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京都府京都市右京区 妙心寺の塔頭

Myoshinji Tacchu ,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto

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京都市右京区花園妙心寺町1 玉鳳院開山堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 19010327

京都市右京区花園妙心寺町1 玉鳳院四脚門(微笑庵前門) 重文 近世以前/寺院 室町中期 応永(1394-1427)頃 一間平唐門、檜皮葺 19070828

京都市右京区花園妙心寺町39 靈雲院書院 重文 近世以前/住宅 室町後期 室町後期 桁行7.8m、梁間7.0m、一重、入母屋造、西面庇付、東面廊下附属、こけら葺 19060414

京都市右京区花園妙心寺町46 天球院本堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永(1624-1643) 桁行21.2m、梁間14.0m、一重、入母屋造、桟瓦葺 玄関1棟、旧障壁下地桟1組、旧獅子口1個 19220413

京都市右京区花園妙心寺町35 退蔵院本堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長7(1602) 桁行16.9m、梁間10.9m、一重、入母屋造、こけら葺 玄関1棟、棟札1枚 19670615

京都市右京区花園妙心寺町66 衡梅院本堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長9(1604) 桁行18.9m、梁間11.9m、一重、入母屋造、西面庇付、こけら葺 棟札2枚、棟札1枚、旧壁下地板1枚、旧縁框1本、古材25点 19670615


龍安寺

退蔵院

衡梅院

桂春院


February 18, 2023  野崎順次 source movie

京都府京都市右京区花園妙心寺町44
妙心寺 壽聖院
(Jushoin Temple, Ukyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)


「京の冬の旅」非公開文化財特別公開 
2023年1月7日(土)~3月19日(日)

永徳設計の庭園が残る石田三成一族の菩提寺
石田三成が父・正継の菩提寺として創建。絵師・狩野永徳の設計と伝わる池泉式庭園には、主君であった豊臣秀吉の戦勝の馬印「瓢箪」をモチーフにした瓢箪池がある。三成自筆の書状や、土佐派の筆によるものと伝わる「石田正継像」(重文・複製)や三成の肖像画(模本)など寺宝も展示。文化財を創り出す若い人材を育てる「襖絵プロジェクト」の絵師・村林由貴氏が描いた本堂と書院の襖絵「稲穂に雀図」「風浪双鯉図(ふうろうそうりず)」もみどころ。
(京都観光Naviサイト)

パンフレット
      


表門から中へ
    


伝狩野永徳の庭園
       


絵師・村林由貴氏による襖絵「稲穂に雀図」
  


石田三成一族位牌
   


土佐派の筆によるものと伝わる「石田正継像」(重文・複製)や三成の肖像画(模本)
  


石田三成自筆書状、薮内匠頭肖像他
   


墓地では、大きめの宝塔や五輪塔などに気が取られて、三成一族の供養塔(九基の小型宝篋印塔)を見落とした。
       


妙心寺境内
          


February 18, 2023 野崎順次 source movie

京都府京都市右京区花園妙心寺町60
妙心寺 玉鳳院


「京の冬の旅」非公開文化財特別公開
2023年1月7日(土)~3月19日(日)

妙心寺発祥の地 戦国武将の供養塔が並ぶ場所
46の塔頭寺院をもつ妙心寺の、最古の塔頭寺院。方丈には、妙心寺を創建した花園法皇の木像を祀る昭堂や玉座があり、狩野永真(安信)や洞雲(益信)の筆と伝わる「麒麟図」「竜図」などの水墨の障壁画が残る。また開山堂「微笑庵」(重文)は、開山・無相大師(関山慧玄)を祀る室町時代の唐様建築。庭の奥には豊臣秀吉の子・鶴松の霊屋や、武田信玄・勝頼父子の供養塔、織田信長・信忠父子の供養塔が並んで建つ。
(京都観光Naviサイトより)

寺内は撮影禁止ということで、塀の外側と庫裡の手前しか撮れない。ただ、応仁の乱にも焼失を免れた平唐門の門扉に小さな穴が開いているので、開山堂(微笑庵)と石灯籠は覗き見拝観可能である。

南総門から入り、仏殿のあたりから右折すると、白塀、鐘楼、出入り口が見えてくる。
        


方丈の前(南)の向唐門(むこうからもん) 
江戸時代前期、寛文年(1661-1673)の建立という。大坂の淀屋辰五郎の寄進によるという。唐破風屋根が前後(南北)に付く。
   


