.JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Mar. 2017

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■ 明日香村で飛鳥寺西方遺跡説明会に行った話  野崎順次

2月26日(日)Japan Geographic交流会の翌朝である。昨夜はビール、焼酎、日本酒を飲んで、帰宅してからワインを飲んだので、二日酔い気味でしんどいが、明日香村に出かけた。明日香に行くときはもっと早く(7時過ぎ)に家を出るが、今日は10時20分出発で、10時30分の電車に乗ろうとしたが、途中でスマホを忘れたことに気付いた。歩きながら今日は1万歩を超えるかなと思ったときに歩数記録機能のあるスマホのないことに気付いたのである。結局電車は10時50分発になった。近鉄阿部野橋に着いたのが、11時30分で50分の急行でもよいのだが、車中でコンビニ弁当を落ち着いて食べたいので、510円エクストラで11時40分の特急に乗った。

橿原神宮前駅の東口に出て、明日香めぐり赤かめバス乗り場に行くと、この季節にしたら多めの10人くらい並んでいた。ほとんどがリュックサックをしょったジーさんバーさんである。私も並んでいると、次に来たバーさんが、尋ねてきた。

バーさん「柱跡を見に行くバスはこれでいいのですか?」

私「どこの柱跡ですか?」

バーさん「なんか寺跡ですわ。」

その時、はっと思いだした。2、3日前に「飛鳥寺西方遺跡」の発掘調査で建物跡が出てきたとの新聞記事を読んだ。家内が切り抜いておいてくれたのである。でも、固有名詞が出てこないバーさんにお灸をすえたくなった。

私「何寺ですか?固有名詞がないと答えようがないです。」

バーさん「何寺やったかなー?」

仕方なく、私「飛鳥寺とちゃいますか。飛鳥寺西方遺跡のことでしょう。」

バーさん「さーそんな寺やったかなー?」

私「固有名詞がないと答えようがありません。」

バーさん「とにかく行ったら人が並んでるから分かると思って。」

バーさんはバスに乗り込み、運転手にも聞いていた。

バーさん「柱跡を見るのはどこで降りたらいいの?」

運転手、すげなく「さー、聞いてまへんなあ。」

すると、一番前の席に座っていたおばさんが「飛鳥で降りたらいいですよ。私も行きますから。」と教えてくれた。

なるほど、飛鳥でジーさんバーさん数名が下りた。南の方を見ると、田んぼの真ん中に白いテントが見えて、人が集まっている。飛鳥寺西方遺跡の説明会らしい。こういう催しは暇を持て余したジーさんバーさんが大挙して押し寄せ、狭いあぜ道に延々と列を作ることが多いので、私は嫌いである。ひっそりと遺跡に向き合いたいのである。

私は明日香小山で降りて、狭い農道を東へ大官大寺跡に向かって歩いた。田んぼに入ってあぜ道を進むと幅約3m、深さ約2mの小川があり、幅30cmくらいの橋代わりの鉄板がかかっていた。その橋を渡れば、寺跡まで直ぐなのだが、自信がないのである。昨年の晩秋に耳の帯状疱疹になり、その後遺症で平衡感覚が悪いままである。その前ならドーってことのない橋であるが、わたる途中でふらついて落ちたら、川底にちゃんと足から着地できるかさえ心配である。何度か足をかけたが、大事をとって、200mほど下流の自動車道まで遠回りした。約1時間で大官大寺跡奥山久米寺跡を撮影した。明日香村の北のはずれになるので、ほとんど観光客はいない。

  

明日香奥山のバス停に着くとちょうど橿原神宮駅東口が来たのでバスに乗った。豊浦で降りて、以前に撮り残した向原寺周囲に行こうと思ったのである。バスはいったん飛鳥資料館に行き、明日香小山を経由して、飛鳥を通過した。14時12分である。西方遺跡の方を見ると、人が集まっているのが見えるが、それほど多くは無さそうである。行ってみるかと決心した。たまには遺跡説明会もいいではないか。このように突然迷って予定を変更するのも独り外出の醍醐味である。次の甘樫丘で降りて道を戻り、徒歩10分くらいで現地説明会会場に着いた。

  

まとまった説明を聞く時間がなかったが、よくできたパンフレットを貰って、展示物を写真に撮って、この遺跡に深く惹かれてきた。壬申の乱の軍営や、辺境の人々を招いた饗宴、また、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いなど、飛鳥時代の歴史の重要舞台となった「槻樹の広場」の遺跡らしい。見学通路は合板を敷いただけだから、あまり安定していないが、何とか三脚撮影がしたかった。担当の係員さんは見学者がすいてきたのをちらっと見てから、快く許可してくれた。いくつか発掘担当者に質問したが、次のバスの時間が迫ってきた。聞き残した疑問がある。建物のわりに柱跡が大きいのが意外だが、高床式建物というから柱は床までだったのだろうか。また、石組溝は石と石の間に粘土でも詰めて水密性を確保したのだろうか。

      

最後に聞いたのは、飛鳥寺一帯の伝統的地名「真神原」の読み方である。「まかみのはら」、「まかみがはら」、「まがみのはら」、「まがみがはら」の4種類が流布しているが、どれでしょう。発掘責任者のような人に聞いたら、若い担当者に話が回って、結局、「まがみがはら」ということになった。少し困ったような顔をしていたから、正解は一つではないのかもしれない。

バス停に歩く途中で、梅の花を見つけた。遠目にはよかったが、近づくと盛りを過ぎていた。飛鳥発15時12分のバスに乗った。

バスの中で橿原神宮前駅の反対側にある久米寺が梅で有名だったような気がして、行くことにした。久米寺の梅はまだ早すぎたが、大塔礎石や七重石塔が面白かった。

   

スマホによれば、この1日で約1万5千歩歩いた。