Monthly Web Magazine Sep. 2016
7月30日13時37分にJR新宮駅に着いた。カンカン照りで人通りが少なく、あっけらかんとした町である。ブロック塀やコンクリート打放しの建物が黒カビ(黒苔?)で真っ黒に汚れている。ちなみにこれは新宮市庁舎第4別館で、商工観光課、人権啓発課などがある。この黒い汚れは宮崎市で見たのと同じである。瀬戸内海では見られないから、外洋(太平洋)に曝されているためか。
ホテルにキャリーバッグ本体を預けて、小型リュックに三脚と一眼レフを詰めて、神倉神社に向かった。割と近くで徒歩10分くらい。ここには厳しい五百数十段の石段があるので、気楽にぶらぶらとは登れない。石段の途中で動画も撮りたいので、三脚に一眼レフを取り付け、担いで登り始めた。
最初から胸を突くようなきつい勾配である。しかも、加工していない天然石を積み上げているので、歩きにくい。頼朝が奉納したとの言い伝えがある。三脚を担いで体を前に倒すと危ないので、まっすぐに立って登っていく。岩の斜面を登る要領である。上から降りてくる女性が一歩一歩確かめるようにそろそろ歩いている。その写真を撮っている私を意識する余裕はなさそう。
かなり登ってから石段の勾配が緩くなったら、急に楽になった。後から考えると、本当にきついのは最初の三分の一くらいか。
神倉神社は原始宗教の聖地でご神体はゴトビキ岩である。最初ここに熊野権現が降臨された。その後、麓に新しい社殿として熊野速玉大社が建てられたので新宮の名が生まれた。ゴトビキ岩は巨大な陽物に見えるが、その足元は陰部の様だ。上からの眺望はなかなか良い。
今回の旅の主目的は神倉神社だったから、石段を降りて麓に戻るとホッとした。その後、最寄りのコンビニでビールを飲んでチューハイを飲んで、酔った勢いに助けられて熊野速玉大社へ行った。ここらで印象に残ったのは、川原屋である。釘を使わず組み立て・解体が簡単にできる木造プレハブ住宅である。熊野川川原に並んでいた店で、洪水になると直ぐにたたんで避難場所(上り屋)に運んだという。江戸から昭和初期まであったそうだ。
自然に逆らわぬというのが偉い。また、簡便可動という点から京都の河合神社で見た長明の方丈を思いだした。夕食はホテルに帰る途中で、めはり寿司とざるそばのセットをたべた。めはり寿司は塩漬けの高菜でおにぎりを包んだものでここらの名物とやら。
酔いが回ってホテルに帰り、バタンキューと眠り込んだら、7月31日の朝が来た。晴天である。この日は午前9時59分発の八木新宮特急バスで帰るだけである。最前席に座りたいので、30分前に行ったが、誰も並んでいない。お土産にみかんかオレンジでも買うつもりだったが、日曜日で店が開いていないという。日曜日に店を閉める観光地かよ!結局、新宮から乗り込んだ乗客は私とオバさんの二人だけだった。
バスは北に向かい、新宮城跡から大きくUターンして熊野速玉神社前で南転した。熊野川からドンドン離れて、昨夜泊まったホテルの近くや神倉神社前を通るので、どこから熊野川沿いの168号線に入るのと思ったら、新越路トンネルを抜けて熊野川に出た。
熊野川沿いの168号線を少し行くと、対岸に滝が見えた。飛雪の滝、高さ30m幅12mである。その後、再び対岸に滝が見えた。石張り仕上げアーチ型コンクリート橋の向こうの岩盤を伝う細い滝である。しばらくして、山の少し上にまた滝が見えた。目が離せない。ずっと対岸の山を見続けた。あっ崩落跡が。
いったんバスは168号線を離れて支流の四村川から大塔川沿いを進む。水遊びの家族が見えるなと思っていたら、川に温泉が湧き出ている。川湯温泉である。そして、トンネルを越えて、くねくね走って湯の峯温泉を通過、バス停に独り旅の白人女性がいた。
さらに山道を登って下ると、本宮大社前に出た。温泉を巡る大回り道だった。
熊野川沿いの168号線に戻り、ずんずん北上する。県境を越えて、七色高架道を進むと、左手直ぐに細いが見事な滝の下部が見えた。十二滝である。
おしまい