国重文 四脚門(微笑庵前門) 室町中期 応永(1394-1427)頃
一間平唐門、檜皮葺 19070828
「平唐門(ひらからもん、四脚門)」(重文)は、開山堂南前に南面して建つ。南北朝時代の建立による。室町時代前期、1409年、北朝第6代・歴代第100代・後小松天皇により御所の南門が移された。移築後の当初は勅使門として使い、江戸時代前期、1610年に現在地に移された。かつては西面していた。応仁・文明の乱(1467-1477)でも焼失を免れた唯一の建物という。門の柱、板に戦乱の際の金偏に鏃跡が複数残されている。現存最古の平唐門の例になる。破風板、懸魚、桁隠し、梁、冠木、墓股などは創建当初のものという。腕木端に桁なく茅負を直接支持する。控柱がなく不安定なために、後補により北側に支柱が付けられた。梁上に輪垂木、その上に木舞。四脚門で唐破風(一木彫成)が左右(東西)に付いている。檜皮葺。
(京都風光サイト)
         


国重文 開山堂 室町中期
桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
東福寺より室町時代後期、1537年に移築された。微笑庵(みしようあん)」とも称され・山内でも最も神聖な場所とされている。南正に扁額が掛る。創建はそれ以前の室町時代のものとみられ、山内現存最古の建物になる。江戸時代後期、1793年に、内部の一部が改変されている。前に礼堂(らいどう)、後ろに祠堂、相の間からなる。天井は鏡天井、拝所の天井は格天井、小仏壇天井に円山応挙(1733-1795)筆の鳳鳳の絵が描かれている。二手先詰糸且床は四半敷の敷瓦。拝所、昭堂付近は、後世、江戸時代に改変されている。堂内には室町時代以来、常夜灯と常香盤が絶えることがないという。
(京都風光サイト)

石燈籠
堂前に「妙心寺型」という石燈籠が2基立つ。近世(安土・桃山時代 - 江戸時代)作という。上より宝珠は六角形の筒型であり、笠は円形で大ぶりの蓮単弁がある。火袋は四角形、中台は八角形の蓮弁、側面の格狭間に彫刻がある。竿は六角形で大きく膨らむ太鼓胴になる。基礎・台石は四角形であり、上下には塁座様に鋲形がある。
(京都風光サイト)
       


通用門から入ると、庫裡の手前に鐘楼(府文)と牛石が見える。

牛石
開山慧玄が、伊深(岐阜県美濃加茂市)に居た頃、慧玄が田畑を耕す際に慣れ親しんだ牛がいた。慧玄の入洛に際して、伊深を離れる時に、牛は涙を流して後を追ったという。この逸話に基づき、現代、1959年、滋賀県安土町で見つかったという「牛石」が境内に奉納された。
(京都風光サイト)
          


玉鳳院の前には、蓮池に囲まれた白漆喰仕上げの妙心寺宝蔵
  


June 23, 2019 野崎順次 source movie

大心院

京都府京都市右京区花園妙心寺町57
臨済宗妙心寺派
正法山 大心院

大心院は1479(文明11)年、足利幕府管領・細川政元が景堂和尚に帰依して上京区大心院町に建立した寺で、天正年間に細川幽斎によって妙心寺山内に移建・中興された。
(大心院公式ウェブサイト)

アプローチ、妙心寺南総門から入る。当日はたまたま大心院で立命館大学書道部の初夏展が開催されていた。南総門でも学生が案内板を持っていた。
                 

表門から庫裡へ、四方仏石が目を引く。
               


本堂(江戸前期、1643年)と祖堂(江戸前期、1666年)
        

本堂の南庭は、「切石の庭」と呼ばれている。苔地と白砂の州浜型の地割があり、白砂にはこ列の長形の石が一直線に配される。切石花壇には牡丹が花咲く。
(京都風光ウェブサイトより)
         


大書院前の本堂(方丈)東庭あるいは「阿ロ牛(あうん)庭」
現代、1965年、作庭家・中根金作(1917⁻1995)による築山式枯山水庭園になる。寺では庭園を「第二の本堂」と呼んでいる。
長方形の地割に、手前に白砂、5色の17個の伏石、苔、植栽が配置されている。白砂と苔地の間は緩やかな曲線で引かれている。東に苔地の低い築山があり、三尊石組がある。州浜型が、緩やかな曲線で描かれている。これらは、昇竜の姿を表現しているともいう。百日紅
植えられている。
(京都風光ウェブサイトより)
                   


