Japan Geographic



学びの旅 ~文化財でまちおこし

瀧山幸伸 Feb.2009

日本には幅広い分野の文化財が数多くあるのだが、その中のごく一部がまちおこしに貢献しているに過ぎない。全国各地、観光に直結するはずの「史跡・名勝・天然記念物」や「重要伝統的建造物群保存地区」なども残念ながらあまり認知されていない。文化財が持つまちおこしの潜在力とその活用策について探ってみよう。


1章 イントロ ~旅と文化

街道の旅

奥の細道、中山道、四国遍路など、全行程制覇のため複数回に分けて旅を重ねる人々が増えている。
軽井沢の追分、中山道と北国街道との分去(わかされ)に中山道資料館という小さな建物ができた。
館長の岸本さんは、徳島の高校で地理を教えておられたそうだが、中山道研究が高じ、「中山道69次を歩く」という本をまとめられた。
さすが地理の先生だけあって、一般の旅行ガイドとは全く異なった「学習教材」としての編集で、それぞれの宿場ごとに地形図付きの詳細な解説と写実的な写真を配し、広重など当時の浮世絵師が描いたであろう地点と方角を推理している。
現地でのガイドブックとしても重宝するし、旅行の予習復習にも楽しい。もちろん本だけでも大いに楽しめる。
彼は本の執筆だけでは飽き足らず、退職後この地に移住し、なんと自費で資料館を建設してしまったのだ。
館内には、本では紹介しきれなかった膨大な収集品、各宿場に関連する特産物など、これまた学習教材として楽しめるアイテムが所狭しと展示されている。
岸本さんに巡り合ったのは、2005年春、資料館オープン後間もない日であった。
当時、私自身「中山道学びの旅」と題して、旧中山道を調査していた。
旧中山道を踏破し、各宿場内のみならず全ての道中風景をハイビジョンビデオで記録し、ハイカーの道案内としてはもとより、失われるであろうこの瞬間の景観を百年千年先への遺産として残しておきたいと考え、始めたものだ。
車のダッシュボードにビデオカメラを据え、ゆっくりと旧中山道を走る。美しい街並や田園風景が刻々と変化する沿道には、教科書に登場する史跡なども多く、社会科や理科で丸暗記していた地名や事物が現地の地理と重なり、いまさらながら現地体験を通して理解することの素晴らしさを感じる。
最近再訪してお話を伺ったところ、入館者数も、目の前の中山道を歩く人の数も、年を追うごとに増えているそうだ。
本の改定版が出ていることからも人気のほどがうかがえる。


古典文学に登場する「日本」の旅

古典好き歴史好きには、文学の登場人物ゆかりの場所を訪ねる旅は楽しい。
「日本古典文学大系」や「日本古典文学全集」は、このような知的な旅のための宝庫で、宝がどこに隠されているかを推理しながらのミステリーツアーに役立つ。
奥の細道においては、今さら取り上げる必要もないほど旅行者が多い。
時代を遡って、万葉集の旅、古事記の旅、土佐日記の旅、西行の旅、伊勢物語の旅なども興味深い。
藤原定家が著した熊野御行記(国宝、三井美術館蔵)を頼りに、京都から熊野、そして伊勢への旅も興味深く、調査を重ねて5年目を迎えている。
世界遺産登録以降、熊野古道を歩く人は多いのだが、ほとんどの人が紀伊田辺から熊野本宮までの一部区間、中辺路だけ。
定家が天皇に随伴したように、熊野詣りは、京都を起点に舟で大阪四天王寺へ、そこから難波、紀伊経由で熊野を目指していた。
途中には和歌の浦紀三井寺、熊野路第一の美景と謳われた御所の芝、枕草子の舞台となった長保寺、謡曲歌舞伎で有名な道成寺など、言葉で知ってはいるが現地を知らない文化財が多い。
紀伊熊野路の一部は舟を利用するルートもあったそうで、それを疑似体験するためわざわざ長距離フェリーに乗船し海から紀伊半島を眺めることもやってみた。やはり海からの風景は格段に美しい。
また、南北朝ゆかりの吉野吉水神社を経由する大峯馳路高野山を越えて熊野に参詣する小辺路も深山の趣が愉しめる。
熊野からはさらに熊野古道伊勢路へとつながる。江戸時代の伊勢講は現代の慰安旅行のように俗化されていたが、平安文学から南北朝までの世界はかなり違う。
嵯峨野の野々宮は源氏物語ゆかりの神社で、「賢木」の、源氏が伊勢斎宮の姫君と共に住む六条御息所を訪ねる描写はしっとりと味わい深い。都から伊勢まで、伊賀を経由する伊勢本街道経由で訪ねるのも、途中に北畠ゆかりの地あり、旧い街並ありと、大変興味深い。


