿星山 長寿寺
今回は湖南三山めぐりである。午前中に善水寺を拝観後、タクシーで常楽寺に来たら、
「令和5年12月10日本日で年内の参拝受付が終了です。12月11日からは当分間(3ヶ月)は境内整備のため閉門しておりますので参拝の受付は行っておりません。」
仕方なく、長寿寺まで歩く。常楽寺の国宝三重塔と国宝本堂が遠くに見えた。
さらに山麓の道路を行く。
長寿寺
奈良時代に創建された1200年以上の歴史を持つ天台宗の寺院です。平安時代に再建された檜皮葺の本堂は国宝に指定されており、湖南三山の中では最も古い歴史を持ちます。ご本尊は子安地蔵菩薩。子宝・安産・長寿にご利益があります。また、藤原時代に刻まれた阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、丈六阿弥陀如来坐像は、「阿星山五千坊」と言われた、かつての長寿寺の隆盛を偲ばせます。
現在は、イロハモミジや草花が四季折々の彩を添える静かなお寺です。
(長寿寺公式ウェブサイト)
山門から参道を行く。
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市文 長寿寺多宝塔 鎌倉時代前期
概 要 塔は本堂の手前右側に、一見、寄せ集め塔のようにみえるが立派な多宝塔が立つ。
現状・規模 相輪を欠損する。現高約364cmを測る。
形 状 花崗岩製。塔の基礎は低平で薄い一段を造り出す。軸部は縦長で、下層上位には亀腹型を受ける部分を円形に造り出す。亀腹型は一石で造られ、首部は斗繰を付した方形石と同石で造られる。最上位には相輪に代わり宝珠が乗る。仁治二年(1241)銘の刻まれる菩提寺多宝塔に比して、ややまとまり感を欠する感を受ける。
(「日本石造物辞典」2012年12月10日 吉川弘文館)
その他石造物、鐘楼、南天など
国重文 弁天堂 室町後期 天文19(1550)
桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、正面軒唐破風付、檜皮葺
国宝 長寿寺本堂 鎌倉前期
桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、向拝三間、檜皮葺 厨子1基
三重塔跡あたり
白山神社本殿
国重文 白山神社拝殿 室町後期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺
参道を戻る。
帰途、門前の石仏群
蠟梅など
November,2022 大野木康夫 source
movie
駐車場から
門前
参道
中ほどの日の当たるところは紅葉の盛りですが全体的には少し早かったと思います。
本堂前
弁天堂付近
本堂
白山神社拝殿
三重塔跡に向かう途中から
帰路
門前
参道
本堂、弁天堂、鐘楼付近
白山神社
白山神社参道
参道
門前
駐車場
山門付近 参道 本堂(国宝) 弁天堂(重要文化財) 本堂付近の紅葉
A camera
白山神社
長寿寺
B camera
(東寺・湖南三山)
湖南市東寺5−1−1 常楽寺から東へ約1km、阿星山の北東麓にある天台宗のお寺。一般には“東寺”の名で呼ばれ地名にもなっている。
山門をくぐり楓並木を進む。すぐに二手に分かれる。鳥居のある左側は長寿寺の鎮守社であった、白山比咩(ひめ)神を祀る白山神社の参道である。紅葉が続いて素晴らしい光景が見られる。
右側の参道も紅葉が素晴らしい。楓や松の並木道が続き、しばらく進むと、右側に石塔が見える。
かつては大伽藍が建ち並んでいたという境内は森閑としている。更に進むと正面に寄棟造りの国宝・本堂が姿をあらわす。長寿寺は奈良時代後期の天平年間(729~49)、聖武天皇の勅願により良弁僧正が創建した天台宗寺院である。
はじめ天皇には皇子がなかったので、良弁に祈請せしめたところ、良弁は長寿寺の東南、阿星山中の瀑布に籠って祈り、その結果、まもなく皇子の降誕をみるにいたった。
よって、聖武天皇は阿星の山麓に七堂伽藍と二十四の僧坊を建て皇子の生誕にちなむ子安地蔵尊を本尊にしたことにはじまると縁起に記されている。
一時衰えたが、平安時代のはじめに中興された。鎌倉時代初期には源頼朝が、室町時代には足利将軍家が諸堂を修造営した。
樹木を背にして建つ本堂が国宝に、池の中島にある弁天堂が重要文化財である。