大書院の北東に長方形の区画があり、意味ありげだが詳細不明
      


渡り廊下を歩き回る。
            


本堂の北側に来たようだ。
      



June 23, 2019 野崎順次 source movie

妙心寺塔頭 東林院

「沙羅の花を愛でる会」に行った。咲いたまま散る沙羅(ナツツバキ)が、苔の上で朽ちていく様子を鑑賞するのである。抹茶付きで1600円。

朝日新聞の記事とパンフレット

   

アプローチ

      

ご住職の説明を聞きながら書院前の庭園を鑑賞する。無常である。が、一人当たり1600円でこの人数、1日の回転率、そして何日かの期間という雑念が去来する。

                                                  

横の狭い庭では花を近くで見ることができる。簡素なツバキである。

                 

 


February 26,2019 大野木康夫 source movie

玉鳳院

      

天球院(特別公開)

庭園のみ撮影可

                         

    


Feb.19,2020 瀧山幸伸

source movie

 

玉鳳院

                                

 

東海庵

        

大心院

  

龍華院

 

大雄院

                

 

養源院

   

龍泉庵

      

 


November 24,2018 大野木康夫 source movie

霊雲院

  

大法院へ

   

大法院参道

   

大法院庭園

                                                        

帰路

     

大通院

   

智勝院

  


May 5, 2015 野崎順次 source movie

大法院

(Daihoin, Ukyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)

京都府京都市右京区花園大藪町20

臨済宗妙心寺派大本山

妙心寺塔頭の一つで境内西に位置しています。真田幸村の兄で松代藩主であった真田信之の菩提寺として創建されました。当初は、妙心寺四派(龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派)のうち東海派に属しましたが、後に龍泉派となります。寺名は信之の法名「大法院殿徹岩一明大居士」に因みます。露地庭園が美しいことで有名です。通常非公開ですが、春の新緑と秋の紅葉の時期のみ特別公開されます。

文化財は江戸時代中期の絵師・土方稲領の「叭叭鳥図(ははちょうず)」八面など。

(KYOTOdesign ウェブサイトより)

春新緑の特別公開に行った。ここには兵法学者佐久間象山のお墓もある。

アプローチ

      

パンフレット、山門から玄関へ

             

玄関から茶室

       

坪庭、室内は撮影禁止

                           

佐久間象山お墓

        

帰途

         


March 8,2015 大野木康夫 source movie

 

本堂廊下から見た本坊伽藍

  

衡梅院表門から見た玉鳳院開山堂

  

玉鳳院四脚門(微笑庵前門)

    


Jan.31,2015 中山辰夫

■■■ 妙心寺

京都市右京区花園妙心寺町1

撮影:Jan〜Feb.2015

     

●「大本山妙心寺」と刻まれた3m余の石柱が正面脇に立つ。

玉鳳院

玉鳳院は、境内中央の仏殿を東へ100mほど行くと宝蔵池に面して建つ。花園天皇が一院を設け禅宮としたと伝わる。

王鳳院は通常非公開の寺院。

開山堂

開山堂は妙心寺を開いた関山彗玄像を安置しており、1538(天文7)年に東福寺から移築された境内最古の建造物で、豊臣秀吉の長子・鶴松(棄丸)や織田信長・信忠父子、武田信玄、信勝、勝頼らの墓所である。

●玉鳳院向唐門

国重要文化財

                 

方丈の正面にある門。唐破風が正面にある。寛文年間(1661〜73)に、大阪の淀屋辰五郎が寄進したといわれる。

後方の方丈を覗き見る

      

●開山堂四脚門

国重要文化財

          

堂前の四脚門は檜皮葺の唐破風造の四脚平唐門で、応仁の乱を免れた妙心寺最古の貴重な建物。

白壁沿いに厳かに建つ門構え、重量感と気品あふれるが四脚門は後小松天皇の内裏であった門を賜ったもので、江戸時代までは南の勅使門として使われていた。

                 

王鳳院は通常非公開の寺院で四脚門も”開かずの門“であるが、数ある塔頭の中でも一際厳かな雰囲気が漂う古門である。

平唐門は二本の円柱を本柱にして、本柱に棟木、控柱に側桁を置いて切妻造の屋根を架けている。

脇の古柱には応仁の乱で撃ち込まれたいくつもの弓矢の傷痕が残り、歴史を500年程遡らせる。

後方が開山堂

   

 