外国人が見た「ニッポン」の旅

代表として三人の名前が挙げられる。
戦前に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウト。彼の日記を頼りに、彼が旅行した地を巡る旅も比較文化の題材として好適だ。
彼の個人アルバムには、古き良き日本の風景と人々をとらえた写真が多い。 有名な渋谷ハチ公も当時は現役で写っている。
この秘蔵アルバムを発掘し、「タウトが撮ったニッポン」を著した武蔵野美術大学の酒井さんと東京造形大学の沢さんは、予想外の本の売れ行きにびっくり。出版元の大学もまたびっくり。
明治初期に東北と北海道を旅行し、「日本奥地紀行」を著したイザベラ・バード。彼女に的確なアドバイスを与え、「明治日本旅行案内」を編集した英国公使アーネスト・サトウらが見たニッポンの各地。「サトウ」はスラブ系の姓で、日本の「佐藤」に通じるので得をしているが、日本人以上に日本通だった。
明治末期、陸軍のお抱え写真家だったポンティングが著した「この世の楽園・日本」。彼が訪問した美しく文化的な土地など、古今東西の視点で比較検討できる地はたくさんある。


数合わせと文化財

百選、三十六景、三十三か所、八十八か所巡り、八景、三景のように、日本人は数字コレクションが好きだ。
これらの数合わせはほとんど皆、文化財という価値が土台となっている。
百選を見てみると、観光地百選シリーズはさておいて、名水百選、かおり風景百選、 日本の音風景百選など、五感を堪能させる百選に登場する地のいくつかは訪問に値する。
「八景」の思想は、宋からの伝来ではあるが、万葉集や枕草子など、古来より日本人に刷り込まれた風景観、自然観と融合し、日本文化の基本となっている。

数合わせの中には、「日本三大がっかり」というパロディがある。
札幌時計台日光眠り猫土佐はりまや橋だそうだが、果してこれらはほんとうにパロディなのだろうか。
観光的に見ると、写真が立派すぎるため、現地に行ってみてスケールの小ささを実感するとそうなのだろう。
だが、これを文化財的な視点で見ると、とても素晴らしいシリーズの一つなのだ。
札幌時計台は、「旧札幌農学校演武場」という正式名称である。北海道大学内にある第二農場、旧札幌農学校のいわゆるモデルバーン(模範農場)や北海道大学植物園・博物館などとセットとなる国の重要文化財であり、クラークを教頭に迎えた当時の面影を残す貴重な遺産であり、 札幌に残された開拓時代の施設を巡る学びの旅人にとっては、この時計台の評価はおのずと違ってくる。有名な「少年よ大志を抱け」という別れの言葉を残した島松駅逓所とともにクラークゆかりの地を訪ねる人には全く違う価値なのだ。
眠り猫も、世界遺産「日光の社寺」として指定された百近くの国の重要文化財の一つ「東西回廊,潜門」の主要彫刻であり、長崎崇福寺第一峰門など数多くの彫刻装飾技法との比較が興味深く、世界遺産や建築巡りが好きな人には意義深いものであるし、寺社建築の彫刻を楽しむ人にとっては、諏訪大社などとともに訪問のたびに新しい発見がある貴重な文化財だ。寺社の蛙股彫刻の主題となっている人物や動物は見ていて飽きない。
はりまや橋は、よさこい節に登場する竹林寺の僧、純信が、鋳掛(いかけ)屋お馬に髪飾りを買ったという悲恋の地である。その竹林寺を訪問すれば、山頂に屹立し、純信の破戒がありえそうなほど高潔な学問所としての伽藍群が体で理解できるし、関連する高知城へも山内家長屋へも土佐神社へも行きたくなり、次から次へと興味は尽きない。そもそも「よさこい節」とは山内一豊が高知城を築いたとき、 その工事場で唄われた木遣り節(ヨイショコイの掛け声)が変化したものだそうだ。龍馬ファンがゆかりの場所を旅するのと同様だ。
このように、既存の観光旅行ガイドから一歩距離を置き文化的な視点を持つことにより、違う世界が見えてくるのではなかろうか。