山門
石造多宝塔
参道からそれて少し右手に入ると、市指定文化財で、巨大な鎌倉時代の石造物である。
下から基礎、そして四角な塔身(軸)、その上に軒石、そし饅頭型と首部があって、傘(屋根)は二石から成り立っている。
その上に今は宝珠がのっているが、もとは相輪だったと思われる。
石の多宝塔の遺例は極めて少ない。この付近では、廃少菩提寺址に仁治2年(1241)銘の石造多宝塔がある。
弁天堂
1550 年:建築
国重要文化財:建造物:指定 1952・03・29
桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、正面軒唐破風付、桧皮葺
境内に一歩踏み込む。正面の本堂に向かって右側に大きな池があり、夏から秋のはじめころには美しい睡蓮が咲く。
その池の中島に弁才天の小堂が建っている。ほぼ真四角な堂で、規模は小さいが、仏堂としては本格的な建築とされる。
古材の墨書銘から天文19年(1550)の造立と見られる
収蔵庫
本堂右手に近年建てられたもので内部には座高約3mもの丈六阿弥陀坐像(国重要文化財)やその他の藤原時代の仏像や国重文の絵画などが納められている。
本堂
1274年:建築
国宝:建造物:指定 1898・12・28 鎌倉時代初期
常楽寺の巨大な威圧されるような本堂に比べると、長寿寺の本堂は何か親しみやすい小堂の感じがする。
桁行五間(正面)、梁間五間(側面)、一重、寄棟造、向拝三間、檜皮葺、四面廻廊 附 厨子1基
天台伽藍は普通入母屋造が多い中で、寄棟造りである。屋根も低くて威圧感がない。廻廊が四方をぐるりと巡っているのも他と異なる。
平面は桁行五間、梁間五間と真四角な構成。つまり奥深い堂である。
正面は、中央三間分の大きな向拝柱が階段の中程に建っているのでどっしり落ち着いて見える。その中央三間には桟唐戸の入口左右には連子窓、内部は外陣、内陣に分かれている。前方の二間が外陣である。
外陣の化粧屋根裏や雄大な紅梁、その上の板蛙股などもすっきり美しい。
内陣と外陣との境を格子戸と欄間で仕切って、厳重な結界としている。
内陣は、柱間二間分、二本の遊離柱(来迎柱)を立てているのが特色である。
内陣の須弥壇上に、文明12年(1480)に作られた板葺の一間造春日厨子が置かれており、これも国宝に指定されている。
厨子内に本尊の子安地蔵尊と脇士の聖観音・毘沙門天の3像が安置されている。
厨子の左右には重文の釈迦如来と阿弥陀如来坐像が安置されている。
本尊は珍しく地蔵菩薩を祀り、中世の民衆信仰と深い接触を持っていたお寺と思われている。
須弥壇上供物台の裏面には貞治5年(1366)の修理に関する墨書が残されている。
秋の特別拝観にあわせて訪問した。薄暗い堂内は、内陣中央に国宝春日厨子、本尊は半丈六の秘仏子安地蔵像、厨子も大きい。
向かって右に半丈六の阿弥陀如来、左には丈六に近い金色の釈迦如来坐像がある。
本堂右背後の収蔵庫には像高約3mの阿弥陀如来坐像。全身に金箔を張っており、圧倒的な存在感のある仏である。
三重塔跡
近江の主要な天台系の伽藍には、必ず三重塔を配するのが堂塔配置の常である。
長寿寺の三重塔は、本堂に向かって左後方の叢林中にあったとされる。
三重塔跡の案内通り、やや登りの小道をたどると礎石が並んでいた。広さは約6m四方ほどと思われる。
この三重塔は、天正3年頃、織田信長により他所へ移された。安土城の摠見寺三重塔がそれに当たるものだとされている。
この摠見寺の塔婆には四天柱などに墨書銘が残っており、室町初期の建物と推定される。
摠見寺(安土城址内)の三重塔
寺の由諸書によると、甲賀郡から移築されたとあり。礎石配置、平面規模から長寿寺の三重塔とされる。
柱に享徳3年(1454)の墨書があるとされ、15世紀中期の建立とされる。
織田信長の命により移築された。
秘仏の本尊木造地蔵菩薩以外に、指定の国重要文化財の仏像3躯が安置されている。参考資料:「滋賀県神社誌」、「歴史と文化 近江」「総覧 日本の建築」「近江歴史散歩」「パンフレット」より抜粋
Nov.2009 撮影:瀧山幸伸 source movie
1st camera
2nd camera
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