■■■ 妙心寺塔頭

妙心寺境内は、古くから近隣の子どもたちの通学路、遊び場として親しまれてきた。塔頭をつなぐ石の道は教練の授業にも使われたが、子どもたちの楽しい「かくれんぼ」の隠れ場でもあった。それは今も変わらない。

 

臨済宗大本山妙心寺の山内には、石畳で結ばれた寺町が形づくられており、その中に46もの塔頭がある。

今から600年以上前の、1404(応永11)年に建立された山内屈指の古刹である退蔵院に代表されるように、寺院各々は、規模も大きく、歴史や国指定の重要文化財を有し、さらには史跡・名勝の指定を受けた見事な庭園を併せ持っている。

各塔頭寺院が、名だたる武将や大名の菩提寺であるためか、他山に比べ裕福さが漂う。この裕福さは華麗な塔頭の構えに出ている。目立った飾りは無いが、各々趣の違う門に入り、庫裏に至るまでの庭の多様さ、石畳の味わい、形の違う本堂の姿、など格調高い雰囲気が全体に感じられる。

白い壁の塀に囲まれた各々の塔頭を結ぶ細長い敷石道をめぐるのは、観光客の少ない冬の日に限る。そこには枯れた華やぎと禅寺の落ち着いた佇まいの空間が広がっており、心穏やかさに浸れる時間がもてる。毎朝、競うように掃き清められた寺院の前庭は訪れる者の心を打つ。雲水や僧侶の法衣姿も清々しい。

各々の塔頭を並べる。

塔頭と石畳

縦横に走る石畳道は、各寺院の門前にまでのび、各寺院の門から前庭の敷石につながる。

               

山内図

 

01−慈雲院 非公開

南総門を入ってすぐ左側の突き当りにある。1653(承応2)年大阪の橘屋新兵衛が湛月紹圓を開祖に創建。織田信長の乳母の塔がある。

井伊家の香華所でもある。本堂、庫裏が大きく構える。

          

02−退蔵院 

03−天授院 非公開 重要文化財を所有している。

1380(康歴2)年、妙心寺二世授翁宗弼が開祖。現在は専門道場になっている。

       

04−聖澤院 非公開 重要文化財を所有している

1523(大永3)年創建。妙心寺十三世東陽英朝を勧請開祖とする。妙心寺四派本庵の一である。 細川、土岐氏の外護で建立。

寺宝に絹本著色「摩利支天像」一幅(重文・高麗)を有する。

        

05−霊雲院 非公開 国重要文化財を所有している。

1526(大永6)年に、薬師寺備後守国長の室、清範尼が薬師寺一族の菩提を弔うために、大休宗休禅師に帰衣して創建した妙心寺四派本庵の一つである。

後奈良天皇は、識徳の高い大休宗休禅師に深く帰衣され、しばしば霊雲院に行幸された。

門前に西田幾太郎の石柱がある。な門内左手に哲学者西田幾太郎博士の墓があり、碑面に博士の号「寸志」の二字を刻む。

              

書院(御幸の間)

国重要文化財

室町時代、1532年頃の建立。後奈良天皇が行幸した際の御座所として使われ「御幸(ごこう)の間」と呼ばれた。

一重、切妻造、?葺、三畳、五畳半棚附、四畳半床附。狩野元信の障壁画(国重要文化財)が描かれている。

方丈

栂尾の阿伽井房の建築を移建して1543年(天文12)に作った。 現在の方丈は江戸時代、1693年に造替された。

庭園

国の史跡、名勝。書院南にある。室町時代、相国寺の子建西堂の作庭で、枯滝と蓬来山水の構成を兼ねた石組をもつ枯山水式庭園。

障壁画

狩野元信筆とされる。合計49幅。狩野元信が大休和尚に参禅した余暇に描いたと伝わる。

06−通玄院

1579(天正7)年虚?了廓を開祖として寺西信之が創建

        

07−玉龍院 非公開 国重要美術品所有

1598(慶長3)年生駒一生により創建された。廟堂は、生駒家の菩提寺

            

08−大法院 特別公開

1625(嘉麓)年、松代藩主真田信之(幸村の兄)の菩提寺として、信之の遺命に従い孫・長姫が創建した。

当初は、妙心寺四派(龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派)のうち東海派に属した。寺名は信之の法名「大法院殿徹岩一明大居士」に因む。