日本人特有のコレクター趣味というか、求道主義というか、ストイックに全て制覇することに価値を置く人々がいる。
鉄道にあっては、全駅全路線制覇などだが、ほかにも、灯台ばかり訪問している人、トンネルや峠や橋ばかり追いかけている人など、ちょっと変わった人に出会うことも多いが、これ皆コレクター癖のなせるところだろう。
自分が興味を持つ分野でシリーズ化し、全て制覇した時の喜びは何物にも代えがたい喜びだ。また、それを仲間と共有できればなお嬉しい。往々にして家族や周囲には迷惑だが。
ちなみに、私は「日本の街並百選」を毎年更新している。百選に漏れた街並予備軍は約十倍あり、いずれも僅差なので、文化的な潜在価値を重視し、地元の方々のわがまち再評価に役立ちたいと願っている。
小樽小布施などのまちづくりまちおこしの定番以外にも素晴らしい街並はたくさん眠っている。


2章 偉大なまちおこし資源「文化財」

観光の原点「文化財」 ~外国人にはたまらない
「名勝・天然記念物」のニホンカモシカも縄文杉も文化財 

 文化財とは何か。文化庁によると平成20年12月1日現在の種類と件数は下記のとおりである。屋久杉、ニホンカモシカなどの貴重な動植物も「文化財」と言われてもピンと来ないが、天然記念物として保護されている文化財だけでも千件もある。
(資料:文化庁)


 


 
 


3章 世界遺産と文化財

現在、世界遺産に登録されている対象はこちら。世界遺産の対象は文化財的価値があることが推奨されている。

【北海道】知床
【青森県、秋田県】白神山地
【栃木県】日光の社寺
【富山県、岐阜県】白川郷・五箇山の合掌造り集落
【京都府】古都京都の文化財
【奈良県】古都奈良の文化財
【奈良県】法隆寺地域の仏教建造物
【奈良県、和歌山県、三重県】紀伊山地の霊場と参詣道
【兵庫県】姫路城
【広島県】原爆ドーム
【広島県】厳島神社
【島根県】石見銀山遺跡とその文化的景観
【鹿児島県】屋久島
【沖縄県】琉球王国のグスク及び関連遺産群

暫定リストに記載されている対象はこちら。

【岩手県】平泉-浄土思想を基調とする文化的景観
【群馬県】富岡製糸場と絹産業遺産群
【東京都】国立西洋美術館本館 (ル・コルビュジエの建築と都市計画の一部として)
【東京都】小笠原諸島
【神奈川県】古都鎌倉の寺院・神社ほか
【山梨県、静岡県】富士山
【滋賀県】彦根城
【奈良県】飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群
【長崎県】長崎の教会群とキリスト教関連遺産
北海道・北東北の縄文遺跡群
九州・山口の近代化産業遺産群 -非西洋世界における近代化の先駆け-
【福岡県】宗像・沖ノ島と関連遺産群

 さらに、暫定リストには記載見送りとなったが、全国各地から提案されている候補は以下のとおりで、その傾向が把握できる。文化遺産においては、単独の候補よりも、宗教的思想的背景のもとに共通のテーマで広域連携している提案が採用される傾向になると予測される。

