滋賀県湖南市 常楽寺
Jorakuji,Konan city,Shiga
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湖南市西寺6-5-1 常楽寺三重塔 国宝 近世以前/寺院 室町中期 応永7(1400) 三間三重塔婆、本瓦葺 丸瓦及び平瓦1個 19010327 19530331
湖南市西寺6-5-1 常楽寺本堂 国宝 近世以前/寺院 室町前期 延文5(1360) 桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺 厨子1基 18981228 19530331
November,2022 大野木康夫 source
movie
紅葉の盛りでした。
本堂前
本堂の左手へ行くと紅葉の盛り
御住職が切り開かれた道を登るとドウダンツツジが真っ赤になっていました。
再び本堂前
Nov.18,2018 瀧山幸伸
本堂前
本堂左手、三重塔下
三重塔付近
本堂右手へ
本堂前
三連休最終日も紅葉の常楽寺、団体観光客も含め、多くの人が訪れていました。
本堂(国宝)
三重塔(国宝)
再び本堂
坂を上って三重塔から本堂裏手
最後にまた本堂、下から三重塔
A camera
B camera
(西寺・湖南三山)
湖南市西寺六丁目5−1
天台宗常楽寺は山間の小広い谷間にある小村に佇んでいる。近年道路が整備され大型バスも乗り入れできるようなった。
ささやかな山門の先に一直線の参道がのびる。石橋を渡ると左側にはツツジが蜜植されており、右側には本坊の建屋がある。
そして正面には壮麗な本堂が建つ。その左側には凛々しく天を仰ぐ三重塔が建つ。
紅葉は全域にひろがるも、広い境内の温度差で、青、黄、赤と様々な色合が重なった美景を呈する。常楽寺は長寿寺のから北西約1kmにある天台宗のお寺。湖南三山の中心でもある。
奈良時代中期の和銅年間(708〜15)良弁僧正が開基したと伝わる。
常楽・長寿二つの古刹の南に阿星山(あぼしやま)という標高693mの山がある。
天平・奈良時代には、この山を中心に寺々が林立し、巨大な宗教圏を作っていたとされる。
ちなみに両寺の山号は今日でも阿星山である。
聖武天皇は、この山の南東に紫香楽宮を造った。常楽寺は長寿寺とともに紫香楽宮の鬼門鎮護とされた。
両寺とも初めは法相宗に属したが、平安初期の延暦年間(782〜806)、天台宗に改めた。
平安〜鎌倉時代には、皇室・武門の帰依をうけて寺運は隆盛した。
延文5年(1360)、火災で焼け落ちたが、その年に観慶らによって再建された。
このことは残された本堂、塔、二十八部衆群像などの復興勧進帳によって明らかである。
その当時建てられた姿をそのまま今に伝えている。近江における重要な天台伽藍の本堂はみな意外に大きい。
叡山では西塔の釈迦堂、三井寺の弥勒堂(金堂)、この近くでは善水寺本堂それに長寿寺・金剛輪寺・西明寺の国宝本堂など、皆奥行きの非常に深い天台式の堂宇である。
ここ常楽寺の本堂も同様に大きい。
堂内は写真撮影禁止である。柱や梁、その他部材に至るまでの古材の太いこと。それらが重なり合っている。まさに頑丈そのものだ。
薄暗い内陣・外陣には重要文化財の仏像が所狭しと並んでいる。長寿寺も善水寺も同様である。独特の雰囲気である。
境内域は約6,300㎡、山門に続く木立の参道の奥に、国宝指定のどっしりとした本堂や、華麗な三重塔が建っている。
山裾の小道には西国三十三霊場の観音石仏が立ち、お参りを待っている。
山門
室町時代の建築であったもともとの山門は、織田信長の命で、近世初期園城寺の表楼門として移築された。
礎石のみが残ったその上に、以前とは比較にならないお粗末な山門が建てられた。
本来の薬師如来は盗難に合い薬師堂は空であった。このため、この薬師堂に見合った薬師様を自社の釜で作られ奉納された。
信楽焼立像:像高:74cm 作者:島林生貢
また、元々あった十二神将は本堂外陣でお祀りされている。
常楽寺は無住であるため、数体の仏像が盗難に逢っている。今は住職が約2kmはなれた所から通っている。
本堂
1360:建築
国宝:建造物:指定 1898・12・28
桁行七間、梁間六間、一重、寄棟造、向拝三間、檜皮葺 附 厨子 1基 一間厨子、入母屋造、板葺