真田家の菩提寺である。光国院の梁南禅棟により中興された以後は龍泉派となった。

方丈の襖絵「山水図」四面は、渡辺了慶の筆といわれ、他に片山尚景筆と思われる「山水図」八面を有する。

幕末の兵法学者で松代藩士であった佐久間象山の墓がある。

         

09−大龍院 非公開

1606(慶長11)年、中村一氏公を開基として創建。中村一氏は、室町時代-江戸時代の武将。近江国の人。織田氏の家臣・羽柴秀吉に仕えた。

1577年天王寺攻略、本願寺門跡派の一揆鎮圧、1582年山崎の戦い、1583年賤ヶ岳の戦いの功により和泉国岸和田城主。1585年近江国水口岡山城主。その後の武勲で、1598年三中老の一人に任じられた。1600年関ヶ原の戦いで東軍に与するが合戦前に病死。

        

庭園

方丈の背後にある庭園は、『都林泉名勝図会』にも紹介された名庭であったが、明治維新後、久しく荒廃するがままであったが、1978(昭和53)年に造園家・重森完途氏の手により、同名勝図会の挿絵に沿わせて復興された。

10−徳雲院 非公開

一際奥まった所にある。一直線に伸びた石畳道。

1506年(永正3)に妙心寺に十五世大休宗休(円満本光国師)が開創。大休宗休はのちに霊雲院を創建する。

       

裏門 天祥院の手前にある

  

11−春光院 非公開 国重要文化財を所有する

1590(天正18)年創建。豊臣秀吉に仕え後、松江開府の祖となった堀尾吉晴が、長子堀尾金助を小田原の戦いで失ったので、その菩提を弔うために建立した。

方丈は江戸中期以後の客殿建築様式の特色を完備した建造物である。方丈裏の大書院は、淀城の寝所を移築したもので、丸木のままの長押や天井にも桃山時代の建物らしさが見られる。

                 

方丈襖絵は金箔画で、京狩野派永岳の筆、東の間「琴棋書画図」、室中「月と雁」、西の間「花鳥」、同上間「太公望」の題材が描かれている。

春光院は庭園に伊勢神宮の外宮(豊受大御神)を祀っているため、商売繁盛の寺としても有名である。

銅鐘(南蛮寺の銅鐘 HPより)

国重要文化財

  

方丈東にある銅鐘は「南蛮寺鐘」と称し、織田信長が京都に建立を認めた南蛮寺(キリスト教会堂)で用いられていた。

寺伝によればポルトガル製の鐘で、側面の周囲に太陽の文様の中に十字架とIHSの文字を組み合わせた円文を四方に鋳出し、そのうち一方に1577年(日本の天正5年)の西暦年号を鋳出している。

「IHS」はイエス・キリストを意味し、ギリシャ語の「イエス」の最初の3文字、あるいはラテン語の「人類の救い主イエス」の頭文字とされる。嘉永7年に仁和寺より当院へ伝来したが、その際、幕府の目をおそれて朝鮮伝来の鐘とされた。

12−天祥院 非公開

1645(松平下総守忠弘が創建。86年(明治19)にほとんど焼失、その後再建に着手、1976年(昭和51)に本堂の再建ができた。

           

13−寿聖院 紹介者ある場合に公開

1599(慶長4)石田三成により創建。石田光成一族の供養塔、枯山水庭園、石田関係の書画・白衣観音がある。山門〜玄関〜本堂 (HPより)

       

参考資料≪配布パンフレット、その他≫

14−金牛院 非公開

1650(慶安3)年環陵を開祖に創建

             

15−天球院 非公開 国重要文化財所有

1631年(寛永8)岡山藩主池田光政が大伯母・天久院のために建立した。開山は江山景巴。池田家の菩提寺である。

本堂

国重要文化財

桁行七間、梁間六間、単層、入母屋造の禅宗方丈。江戸時代方丈建築の典型とされる。

障壁画と杉戸

国重要文化財

方丈内部の障壁画56面は狩野山楽・山雪父子の筆とつたえ、禅寺に珍しい金碧画「竹虎図」「梅の遊禽図」などが有名。杉戸にも彩色画が描かれている。

            

16−隣華院 非公開 重要文化財所有

1599(慶長4)年に南山玄興を開山、脇坂安治が創建。南化玄興(1538-1604)は、「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と、火炎の中に身を投じた快川紹喜の弟子として知られ、元亀元年(1570)33歳の若さで妙心寺58世になった。脇坂安治は、賤ケ岳七本槍で名高い。式台・客殿・大玄関が並ぶ