【北海道】北海道東部の窪みで残る大規模竪穴住居跡群
【宮城県】松島 -貝塚群に見る縄文の原風景
【山形県】最上川の文化的景観 -舟運と水が育んだ農と祈り、豊饒な大地
【茨城県】水戸藩の学問・教育遺産群
【栃木県】足尾銅山 -日本の近代化・産業化と公害対策の起点
 足利学校と足利氏の遺産
【埼玉県】埼玉(さきたま)古墳群 -古代東アジア古墳文化の終着点
【新潟県】金と銀の島、佐渡 -鉱山とその文化-
【富山県】立山・黒部 -防災大国日本のモデル 信仰・砂防・発電
 近世高岡の文化遺産群
【石川県】城下町金沢の文化遺産群と文化的景観
【福井県 岐阜県】霊峰白山と山麓の文化的景観 -自然・生業・信仰
【福井県】若狭の社寺建造物群と文化的景観 -神仏習合を基調とした中世景観
【長野県】日本製糸業近代化遺産 -日本の近代化をリードし、世界に羽ばたいた糸都岡谷の製糸資産
 善光寺と門前町
 松本城
 妻籠宿・馬籠宿と中山道 -夜明け前の世界
【岐阜県】飛騨高山の町並みと祭礼の場 -伝統的な町並みと屋台祭礼の文化的景観
【京都府】天橋立 -日本の文化景観の原点
【大阪府】百舌鳥・古市古墳群 -仁徳陵古墳をはじめとする巨大古墳群-
【鳥取県】三徳山 -信仰の山と文化的景観
【岡山県】近世岡山の文化・土木遺産群 -岡山藩郡代津田永忠の事績
【山口県】山口に花開いた大内文化の遺産 -京都文化と大陸文化の受容と融合による国際性豊かな独自の文化
 萩 -日本の近世社会を切り拓いた城下町の顕著な都市遺産
 錦帯橋と岩国の町割
【徳島県 高知県 愛媛県 香川県】四国八十八箇所霊場と遍路道
【熊本県】阿蘇 -火山との共生とその文化的景観
【大分県】宇佐・国東 -「神仏習合」の原風景
【沖縄県】竹富島・波照間島の文化的景観 -黒潮に育まれた亜熱帯地域の小島


4章 眠っている文化財 

小予算で地元への誇りを。まちおこしの「お宝」は足元にある

現在、国の文化財だけでもその数は二万五千近くにのぼる。秘蔵されている文化財もあるので、全てがまちおこしに役立つわけではないが、今すでにそこにあり、新たなまちおこし予算はそれほど必要ないという点が大きなメリットだ。
また、地元の人が身近な文化財の価値を再認識することにより、地域への誇りが生まれ、まちおこしの機運が高まるのではなかろうか。
実例として、群馬の須川宿。石仏とたくみの里(民家を利用した体験型施設群)として脚光を浴びているが、20年ほど前の石仏巡りイベントが発端であり、民話、養蚕農家の豪壮な建築、宿場の街並などを都会人が評価したことで、はじめて自分たちが貴重なまちおこし資源を持っていることに気がついた。さらに良いことに、まちおこしの機運を受けて街並み整備の補助金が交付され、古い宿場の動態保存が活気づいた。訪問客の増加とともに体験型施設が増え、正のスパイラルが生まれていった。
自分たちには何もないと思いこんではいけない。豊後高田では、商店街の近代的な看板をはがして「昭和の街並」を復活させた。この街並も百年後には文化財(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されているだろう。予算がなくてもまちおこしの「お宝」は足元にあるのだ。

文化財の共通テーマよるネットワーク化がカギ ~「文化財でまちおこし」のポテンシャル例

単独では興味が薄い文化財であっても、複数が同じテーマでネットワーク化されることにより、謎解きのような興味が湧いてくる。文化財の広域連携は、今回制定された「観光圏整備法(観光圏の整備による観光旅客の来訪及び滞在の促進に関する法律)」が有効に進化する重要な要素となろう。

例えば、街並で言えば飫肥を含む50のまちの「小京都ネット」という連合体があるし、文化財的視点も加え北海道内各地から50か所ほどを選定した「北海道遺産」シリーズという興味深い試みもある。マスコミとタイアップしたキャンペーンも奏功し、それらを順に巡る旅人も多い。この例に倣えば、「うだつの街並ネット」や「北前舟の港町ネット」「中山道木曽十一宿ネット」などが組成できるのではなかろうか。そうなれば、訪問者の回遊化によるまちおこし効果も上がるだろうし、関係地域間の交流も活発となり、まちおこし戦略も明確になると思われる。
単なる農村風景であっても「日本昔ばなしの里ネット」とでも名付ければ、道端になにげなく佇む石仏やほこら、大木や動物にも文化財的な価値が生まれてくるのではなかろうか。例えば、親不知で有名な糸魚川の「山姥の里」。何の変哲もない山村のようだが、謡曲山姥との縁で、何か貴重な歴史や昔話があるのではないかと思えてくるのが不思議だ。実際現地で地元の人にお話を伺ってみると、波にさらわれて危険な親不知の裏街道としての歴史と経済文化がいろいろわかってくるのだ。