桁行(正面)は、その柱間が七つあること。梁間(側面)は、その柱間が六つあること。つまりほとんど平面が正方形に近い。
奥行の非常に深い堂である。
外観は、正面の柱間中央五間に格子造りの蔀(しとみ)戸をはめ、その左右は連子窓(れんじまど)とし、束(つか)や二手先の組物などもすべてが純和様の様式であるが、側面に廻ると棧唐戸(さんからと)を用いている。
廻廊が側面の柱間二間分(外陣の部分)で終わっているのも近江天台伽藍の特色の一つとのこと。
これは内陣や後陣で行われる宗教儀式や、その神秘な精神世界が廻廊を歩む足音で乱されないという心配りからであろうとされる。
中に入るとまず前通りの二柱分が外陣である。正面には内陣を仕切る美しい上下二段の吹き寄せ格子(上段は欄間・下段は戸)が目につく。
上段は菱格子で変化をつけ、中央に鰐口をかけている。
天井を見上げると格天井(ごうてんじょう)に雄大な紅梁が力強い構造美をみせる。
正面の柱間三つ分には大きな須弥壇が構築されて、壇の中央には建物とともに付属指定されている板葺寄棟造りの厨子が安置されている。
本尊は秘仏。鎌倉時代初期の制作による先手観音菩薩坐像で国重要文化財である。
軒端のそりが美しい。どっしりと立って、古寺らしい落ち着いた佇まいを感じさせる建物である。
最近の大修理は昭和15年夏から昭和16年の夏にかけての約一年を要した解体修理が塔とともに実施されて今に及んでいる。
秋の特別拝観にあわせて訪問した。本尊は重文の千手観音菩薩。毘沙門天と不動明王を脇侍に国宝厨子へ秘められている。左右に二十八部衆、風神(1980年盗難)、雷神、合わせて30近い重文の群像が居並らぶ光景は圧巻である。
須弥壇裏に藤原時代の重文釈迦如来坐像と普賢・文珠の二菩薩がほの暗い中に正座されている空間は安らかにおもえた。
三重塔
1400:建築
国宝:建造物:指定 1901・03・27
三間三重塔婆 本瓦葺 附 丸瓦及び平瓦 各1個
本堂の左手後方、一段高い山腹にある、瓦に応永7年(1400)の記名が残っている。
外観はまわりに縁をめぐらせ、正面に階段、初重は四方とも柱間三間で、その中央に板戸、左右に連子窓、組物とともに純和様の構造である。
すぐれた形姿で、背後に迫る樹林とよくマッチして、その端正な姿をそばだたせている。
西国三十三霊場の観音石仏(三十三体)巡り
三重塔・本堂の周りに奉ってある。全てをお参りすると、近江西国を一周しただけの御利益があるかも知れないとされる。
一部山道となっている。所要時間は約15分。
少し登りもある。一番高い所からは、三重塔や本堂を見下ろすことになる。紅葉に彩られた木々が堂や塔と重なって織り成す景色は
文句なしに美しい。
国重要文化財:建造物:指定
本堂前に立つ一本燈籠、花崗岩製、高さ2.6m、竿に「応永十三年(1406)・・・」の造立銘がある。
堂々とした力強さを持っている。
本堂に向かって右方には石造宝塔(塔身を欠失する)の残欠が積み重ねられている。
基礎の格狭間に彫った三茎連(さんけいれん)は近江の特色を表した様式で美しい。南北朝ごろの宝塔とされる。
西寺区において昭和55年(1980)から平成2年(1990)まで大規模な地元基盤整備が行われた。その整備地に祀られていた多くに
地蔵をここに安置した。現在は225基祀ってある。
地蔵は室町時代から江戸時代のもので、子どもの供養の地蔵以外に、夫婦の健康を祈願した夫婦地蔵もあった。
慶長6年(1601)徳川家康の命を受けて三井寺へ移築した。
重厚壮麗な山門である。
三間一戸楼門、入母屋造、桧皮葺 建立:宝徳4年(1452)
木造千手観音坐像
国重要文化財:彫刻:指定
本尊は秘仏。頭上に化仏をのせ、本手、脇手合わせて40本、寄木造、彫眼、内刳の古像とのこと。
これ以外にも、指定の国重要文化財の仏像や美術工芸品が多数保存されている。参考資料:「滋賀県神社誌」、「歴史と文化 近江」「総覧 日本の建築」「近江歴史散歩」「パンフレット」「近江歴史散歩」より抜粋
Nov.2009 撮影:瀧山幸伸 source movie
1st camera
2nd camera
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