方丈には、長谷川等伯の襖絵・山水図(重文)と狩野永岳の金地極彩色の障壁画がある。(HPより)

方丈の襖絵紙本墨画「山水図」二十面(重文・桃山)他に豊臣棄丸坐像(重文・桃山)を蔵する。

             

17−智勝院 非公開

1597(慶長2)年稲葉貞通が、父一鉄の菩提を弔うために創建した。開祖は妙心寺七十四世単伝士印・大光普照禅師である。

境内には、明智光秀の重臣・斎藤利三夫妻(春日の局の父母)の墓がある。

           

18−隣祥院 非公開

1634(寛永11)年の創建。徳川家光が乳母春日局追福のため、碧翁和尚を開山として建立した春日局一族の菩提寺である。

             

19−大通院 非公開

先の大通院は1586(天正14)年一柳直末を檀越に南化玄興を開祖とし、その後山内一豊はその子湘南を南北の弟子とし、香華寺とする。

         

20−光国院 非公開

1620(元和6)年美濃加納の城主松平忠隆が、父の菩提所として創建。開祖は梁南棟である。

         

21−雲祥院 非公開

1598(慶長3)年熊本城主細川氏家臣、長岡是庸が創建。開祖は海山元珠

          

22−長慶院 非公開

1600(慶長5)年三折全友夫人(秀吉正室ねねの実姉)が開基。門は伏見城の東門が移築された。

          

23−桂春院 通年公開 国重要文化財所有する

 

24−大雄院 限定公開

1603(慶長8)年慧南玄譲を開祖とし石河光忠が創建。享保11年に客殿と書院(京都府指定文化財)を再建。

庫裏は江戸末期に改造された。山内塔頭建築の変遷を知る上で貴重とされる。

      

25−養徳院 非公開

1583(天正11)年石川光重が父・光延の菩提所として建立。開祖は功澤宗勲で光延の子。

        

26−蟠桃院(はんとういん) 非公開

1601(慶長5)年豊臣秀吉の家臣前田玄以により創建。開祖は一宙東黙。伊達家の香華寺である。

        

27−海福院 非公開

1616(元和2)年夬室智丈を開祖として福島正則が創建

     

28−雑華院 非公開

1583(天正11)年一宙東黙を開祖として、千利休の高弟である牧村利貞が創建。

        

29−如是院 非公開

妙心寺五祖・義天玄承の開祖。1462(寛政3)年中興。

       

30−福寿院 非公開

1619(元和5)年龍天宗登を開祖とし水野忠清の室により創建。

      

31−大心院 通年公開

1479(文明11)年の創建。庭は阿吽庭と通称されるが、石で三尊像を象徴した、本堂とは別の庭の形をした第二の本堂である。

現本堂建立記念に植樹したとされる五葉松とキリシマツツジが見事といわれる。

            

32−東海庵 非公開 国重要文化財所有 庭園が史跡、名勝

1484(文明16)年妙心寺十一世悟渓宗頓を開祖に創建。悟渓は東海地方を中心に考えを広めたとされる。妙心寺四派本庵の一つ。

小方丈と玉鳳院へ向かう交差点の角に建つ。方丈(本堂)、書院、庫裏、鐘楼、などからなる大層な規模の塔頭で、天正年間(1573-1592)、武将・石川一光(東海庵殿)が現在の規模に拡張したとされる。内部は非公開で入れず。

        

方丈玄関付近

三門とは別に設けられている。一重入母屋造、桟瓦葺、桁行9間半(18.9m)、梁行6間半(12.7m)

     

山門付近

            

庭園

書院庭園が南庭園と西庭園とあり、南庭園が国史跡、名勝の指定を受けている。方丈にも前庭が幌がる。

33−長興院 非公開

1581(天正9)年九天宗端を開祖として滝川一益が創建

       

34−東林院 特別公開

1531(享禄4)年、室町幕府の管領・細川氏綱が、養父・細川高国の菩提を弔うために建立した「三友院」が起源。1556(弘治2)年、細川高久の孫・山名豊国が開基となり再興し、寺名を「東林院」と改名。以来、細川氏菩提寺から山名氏の菩提寺になった。その後、堂宇大破の際には、山名家にて本堂・庫裏が再建された。現在は、通称「沙羅双樹の寺」として有名。

                   