文化財のネットワーク化」のアイデア例

以下に例示するのは、あまり有名ではないが、今後シリーズ化が可能だと思われる文化財の「共通テーマ例」を北から順に挙げたものである。実地調査のデータベースに基くものであるため、全ての文化財を網羅しているわけではないが、地域をまたいだ「文化財でまちおこし」のポテンシャルを感じ取っていただければ幸いである。
内容は省略したが、表題だけで複数の候補地が浮かぶ方は相当な文化財通であり、まちおこしの一翼を担うにふさわしいのではなかろうか。
奥の細道などと同様、あたりまえと思われる共通テーマだが、連携運動はこれからだ。世界遺産提案とあわせ、地元の人々の広域連携を目指す活動に期待したい。

北海道開拓の黎明期
近代化遺産 北海道の産業発展
蝦夷と和人、経済と文化
北海道東北の擦文、縄文文化遺産(環状列石と洞窟壁画)
自然の中の自然(鳥、自然林、湿地、湧水など観光化されてほしくない自然)
弘前の寺社と庭園群
弘前の洋館群とキリスト教布教
日本の霊地(山岳宗教など)
農村経済と天災危機管理、公益事業の歴史
隠れキリシタンと迫害(日本三大殉教の地)
津波と生活
文化財の桜(天然記念物と名勝に指定された桜)
街道と宿場、関所
廃鉱の街
マタギの習俗
上杉鷹山の偉業とイザベラバードが桃源郷と感動した置賜
鶴岡の文化(藤沢周平などが取り上げた封建的価値観と社会構造の背景)
置賜桜回廊
林業で栄えた町と文化
湯治の原点
北前舟の港と文化
福島の桜
会津藩の文化と信仰、戊辰戦争の悲劇
疎水の開発
カルスト地形と文化的景観
関東の物産と江戸通運
万葉の里
大谷石の文化
煉瓦による近代化遺産
関東武士と文化
高麗の郷(高麗人の歴史と文化)
房総の古墳群
江戸-徳川幕府の城下町
世界最大の商都江戸
幕末開国の激動
能登の自然と文化
福井の戦国時代遺跡
近代教育施設
身延信仰
隠し金山と隠し湯
松代、川中島、真田から佐久間象山、大本営までの歴史と景観
上田、真田、別所 塩田平周辺の文化的景観
遠山郷 秘境の生活と文化
絹の経済と文化(全国各地と世界の絹文化財を結ぶ国際横断的共通テーマ)
信州 農村の生活と景観 耕して天に至る、日本農耕の究極
信長、秀吉、家康の軌跡
富士の湧水
茶の経済と文化
伊勢参詣道(紀伊山地の参詣道と統合すべき)
各地の伝統工芸
商都大阪の経済と文化
寺内町、環濠集落
旧居留地
薬と葛の経済と文化
出雲風土記の文化と景観
吉備の文化と景観
べんがらの経済と文化
瀬戸内海 世界で最も美しいと称賛された内海の文化と景観
藍の文化
源平の合戦と水軍
金刀比羅宮と船運
今治の石塔と景観
リアス式海岸と段々畑
和ろうそく
林業、備長炭
農村風習(泊屋、舞台)
邪馬台国
長崎経由の中国文化
鎖国と貿易
石造橋
人吉盆地の文化と景観
石仏(国東半島以外)
薩摩麓(武士社会体制)
奄美大島の文化と社会、島津藩経済への影響
密貿易とアジア出稼ぎ
沖縄の伝統工芸と民俗芸能
沖縄戦の遺産


