Monthly Web Magazine May 2018
近江には多くの神仏たちがおられます。これら神仏を辿りますと、山(岩)、川(みず)−自然への崇拝−と重なり、自然の力に行き着きます。
そして自然の力がより集う処が琵琶湖です。琵琶湖から見える力の源、琵琶湖を抱く近江の自然や風土−これを白洲正子は『カミ宿る近江」と感じ繰り返し近江を旅しました。
白洲正子を虜にした近江−近江の聖地と称される所を、滋賀県立安土城考古博物館の資料を参考に順次並べます。
1−園城寺(三井寺)大津市
仁王門(重文)・三井の晩鐘(重文)・金堂(国宝)・閼伽井屋(重文)・同(三井の霊泉)・三重塔・観音堂「西国十四番札所(重文)
三井寺の名は天智・天武・持統三帝の産湯に使った井戸に由来します。本当の名は長等山園城寺。近江八景「三井の晩鐘」でも有名です。
山寺両門の争いにより再三の焼打ちや数々の難関を乗り越え寺観を整え「不死身の寺」とも呼ばれます。
延暦寺より108年も古い歴史を持ち、波乱にとんだ運命を経てきたことがウソのように思われる現在の広大で静寂な寺域。
観月の舞台に立って琵琶湖を眺め、叡山の峰を仰ぐと、この寺院の存在の大きさがわかります。
2−千石岩(せんごくいわ)と山上不動堂 (大津市)
皇子が丘の西に突き出た神の坐す磐座。その名は、米俵を千石積み上げた形に由来するともいわれます。
不動川の源頭付近に存在し、下流に位置する山上不動と密接な関係にあるといわれます。
3−近江神宮(大津市)
楼門・外拝殿・内拝殿・本殿 (社殿は全て国登録文化財)
1940(昭和15)年に天智天皇を祀るために創始された神社。この地が大津宮であることに由来します。
毎年百人一首の名人位・クイーン位の決定戦が行われます。
4−唐崎神社 (大津市)
琵琶湖岸に鎮座する日吉大社の摂社の一つで、御祭神は女別当命(女の神様)です。創建は持統 天皇の御代の697年と伝えられます。
古来より天皇や国家の大事の災いを祓い清める 七瀬之祓(ひちせのはらい)が行われ、悪しきものを流し去るための聖地とされてきました。
日吉大社の大物主命が影向した地でもあります。近江八景「唐崎夜雨」の舞台としても知られますが、その中心であった霊松が昨年老化で枯れ残念です。古くより多くの歌人に愛されて、詠われてきただけに惜しい事です。若木を植樹し再来を期しています。
5−比叡山と延暦寺 (大津市)
比叡山
古事記には「是神山」と表現されています。最澄が霊山に入り山岳仏教を確立し延暦寺を建立。今日の仏教を支える祖師達を多く輩出させました。その山容は近江の至る所から仰ぎ見ることが出来ます。霊山として有形無形の力を発揮しました。「近江の湖(うみ)は海ならず、天台薬師の池ぞかし・・・」と綴られているように、比叡山に咲いた文化が周辺の山々にも投影し、文化が咲き、文化を育みました。
延暦寺は日本の山岳仏教の母胎の役割を果たし、近江は勿論のこと日本の歴史と文化にも大きな影響を与えました。
根本中堂(国宝)と文殊堂(重文)
不滅の法灯が1200年の光を放っていることでも有名で、鎮護国家の祈祷をする根本道場とされてきました。61年振り、10年をかけて大改修中。
浄土院
比叡山「延暦寺」で、最も清浄な聖域、最澄の御廟所です。 . "侍真(じしん)"と呼ばれる12年間、山から降りずに籠山修行をしている僧侶が現在も毎日、霊前の給仕を行なっています。"十二年籠山行"として"千日回峰行"と共に歴史ある修行の一つです。
にない堂(重文)・釈迦堂(重文)と横川の横川中堂
中堂は本堂で、遣唐使船をモデルとした舞台造り。
6−崇福寺と金仙の滝 (国の史跡と歴史的風土特別保存地区) (大津市)
黄金の舎利容器(国宝)が出土した天智天皇建立の崇福寺。この伽藍を画する谷に懸かる滝が金仙の滝。
滝の横には石窟が穿たれ、祭祀が行われていたと思われ神秘的な雰囲気が漂っています。
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