基本的に非公開寺院であるが、毎年1月の「小豆粥で新春を祝う会」、6月の「沙羅の花を愛でる会」および10月の「梵燈のあかりに親しむ会」の時は特別拝観可能である。

現住職の西川玄房は精進料理研究家として著名であり、精進料理を食べることも可能である。

庭園

周囲を竹やぶに囲まれ、沙羅双樹の庭園と枯山水庭園がある。本堂前庭に十数本の沙羅双樹からなる「双羅林」は梅雨の季節に白い椿のような花を咲かせる。

青苔に映える千両・万両の庭、枯山水・蓬莱の庭の水琴窟(一壺天)の音が禅寺の風情を醸し出している。

            

床の間付畳敷きの東司(便所)

山名豊国が愛用したとされる

    

小豆粥で初春を祝う会

小豆粥は、餅粥ともいい、七草粥と同じように、新年に食すると、一年中の邪気を払い万病を除く…と言い伝えら、平安の昔から伝わっている新春の優雅な風習。

先ずは書院の間に通される。 通常は非公開の本尊の観世菩薩や、ダルマ図がお目にかかれる。

        

福茶と祝菓子を戴く。

  

ついで別室にて食事となる。

      

さば(生飯)の儀式

箸を付ける前に行われる行事。頂く食べ物の中から少量(米7粒ほど)を庭にやってくる小鳥などの為に分け与え施す(恵む)

施した小豆粥は写真のように庭に置かれる。

  

35−養源院 非公開

1448(文安5)年妙心寺中興開山日峰宗舜禅師により創建。応永の乱後、廃絶した妙心寺を復興した中興開山日峰宗舜禅師の墓所である。

現在の客殿は、1599年に再建された。鉄山宗鈍(てっさん そうどん)筆の棟札があり、建立年が確定している建物として、山内で一番古い。

         

玉鳳院・開山堂にも近く、門前には蓮池がある。

  

36−衝梅院 紹介者のみ公開 国重要文化財所有

37−龍泉院 非公開

1484(文明13)年妙心寺十世景川宗隆を開祖に創建。四派四庵の一つ。

    

38−春浦院(しゅんぼういん) 非公開 国重要文化財所有

1627(寛永5)年一柳土佐守より創建。重文「福富草紙」を所有する。

方丈には江戸中期の特異な漢画家山口雪渓の筆になる障壁画43面があり、また寺宝である重文の紙本著色「福富草紙」二巻(室町)は、二人の男の放屁にまつわる珍話を題材とした絵巻物。

   

39−龍華院 非公開

1650(明暦2)年竺印祖門を開祖通して毛利秀就の室(喜佐姫)が創建

        

40−慧照院(えんしょういん) 限定公開

1623(元和9)年福井城主松平忠昌公正室黄梅院殿花姫が開基。4月中旬〜下旬まで、紹介者ある人に公開

方丈前庭の樹齢120年を越える五色散椿が、18歳の若さで逝去した花姫の菩提を弔うように4月中頃に艶やかに咲き始める。

   

41−西源院 限定公開

1489(延徳元)年、細川政元が特芳禅傑を買い磯に創建。龍安寺鏡容池畔にある。

       

湯豆腐で有名

      

42−大珠院(だいしゅいん) 非公開

1493(明王2)年の開祖。一時興廃していたのを1600(慶長5)年、真田幸村の女婿石河備前守光吉が再興した。

     

43−霊光院 非公開

1583(天正11)年細川昭元夫人により創建

44−多福院 非公開

1482(文明14)年特芳禅傑が建立。開祖は鉄船宗煕。

45−仙寿院 非公開

1652(承応元)年後水尾天皇が、禿翁妙宏を開祖に創建された。妙心寺境内外の塔頭である。

          

46−金台寺(こんだいじ) 非公開

1576(宝徳2)年正親町天皇より再興の綸旨が下される。鳳台院と称したが、明治4年改称した。

         

47−龍安寺 

 

48−玉鳳院—開山堂 非公開 国重要文化財所有

玉鳳院は妙心寺における最初の塔頭であり、発祥の地である。

妙心寺の開山堂で、花園上皇の創建。花園上皇が妙心寺創建の時、傍らに一院を設け、禅宮としたことから花園御殿とも呼ばれる。

鐘楼、庫裏、方状、開山堂(微笑庵、みしょうあん 国重文)、経蔵、庭園が一列に並ぶ。方丈と開山堂とは廊下で結ばれている。

庫裏周辺

            