5章 文化財を巡る旅の効用 ~いちげんさんからおなじみさんへ 

まちおこし推進の立場での検討はこれくらいにして、訪問者の立場から検討してみよう。旧来の団体向けセットメニューの行動パターンから脱却する必要がある。
国の文化財でさえかなりの数だから、都道府県、市町村レベルの文化財を加えれば、訪問対象は膨大な数だ。これらは実際どのようなものだろうか。それらを全て訪ね歩くことは可能だろうか。美術工芸品などの文化財の中には一般公開されていないものも含まれているが、ほとんどの建造物、史跡名勝天然記念物は公開されているし、撮影も可能だ。
 このような文化財の旅では、現地の解説板や解説書が重要な役割を果たしている。寺社であれば、由緒書きの記述はもちろん、その寺社が保持する文化財の解説板は重要な手がかりだ。一つの解説板を学習することにより、まるで推理小説のように次の興味が開けてくるのだ。訪問地がある程度増えると「門前の小僧習わぬ経を読む」のことわざどおり、例えば寺社や城の建物が「特にここを念入りに見なさい」「この角度から写しなさい」「裏の森も見て行きなさい。この場所を選んだ理由がわかるからから」と呼びかけるようになる。こうなればがぜん知的好奇心が高まる。
 このように解説板を熟読すれば、見るべきポイントも分量も多く、一つの目的地での滞在時間が増えるし、リピーターとして何回も訪問することとなる。私の場合、休日しか時間がとれないが最低五回訪問するように心がけている。夜明け時、昼間、夜間では、その表情はもちろん、周囲の情景やその土地での人々の営みがまるで異なる。そして、祭りのような年に一度のハレの日と、どうしようもなくオフシーズンの日、都合五回だ。経験上、オフシーズンの日には土地の人もお坊さんも神主さんも暇で、訪問者は良い話し相手であり、ホスピタリティは最高だ。いろいろな昔話やとっておきの場所などの情報が貰えて嬉しい。
 文化財には中毒性と発見がある。人間の脳は大食いで、知的刺激を受けると、更なる刺激を求め、これが複合的に作用するため、脳の片隅に死蔵されていた学校での丸暗記情報が統合される。タテ(歴史)の比較と、ヨコ(地理)の比較を統合し、日本文化全体、あるいは世界文化との比較文化論が楽しめる。
例えば、浮世絵と印象派絵画の関連は多くの人が知るところだが、我々があこがれる舶来ブランド品などのインダストリアルデザインにおいても、幅広く日本の伝統的デザインがモチーフとなっていることが理解されると、「この商品のデザインはあの神社の装飾に似ている」など、新しい発見を伴う文化財探訪はこの上なく楽しいし、それが新たな日本発の価値創造につながる。また、邪馬台国の研究のように、文化がどのような経済基盤や自然環境によってもたらされたのかを現場で推理することも楽しいと思えるようになる。

 滞在時間と訪問回数が増えれば、団体観光客がガイドに率いられて短時間滞在するのとは全く異なる効果が期待される。経済効果が高い宿泊飲食需要が発生するし、地域の特産品の中でも「価値の高いもの」への購買指向性が高い人々が増える。経済効果以上に、地域の祭りや寺社の由緒、生活文化などを理解することにより、訪問者と地域住民との知的コミュニケーションが増え、地域住民の誇りを喚起し、まちづくり意識が高まる効果が期待される。文化財を愛する旅行者はいちげんさんではなくおなじみさんや観光広報大使になる度合いが高いのではなかろうか。


