滋賀県湖南市 善水寺
Zensuiji,Konana city,Shiga
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湖南市岩根3518 善水寺本堂 国宝 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、檜皮葺 厨子1基 18990405 19540320
November,2022 大野木康夫 source
movie
長寿寺から善水寺に向かう途中の踏切
境内入口付近の紅葉風景
本堂
本堂手前の紅葉
本堂をもう一度撮影
庭園の紅葉
背後の山
滋賀県湖南市3518 宗派:天台宗 本尊:薬師如来(秘仏 重要文化財)岩根山の中腹にあり、国道1号線からも巨大な本堂(7間×5間」の屋根が見える。
甲賀郡内の諸寺が織田信長の焼き打ちに遭い、他宗に転じたり廃絶したなかに、ここだけは天台宗の伝統をその伽藍の本尊形式に残し伝えているのは貴重である。
常楽寺・長寿寺・善水寺を湖南三山と称し、甲賀の三名寺、それに檪野寺を加え甲賀四大美術寺院という。町道から通じる参道から入る。急坂である。入門する。山を抜けると桜が迎えてくれる。
観音堂
1696(元禄9)年建立 甲賀札所二十一番の聖観音を安置する。 東側の大岩に不動明王が刻まれている。
僧坊跡推定地
元三大師堂
江戸時代 1713(正徳3)年再建
本堂 国宝
南北朝時代 1366(貞治5)年再建 天台密教仏殿 優雅で重厚である。
屋根の曲線が美しい
中央に立派な厨子、その中に本尊薬師如来が安置されている。日光・月光両脇侍が左右に、前面に二十八部衆、両側に四天王が安置され、群像が多くにぎやかである。
本堂(国宝)周りの紅葉が鮮やかでした。
A camera
観音堂
B camera
滋賀県教育委員会資料
Dec.2009 撮影/文: 中山辰夫
善水寺( ぜんすいじ ) (湖南三山)
湖南市岩根3518 天台宗国道1号線から十二坊温泉に通じる新しい道を走る。標識に従って右の林道をそれると広い善水寺の駐車場に出る。(車が一番便利である)
善水寺は、標高約405.5mの岩根山の中腹にデント構えている。
ここ岩根山には、かつて天台の修行場として十二の僧坊があった。
また隣の菩提寺山には信長に焼かれるまで、三十六坊を有する小菩提寺があった。
阿星山五千坊と岩根山の寺々は、根源の部分で良弁僧都とつながっていたと思われる。
善水寺は石部の東寺・西寺と並ぶ巨大な本堂と遺宝群を擁する天台の大伽藍で、合わせて湖南三山と称する。
元亀の兵火によく焼けずに残ったものである。
奈良時代の中期、和銅年間(708 ~ 714)に国家鎮護の道場として建立され和銅寺と総称された。
平安時代に最澄が入山。延暦寺の別院諸堂を建立し天台宗に改めた。また、桓武天皇が病気になり、最澄が法力で霊水を献上して直ちに平癒したことから善水寺と寺名に改め、比叡山の別院となった。
岩根山麓には奈良時代創建と伝える正福寺、少菩提寺(現廃寺)が隣接し、野州川対岸には大菩提寺(栗東市金勝寺)、長寿寺、常楽寺 (湖南市)などがあり、当地域が早くから南都系寺院によって開発されたことが推察される。南北朝時代の延文5年(1360)に焼失したが、貞治3年(1364)院主延海阿闍梨が再建した。現在の巨大な本堂はこの時のものである。
寛永(1624〜44)の頃、上野寛永寺の直末となったが、寛文年間(1661〜73)より無住となり荒廃したという。本堂は豪快というか、骨太の建造物でドッシリと構え、何者も受けて立つ気概に満ちているように感じた。堂内は僧職が案内してくれる。
堂内や縁に対座しているだけで、心が落ち着くのを感じた。
境内は広く、樹木に囲まれ、特別な世界を構成している。
本堂が国宝である。内陣・外陣に見事な大柱が林立していること。それらが黒っぽくくすんでいる。これは湖南三山に共通している。
内陣・外陣では重要文化財に指定されている多くの仏像が迎えてくれる。
境内には多くの諸堂が建立されている。
昭和22年(1947)に屋根葺替工事が行われたが、終戦直後の資材難の時であり、桧皮葺耐用年数が比較的短いこともあって、善水寺の要請で昭和49〜50年(1974〜75)に屋根の全面葺替とその他補修が行われた。
元三大師堂
江戸時代 正徳3年(1713)再建
本尊元三慈恵大師良源大僧正の等身大尊像を安置する。
「元三大師堂」は比叡山横川中堂近くにも建立されている。良源僧都の住房跡で、康保4年(967)以降、毎年四季に法華経の論議が行われている。
良源僧都は諸々の伝がある。俗称の元三は、彼の命日が正月三日であることによる。
霊水場
桓武天皇の病気平癒を祈祷し、満行になってこの霊水を天皇に献上したところ、病気忽ちにして平癒されたと伝わる。
六所権現
国宝・本堂
貞治6年(1366)建立
国宝:建造物(1392): 指定 1899・04・05
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺、附 厨子 1基 一間厨子、入母屋造、こけら葺
堂々たる大建築、元亀の兵火によく焼け残ったものである。
貞治3年(1364」に延海が復興し、貞治5年(1366)に本堂が再建された。天台伽藍特有の広い内陣をもつ平面である。
内部は内陣と外陣とに分かれ、その境を菱格子で仕切っている。
内陣は小組格天井で、中央の須弥壇上に一間厨子(国宝)をすえている。厨子の正面上方に檜扇形懸仏三面がかけてある。
秘仏である本尊の木造薬師如来坐像(重文)は厨子に安置されている。厨子の左右に日光・月光の両脇侍(ともにに重文)を置き、他に二十八部衆や四天王などの群像がこれを取り囲んでにぎやかである。
本堂の裏堂には、頭に異形の宝冠をのせた兜跋(とばつ)毘沙門天立像(重文)や旧山門の金剛力士像2体(重文)、僧形文殊像(重文)などがおかれている。いずれも平安時代のものである。
本殿正面石階段
耳石の側面に享保11年(1726)の刻銘がある。この年に改められた。
観音堂
元禄9年(1696)、東尾観音堂を中尾岩蔵院旧跡に移し、丈六観音像を修理し安置する。
磨崖不動明王−不動岩
善水寺から少し南の谷間に入ったところに巨大な花崗岩がある。その露頭に不動尊を刻み、建武元年(1334)三月の銘が彫ってある。
仏像関係
薬師如来坐像・・・・・・国重要文化財
本尊である。平安時代中期の作 像内に正暦4年(993)の造像結縁交名一紙などが納められている。
その他に、国重要文化財指定の9躯の仏像が安置されている。
これら諸尊の配置形式が延暦寺根本中堂の諸尊配置を推測する上で重要とされ、本堂の建築様式を含め初期天台宗寺院の寺観を知る上で貴重とされる。参考文献:≪近江文化財散歩、甲西路を行く、歴史と文化 近江、善水寺本堂修理報告書、近江から日本史を読み直す≫
1st camera
2nd camera
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