方丈

国重要文化財

南前に唐破風屋根が前後(南北)に付く「向唐門」がある。

江戸時代、寛文年間(1661-1673)建立。大坂の淀屋辰五郎の寄進によるという。

          

「方丈 玉鳳禅宮」は、江戸時代、1656年に再建された。単層、入母屋造、檜皮葺、寝殿風、桁行18.7m、梁行10.8m。

正面の「玉鳳禅宮」の扁額は、第102代・後花園天皇の宸筆による。中央奥の昭堂に、花園法皇の法体姿の木像が安置されているという。

       

網目から写す。扁額が小さく見える。(撮影禁止の掲示は目にしませんでしたが・・・)

開山堂

国重要文化財

方丈東にあって、微笑庵(みしょうあん)とも称され、山内でも最も神聖な場所とされている。

  

東福寺より室町時代、1537年に移築され、1538年に造立された。創建はそれ以前の室町時代のものとみられ、山内現存最古の建物である。

江戸時代、1793年に一部が改変されている。桁行3間、梁間4間。入母屋造、本瓦葺、一重禅宗様。

堂内には室町時代以来、常夜灯と常香盤が絶えることがないという。正面、拝所の奥の昭堂に、開山・関山慧玄の尊像が安置されている。

平唐門

国重要文化財

微笑庵の前門である。

                

一間の四脚門で唐破風(一木彫成)が左右(東西)に付く。桧皮葺。室町初期。開山堂と同じく妙心寺内で最古の建物の一つ。

檜皮葺。破風板、懸魚、桁隠し、梁、冠木、蟇股などは創建当初のものとされる。

室町時代の1409年、後小松天皇により御所の南門が移された。移築後の当初は勅使門として使われた。

応仁・文明の乱(1467-1477)でも焼失を免れた唯一の建物とされ、。門の柱、板に戦乱の際の鏃跡が多数残っている。現存最古の平唐門の例。

経蔵

国重要文化財

桁行・梁間共に一間 一重裳階付 二重屋根本瓦葺。1673年(寛文13)上棟。内部に輪蔵がある。

庭園

国の史跡、名勝

庭園が三つある。蓬来式枯山水庭園。桃山時代初期。枯滝、蓬来石石組などが残る。

49−涅槃堂 非公開

全国の信者から納められたお骨が安置され、永代供養が行われる。

    

50−蓮池と宝蔵周辺

     


Nov.30 2012 瀧山幸伸 

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大法院

Daihoin

A camera

                                                                                    

B camera

                                                   


Feb.2012 大野木康夫 source movie

2012.2.12撮影 

京の冬の旅で山門と玉鳳院が公開されている妙心寺を訪ねました。

普段の参拝者は修学旅行生が中心ですが、この日は年配の人を中心に多くの人が訪れていました。

塔頭の中にも国指定文化財の建造物があります。

玉鳳院の前や経蔵の南から屋根が見えます。

          

玉鳳院四脚門(微笑庵前門)(重要文化財)

応永年間(1394-1427)の建築

一間平唐門、檜皮葺

             

玉鳳院開山堂(重要文化財)

室町中期の建築

桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺

衡梅院の前から見ると扁額が覗いています。

塀の内部は撮影禁止になっています。

            

霊雲院書院(重要文化財)

室町後期の建築

桁行7.8m、梁間7.0m、一重、入母屋造、西面庇付、東面廊下附属、こけら葺

霊雲院は非公開で、書院は方丈の西側、つまり奥に建っているので、全く見えません。

写真は玄関及び方丈です。

          

天球院本堂(重要文化財)

寛永年間(1624-1643)の建築

桁行21.2m、梁間14.0m、一重、入母屋造、桟瓦葺

附指定:玄関1棟

参道や裏の駐車場から屋根が覗いています。

        


May 2009 瀧山幸伸 source movie

雑華院

        

        

東海庵

   

玉鳳院

Gyokuhouin

                     


Mar.2007 瀧山幸伸 source movie

玉鳳院

Gyokuhouin

              

東林院

Tourinin

         

大心院

Daishinin

  

                               

東海庵

Toukaian

    

 


July. 2006 瀧山幸伸

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龍泉庵

Ryusenan

     

天球院

Tenkyuin

   

麟祥院

Rinshouin

  

大通院

Daitsuuin

    

 

靈雲院

reiunin

          

東海庵

Toukaian

  

玉鳳院

Gyokuhouin

          

玉鳳院開山堂

Kaizandou

 

   

  


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