6章 産学官民連携の課題 ~まちおこし理念の共有

文化財は「共有価値」の醸成に寄与する効果が大きいのだが、課題も多い。
せっかくの旅先で、一つの解説板の糸をたぐって違う土地に飛んでしまったのでは、テレビ番組やウェブならいざ知らず、現地での時間と予算が限られている旅人には効率が悪い。そこで、数ある文化財の中から、個人の興味分野に絞って解説板などの情報をジャンル別に整理し、時間と予算に応じてオリジナルの訪問リストを作ることを想定してみよう。
このような知的な旅行計画書の作成は旅行代理店ではなかなか対応できない。アメリカのAAA(全米自動車協会)などではボランティアによる相談や行程表作成が充実しているが、そもそもアメリカは日本とは歴史が違い、文化財の厚みも違う。
解説板に類する情報は、どちらかというと地味な情報であり、インターネットが発達した今日においても、公共機関などの観光情報に掲載されていないことが多い。例えば、文化庁のページで天然記念物の解説資料を探すと、記念物に指定された当時の学者の調査資料、いわゆる戦前のカタカナ公文書が出てくる。それでも情報があれば良いほうだ。天然記念物の桜などは、指定された当時の成木が今や枯木寸前だったりするので要注意だ。地図も写真も解説も無い場合が多く、羅針盤のない航海に出るようなものだ。
 産学官民連携において、従来は「官」の管轄が違っていたということが要因の一つに挙げられていた。中央においては、文化財や国立公園を扱う文部科学省・文化庁、環境省に対して、経済産業を扱う省庁との立場と予算の相違があった。経産省、農水省などが関わる現役稼働中の産業資産(黒四発電所や疎水など)の文化財化と訪問客プロモーションを政策の優先課題とはしにくかった。だがリタイア層の増加で産業観光への潜在需要は旺盛であり、観光庁の設立とも相まって省庁間連携の機運は盛り上がっている。
地方自治体においては、文化財の管轄は教育委員会であり、観光を扱う産業関連部局や観光協会との連携は「現実は易しくない」と現地担当者から伺うことが多かった。その「学」の分野の人々はどう関わっているのだろうか。「学びの旅」で真っ先に思い浮かべるのは修学旅行や林間学校、臨海学校だろうか。大学や研究機関でのフィールド調査も学びの旅だ。最近では大人向けの学びの旅も脚光を浴びている。カルチャーセンターでもフィールド学習物は人気が高いそうだ。だが、これら小学生からリタイア層までの学びの旅の「カリキュラム」となると、大学・大学院レベルの深さと広さを持つ専門的かつ学際統合的なフィールド調査手法を基にしたものはまだ少ない。なにも学術的に高度な内容が必要なのではなく、学識経験者や学芸員などの専門家が作成したプログラムは、旅行代理店が作成した周遊観光プログラムとは違う目的と内容であり、価値が異なる。地域の博物館、資料館、美術館、あるいは高等教育研究機関に所属する現役スタッフが社会と接点を持つ機会は日本ではそれほど多くはなかったが、近年それらのコミュニティプログラムが充実してきたし、リタイアした先生を積極的にまちおこしガイドなどに起用し成功している自治体は増えている。
 ここ数年で産学官民連携の環境は大幅に改善され、将来は明るい。景観法、観光圏整備法、歴史まちづくり法が成立し、観光庁が設立されたことが強い推進力になっていくだろう。特に歴史まちづくり法は、国交省、文化庁、農水省が連携し、地域の文化財資源とそれをとりまく空間と人々を包括的に支援するものであり、通常の法律のような「規制」概念が全くない非常に前向きな法律であり、大いにまちづくりまちおこしへの効果が期待される。


