JAPAN GEOGRAPHIC
Monthly Web Magazine June 2018
日本仏教の聖地といわれます比叡山と比良山の紹介です。
『堅田の辺りで比叡山が終わり、その裾に重なるようにして、比良山が姿を現わすと、景色は一変する。比叡山を陽の山とすれば、比良は陰の山と呼ぶべきであろう。』「白州正子 ・近江山河抄」。
大津から高島にかけてこの二つの山を中心とする山々がつながり琵琶湖の北側を取り巻きます。
比良山は、平安時代には七高山の一つに数えられた霊山で、古代から中世には比良三千坊と呼ばれるほどの数々の寺院が山中に建ち並び、天台宗の勢力拡大とともに、天台僧の修業の場となっていたようです
江戸時代には、この様子を「比叡山三千坊、比良山七百坊」と称されともていました。
7−日吉大社 大津市
日吉大社は全国に3800余の末社を持つ「日吉山王社」の総社で、比叡の神にして延暦寺の守り神でもあります。
延暦寺とともに宗教・文化・政治・経済などの各方面で多様な歴史を持ち、境内は国指定史跡となっています。
小比叡と呼ばれ神体山として古代信仰の対象となり、「古事記」にも登場する八王子山。その山頂近くにある『金大厳(コガネノオオイワ)』は、神が降臨する聖なる磐座・鎮座地で、当社の創源はこの山の祭祀にあったとされ、日吉大社の根源となる聖地です。
磐座に天降った神は、山の神であるとともに水神で、水は金から生まれるとされています。
八王子山(牛尾山・標高378m)と「金大巌」、二棟の本殿と拝殿、坂本・下坂本・琵琶湖・対岸の三上山までが遠望できます。
日吉山王祭では、3月1日に神輿二基が山麓の神輿庫から急坂を山頂まで担ぎ上げら、4月12日夜に山から担ぎ降ろされ祭がスタートします。
山からの水は、大社の境内は勿論、坂本門前町中を潤し、この地域に自然信仰の姿を留める役目を果たしています。
8−浮御堂(満月寺) 大津市
恵心僧都源信が「水想感」と呼ばれる、水の浄土を念じる修行をした処です。千体阿弥陀堂を安置する湖に浮かぶ堂は、近江八景「堅田落雁」のモチーフとなっています。水鳥が御堂を背景に飛び交う様子や参拝者がお参りする様子は古来も今も大きく変わりません。
9−和邇大塚山古墳と小野の里 大津市
大津市の外れにある曼荼羅山の頂に築かれた和邇大塚山古墳は琵琶湖を見つめる前方後円墳。小野古墳群がこれに続きます。
和邇小野の里は小野妹子に代表される小野氏出生地で、全国に見られる小野姓の人たちの故郷です。この一帯には数々の神社古墳が残っています。国重文の小野神社、小野篁神社、小野道風神社、天皇神社小野妹子神社が並びます。小野神社はお菓子の神様としても知られています。
小野神社と唐臼山古墳(小野妹子の墓と伝わる−年代観と琵琶湖を見下ろす立地からも妹子の墓に相応しく思えます。
10−比良山系 大津市・高島市
万葉集に「並庫山」と詠まれた比良山地は、霊仙・権現・蓬莱・打見・比良岳・烏谷・堂満岳・釈迦岳・リトル比良が稜線をかたちづくり南北約20km、東西約10㎞にわたる連山の総称です。聖の修行の場として好適地で、比良七百坊ともいわれる多くの山岳寺院が展開していました。
太古から続く連山からの土石流が琵琶湖までの間の扇状地をつくりましたが、反面自然(水・獣)との厳しい戦いは太古から延々と続き、その跡が今も随所に見られます。
百間垣やシシ垣
かっての近江八景の多くは姿を変えましたが、「比良の暮色」だけは変わらずに味わえます。
11−揚梅滝 大津市
釈迦岳の北方にあって、天の峰と称する岩山の中腹より直下します。室町時代の1544(天文24)年に足利義輝が名付けたと伝わります。
近江最大の落差(76m)を誇る、水の力がみなぎる名瀑です。雄滝、薬研滝、雌滝からなります。
揚梅とは「ヤマモモ」の別名で、山中に光る長い水柱が真直ぐに高くのびるヤマモモの木を連想させたようです。山中の滝は珍しいといえます
ここは比良山系の北の玄関口です。
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