7章 文化財を巡る旅を支援する情報データベースとコミュニティづくり

 学びの旅の仲間同士で、旅先で得てきた情報や素材を基に新しくカリキュラムや教材を作るなど、情報交換の「場」を創る必要がある。入試や丸暗記のためではなく、自己実現のために。それは、社会人学校と言えるものかもしれないが、既存のカルチャーセンターや通信教育などのシステムとは異なり、情報の場を中心に皆で共同作業し、成果で社会に貢献することが重要だ。その道はたやすくないが、その萌芽はある。例えば、文化庁の文化ボランティア。「地域文化で日本を元気にしよう」を合言葉に、民間の活力を町おこしに活かそうと努力している。同じく文化庁が主催した「わたしの旅100選(日本の歴史と文化をたずねて)」なども創造的な試みだ。
 だが、肝心な総合的体系的な文化財の情報データベース、特に高画質画像やビデオなどのマルチメディアコンテンツは本家の文化庁にも乏しく、不備な状態である。マルチメディアといえば、テレビの街道歩きシリーズ、四国遍路シリーズなど、特徴ある番組も多いのだが、データベースとしての体系が確立していないし、内容も今一つ物足りない。「学習」という視点ではなく、「娯楽」の視点で編集されているからだろうが、広告あるいは視聴料で成り立っている業界では限界があるのだろう。
 嘆いていても何も始まらない。必要に迫られた人が「まず隗より始めよ」の格言に従い新たな活動を実践することが重要だ。当の私は何を試みたか。新しい学びのコミュニティ作り、百年千年続くアーカイブを保存することを目標に、余暇を利用し、街並、まちおこし、文化財探訪などのフィールド調査を始めて六年あまり。約三十万シーンの写真とハイビジョンビデオのデータベースを蓄積した。最近は賛同者も全国から加わり、仲間とともに情報交換しながら資料のデータベース化による教育ボランティア活動を行っている。
 マスコミや行政、教育関係の方から「企画を練りたいのでどこか良いところを教えてほしい」という問い合わせを頂くことがあるが、それぞれの立場によって「良い」の基準もまちまち。各地のおすすめ度を、自然度、文化度、その他の項目で簡易に評価しているので、小学校の修学旅行からリタイア層の余裕ある旅まで、目的に応じてそれなりに役立っているようだ。
びっくりするのは海外からのアクセスが国内よりも多い点だ。多くの日本人は日本の文化財の価値を過小評価しているのではなかろうか。文化財という黄金が眠る島ジパングに世界の人々が大きな関心を寄せている。日々のアクセスログを解析することにより、海外のどの国の人が何に興味を持っているのか、傾向の分析とアクションプログラムの企画立案が具体的に行えるという効果もある。
 このような方法であれば、世界遺産としての価値を示す「顕著にして普遍的な価値を持つ人類共通の資産」の基礎となる文字情報とマルチメディア情報がセットとなっているので、遺産候補の選定において、価値の共通認識がスムーズとなり、平泉の教訓が活かされることとなるのではないか。すなわち、専門的に審査するICOMOSに対し、文化財的価値や世界的な位置づけがわからない、ビジュアルが少なくわからないなど、世界中から閲覧可能な詳細な公開情報が不足していた点が世界遺産登録を阻んでいたのではなかろうか。また、石見銀山などでは訪問者から現地施設やサービスへの不満が出ているが、彼らへの事前オリエンテーションを兼ねた予習の場にもなる。世界遺産はテーマパークではなく、山登りのように不便なものであり、事前に予習してその価値を認める人でなければ安易な訪問は双方が不幸になる。修学旅行これまたしかり。
 各自治体などのホームページで、NHKのハイビジョンや教育テレビのようなコンテンツがダウンロードでき、仲間同士が交流できる技術は現実にある。多言語対応も難しくないし、予算もそれほど必要ない。個人でもかなりのことができるのだから、組織であればなおさら大きな力になる。まちづくり、まちおこしに関しては、先に述べた観光圏整備法のみならず、景観法、歴史まちづくり法などが制定され、環境が整いつつあるが、それらを活かすのは人の情熱だ。それぞれの立場での実践を期待している。



参考資料「中山道69次を歩く 新版―究極の歩き方120」 岸本豊 2007年5月 信濃毎日新聞社出版局
「万葉秀歌」 齊藤茂吉 1968年11月 岩波新書
熊野御幸記(国宝) 藤原定家 三井記念美術館蔵 写真
「タウトが撮ったニッポン」 酒井道夫、沢良子 2007年2月 武蔵野美術大学出版局
「日本美の再発見」 ブルーノ・タウト 篠田 英雄訳 1962年2月 岩波新書
「ブルーノ・タウトへの旅」 鈴木久雄 2002年6月 新樹社
「日本奥地紀行」 イザベラ・バード 高梨健吉訳 2000年2月 平凡社 
「明治日本旅行案内(3巻」 アーネスト・サトウ 庄田元男訳 1996年10月 平凡社
「英国人写真家の見た明治日本―この世の楽園・日本」ハーバート・G. ポンティング 長岡 祥三訳 2005年5月 講談社
文化庁 http://www.bunka.go.jp/
残したい“日本の音風景100選” http://www.env.go.jp/air/life/oto/
かおり風景百選 http://www.env.go.jp/air/kaori/
名水百選 http://www2.env.go.jp/water/mizu-site/meisui/
小京都ネット http://www.rilt.org/town/skyoto/
北海道遺産 http://www.hokkaidoisan.org/